大韓民国を肯定し北韓政権を批判する本は一冊も許せないという全体主義的左翼扇動勢力が政権をとれば、人民裁判が行われ必ず血を流す。

趙甲済

添付画像
教育部が昨日(1月7日)、韓国史教科書を選定してから変更したこのとに関連する特別調査をした結果、“一部の学校が外圧を受けた”と発表した。教育部は報道資料を通じて“学校関係者によれば、一部の市民団体などが特定の教科書選定に対して罵倒したため負担感を感じ、教育現場の混乱防止などのために、教科書の選定を変更(取消)したことが確認された”と発表した。この発表後、青松女子高校が外圧に屈して教学社出版の教科書の選定を撤回した。教育部が学校の独立性を護ってあげられなかったのだ。

国史教科書は体制を護る最も重要な教育手段だ。国家が体制と国家を肯定する教科書を排斥し、国家と体制を否定する教科書だけを採択して教育するのは自殺行為だ。政府にはこの自殺行為を放置、ないし幇助してきた責任がある。大統領、教育科学技術部長官、国防長官、法務部長官、与党が乗り出さねばならない。左偏向教科書で祖国を憎悪するよう学んだ学生たちが軍隊に入ると国軍の左傾化が憂慮される。南北韓の左翼から国家の安全保障を守護すべき国軍まで汚染されれば体制は崩れる。

大韓民国を肯定し北韓政権を批判する本は一冊も許せないという全体主義的左翼扇動勢力が政権をとれば、人民裁判が行われ必ず血を流す。反歴史的-反教育的教科書を許す国は反逆を許す。朴槿恵大統領の決断が要求される。

普通の人々は、公権力が守ってくれないと、暴力団や扇動屋、乱痴気勢力に屈服する。教学社の教科書を採択した後断念した学校は、公権力よりも左派煽動屋の脅迫がもっと怖かった筈だ。警察が強盗の群れに降伏すると、通常の人々は強盗に従うしかない。いくつかの学校は、愛国的な観点で書いた教学社の教科書を放棄し、反大韓民国-親北的な観点で書いた教科書を採択した。善良だが弱い人々を護れない政府は、結果的に敵と悪を手伝う。

教科部が責任感を持って教科書検認定の段階で介入したら、左偏向教科書の事態は防げた。事実に符合するか、憲法精神に合うのか、公平なのかの三つの基準で教科書を検証したら反大韓民国-親北韓政権的な記述は防げた。教科部が長官から実務者まで傍観者として大統領とマスコミに引きずられながら受動的に対処した結果、学校を、反国家的歴史教育の場にした。左傾勢力が学生たちの魂を盗むように政府が伝だった格好だ。政府、政党、メディアは自国の歴史教科書をこのようにして置いて日本の歴史教科書を是非する資格があるのか。

www.chogabje.com 2014-01-08 16:12

2014/01/14 17:15 2014/01/14 17:15

 野菜屑も粟も洗わずに炊いたせいか、ひと桶掬った後だと、器の底にはかなりの量の砂が沈んでいたけれども、そのことで誰一人粥を残すものはいなかった。差し入れが許されていたとはいえ、しゃばもまたひどい食糧難であってみれば、その粟粥だけが彼らが頼れる唯一、かつ、確実な食物だったからである。
 夜中に死んだ一、二の死体が発見されるのもたいていそんな頃である。はじめのうちは、激しい苦痛で呻いたりのたうちまわることもあったので、臨終が近づぐと倉庫から運ひだすこともあったが、一カ月が過ぎた頃になると夜のうちに声もたてずに息絶えていることが多かった。捕らえられてくる前からの持病や、国軍によるソウル奪回直後の混乱のさなかで、罪過以上の重い嫌疑を受けて経験した厳しい取り調べの後遺症と、長期にわたる栄養失調と、そこにとじこめられたための精神的な消耗がおおよその死因であった。従って死んだ者たちは、ほとんど前の日の夜の、うずくまったままの姿勢や、壁にもたれかかったまま死んでいたので、隣の人さえ気付かず、粥を配っていた治安隊員に肩を叩かれたときになってぱたっと倒れたりした。
添付画像

 しかし死体が運びだされても誰一人として食べている手を止めようとはしなかったし、泣き声などは、それよりかなり後になって家族が現れたときにようやく聞かれたりした。そのように食事が終わって、いっぱいの粥がもたらした温もりと飽満感が鎮まると、今度は夜明けとともにかまくびをもたげたあのつらい意識が、彼らの疲れきった魂を再びさいなみ始めるのであった。実際、彼らをもっとも苦しめる死の恐怖は、何人かの者を除けば、まったくはかばかしいかぎりであった。しかし、北へ退却しながら無慈悲なまでの処刑をやらかした味方の行為に対する記憶があまりにも生々しかったので、南の報復がそれよりひどくはならぬだろうとは誰も思っていなかった。
 そのような予想からもたらされる暗くて重苦しい沈黙のなかで一時間ほどが過ぎると、次にやってくるのが訊問だった。十時ごろになると所属の分からぬ二、三人の取り調べ官が倉庫の傍の空いている建物を臨時の取り調べ室にして、一人ずつ呼び出しては訊問をはじめた。たまには新しい手の入れた情報をもとに訊きだすこともあったが、ほとんどは同じことを何度も繰り返すだけだった。
 その時、呼び出しを告げる治安隊員たちの声は、囚われ者たちにとっては、まさに地獄の使者の声そのものであった。蒼白な顔でがたがた震えながら呼び出されていった人々のほとんどは、やがてしぼった洗濯物のようによれよれの、血まみれになって帰ってきたり、ときには仮死状態になって背負われて戻ってくることがあったからだ。

1989年11月15日4面
2010/03/25 16:58 2010/03/25 16:58

「保導聯盟のときもこうしたそうな。人の目につかない山の谷間に連れていって」
 しかし、車が停まったのは、南方近郊のとある政府の倉庫の前たった。屋根から四方の壁にいたるまて、溝の掘られたブリキでできている倉庫の二十坪余りの地べたには、彼女たちより先にきていた百人近い人たちで立錐の余地なく詰め込まれていた。ほとんどが貞仁のように、越北した党活動家と家族と、民青や女性同盟関係の婦女子たちだったが、北の出身者が一人もいなかったところから見ると、なんらかの基準によって分類されたもののようだった。
「今すくに殺しはせぬようじゃ」
 主に婦女子たちが固まっている奥の方の明かり取りの窓の近くに掻き分けてゆき、座をしめなから、ひとまず安堵した表情で姑がそう言った。貞仁も、いったんは安心したものの、なんと、それかニカ月もつづく長い悪夢の始まりたった。
添付画像

 そこの朝は、収容された人たちの目をさますだけで十分に苛酷たった。あらゆる苦痛や恐怖を忘れさせてくれるありがたい睡眠と、その中で、ときには恍惚の境地に誘ってくれる夢は、四つの明かり取りの窓から差し込む朝の陽光とともに粉々に砕けてしまうのだ。いわば、北へ逃げていった夫や父母兄弟が、きらびやかな勝利の旗を高く掲げて戻り自分たちを救ってくれる夢、あるいは退却した<トンム>たちが、かつての勢いを回復して、自分たちの苦労を償ってくれる夢から醒めると、彼らは誰かが揺り起こさずともひとりでに目をさますのであった。
 新しい日を迎える彼らの態度は、おおよそ三つの部類に分けられる。
 もっとも多いのは嘆きとため息で、それは死を意識してのさまざまな形態の苦痛に対する恐怖からのものだった。そのほとんどは、人民軍へ協力したものの家族ということだけで捕らえられてきたか、わけも分からずに同調して、反逆者の嫌疑をかけられた人たちたが、ときがたつにつれて彼らの嘆きとため息は、諦念が漂う沈黙と変化していった。
 次は、痛恨と悔悟の涙であった。明瞭な意識で賦与された、いうところの<課業>を引き受けはしたものの、やがて幻想から醒めたのがこれらの人たちだった。新しい世の中に対して期待を失った後も、すでに受け持たされたものまで放り出す勇気がなく、ずるずると引きずっているうちに、結局は反逆者というレッテルを張られてしまった組だが、彼らの痛恨と悔悟は、ほとんどが赤化初期の軽薄さと末期の優柔不断さに対するそれであった。
 三番めが、暗やみによって膨張した恐怖と不安ですくんでしまった革命的な熱情と敵に対する憎悪を、新しい日の光明によって蘇らせようとする者たちだった。北からすれば真の闘士と讃えられる部類に属するものたちたが、希ではあるが、せいいっぱい堂々と行動しようと努めていた。
 一日に一回だけ与えられる食事の配給は、まさにそのような彼らの、それぞれ自分たち仲間同士で交わすひそひそ話が、結構ざわつきに変わるころにあった。
 警察の委嘱を受けて警備と内部管理を受けもっている地域出身の治安隊員が、いくつもの大きな桶で運んでくるものといえば、野菜屑を入れて炊いた粟の粥だった。
 (保導聯盟=転向者の組織。開戦と同時にこれらのほとんどは韓国当局によって銃殺された。

1989年11月14日4面
2010/03/18 10:34 2010/03/18 10:34

 かつて、大地主であったとき、息子のように面倒を見てあげた姑の実家の甥や、兄弟のようにつきあっていた東英のかつての友人たちからも、あからさまに自分たちを遠ざけようとする気配を見てとった貞仁は、何としても自らの力で家族を養う算段をしてみた。学があり、社会経験も豊富な女たちでさえにっちもさっちもいかぬ戦のさなかなのに、貞仁のような女に、これという妙案があろうはずがなかった。いうところの、名門ヤンバン家の閨秀として育ち、十八歳で東英に嫁いでから世の中の物情を知らずに過ごした十余年だった。
 ところが、戦争は子供たちの成育を急速に早めるのか、何カ月前までも世間知らずの鼻たれ小僧だった十四歳の勲(フニ)が、意外なことをやってのけた。母と祖母の話を傍で聞いていたその子が、恵化洞の家にしのびこんで、上等な絹のチマ・チョゴリ一着と、トゥルマギ(周衣)を持ち出した。
 爆撃にやられるのを心配して裏庭の防空壕に隠しておいたのを見事に探しだして持ち帰ったのだったが、人が住んでいないどころか、見張っている人さえいなかったというのが見てきたフニの報告だった。貞仁はきつく戒めたが、どういうわけかフニは、それから二度も家捜しをして、値の張る什器などを無事に運びだしたのである。
添付画像

 そのうち、貞仁と姑が恵化洞の家に戻ろうと思い立ったのは、三度めにしのびこんだフニが、物置小屋の床に埋めてあった銀のさじ何組かと、食器を掘りだしてきてからだった。まず姑が様子を見に行った。
「捕まったらわし一人が口をつぐんで死ねば済むことじゃ」
 代わりに行こうとする貞仁をきつく叱りつけてから、彼女はいささか悲壮な面持ちで出かけたが、やはり何事もなく、差し当たり必要なふとんのつつみを頭に載せて帰ってきた。それだけでなく、帰り道で治安隊長を兼ねている洞の統長に出会ったが、彼は、東英が何をしている人か、いまもって知らずにいるようだったし、帰ってきてもどうということはないと、太鼓判まで押していたとのことだった。
 あの大きな邸宅に、誰も住んでいないということで、ある種のいやな予感を抱いていた貞仁も、そこでつい気をゆるめてしまった。それから、三人の幼い兄妹を前に立たせた五人家族が、夜道を急いでわが家に戻ったとき、一群の人々が合唱でもするかのように叫んで彼らをとり囲んだ。
「きたぞ。ついに全員、自分の足で歩いて戻ってきたんだ」
 ほかでもない。姑を安心させたあの治安隊長が率いた町内の青年たちと、何人かの警察官たちだった。しかし、意気軒高と騒ぎたてながらフラッシュを照らしていた彼らは、急に悔しいといわんぽかりの口調で言い合った。
「奴はいない」
「気配を悟って逃げたんだ」
 そうはいうものの、東英まで自分たちの陥穽にはまるとは期待していなかったらしかった。失望もつかの間で、彼らはすぐ、貞仁と姑を洞の治安隊本部にひったてて行った。それから何日間をあちこち引きずり回されたあげく、彼女たちは、他の地域で捕まった同じような立場の人たちと一緒に、今収容されているこの倉庫に連れてこられたのである。ニカ月前のことだった。
「どうやらこの者たちは、わしらを殺すつもりだな」
 何度か形式的な取り調べをしてからそちらへ運ばれてきながら、姑が恐怖の面持ちで何回か眩いた。車が町中を外れて走っていたからだった。

1989年11月11日4面
2010/03/16 13:58 2010/03/16 13:58

 国軍とUN軍は、夫・東英を乗せたトラックがあたふたと北へ去った翌日、S市に入城した。自分たちのことを知っている住民たちの目を恐れた貞仁は、夫との分かれを哀しむ間もなく、姑と子供たちを連れて、ごったがえす避難民たちのなかにまぎれこんだ。残敵を掃蕩しながら北上する国軍の先発隊は、東英の家族にとってはまさに恐怖そのものだった。占領時代、人民軍側に積極的に協力した者や、潜伏している民間服姿の人民軍に対しての即決処分が、悪性の流言蜚語となって、党員の家族はもちろんのこと、人民軍への些細な協力者であっても、国軍先発隊の手にかかれは、片っ端から銃殺されるといううわさが流布されていたからだった。
 しかし、そのような恐ろしいうわさが流されていたにもかかわらず、貞仁と姑は、しばらくは北の方へ向かった。国軍とUN軍の後にぴったりつくことの危険はあったが、少しでも夫や息子に近づきたいという切ない心境からだった。それにまだ、彼女たちの胸には、すぐに戻ってくると言った東英の言葉への信心が生きていた。子供たちの歩みまでが、あたかもちょっと家を開けた父親を迎えにでも行くかのような軽い足取りだった。
添付画像

 しかし、いくら自分の家に戻る避難民を装っても、北へ向かうにはやはり限界があった。とくに、ソウルより北へ行くには、単に厳しい検問を受けねばならぬだけでなく、生命の危険さえ覚悟しなければならなかった。まる二日かかってソウルに到着した貞仁一行も、それを知ってからはそれ以上北上するのを諦めざるを得なかった。
 ソウルに留まって東英を待つしかないと決めたものの、さしあたって三人の幼い子供を抱えた一家五人の生計が問題だった。東英がいっとき身を隠すために備えておいた下渓洞の家は、爆撃で跡形もなく消えていたし、S市に行くとき、知人に預けてあった恵化洞の本宅は、逮捕される危険があるために近寄ることができなかった。身につけていたいくばくかの宝石と衣類があるとはいっても、彼ら五人の家族の十日分の食料と換えるぐらいのものだった。
 それでもソウルに戻ってからしばらくの間は、避難からいち早く帰ってきたか、もともとソウルを離れなかった知人の助けを受けることができた。彼らの中には、比較的戦争の打撃の少なかった職種に従事していた人がいて、米や衣類を分けてくれたのである。しかし、彼らの救けも長くはつづかなかった。表面では、彼らにもこれ以上分けて上げる余裕がないということだったが、本心は違っていた。越北したこちこちの左翼分子の家族の面倒を見てやったことで降りかかる災いを恐れたからだが、それは特に、ソウル市人民委員会時代の東英をよく知っている人ほどひどかった。

統一日報1989年11月10日付 4面掲載
2010/03/15 10:51 2010/03/15 10:51

「す、すみません。い、一度だけ、一度だけ許してください。わ、私にも大韓民国のために働けるチャンスをください。あの、悪質なアカどもを、か、片っ端から叩きつぶします。ほんとうです。ほ、ほんとうです。信じてください……」
 彼はほとんど正気を失っていた。取調官も嘆かわしい奴だと思ったのか足蹴にするのをやめた。
「てめえみたいな屑は必要ない。引きずり出せ」
 取調官は、傍にいる二人に指示してから、彼女の方に向きをかえた。
「たとえアカだとはいえ、日本へ留学までして帰ってきた大物のご夫人だからと、丁重にもてなすつもりだったが、この奥方の強情ぶりではとてもそういうわけにはいかぬようだ。ちょっくら可愛がってやるか」
 そして、若い民青員をひったてて出ていこうとする男に言い付けた。
「李東英を連れてき給え」

添付画像

 その言葉に貞仁は再び気絶するほどの衝撃を受けた。あの若い民青員のでたらめな自白が、気掛かりでなくもなかったが、それでも夫だけは無事でいてくれるだろうと信じていたからである。彼女が、比較的にしっかり耐えてこられたのも、そのような確信からであったし、そうすれば早いうちの釈放も期待できたからだった。
 ひったてられてきた夫は、他の人の耳目をおもんばかってか、外から見ただけではさほどの傷はないようだが、蒼白な顔色にひどぐ足を引きずっていた。
「ヨボ、どんなことでも訊かれたら、知っているかぎり何でも答えなさい。すでに捕らえられるべき人はすべて逮捕されました。つまらぬ苦労を買ってでることはありません」
 声は今までと変わりなく落ち着いていたが、身体は他人の支えがなければ、今にでも崩折れそうだった。ああ、あなた……。
「ほれ、貞さんや、しっかりするんだ」
 誰かが激しくゆさぶったので、貞仁は、生々しく再現されたかつての悪夢から醒めた。
「金縛りに遭ったようじゃのう」
 心配そうな姑の顔がおぼろげながら視野に浮かんだ。そしてまもなく、天井近くに開けられた小さな明かり取りの窓から差し込むほの明るい光と、溝のあるブリキ板で囲われた四方の壁と、身を横たえることもできぬほどぎっしり詰め込まれた人々がつぎつぎと目に入ってきた。まだ眠りからさめやらぬ人たちのつぶやく寝言、汗の匂いとしょんべんの匂い、物が腐るような匂いや膿んだ傷口からでる悪臭-かえって夢の中よりも、もっとぞおっとするような悪夢がそこにあった。

統一日報1989年11月9日付 4面掲載
2009/12/04 15:07 2009/12/04 15:07

 取調官たちから言われるままに、手動式発電機のハンドルを手にした彼の姿は、どう見ても、しこたまぶっ叩かれて怖じ気づいた犬だった。
 すでに焦点を失った目に、ぶるぶる震える手で発電機のハンドルを回しながら取調官に代わって訊問する彼の声は、ほとんど呻きにも似たむせび泣きだった。
「奥さん、覚えておられるでしょう?朴憲永という人、ほれ、何カ月か前に三、四日泊まっていった眼鏡をかけたあの人ですよ。朴永昌先生という人が連れてきたじゃありませんか。裏庭の倉庫にござを敷いて他の二人と一緒に寝起きしていたんでしょう?わたしたちも彼らを護衛するために、家の周りを交代で見張ったんです。特に私は、奥さんの代わりに、夜中に倉庫へ食事を運んでいったこともあったでしょう?ねえ、そうでしょう?奥さん……」
 肉体的な苦痛で破壊されてしまった魂であったが、それでも、かつて受けた恩恵を少しは感じていたのか、彼はついに最後まで貞仁の顔をまともに見ることはできなかった。
添付画像

 彼は、ほとんど東英の家で寝起きしていただけてなく、東英はしばしば、スラム街のバラックに住んでいる彼の老母と弟たちに、米俵や金銭なども送ったりしていた。ところが何日か前、家に行ってくると言って出かけたきり消息を断っていたのだが、そのような姿で現れたのだった。
 ちょっとした事件にさえかかわったことがなかったのだから、追跡などを受けるはずもなく、多分不審検問にでもかかったのだろう。
 そこで何かのはずみにちょろっと口をすべらしたのがきっかけとなって厳しい訊問を受け、それに耐えきれずあれこれとしゃべり出したのであろう。すると、がぜん興味をそそられた警察は、さらに厳しい取り調べをするようになり、苦痛で気が動転した彼は、ますますとんでもない偽りの自白をし、ついには、抜き差しならぬとてつもないことまでべらべらとしゃべりまくったのであろう。ただ推測だけで、顔さえも見たことのないはずの朴憲永を、今すぐにでもその隠れ家を突き止めるかのようにわめきたてたのであろう……。
 貞仁には、そのようなプロセスが、目に浮かぶようだった。そして、その過程で、彼の若い魂が受けた凄惨としかいいようのない受難を思い浮かべると、指先を伝わって流れてくる、身震いするような電流の刺激にもかかわらず、発電機のハンドルを回している彼が憎いとか、軽蔑すべき存在というよりは、むしろ側隠の情を覚えた。
「学生さん、何か勘違いしておられるんじゃありません?私たちの家は、いつもたくさんのお客さんで賑わっているのをあなたもよくご存じでしょう?また、私が殿方の中に交じって、言葉を交わしているのを一度だって見たことがありますか?かりに、それらの方々の中に、その方がいらしたとしても、その方がどなたなのか、どちらからおいでになり、どちらへお帰りになったのか、私に分かるはずがないじゃないですか。ことに私の主人が、そのような重大なことなどは、絶対に私には言わぬことぐらいは、あなただってよくご存じでしょう?」
 少しも姿勢を崩すことなく、静かに反問する彼女の言葉に、彼は呆然として取調官を振り向いた。すぐに取調官の荒々しい足蹴が、彼の背中に向けて降り注いだ。
「この野郎、またでたらめをぬかしおったな?」
 すると彼は、降り注ぐ足蹴を避けようともせずに、コンクリートの床に這いつくばったまま手を合わして哀願した。

統一日報1989年11月8日付 4面掲載
2009/12/04 13:34 2009/12/04 13:34

「全農代表委員、李東英先生のご夫人でいらっしゃるぞ。丁重におもてなしするんだ」
 貞仁を連れてきた男が、隣のうす暗い監房に彼女を押し込めながら大声で怒鳴った。多分に脅迫と嘲笑が交ざりあった言葉だが、この場合でもその言葉は、そのような夫の品位を傷つけるような、はしたない女になってはいけないという忠告のように聞こえた。
 ほとんど四方が壁で塞がれているかのような三、四坪ほどの室内には、木でできた机が一つと椅子が三つ、そして、その椅子のうちの二つには、それぞれ上着を脱いだまま腰掛けている凄味を帯びた容貌の二人の中年男がいただけて、後は何もなかった。湿気でじめじめしている床には、あちこちに黒っぽい染みがついていて、それがなぜかそおっとさせるような不気味な光沢を発していた。
添付画像

 取り調べは間もなく、パリッとしたみなりに、調書の綴りを持った刑事がやってきてから始められた。だが、彼らが知りたがっていたのは、その日の午後の連絡に関することではなかった。すでにその前年から、拠り所を失ってあちこち放浪していた南労党指導部の行方を追っていたのである。
 いつだったか、朴永昌先生と一緒に何日間か泊まっていったその人たちのことだという察しはついたが、それ以上のことについては、貞仁にも皆目分からなかった。夫と、夫が尊敬する朴永昌先生でさえも丁重に遇していた人たちだったから、ひたすら誠心誠意もてなしただけで、顔さえまともに見たことがなかったからである。夫もまた、彼らが誰で、どこからきてどこへ行くのかについては、ただの一言も言ったことがなかった。
 うわさが誇張されて伝えられたのか、あるいは貞仁が女であったから手加減をしたのか、取り調へは他の経験者から聞いていたほど苛酷ではなかった。しかし、覚悟していたほどではなかったにしろ、思想犯に対する取り調へはやはり相当なもので、お産てすっかり虚弱になった彼女が、とことん耐えうるようなものではなかった。
 その日貞仁は何度か気絶した。ところが一つ不思議なのは、そこで受けたさまざまな拷問のなかでも、とりわけ電気拷問が苦痛だったのを覚えている。五本の指にはめられたブリキのわっかを伝わって流れてくる、あのぞおーっとするような刺激よりも、東英が平素息子のように可愛がり、自分の手足のように使っていた一人の熱烈な民青員の凄惨なまでの没落を目のあたりにしたからであろう。
 自分たちが必要とするものを、彼女から直接得ることはとても無理だと判断した取調官たちは、対質訊問をさせるために、その若い民青員を取調室に連れてきたときから、貞仁は、ことの発端が、彼のとんでもない自白からだと直感した。

統一日報1989年11月7日付 4面掲載
2009/11/30 13:05 2009/11/30 13:05

「それ、こっちへ寄越すんた」
 すると、瞬間的に様子を察した張は、脱兎のごとく身を翻して逃げた。彼の足にひっかけられ、蹴飛ばされた魚の箱ががらがらと音を立てながら崩れて、後を追う男の道を遮った。
 もしかしたら張の逃走は成功するかに見えた。たが、遠くへは行かれなかった。何歩も走らぬうちに、再び秤を手にして商人に変装した三十代後半の男と、紳士服姿の中年がならび立って道を塞いた。すべて、準備万端、周辺に待機させておいたようだった。
「おとなしくついてくるんた。お前たちはすでに包囲されているんたぞ」
 紳士服の男が、内ボケットに手を差し込みながら薄笑いを浮かべて言った。拳銃がここにあるんだぞと、それとなく誇示するような態度たった。

添付画像

 貞仁は、とたんに全身から力が抜けたようで、くらくらとめまいを覚えた。ああ、これでもうおしまいだ……。ところがその瞬間だった。すっかり諦め切った表情でつっ立っていた張が、発作的になにかを口にほおりこんた。あの紙幣にくっついていた指令文だった。彼の前に立ちはだかっていた刑事たちが、ぱっととびついて口をこし開けようとしたが、彼の口の中にはすでに何もなかった。
「奥さん、何もしゃべることはないですぞ-」
 そのさなかにも張は、メチャクチャにぶたれて血みどろになりながら、口を開けて悲鳴のように叫んだ。しかし、貞仁の耳にはもはやいかなる声も聞こえてこなかった。産後の肥立ちがよくなかったうえに、あまりにも緊張が続いた末の衝撃だったので、ついにもちこたえることがてきなかったのである。彼女は悲鳴一つ上げることもなぐ崩れるように道端に倒れた。
 貞仁が再び気を取り戻したのは、ある陰惨で見知らぬ建物に引きずり込まれてからたった。古ぼけたコンクリートの壁の間の薄暗い廊下に入れられた瞬間、彼女はむっとした血なまぐさい匂いを覚えた。壁の真ん中にところどころ開けられてある、窓というよりは、換気穴に近い窓枠のあちこちから聞こえてくる悲鳴と叫び声のためだった。
「分かりません。本当に、わ、分かりません」
「嘘つけ。正直に吐くんだ」
「ほ、本当です。そしてこ、これからは、た、大韓民国に忠誠を尽くします」
 今にも消え入るような悲鳴と、非情なまでの甲高い訊問の声だった。
 ところが不思議なのは、それらの声を聞いてからは、かえって恐怖と混乱がおさまって、意識が冴えてきたことだった。冷徹な諦念からくるのかも知れなかった。

統一日報1989年11月3日付 4面掲載

2009/11/16 10:37 2009/11/16 10:37

「それなら、今日の午後のその連絡の件は、他の人に頼むことにしよう。実際のところ、あなたまでこの仕事に引き入れてはいけないんだが……」
 お産をしてからまだ一月にもならない彼女の身をおもんばかってのことだろう。だが、彼女は不吉な予感を無理やり振り払い、午後おそく家を出たのは、まさに夫のあの不憫な目つきと、後でつけ加えられた言葉のせいだった。自分の仕事に、彼女を引き入れたくないという言葉ほど、彼女を淋しくさせるものはなかった。百姓の妻は一緒に畑に出るし、まんじゅう屋の女房は亭主の側であんこでもつめるおてつだいをする。だが、彼女は結婚してから十年が過ぎるまで、夫がやっている、何が何やらまったく分からぬその仕事を、ただもどかしげに手をこまねいて見守っているはかなかった。ちょっとした走り使い程度のことであったが、夫が、自分の仕事に彼女を引き入れたのは、せいぜい、ここ一年たらずのことだった……。
添付画像

 貞仁は、普段着に古ぼけた買い物籠を提げて連絡場所に向かった。うすっぺらな美濃紙に書かれた指令文は、わざと破ってつなぎ合わせた紙幣の切れ目のなかに隠されていた。受け取る人は、近くの市場で魚屋をやっている張という顔見知りの細胞だった。
 直線距離で行けば歩いても十分足らずのところだったが、万一あるかも知れぬ尾行者をまくために、彼女はわざと複雑な電車に乗り換えながら回り通して行った。ところが、市場の入り口で彼女は、今度もなぜか、ぞおっと鳥肌が立つのを覚えた。それで彼女は、張の店の近くに行きながらもまっすぐには店に入らず、道の向かい側の八百屋の前でしばらく様子を窺った。取り立てて怪しい気配はなかった。店に出ていた張とも何度か目線を合わせたが、特に危険を知らせる合図もなかった。
 ようやく安心した貞仁は、ついに張の店に入った。張が、お得意先の客を迎えるときの、あの魚屋独特の声と笑顔で彼女を迎えた。あれこれと選ぶふりをしていた彼女は、何匹かの棒タラを買い物籠に入れてから、指令文が隠されている紙幣を差し出した。張の手に紙幣が渡されるまでは何事もなかった。しかし、ちょっと緊張を緩めた彼女が、買い物籠を提げて帰ろうとした瞬間、さっと前に立ちはだかる者がいた。
「奥さん、ちょっと」
 と言いながらぱっと手を掴んで締めあげたのは、つい先までも張の魚屋の隣で板を広げ、煮干しやわかめを売っていた中年の男だった。驚いた貞仁は、無意識に振り向いて張を見た。彼の前にいつのまに現れたのか、見知らぬ屈強な男が、まだ指令文が隠されている紙幣を処理できずにきょとんとしている張の前に手を差し出して脅迫調に言った。
2009/10/26 14:34 2009/10/26 14:34