『週刊朝鮮』創刊48周年記念特大号(2016年10月15日付)のカーバーストーリー寄稿

                                            柳根一(元朝鮮日報主筆)

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 北韓は誰が認めようが認めるまいが、現実的な核保有国に向かって暴走している。米国、中国、ロシア、国連など国際社会はまだ北韓の核保有を認めていない。しかし、北韓が5回目の核実験を経て6回目、7回目、8回目と核実験を強行し、ICBMと潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)をさらに発展させて行けば、その時は韓国と同盟国と他の国々はこれにどう対処するか。この不透明さこそ、今日の北核危機の中でも最も深刻な危機だ。相手がやっていることは確実なのに、われわれがやるべきことは不確実なこと-これがわれわれが直面している危機の核心だ。

 なぜこちらの対応策がこのように不透明か。今までわれわれと同盟国(米国)および周辺国の対北政策と対北認識がほとんど外れたか、効かなかったか、無駄足、上辺ばかり、希望的(wishful)、主観的、楽観的だったからだ。安易で安逸だったのだ。そのあらゆる対北妙案と仮説と方法論がある朝起きて見たら‘すべて失敗’で、これに対する当惑感が‘頭の中の混沌’状態のようなものをもたらした状況だ。“対話-平和-共存-交流-協力のために良いという処方は全部使ってみたのに、手に取れるのは何もない。では、これからどうすべきか”これがわれわれが直面している困惑な状況。

 何がどこから間違ったのか

 一体何がどこからどのように間違ったためこのような気の毒な状況がもたらされたのか。これが究明されなければ、われわれは一歩も前に進めない。結論から先に言えば、北韓という相手に対するこれまでのわれわれの基本的な認識が誤っていると言うしかない。‘われわれ’とは、歴代の政府、政治家たち、知識人たちを指す。保守と進歩、与党と野党を問わず‘私たち’だ。基本的な認識が間違ったから、誤った認識から出た前提と仮説と方法論がまともなものだったはずがない。

 それでは、われわれの対北認識と対北政策の前提、仮説、方法論は何だったのか。“われわれが北韓に対して善意、正直、開かれた姿勢、誠心、誠意、包容、物質的な支援を施せば、それに比例して北側もわれわれと同じ人間で血肉だから、いつかは硬直した敵対的な対南姿勢を修正して、徐々に相互收斂の過程を経て、平和-共存-交流-互恵-協力-開放-不可侵-同質化-統一追求の道に出てくるだろう”と設定したのがまさにそれだ。しかし、この仮説はシベリア北極のオーロラ(蜃気楼)だった。

 “人間はみな同じだ”という話は似たような文化パターンの間で成り立つもので、文化パターンがあまりにも異なる人々や集団の間では適用されない模様だ。人種が違っても、文化パターンが似ていれば考えや行動が似ていることがあり得る。反面、人種や民族が同じでも、文化パターンがあまりにも違えば、考えと行動が異民族よりももっと違える。われわれと北韓はもちろん、同じ民族だ。だが、南と北の文化-価値観-宗教-ライフスタイル-体系-哲学はあまりにも違う。

 われわれは個人主義-自由-法治-世俗主義-宗教多元主義-私生活・公生活の分離-市場-開放-情報の自由な流通という文化パターンの中で生きてきた。反面、北韓は集団主義-專制-神政体制-兵営社会-閉鎖-情報制御に閉じ込められてきた。そのため、われわれと北韓の考えと行動は、似たような文化パターンを持つ異民族の間よりもはるかに遠く違う。この点を軽く思ったまま、われわれは“われわれが一生懸命にやってあげれば、北韓も同じ人間で同じ民族だから、いつかは必ず‘南朝鮮革命’‘全国的規模の主体革命’を止めるか修正して、われわれと共存-交流-互恵-協力-相互収束-ソフトランディング”するはずととんでもなく楽観した。その楽観の結末が今日の核災難といえる。

 北韓があのように鋼鉄の‘革命的鉄則’から一歩も後退したことのない存在である限り、われわれがもし覚醒している国であり政権たちで国民だったら、われわれは当然、経済的優位だけでなく、軍事的優位も確固とした確保すべきだった。そして精神的にも“自由はタダでない”という信念と哲学を透徹に内面化し社会化すべきだった。

 だが、われわれはそのような危機意識と緊張を自ら持たなかったため、軍事的には核・ミサイルのような非対称戦力において完全に遅れてしまった。精神的には全体主義に対する理念武装と免疫力を自ら放棄したまま、“理念の時代は去った、北韓はもう駄目になった、あんな疲弊した北韓に警戒心を持ち続けるのは‘守旧石頭’だ”云々しながら、そうのように武装解除するのが恰も新式でもあるかのようにはしゃいだ。そうするうちに、ある瞬間、われわれは北韓の核とミサイル恐喝の前で何をどうすべきかわからず慌てる自分たちの恥ずかしい自画像を見るようになった。本当にどうすべきか。

 核災難に対する対策

 問題は、核災害がこれが終わりではなくもっと深刻になり得るという悪夢だ。活路を見いだすためには常に最悪の場合を想定し備えねばならない。われわれの周りでは今、核災難に対応するいくつかのオプションが議論されている。独自の核武装論、米国の戦術核兵器の再持ち込み、米国の‘拡張抑止力’と先制打撃論がそれだ。独自の核武装と米国の戦術核兵器の配置については、米国の官吏たちと政治家たちが既に冷淡な反応を見せた。われわれもNPT(核不拡散条約)体制を脱退し、国際的孤立と経済的打撃を甘受し十分耐えられるか疑問だ。

 北韓は自由-民主-開放の世界からかけ離れて、朝鮮王朝-日帝植民地-金日成王朝に至るまで一貫して前近代的な生活様式の中でだけ生きたため、断絶と制裁にあそこまで執拗に耐えられるかも知れない。だが、近代-市場-世界-開放-デジタル-豊かさを味わったわれわれには孤立と困窮に対する恐怖感が北韓に比べてはるかに大きい。そして、保守の一部が、仮に独自の核武装論へ走っても“THAAD配備に反対し、米国よりも中国に付けば良い”という闘争勢力らが果たして手を拱いて黙っているかも疑問だ。

 それでは、米国の‘拡張抑止力’というものは確固たる保証小切手か。米国の介入決意が確固たる限りは、それはもちろん、有効な対処方案であることに間違いない。現在としては、外に良い代案があるわけでもない。グアムにある米国の‘戦略的資産’はすでに北韓に対して強力な威力を誇示した。空母ロナルド・レーガンと戦略爆撃機B-1Bが韓半島の周辺を回っている。ところが、“北韓の核の前でわれわれが果たして米国だけを信じて生存できるか”という懐疑論も少なくない。この危惧心が独自の核武装論へ繋がる側面もある。

 米国の‘拡張抑止力’が北大西洋条約機構(NATO)の米国-ヨーロッパ核共同運営のような方式で作動すれば、それに対するわれわれの信頼は一層高くなり得る。そして、そのような方向にわれわれが外交努力を尽くす必要もある。しかし、米国が果たしてそれに喜んで応じてくれるか確信できない。わが社会の一角には反美-親中の気流もあり、一時期は“反米がなぜ悪い?”と公言した政権もあったため、韓国への信頼性に対する米国朝野の評価は、米日同盟の場合よりも著しく低いこともあり得る。

 北韓の核施設に対する‘先制打撃論’は最近、米国の一部の政治家と官吏がいろんな動機から触れている。“北韓の核施設に対する先制打撃も考慮すべきだ”、“先制打撃については予め言うものではない”と言った、米国の一部の政治家と官吏の発言がそれだ。だが、米国には強硬なタカ派だけがあるのではなく穏健なハト派もあり、上下兩院があり、冷笑的なメディアがあり、孤立主義的な有権者たちや政治家たちがおり、ひげをのばした反戰論者もおり、“なぜわが息子たちとお金を韓半島の紛争に費やすか”と文句をつける、怒った白人の中下層も多い。ベトナム戦、アフガニスタン内戦、イラク戦争のようなことには二度と巻き込まれてはならないという声も高い。政治家たちと大統領たちは、ますます世論に敏感なポピュリストになっている。このような状況で“戦争を覚悟してでも先制打撃をする”と闡明する、21世紀のトルーマン大統領が果たして簡単に現れ得るだろうか。

 これのようなオプションの中で何が果たして韓米同盟の最終的な結論になるかはまだ分からない。そして、この種のオプションとは全く別の代案が提起されるかも知れない。今のところ大勢はもちろん、膺懲と制裁だ。‘セカンダリボイコット’もその一つだ。北韓と取引するすべての国のすべての企業と銀行を制裁するというのがそれだ。青瓦台安保室の次席が米国を訪問することに対して、ある種の‘強力な軍事的対応策’が議論されているかのように報道されることも似たような脈絡だ。

 だが、このような方案はすべてが対症療法にすぎず、根本的な解決策ではないと主張する人々が米国に出現している。決して、軽く見做せる兆候でない。‘米-北の直接対話、両者対話’主張がまさにそれだ。最近の世論調査では、米国の国民の多数(81%)は北核問題の‘外交的解決’を支持した。対北制裁が必要だという世論ももちろん同じくらい(80%)だった。反面、先制打撃には少数(35%)だけが賛成した。このような世論の流れを見通したかのように、今まで米国の一角では“今や北韓と1対1で向かい合ってやり取りの協商をしなければならない”という意見が台頭してきた。

 再び台頭しつつある‘太陽政策根本主義’

 ‘専門家’と言われる人々が米-北の両者対話の必要性や不可避性を主張してきたため、彼らの間でも方法論上の違いはある。便宜上、ポートランド州立大学名誉教授のメル・ガトフ(Mel Gurtov)の主張を見ると、彼の見解は韓国社会内部の‘太陽原理主義’と一脈相通じることがある。彼が2014年8月に発表した“米国はなぜ北韓を包容(engagement)せねばならないか”という論文の内容は、オバマ大統領の‘戦略的忍耐’による北核の廃棄は、北韓の度重なる核実験を見れば失敗したこと、そのため今は韓国の金大中元大統領が追求したような包容的対北接近をすべきだという。そう言いながら彼は包容政策に関する金大中元大統領の演説の一部を引用している。彼の提言の中で最も目立つ部分はこうだ。

 “改めて始める協商で、米国は北韓の核廃棄の対価として北韓の安保を約束し(security assurance)、韓国戦争終息を約束し、不可侵条約(Non-aggression Pact)締結と経済援助を提供すべきだ。”

 彼のこういう主張を見ながら発見するようになることは、彼が対北包容政策というのが一度も実施されたことがなかったように話していることだ。金正日と金正恩が核とミサイル恐喝で無鉄砲であのように出るのは、われわれ包容政策を使わずひたすら‘制裁’だけで臨んためという式だ。しかし、本当にそうなのか。今日の韓米両国の対北制裁は“対話による核廃棄を追求しても無駄だった”という挫折感の所産であって、韓米が最初から他の方案は排除して制裁のみに執着していたわけでない。

 われわれは朴正煕大統領の‘南北赤十字会談’以来、盧泰愚大統領の‘韓民族共同体統一方案’と金大中と盧武鉉大統領の包容政策を経て、李明博大統領の‘非核・開放3000’と朴槿恵大統領の‘韓半島信頼プロセス’の提案に至るまで終始、共存-交流-協力-信頼の構築-段階的統一、そしてそのための対話と協商を一貫して追求してきた。

 メル・ガトフ教授は何をどう見てそう主張するか分からないが、われわれは、例えば北韓に非転向長期囚を無条件北送しながらも国軍捕虜と拉致被害者一人を連れて来なかった。それほどわれわれが卑屈と言えるほど対話の実現にこだわり、頂上会談の前提条件として4億5000万ドルを大急ぎで金正日の内帑金口座に送金するほど会談に汲々し、協商の一般的原則である相互主義さえ主張せずできなかった。

 このようなわれわれの包容政策にもかかわらず、金正日や金正恩は対話の裏では‘われわれが与えたお金’を専用しながら(これは十分に合理的な疑いだ)核-ミサイルを開発し、われわれの政治環境が変わって‘対話を通しての統一戦線工作’がこれ以上効かなくなる兆候が見えるや突然、対話を破って天安艦爆沈-延坪島砲撃–木箱地雷の爆発で出た。このような因果関係、前後関係、事実関係を見ないで“なぜ北韓を包容しないか”と一方的に咎めれば、それは情報とレファレンス(reference)の偏向、既存の研究 と関連資料の検討がまともになされなかった、非常に粗末な論文としか言えない。

 辞典的で当為論的でかつ規範的な意味の平和-対話-抱擁-不可侵-休戦終息-平和協定を言うのは難しくない。そのように言えば、彼と異なる見解を持っている人は無条件‘反平和’と罵倒されるはずだ。しかし、これは異見を政治的-規範的な罠に陥れる不適切な論理であり得る。北韓が言う‘平和協定’とは、韓米同盟の解体、米軍撤収、米国の核の傘の解体、大韓民国の安全弁の除去を意味する。これは平和ではなく‘南朝鮮革命’への‘トロイの木馬’にすぎない。

 “問題は北韓政権そのものだ”

 昨今の韓米両国と国際社会の強力な対北制裁は、長い間の対北抱擁政策(進歩政権のものであれ保守政権のものであれ)が北韓の態度変化を誘導できず、むしろ北韓の眞意が‘恒久的な核・ミサイル保有’にあることだけは確実に表わした。メル・ガトフ教授類の主張は、この点を看過している。われわれは彼が言ったように包容政策を使わなかったわけでなく、それを使ってもまったく効果がなかったのだ。それで、その挫折感から出たのがこのような結論だった。

 “問題は、北韓政権(regime)そのものだ”

 これはブルッキングス研究所の非常勤研究員でかつ国務省東アジア・太平洋担当国務次官補を務めて1998〜2000の期間は北韓を相対する米国外交チームの副責任者職を務めたリビア(J.R Revere)の言葉だ。彼は2013年に発表した『事実と直面すること:新しい米-北政策に向かって(Facing the Facts:Towards a New U.S. North Korea Policy)』という自分の論文を通じてこう結論を下している。

 “北韓の核廃棄は不可能だ。平壌政権は、核廃棄について如何なる信号も示したこともなく、むしろ自体の核能力を強化させるという話だけを言っている。”

 今のような北核問題の膠着状態に対して彼は、北韓レジームチェンジ(regime change)を代案として提示しているのだ。彼は北韓の核廃棄を強制するためには、北韓政権の属性を変えねばならず、そのためには、北韓により強力な金融制裁を加えねばならないと主張している。金正恩という最高権力と北韓のエリート層の間にくさびを打ち込み、金正恩に対する一般住民の忠誠心を弱化させるため、それで北韓のレジーム・チェンジを促進するためにはそうしなければならないということだ。この代案がどれほど功を奏するかはしばらく見なければならない。

 「TV朝鮮」が10月9日、単独報道したところによると、北韓のある貿易商は“中国に行って品物を仕入れようとするがこれが大変だ。今まで、それを持って食べて暮らしたのに、今そうすべきかわからない。その核実験はもうやめてほしい”と語っていた。これは国際社会の制裁が北韓住民と北韓の権力の間を分離させるのにかなりの効果があったという傍証だ。英国駐在北韓公使・太永浩など、最近の北のエリート層の脱北シリーズもそのような分裂過程の一断面と見ることができる。反面、“北韓は孤立を耐え抜くことによく訓練されている”という反論もないわけではない。

 来年の初め、米国にヒラリー政権であれトランプ政権であれ、米国の対北政策はまた少なからぬ渦に巻き込まれるだろう。“北韓がもし核を凍結し不拡散を約束すれば、その代償として北韓の‘現在水準’の核保有を黙認し金正恩政権の安全を保障してあげよう”という平和協定論議が再燃し得るということだ。そういう場合、われわれにはかなりの試練がくる。政府、政界、知識人社会が皆一緒に深く悩まなねばならない事案だ。

柳根一の耽美主義クラブhttp://cafe.daum.net/aestheticismclub 2016.10.19 17:56

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