仮に、李正姫に“国民統合をしましょう”と言って見ろ。それができると思うのか?

                                                        柳根一

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 朴槿恵政権の発足を控えて真っ先に言われる話頭は‘国民統合’のようだ。良い‘言葉’だ。精神病者でもない限り、誰が‘国民分裂’をいい言葉だと言うだろうか?だが、われわれは素直になる必要がある。できる統合があり、できない統合がある、という厳然たる事実を無視してはならない。

 やり次第によってはできる統合、あるいは必ず追求すべき統合とは、例えば、東西和合、不偏不党、世代間の疎通、二極化縮小のようなものだ。歴代政権が言葉では皆そうすると言った。もちろん、実現されたものも全く無いとは言えないだろう。

 だが、今日の現実を見るとそれは依然として‘やるべき課題’として残っている。上手くできなかったということだ。ところが、そういう課題も取組み方次第ではいくらでも、あるいはある程度は進捗させられるものだ。朴槿恵政権も当然そういう統合を重要な国政課題とすべきだ。

 反面、追求してみてもできない統合、追求しようと頑張ること自体が徒労にすぎない統合がある。いや、場合によっては、相手に‘統合しよう’と話しかけること自体が3流コメディーの場合もある。

 仮に、李正姫に“国民統合をしましょう”と言って見ろ。それができると思うのか?李正姫だけでない。‘ナコムス’と‘国民統合’ができるのか?国民儀礼を拒否して‘民衆儀礼’をやる部類と‘国民統合’ができるのか? ‘済州海賊基地’と言う部類と‘国民統合’ができると思うか? “NLLは陣取り...”と言った言葉を恰も‘遺訓’のように崇める人々がいるならそういう人々とはどうなるだろうか。恐らくできない筈だ。できないのが‘正常’だ。

 それでは、このできない場合を前提とした次元では、‘国民統合’とはどのようなものであるべきか?一言で‘逆統一戦線’だ。その、到底統合の不可能な相手が好んで使ってきたのが‘統一戦線’戦術だ。彼らは、体制を守護しようとする政派や勢力を孤立させ枯死させるため、様々な系列を自分たちの主導の下で結集させる。彼らの基準の、彼らなりの‘統合’であるわけだ。

 彼らのそういう底引き網に過半数以上、あるいは絶対多数の国民が騙されて引っ掛かる場合は、世の中が引っ繰り返る。そういうことが容認できないなら、体制守護勢力としては当然、守護勢力なりの‘統合’、つまり‘逆統一戦線’を選択せざるを得ない。

 大韓民国の憲法価値と憲法秩序の守護という共通の目標の下、様々な系列を対等なパートナー同士の名誉のある戦線に引き込むこと、それでその絶対多数が体制破壊勢力をごく少数に孤立させること、これが体制守護勢力に与えられた逆統一戦線の課題、または‘体制守護国民統合’の課題だ。

 政治家たちが、‘国民統合’という言葉が‘良い言葉’だから、ともすると無闇に乱発している。しかし、その言葉はそう簡単なものでない。言葉の含みを厳密に分かってから使わなければならない。

柳根一の耽美主義クラブ http://cafe.daum.net/aestheticismclub  2012.12.21 13:19

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