これは、その絵葉書が入っていた袋を開いた物だと思う。
 絵葉書自体の寸法は、現在の日本の葉書よりは細長く、約9cm×14cmになっているので、それが入る程度の大きさに成っている。
 右側に見える、スタンプには、17.5.24 という文字が読み取れるが、昭和17年5月24だろう。
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北満の雪景! 林のある山になだらかな冬の原。
沃土がこれかと思ふと、寂しい中から希望が湧いてくる
北満風景、と云う文字が、右から書かれているが、終戦前は、横書きの場合は右から書いていた様だ。1938.12と云う日付が読めるが、昭和13年
 
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冬枯れの滿洲!
清く澄んだ空と情趣にとんだ支那家屋が田舎を飾ってゐる。
 絵葉書のコメントには「冬枯れの」と云う文字が見えるが、日本からは想像も出来ない様な寒さな筈だから、文字通り、全てが枯れてしまうのだろう。
 同じく、コメントに、「支那家屋」とあるが、云うまでもなく、「支那」とは中国の事である。 以前、「支那人」と云う言葉には明らかに差別的なニュアンスが有ったのは事実で、そのせいだろう、現在では日本で「支那」と云うと中国政府からクレームが付く様だ。 しかし、フランス語の chinois も、英語の china も、この「シナ」から来ているので、本来は全く差別的な意味は無いはずだ。
 
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名もしれない冬枯立に集團部落の味はひ!
平和は王道樂土を語ってゐる。
 絵葉書のコメントは、当然ながら旧仮名使いに成っている。漢字も、「集團部落」、「王道樂土」など、旧字体に成っている。
この「王道樂土」と云う言葉に惹かれて、大勢の人が大陸に渡り、現地の人々に絶大な損害を与え、最後には酷い目に会ったり命を落とす事に成ったのだ。
 
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冬の幕營! 酷寒零下四十餘度!
これでも耐へて演習に励める皇軍は強い
 「酷寒零下三十度~」と云う軍歌が有った様に記憶しているが、このコメントには零下40度とある、まあ、想像を絶する寒さだったのだろう。こんな情況での、テント生活(幕営)の厳しさは、並大抵の事ではなかったのだろう。
 「皇軍」と云う表現が、如何にも時代を感じさせる。
 
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街行く人の足竝もなんとなくしづかだ。
皇軍駐屯の潤ひはありありと見えるやうだ。
今から考えれば、随分と身勝手な言い分なのだが、当時の、日本側から見れば、これが普通の感じだったのだろうか。
2012/11/08 18:29 2012/11/08 18:29
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