この際にスケートの話をしよう。
他紙で読んだ話だが、1894年ごろ、景福宮注1 の池で、朝鮮王朝第26代国王の高宗(のち大韓帝国皇帝)と明成皇后(日本での呼称:閔妃〈びんぴ〉)が見守る中、朝鮮に住む外国人たちによるスケート大会が行われたそうだ。当時、朝鮮を訪れていたイギリスの女性紀行作家イザベラ・バードは、この日の光景を『朝鮮紀行』という本につづった。明成皇后は厳しいおきてに縛られていたため、香遠亭注2 にすだれを掛け、外からは見えないようにして、その中から大会の模様を見ていたという。生まれて初めて見るスケートを、明成皇后は興味津々な様子で見ていたものの、男女が男寺党(旅芸人)のように手をつないだり、離したりする場面には不快感を示したとか・・・
当時、朝鮮ではスケートを、「足で氷の上を滑る遊び」という意味で「氷足戯」と呼んでいたらしい。一方、朝鮮よりも約30年も早くスケートが伝わった日本では、その模様を初めて見た明治維新の立役者の一人、木戸孝允が日記に「氷上に戯遊するものあるを見る」とつづったそうだ。「男女が手をつないだり、離したりした」という記述から考えて、明成皇后が見たスケート大会では、フィギュアスケートも行われたのだろうか。だが、フィギュアスケートが韓国人の間で本格的に知られるようになったのは、1924年に「フィギュアスケート・クラブ(FSC)」が誕生してからのことである。しかし、設立当時のメンバー8人の中に女性は一人もいなかったという(『韓国フィギュアスケートの100年』より)。
フィギュアスケートは1864年、米国のバレエ教師のジャクソン・ヘインズが、スケート靴を履いてワルツを踊ったのがはじまりだとか・・
キム・ヨナが、国際スケート連盟(ISU)グランプリ(GP)シリーズ第1戦フランス杯の女子シングル大会で、史上最高の210.03点を獲得、優勝した。フィギュア不毛の地だった韓国に生まれ、世界のスターとしての地位をつかんだキム・ヨナが、4カ月後に迫ったバンクーバー五輪で再び吉報をもたらしてくれることを願ってやまない。
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注1 景福宮(キョンボックン)
李氏朝鮮の王宮。韓国のソウル特別市にある。
李氏朝鮮王朝の創始者李成桂は1392年に開城で王に即位、その2年後の1394年に漢陽(現在のソウル)への遷都を決定。風水に基づき漢江の北、北岳山の南にあたる「陽」の地が選ばれ宮殿を建設。李成桂が開城で政務をとっている間から王宮の建設がはじまり、「景福宮」と命名され1395年から李氏朝鮮の正宮として使用された。
1397年には漢陽 の城郭と四大城門が完成した。1395年から約200年間、朝鮮王朝の正宮として使用された。1592年文禄の役(壬辰倭乱)で豊臣秀吉の軍勢が略奪・放火しほぼ全ての建物が焼失。その後は離宮の昌徳宮が正殿に使用され、約270年間も放置された。
王朝末期の1865年に高宗の父興宣大院君が再建し、国王の住居と政務を昌徳宮から移した。以後、王朝滅亡まで宮殿として存続したが、1910年、日本軍人を総督とする朝鮮総督府が敷地内の建物の8割以上を破壊し光化門を撤去し、宮殿正面に総督府庁舎を建て征服者が日本だということを示し、街から宮殿は見えなくなった。
王朝の正宮が2度も日本軍に破壊され韓国という国が消滅したことは、韓国にとって屈辱の歴史の象徴とされている。
光化門を正門にし、勤政殿を正殿にし、それを結ぶ線に対して左右対称に建物が配置されている。これは北京の紫禁城などの様式を倣ったもので、儒教の伝統にかなったものである。また中には優雅な庭園が配されており、宮殿の中にいながら山河に遊ぶことができるようになっている。
現在は宮殿北側にある部分が大韓民国大統領官邸(いわゆる青瓦台)に使用されている。光化門は1968年にコンクリートで復元されたが総督府庁舎があったため正確な位置ではなかった。これは2006年に撤去され宮殿全体とともに復元工事中であり、2009年に正確な位置に復元される予定。2025年に景福宮復元事業が完了予定。もっと知りたい方は↓
http://www.seoulnavi.com/spot/goods_article.php?goods_seq=1&category_id=08
注2 香遠亭(ヒャンウォンジョン)
景福宮の最奥部(北端)に近い香遠池に浮かぶ香遠亭の夏模様
景福宮の北側へ蓮池に囲まれた美しい八角亭の香遠亭がある。高宗皇帝が1867年に香遠亭を建てた時、 池を香遠亭の南側に掘らせ池の中の島に八角亭を建てた。元来 香遠亭は酔香橋という橋を渡って池の北側に繋いで王がこの橋を通りすぎ亭においでになり楽しめるようにしたと伝えられる。
景福宮には慶会楼と香遠亭である。慶会楼は国の慶事がある時や、外交使節を応接する時に宴会を催した所で、大きな人工池の上にある。 他方、景福宮の最奥部(北端)に近い香遠池に浮かぶのが香遠亭である。寝殿の裏側に位置する後苑空間で、慶会楼と同じく池を掘り真ん中に人工島を作って東屋を建てたものだ。慶会楼に比べて女性的なのが特徴である。
この香遠亭は1873年、韓国で初めて電灯がともされた場所でもある。電気のほうがろうそくよりも費用が安いということや、甲申政変(1884年)などで恐怖を感じた高宗が暗がりを嫌ったことなどがその理由としてあげられている。