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雨の月曜日だ。
桜満開の東京は週末から花冷え、曇った空に、日中にも気温が上がらない曇り空の下、まさにその通りの天気。

昨日は日比谷公園に行った。日が差さない曇り空とに花冷えで咲き戸惑う桜の木。四月とも言うのに、冬はまだ春に嫉妬していたようだ。このような春の天候を韓国では꽃샘추위(コッセムtュイ=花に嫉妬する冬将軍の意地悪)と言う。花嫁に嫉妬する姑の気持ちのようでもある、桜の季節の冷たい雨が昨晩から続く月曜日。

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日本全国、西から東へ 南から北へ 桜前線は移動する。花冷えにも負けず、桜はゆっくりと咲いて行く。北へ北へと・・・・
わが祖国の韓国、父の故郷の北の地にも桜は咲くだろうか。

開城・海洲・沙里園・南浦・平城・元山・咸興・新義州・江界・惠山・清津・・・そして白頭山にも・・・・



2010年 第24回集計(4月4日現在版)
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何年か前の韓国での話だが、昌慶宮の桜の木が全部取り除かれた事がある。

元々朝鮮王朝の別宮で、正宮の景福宮の東にある為、東宮とも呼ばれ、王世子と王正孫の居所であった昌徳宮並び大妃や王后が居た女性の為の昌慶宮、王家の未亡人が樂善齋がある日本にも有名な秘苑などが並ぶなかで昌慶宮で起きたことだ。その理由は桜は日本の象徴だからである。勿論、昌慶宮に桜を植えて、動物園も作って、花やしきのような乗り物の施設も作って、昌慶苑に格下げしてしまった日本の植民地統治に恨みがあるからだ。べつに桜の木に恨みがあったわけではないと思う。

私にとって、その昌慶苑と言う名前の市民公園になった場所には、大好きだった祖母との大事な思い出がいっぱいある。祖母の腕枕で寝ていると夜明けに聞こえる虎の遠吼えが聞こえた。恐がる私に祖母は「あれは昌慶苑の虎だよ。檻の中にいるから怖くないよ」と言った。それに私の出身校の「昌徳女学校」は今は中区正洞にあるが、元々は鐘路区齋洞で、昌徳宮と昌慶宮に近かった。その為、私は桜のある昌慶宮に親しんで過ごした。だから、人は何といっても、今の桜の無い昌慶宮には馴染めないのは仕方ないと思う。 

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朝は有楽町線の永田町駅に降りて、赤坂まで歩いている。
弁慶橋のふもとにも桜が満開だ。 外堀の水面の桜の陰が雨のせいで滲んで見える。
持っていた携帯電話で取った写真だけど、今しか見えない赤プリの前の風景である。

下の写真も同じく、弁慶橋で、首都高速の間から写している。


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雨の雫が冷たく感じる、四月の冷たい雨の朝の風景である。 見えるのはニューオータニーホテルの新館
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2010/04/05 16:02 2010/04/05 16:02
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