
サッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会は第11日の21日、各地で1次リーグ3試合が行われる。
今日、G組では、北朝鮮が前回4位のポルトガルと対戦する。両国が顔を合わせるのは北朝鮮が初出場でベスト8と健闘した1966年イングランド大会の準々決勝以来だ。1966年の大会では、それまで2度優勝経験のあるイタリアを破る快挙を成し遂げた。ソ連に敗れ、チリと引き分け、迎えた1次リーグ最終戦。前半に挙げた1点を守り通し、「世紀の番狂わせ」を演じた。準々決勝でポルトガルに敗れた。W杯通算1勝2敗1分け。
この大会には二人の在日青年が参加している。
その一人は話題を巻き起こしている「鄭大世」選手。対ブラジル戦での彼の熱い涙が日韓両国で話題を寄せた。Jリーグ・川崎のFW「鄭大世」、北朝鮮チームは今回のW胚に鄭大世を中心に、スピードと決定力を生かしたカウンター攻撃を仕掛ける。「読売新聞」ネット版で鄭を次のように紹介した。
イングランド代表FWウェイン・ルーニーと比較される、日本生まれのストライカーを引き連れて、ミステリアスな国、北朝鮮が、44年ぶりにW杯に戻ってきた。
非凡な物語を宿命づけらているかのような名の持ち主だ。名前は「大いなる世界」を意味するが、鄭大世(チョンテセ)が“チョルリマ”(北朝鮮代表の愛称。翼を持った馬)のユニホームを身にまとい、踏み込もうとしているのは、サッカーの世界なのだ。複雑な過去を後方にとどめながら、欧州でのキャリアという未来を見据えている。
というのも鄭大世は、ほかの2国の代表として南アフリカに来る可能性もあった。北朝鮮出身の母親に対し、父親の出身国の韓国。そして、1984年に名古屋で生まれた鄭大世の出生国である日本。
朝鮮大学校で共産主義文化にどっぷりと漬かった鄭大世だが、日本のサッカークラブ、川崎フロンターレに入団し、「人民のルーニー」と呼ばれるようになった。「とても光栄に思うが、僕のモデルはむしろディディエ・ドログバ(コートジボワールFW)」と言い切る。
韓国代表と日本代表から打診を受けたこのパワフルなストライカー(身長1メートル80、体重80キロ)は、“チョルリマ”からの招集を受け入れ、2007年に北朝鮮のパスポートを入手した。
当時、鄭大世は「心の中では、僕は常に北朝鮮人だ」と公言していた。「だから、祖国の代表になるのはとても光栄。北朝鮮に大きな問題があることは知っているが、国民はみな素晴らしく、その上サッカーに夢中だ」
鄭大世は、過去3年に22回の代表招集を受け、15得点を記録している。北朝鮮チームが南アフリカに到着してから、彼は発言権を与えられている数人の選手の中の一人だが、それも数分のみ。
最初のインタビューでは開口一番、1948年に金日成によって建国されてから、息子金正日(総書記)に引き継がれ今に至るまで、スターリン体制の支配下に置かれたままの、この地球上で最も閉鎖的な国家のひとつである北朝鮮の称賛に努めた。
「あなた方は北朝鮮についてよく知らないようだが、W杯はあなた方の持っているわが国のイメージを変えるいいチャンスだ」と、鄭大世は初歩的な英語で話したが、彼は英語をあやつることのできる代表メンバーのうちの一人だ。
キム・ジョンフン監督の采配(さいはい)によるコンパクトな布陣のワントップである鄭大世は、W杯に楽観的だ。「僕たちのチーム精神は世界一。僕たちはドイツ人と一緒で、同じメンタルを持ち、強力なチームとして結束している。僕は66年の(W杯イングランド大会で北朝鮮が8強に入った)映像とともに育った。そしてこの年と同じように、僕たちは観客をびっくりさせ、もうひとつのサプライズをつくる」
唯一の決勝トーナメント進出となった44年前、準々決勝に進出した“チョルリマ”は、ポルトガルのFWエウゼビオの4ゴールにより敗退。あれから世界は姿を変えた。しかし、北朝鮮は……。
(2010年6月18日15時54分 読売新聞)
もう一人の在日出身「安英学」選手。私は黙々と頑張る安選手が大好き。
安 英学(アン・ヨンハ、안영학、1978年10月25日 - )は、岡山県倉敷市出身の朝鮮籍プロサッカー選手。現在Jリーグ ディビジョン1 (J1)・大宮アルディージャ所属。東京朝鮮中高級学校 高級部から立正大学へ進学。在学中の2002年、アルビレックス新潟へ加入し、ミッドフィルダーとして活躍。2003年のJ2優勝・J1昇格に貢献。昇格後の2004年もチームの主力選手としてプレーした。2005年から名古屋グランパスエイトへ移籍。
2006年、韓国・Kリーグの釜山アイパークへ完全移籍。朝鮮籍のままで選手としてKリーグでプレーをするのは異例のことであった。2010年シーズン、W杯南アフリカ大会を6月に控え、試合に出られる環境に身を置くため、大宮アルディージャに移籍し、5年ぶりにKリーグからJリーグに復帰。
北朝鮮代表としては2002年の対韓国戦でデビュー。2006年W杯ドイツ大会・アジア地区最終予選では、各種メディアによる北朝鮮代表チームに対する取材が増える中、注目を集めた。その後も代表に選出され続けており、W杯南アフリカ大会・アジア地区予選では再び、北朝鮮代表の中心選手の一人として海外遠征に招集された。北朝鮮代表として3バックの前のアンカー(守備的ミッドフィルダー)としてプレーする事が多い。「安英学」は今大会の対ブラジル戦で「鄭大世」ほど目立ってはいなかったけど、地道に頑張る姿に感動した。
北朝鮮の安英学は中盤の底の位置でブラジルの攻撃の柱、カカと対峙(たいじ)。「後半はすごくスピードを上げてきた。スイッチが入ったときの勢いはすごかった」と、相手の地力の高さを痛感した。
大半の時間を守りに奔走しながら、前半26分にはボールを奪って素早くつなぎ、カウンターの起点に。初めて北朝鮮代表に選ばれてから8年。チームで認められるため、意識していた攻撃の姿勢を初のW杯で見せた。(ヨハネスブルク時事)
日本に生まれ、日本で学び、二つの祖国の間で悩み、泣き、笑い。
頑張れ!「安」、頑張れ!「鄭」、アジアの星に輝け!!
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追記:南アW杯:北朝鮮録画放送FIFAは合意 貧困国向け措置か・・・