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←これが勝鬨橋の雄姿

 かつて東京は「水の都」と呼ばれましたが、東京にはいったいいくつ橋があるか知ってますか? 東京都建設局が管理する道路橋は、なんと約1200もあるそうです。

 そのなかでもっとも人気なのを独断で決めれば、どう考えても隅田川にかかる「勝鬨橋(かちどきばし)」でしょう。


 勝閧橋は、東京都中央区の築地と月島を結ぶ全長246mの可動橋で、船を航行させるため、橋の中央が「ハの字」に開きました。
 国内に現存する最古の「跳ね上げ橋」ですが、残念ながら、交通量が増大するにつれ開閉は減り、1970年11月29日午前7時すぎに橋が閉じて以降、2度と開いていないのです。

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←1940年の万国博覧会広報誌に描かれた勝鬨橋の想像図(左中央には富士山)

 勝鬨橋は、昭和15年(1940)に開催予定だった万国博覧会にあわせ作られました。
 博覧会は「紀元2600年」を記念し、東京オリンピックと並んで世界に日本の実力をアピールするために計画されました。現在の中央区晴海から江東区豊洲あたりを会場にする予定で、そのメインゲートとして作られたのが勝鬨橋でした。
 総工費418万円(当時)をかけ、1940年6月14日に開通。当時、その美しさと壮大さから「東洋一の跳開橋」と呼ばれました。

 

↑これが勝鬨橋の完成予想図
 
 満州事変勃発後に工事が始まったので、戦勝を期して勝鬨と名付けられたわけですが、正確な分類で言うと、「固定軸双葉躍開橋」と呼ばれます。モデルはシカゴにある跳ね橋です。


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これが勝鬨橋のモデルになったシカゴの橋→

 中央部の可動部分(44m)は約70秒で70度まで跳ね上がります。この橋げたは、片方だけで重量950トンもあるんですが、実は手動でも開閉が可能でした。
 どういう仕組みなのかというと、トラニオン軸と呼ばれる回転軸を支点にして、反対側にある1050トンの重り(カウンターウエート)とやじろべえの原理で釣り合いながら傾いていくのです。
 橋桁が10度まで持ち上がると、あとはカウンターウエートによって自然に橋が開きました。この技術によって、わずか125馬力の2台のモーターによって開閉できたのです。

勝鬨橋データ

●長さ246m、幅22m、可動部25.8m×2、固定部86m×2
●着工1933年6月10日、完成1940年6月14日(工事に7年間)
●1日5回開閉。昭和22年から1日3回、昭和36年から1日1回。最盛期(1950年)の開閉回数は年829回。
●安全装置として3系統のブレーキ
●設計:安宅(やすみ)勝(東京市技師)
●施工:東京市、錢高組、石川島播磨重工業、川崎重工業、横河ブリッジなど。外国の支援を断り、完全に国内企業だけで建造しました
●内部の機関写真は
こちら

 
つづいて、ちょっと可動橋(かどうきょう)についてまとめておきます。

 可動橋というのは、簡単に言えば、船が通過するときに橋桁を動かして、船を安全に航行させるよう設計された橋のことです。
 もともと運河の多いオランダやベルギーで多く採用されてきました。戦前は世界各国で見られましたが、現在では、交通量の増加にともない、ほとんど姿を消しつつあります。

 可動橋には一般的に(1)跳開橋(2)旋回橋(3)昇開橋の3種類あります。
 以下、簡単にそれぞれを説明していくと……



(1)跳開橋(跳ね上げ橋)

 いわゆる跳ね橋と呼ばれるもので、回転軸を中心にして橋桁を上に上げるもの。
 回転軸が1つのものを一葉式、回転軸が2つのものを二葉式といいます。勝鬨橋はもちろん二葉式。



 ←芝浦橋

<一葉式の例>

 ・芝浦橋(東京浜松町近く。現存せず)
 ・名古屋港跳上橋(名古屋港)全長63mのうち約20mが跳ね上がる。1927年開通
 ・末広橋梁(三重県四日市港)全長58mのうち、約16mが跳ね上がる。1931年開通
 ・長浜大橋(愛媛県大洲市長浜)全長226mのうち約18mが跳ね上がる。1935年開通。
  別名「赤橋」
 ・加賀須野橋(徳島県松茂町)全長約170m。1961年開通

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←オランダ・アムステルダムのつるべ式跳開橋(1932年頃)











<二葉式の例>

 ・勝鬨橋
 ・ブルーウイングもじ(北九州市門司港)全長108.1mのうち、親橋24.1m、
  子橋14.4m跳ね上がる。1993年完成


ブルーウイング門司


ロンドンのタワーブリッジ(1910年頃)

(閉)→(開)

ニューヨークのルーズベルト跳開橋(1932年頃)


(2)旋回橋(廻旋橋)

 橋の一部がそのまま水平に回転するもの。

 ・安治川橋(大阪の安治川口。現存せず)日本初の可動橋で、明治6年(1873)完成。
  明治18年の淀川大洪水のときに破壊され、わずか12年で消滅
 ・和田旋回橋(兵庫県神戸市)1900年完成
 ・小天橋(京都府の天橋立)1959年完成
 ・夢舞大橋(大阪市此花区舞洲~夢洲)世界初の浮体式旋回可動橋。2001年完成。
  バブルの象徴橋

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鴨緑江に架かる旋回橋。1934年頃 →

(中国丹東~北韓の新義州。現在の中朝友誼橋)
 







(3)昇開橋

 両側の橋脚に塔を設け、エレベーターのように橋桁を持ち上げる。

 ・筑後川橋梁(佐賀県佐賀市~福岡県大川市)全長約507m、
  中心部分の約24mが上下に動く。旧国鉄佐賀線の一部として1935年開通
 ・江ノ浦橋(三重県紀北町長島港)1993年開通

 ←ベルギーの昇開橋(1928年頃)



フロリダ・ジャクソンビルの可動橋(1932年頃)
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手前が跳開橋、奥が昇開橋 →

 再び話を勝鬨橋に戻しましょう。

 バブル崩壊後、沈滞した世の中を明るくしようと地元都議が「勝鬨橋を再び開こう」と提案すると、2003年、石原慎太郎都知事が「閉塞した気分をぱっと広げるにはいいイベントだ」と発言。
 これで勝鬨橋再稼働のメドがたち、都は土木学会に耐久性など技術面の調査を委託します。
 で、土木学会の調査研究小委員会は2年ほど調べた結果、2006年4月、「外観を調査した限り、開閉再開の技術的な問題はない」とする報告書をまとめました。
 もちろん実際の開閉には電気設備の交換といった整備や改造が必要なんですが、最も懸念されていた回転軸の強度が問題なく、しかもグリスが固着していないことから、可動できるとしたのです。

 あとは予算的な問題で、少なくとも10億円以上かかる経費をどうするか、という議論が起こりました。
 ここで追い風となったのが、2007年6月、隅田川に架かる清洲橋、永代橋、そして勝鬨橋が国の重要文化財に指定されたことでした。この指定で推進派は盛り上がりましたが、残念ながら開閉は実現していません。

 ←現在の勝鬨橋(昼)

 ←現在の勝鬨橋(夜)


 それにしても、実際に動かなくなった橋を再び動かすことは可能なんでしょうか?
 実は、韓国で実例があります。かつて釜山の名物だった跳ね橋「影島(ヨンド)大橋」が、2008年末、約40年ぶりに本来の姿を取り戻すことになりました。

 1934年に架けられた影島大橋(全長214.7m、可動部31.3m。設計は日本人の増田淳)は、老朽化のため、1966年に固定されました。一時は「釜山第2ロッテワールド」建設のため、取り壊しの危機にありましたが、地元の声を受けて再生することに。ロッテが約40億円を投じてまもなく完成する予定です。

 日本でも勝鬨橋の雄姿をみたいですね!




2010/10/22 18:25 2010/10/22 18:25
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