耳になれない言葉で何かを叫びながら
黒人の男が銃口を俺に向けてきた。
何人かの白人と黒人の軍服の男が俺を囲んだ。
頭が真っ白で、状況判断もできないまま俺は捕縛された。
俺は絶望で崩れ落ちた。
殺せと叫んだが彼らは俺を殺しはしなかった。
それから連れられて行ったところは大勢の若者がいた。
服は汚れきって、顔は北風の冷たさにやけて頬が赤い。
俺は連合軍の捕虜になった。
村の裏山のふもとにある畑には所々雪が残っていた。
雪の下には暖かい土があり、
その下にはきっと白菜の根っこが残ってるだろう。
白菜の根っこは甘くて辛い。それは冬のおやつだった。
畑に残った白菜の根っこを探したりしながら
元気で遊んだ幼頃の俺が俺に手を降って遠ざかっていた。
戦争中であることも知らなかった山の奥の村にも軍隊はやって来たのか。
村の子供たちは始めて見た白人や黒人の顔に驚き、
泣き出しただろう。
始めて聞いた意味の不明な言葉に、
村人達は息を潜んで隠れていたのだろう。
今になってはこんな事だって思うが
その時はこれで自分の人生は終わりだと思っていた。
それから長い道のりが始まった。
これからどうなるのかも分からないまま、果てなく歩く毎日だった。
夜は野原で雪が降ったら降られたまま、雨に濡れたら濡れたまま
寝具も無く過ごさなければならなかった。
日が昇る朝が待ち遠しい長い長い冬の夜を互いの体温で乗り越えた。
塩を塗しただけのご飯を手のひらにもらって動物のように口をつけて食べた。
連合軍は絶対に捕虜は殺さないと誰かが吐いた言葉だけを
すがる気持ちで信じて生き延びるために必死で耐えた。
何処に連れて行かれるのか分からない毎日、
それにしても日が経つに連れ段々暖かくなっていくような気がするのは
多分南に来てるからだろう。
一ヵ月後、南のある島に辿り着いた。
後でこの島は捕虜収容所で使われるようになったK島だと分かった。
今までと違ってそこではそれなりの生活が出来た。
頭は丸かりにされ全身にDDTをぶっかぶられたが、
収容所の中は寝袋も有ったし、食事も食器を使う。
時々キャンデーもチョコレートも貰えた。
死とうい絶望感は薄れていたがこの戦争の行方は気になるものだ。
北に社会主義の国が出来た時、
親父は持っていた小さな果樹園を取られた。
今まで勉強した外国語の英語もロシア語に変わった。
俺は可愛がられた担任の先生に密かに呼ばれて忠告された。
「君のために言うんだが、君の生活捜査表の宗教欄に宗教は無い事にした方がよさそうだ。君は成績もトップだし将来があるから進学もしないとね」
そのとき俺は納得出来なかった。
自分の利を得るために信念を曲げる事は
親父から教わった人間の生き方とは異なる。
親父もおふくろも兄弟も敬虔なカトリックであった家族は
信じる道に命を掛ける事を名誉と思ってきた。
俺は先生の忠告を聞き入れなかった事で進学が難しくなっていた。
教師になりたかった俺はその道も難しくなった事がなんとなく分かっていた。
俺は新しく出来上がった社会主義に迷っていたのかもしらない。
俺の心は社会主義が受け入れられなかった。