木村荘八は戦前、戦後を通じて活躍した日本を代表する挿絵画家の一人である。見識も広く作品は挿絵だけにとどまらず随筆、美術評論にまで及ぶ。
最近見つけたもので『花の生涯畫譜』という本である。これは昭和二十八年から毎日新聞に連載された舟橋聖一の『花の生涯』に木村荘八が描いた挿絵、408点の中から100点をピックアップしてまとめたものである。この中の絵は本当にどれもすばらしいと思う。
最近の小説を見ていて残念に思うのは挿絵が入っているものがほとんどないということだ。古書店などで古い時代物の小説によい絵が付けられていたりすると話しの内容はどうでもつい買ってしまったりする。本づくりのコストということもあるだろうが、もう少し挿絵というものが復活してくれたらと思う。
牛鍋チェーン店・いろは創立経営した木村荘平の妾腹の八男として、東京市日本橋区(現・中央区)吉川町両国広小路(現在の東京都中央区東日本橋)のいろは第8支店に生まれる。父の死後、浅草のいろは第10支店と京橋のいろは第3支店に移り、帳場を担当しながら美術家を志す。著書『東京の風俗』所収の自伝的文章「私のこと」によると、旧制京華中学校4年生の頃から学校へはほとんど行かず、芝居見物と放蕩に熱中したという。
旧制中学卒業後、1911年、白馬会葵橋洋画研究所に入学。1912年、岸田劉生と知り合い、ヒュウザン会の結成に参加。1915年、劉生たちと共に草土社を結成、1922年まで毎回出品する。1918年からは二科展や院展洋画部にも出品。院展出品作『二本潅木』で高山樗牛賞受賞。
1922年、春陽会創設に客員として参加。1924年、春陽会会員。1928年、『パンの会』を発表。
1937年に、永井荷風の代表作『濹東綺譚』(朝日新聞連載)で挿絵を、他に大佛次郎の時代小説で、幕末・明治初期の横浜新開地を舞台にした『霧笛』、『幻灯』、『花火の街』、『その人』に加え、『激流 渋沢栄一の若き日』、『鞍馬天狗敗れず』がある(2009年に各未知谷で再刊。なお鞍馬天狗は、戦時中の新聞連載のみで未刊だった)。
赤坂見附の複車路交差点、弁天橋を渡ったところでばらばらになった鳥の死骸をみたのである。
未だ生々しい血痕と肉の破片・・・ いまも脳裏の片隅に残って消えない。