収容所の中は俺みたいに思想とかイデオロギーとかには
ある日は収容所の中で殺人事件まで起きてしまった。
それをきっかけに両勢力を別々に収容するようになった。
それから俺は連合軍の責任者の気に入られ
薬品とか備品などを管理する事になった。
同郷の人も何人か会えて仲間も出来た。
そうして三年の年月が流れていて、戦争は終わりに向かっていた。
休戦会談が行われていると噂が流れた。
後から収容所に送られた同郷の先輩に
両親がこの戦争で亡くなった事を聞いたのも
戦争が終わりに近いある日であった。
俺は一晩泣いた。
そして、これから自分ひとりで生きていかない現実を
受け入れなければならない事が分かった。
皆といる時は戦争の行方を占った。
それからどう生きて行くか皆は語り合ったが
将来自分たちがどうなるかは誰も知らない。
全員北に返されると噂をする人もいた。
一人になる時間は不安な未来に泣いた。
その日はいつもと同じように夜が来た。
連合軍の監視兵はあくびをしながら自分の宿舎に帰った。
皆、寝たフリをして夜が深けるのを待っていた。
息を潜め子の刻が来るのを待っていた。
零時になるとこの捕虜収容所の難い門が密かに開く。
連合軍は自分らの捕虜達を連合側に連れてくるため、
このK島に収容所に収容されている全員を本人達の意思とは関係なく
戦争相手に返すと噂があった。
俺だって人民解放軍からの無断離脱者である。
このまま返されたらきっと批判の対象になるに違いない。
国に親はもういない。
捕虜たちそれぞれ事情も様々であった。
当人の意思など気にもせずその運命の鍵は連合軍が握っていた。
毎日変わる政策で収容所の人々は揺れていた。
噂が噂を呼ぶなかで、ある日、北に戻りたくない捕虜達を
収容所から逃がす計画が持ち上がった。
連合軍の考えに必ずしも納得できてない政府の首脳の決断であった。
そのDデイHアワーが今晩の0時である。
密かな伝達が俺にも回ってきた。
それにしても大量の脱出が、連合軍にばれないはずが無い。
その時は命は無いのと思わなければならないのだと
誰もがわかっていた。
夜が更けると扉の前で誰かのささやく声が聞こえた。
「今だ!!皆、起きてるのか?これから順番に出て行くんだ。
音を立てるな。銃声が聞こえても振り向くんじゃないぞ。
前を見るのだ、そして走れ!! 桟橋に向かって行くんだ。
国防軍の軍艦が海岸に近く来てるんだ。
軍艦はこれから3日連続夜中らが朝方にかけておい等を迎えに来る。
漁師さんたちがおい等を軍艦まで運んでくれることになっているんだ。
3日間だけだからそのいずれかの軍艦に乗れ、昼間は隠れて夜に移動しろ。
そして陸に着いたらそれからは自由だ。頑張りたまえ。幸運を祈る。」
いっせいに扉を目指して突進した。
誰もが口を噤んだまま。