ローマ文化王国-新羅    

                                                          由水常雄著(新潮社)
 

 近年まで、いえ現在でも、朝鮮半島は古来よりの中国文化圏というのが大方の常識です。本書は、考古学的な発掘の成果と史料に拠って、6世紀初頭以前における三国時代の新羅を中国ではなくてローマ文化の影響を受けた地域とする画期的な論説です。

  著者の専門はガラス工芸史、東西美術交渉史ですが、ガラス器のみならず新羅特有の樹木冠や装飾品、馬具等、さまざまな遺物を詳細に検討していて、説得力があります。動かしがたい証拠(=出土品)の数々が、常識を覆していく様があまりに鮮やかで、知的好奇心を大いに刺激してくれる一冊でした。

 新羅とローマを結びつける証左として黄金の樹木冠やローマン・グラスが現れる度に、なるほどとうなずく。今度、慶州(新羅の古都)に行ったら、改めて国立慶州博物館にこの金冠を見にいとうと思いました。

 新羅とローマ文化の関係については、しばしばテレビなどででも紹介されますが、多くの人にとって新羅=中国文化圏の図式はまだまだ色濃いと思います。これから慶州へ行くという方は、是非この本を読むことをオススメします。現地で見る遺物の数々が、違った意味合いと存在感を持つこと、間違いありません。

 よく、日本はシルクロードの終着駅と言われますが、遙かペルシアから中央アジア、中国を経て最果ての島日本に辿り着いた人々や物を思うと、そのスケールの大きさに溜め息が出ます。  同様に、本書で述べられているローマ文化も、ユーラシア大陸の西の果てからスキタイ等の遊牧民の手を経て、ロシア南縁からシベリアを抜けて東の果ての半島の小国に辿り着いたのかと思うと、感慨深いものがあります。

 新羅は、地理的には高句麗・百済の二国によって中国と隔てられていたがゆえに、独自のローマ系文化を醸成させることが出来たわけです。ヨーロッパでゲルマン民族の侵入、ローマ帝国の瓦解といった歴史的大事件が起こるのと同時に、北魏の漢化、新羅の中国文化への転換が起こるのもまた、歴史の大きな波のひとつといえます。

  古い時代の歴史は地域史として地理的にはごく狭い部分に注目が集まりやすい傾向にありましたが、この新羅-ローマに限らず、もはやネットワークという世界的な視野をもって見ることが必要なのだと実感させられました。

 特に面白かったのは、「衝撃の皇南洞九八号双墳の発掘」と題する第五章です。この古墳は新羅最大の王・王妃合葬墓なのですが、王の墓からは銀冠が、王妃の墓からは金冠が見つかっているのです。他の王墓からは、例外なく金冠が出土しているのに、この王墓には金冠はなかったのです。規模や出土遺物から見て、間違いなく新羅最大の権勢を誇った王のはずなのに。

 他にも幾つか、この古墳には謎があるのですが、それも含めて「この古墳の被葬者は誰なのか!?」という謎を解いていく過程は、推理小説でも読んでいるかのような興奮を覚えました。

 文章も全体的に一般読者にわかりやすいように配慮されています。これは筆者の初稿を「独断と偏見による見解」と断じた編集者の一撃によるところが大きいようです。



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2011/10/27 16:40 2011/10/27 16:40
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