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暑さ寒さもお彼岸までと言われていますが・・・明日がお彼岸です。

今日は雨、やや寒いけど、桜のつぼみが日に日に膨らんでいる様子で

今年の冬はこれで終わりですね。

プレミアム画像! 冬越の「面白い雪だるま」です。(^_^)/ 







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2014/03/20 19:08 2014/03/20 19:08

 
  この数ヶ月の間、午前中に掛かってくる非通知の電話は数回あった。

 甲高い女の声 「私ね、韓国が嫌いなの」

 彼女は私が「どうしてですか」と理由を聞いて欲しかったのかな・・・
いくら考えてみても、私が誰なのか彼女は判らない。只、私がこの会社にいて会社の代表電話を取ったからだけの話である。その意味はこの会社の人間なら誰でも良い、嫌がらせしてやろうと思っているとしか考えられない。

 統一日報は本当は日韓の親善を誰より願っていて、日本にも韓国にも愛情をもって新聞を作っていることは読んだ人ならわかるはず。特に韓国政府に対する批判はしても日本の内政には口出ししない主義である。まして社員の半分が韓国が好きな日本人で、会社の編集デスクも日本人であることを多分知らないだろうな。彼女は度々ただ誰なのかもわからない私に自分の好き嫌いを聞かせただけではないはず。

 非通知の電話番号を使い、脅迫をする事は、それは隠れなければならない理由があるからである。堂等とは言えない事であることを認識しているからである。

 個人の携帯は非通知の電話は出ないことにしているが、会社では出る。記事に不満があるかたの抗議の電話や、誤字脱字を知らせてくれる電話、何かを訴えたくて掛かってくる電話、情報提供のなど様々な事で読者から電話が架かってくる事があるから。私はそういう電話は嫌いではない、むしろ好きかも知れない。でも自分が誰であるかは示して欲しいと思う。

 隠れてものを言う人間は何処にもいるが、自分の考えがなにかもわからないで、自己主張でもなく、人から聞いた話を引用して嫌悪感を隠さない電話の向こうの声は、会えば優しい顔をしている二つの顔を併せ持つ隣人なのだ。

 日本人は真面目で優しいからと日本人自ら口癖のように言うけど・・・果たしてそうかな・・・

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2013/07/04 16:27 2013/07/04 16:27

大人げない

ひとり言 2013/05/21 16:34

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最近、日韓両国の新聞やテレビはインターネットを騒がす様々な権力周囲のお偉いさんの言動に腹を立てている自分に疲れてしまう。

大人げないという言葉がある、幼稚な行動または言動をみて人はこう言うが、それだけで片付けられない大人げない大人が多すぎる。




≪老子の名言≫

河や海が数知れぬ渓流の

そそぐところとなるのは、

身を低きに置くからである。


同様に賢者は、人の上に立たんと欲すれば、

人の下に身を置き、

人の前に立たんと欲すれば、

人の後ろに身を置く。


かくして、賢者は人の上に立てども、

人はその重みを感じることなく、

人の前に立てども、

人の心は傷つくことがない。

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2013/05/21 16:34 2013/05/21 16:34

サムスンのカメラは認知度で日本のニコンやキャノンに比べ評価されないけど、サムスンギャラクシーの内装カメラの性能は素晴らしい~
感度もよければスピード感もOK!

最近、寄り道して道端の花を撮るのが楽しいのもサムスンギャラクシーのおかげかも・・・(^^)v

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2013/05/09 17:19 2013/05/09 17:19

 映像 フォトメーン 
2012/11/29 12:23 2012/11/29 12:23

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 村下孝蔵の歌「初恋」が好きな人は沢山いると思う。村下のデビュー4年目、5枚目のシングルA面の曲。のちに同年発売のアルバム『初恋〜浅き夢みし〜』の1曲目として収録された。このCDは今も大事に持っている。 
 
 
オリコン3位まで売り上げを伸ばし、村下にとって最大のヒットとなった曲である。村下自身も、ライブやコンサートでは必ず締めの曲に使用していたほか、テレビ番組に出演する際もこの曲で出演を続けた。

 その曲の中にはとても美しく表現された五月が出てくる。
 例えばこのようである。

 五月雨は緑色 悲しくさせたよ一人の午後は
 恋をして淋しくて 届かぬ思いを暖めていた

 夕映えはあんず色 帰り道一人口笛を吹いて
 名前さえ呼べなくて とらわれた心見つめていたよ

 風に舞った花びらが 水面を乱すように
 愛という字を書いてみては ふるえていたあの頃

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 まさに、緑色の五月雨(さみだれ)で5月は始まった。 

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 中高を女子学校を出たけど、中学の学校の花が水仙だった。格教室に水仙の鉢がひとつはあったと思う。 大人になってみると水仙は群落で咲き乱れる花のようである。花言葉は「ナルシスト」

「ナーシシズム」(英語 narcissism)、ナルシシスム(フランス語 narcissisme)即ち、自己愛である。自己愛とは自己の容貌や肉体に異常なまでの愛着を感じたり、自分自身を性的な対象とみなす状態を言う。ナルシシズムを呈する人をナルシシスト (narcissist) と言う。ナルシズム(narcism)、ナルシスト (narcist) とも言うが、
ナルキッソス日本では「うぬぼれ」「耽美」といったニュアンスで使われることが多い。

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 五月と言えば薫風に乗って空を泳ぐ鯉のぼり。元気よく風邪をお腹いっぱいに吹き込んで空を泳ぐ鯉のぼり、5月連休のお出かけ先で出会いましたのは鯉のぼりだけではない。元気で水の中で泳ぐ本物の「鯉」もいたよ。(^_^)

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  何か話したいのかな? この子達は、山梨県「忍野八海」で出会いました。人懐こい鯉の群れ。 

 忍野八海は八つの湧水池から成っているという。その昔、忍野村は「宇津湖」という湖だったそうで、延暦に富士山が大噴火し、そのとき流れた溶岩流によって、湖は山中湖と忍野湖に分かれてしまった。忍野湖は富士五湖と関連する一つだというが、川の浸食や掘削排水のため枯れてしまった。忍野八海は、その時残った富士山の伏流水の湧出口の池として、今日存在する。
 富士山に降り積もる雪解け水が、地下の不透水槽という溶岩の間で、約80年の歳月をかけてろ過された澄みきった水。水質・水量・保全状況・景観の良さから、昭和60年に、全国名水百選に選定されているとか。また、新富岳百景選定地でもあり、国の天然記念物にも指定されている。

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  五月の山道を車で走るとこのような空が見えた。木漏れ日で眩しい空と雲がきらきらとしていた。

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  薄暗い蕎麦屋の室内から外を眺めると散々とまばゆい日差しが庭を照らす。



 
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蕎麦屋ののれんがゆらゆらと揺れる5月の山奥の蕎麦屋で吉野そばを食べた。この日食べた蕎麦の写真は取らなかったが、おまけに付けた写真は牡蠣と冷えたビール。

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 5月1日、銀座の「かなわ」で食べました。創業140余年、広島かきの草分けとして有名なかなわさんの広島直送の牡蠣、「大黒神」と言ったかなこの牡蠣の種類 美味しいよ(^_^) →
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※写真はすべて、携帯電話から撮影されたものですので鮮明ではありません。ご理解頂けますようお願いいたします。



2012/05/07 12:30 2012/05/07 12:30

2月29日の朝

ひとり言 2012/02/29 10:42

四年に1回の2月29日の朝は雪吹雪きだ。

お陰様でかどうかわからないが、有楽町線は鮨詰めの状態で、途中で止まって動かない時間が続く。

座っていたなら諦めてのんきに一眠りできるかもしれないが、片足不安定な状態の鮨詰め電車の中で何時動くか時計を見ながらイライラ待ちは誰もが嫌だと思う。
そのイライラを堪えてじ~~~~~っと待つ。我慢我慢・・・
動物の本能に捉われない、人間であるぞ!との修行の朝であったのだ。
一応、少しは早めに家を出たものを・・・遅刻しました。(-_-;)

どうせ遅いと思い、雪嵐の朝の風景を携帯電話で撮影! ↓

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2012/02/29 10:42 2012/02/29 10:42

お天気斜め

ひとり言 2012/02/13 16:55

窓の外のお天気は斜め
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僕の気持ちも暗くなる
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今日はこのままほっといてください
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だから今日は・・・・
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2012/02/13 16:55 2012/02/13 16:55

不安を抱く

ひとり言 2012/01/30 16:56

2012年になってもはや一ヶ月を過ぎていく。
2011年に大きな出来事は個人的にも国家的にも世界的にもやはり「地震」ではなかったのかと思う。

旧正月(今年は1月23日)は久しぶりに里帰りした。
父は以前より素直になっていた。
なんと言うかな、「強情」な性格の父からその「強情さ」が取れた感じで、
誰かを頼らないと生きていけない子供のようにとも言えよう。

親父は「うん」しか言わないんだよ。
親父に「違うよ」と言わせる質問をするようにしていると弟は言った。

お父さんは干し柿が大好きで、お正月にテーブルに出された干し柿のほとんどを食べたと思う。

私は干し柿が嫌いで、弟の嫁さんが出してくれた出来の良い高そうな最高級の干し柿をほとんど残してテーブルの上に放置。

父は珍しく、私が実家に居る間、いつもの自分の部屋のベッドではなく、リビングのテーブルの前に座って昼の時間を過ごした。

父はお砂糖を少し多めに入れたコーヒーをのみ、睡眠障害を心配した私は日本から持っていった玄米茶入り緑茶を父に飲ませまた。

多分干し柿のせいだと思うけど、便秘になった父
連休中の夜、慌てて開いている薬局を探し回って便秘薬を買ってきた末っ子の弟

その日私は、生まれて初めて父の足を洗ってあげた。父の誕生日だった。
足湯用のバケツに暖かいお湯を入れて父の部屋で足を洗って、きれいにタオルで拭いて、ボディーローションも塗って足のマッサージもしてあげた。
父は何も言わなくても幸せな笑顔を見せてくれた。

薬を飲んでベッドで横になっている父に、明日早い飛行機だから挨拶できないかも知らないと、しばらくのお別れを言いに行った。

「お父さん、お腹痛いの?」
「ううん、痛くないよ」

否定の返事をもらって、笑ってしまった私

翌朝未明、未だ5時だったのかな、目覚ましに起こされた私はトイレーから出てくる父に「おはよう」と声を掛ける。

「うん」・・・返事がおかしい・・・異常に気づいた私は父の箪笥の引出しから下着をズボン下を探し出しトイレの便座を洗い流し、弟を起こした。

弟は父を風呂場に連れて行き、洗ってあげて着替えをさせた後、私を車で空港まで送ってくれた。お互いに「体に気をつけてね」と言って空港でお別れ。


その朝、私は洗顔のところか、歯磨きも出来なかった。


日本に戻ったら、また地震の恐怖が待っていた。
首都圏直下型地震が4年以内に70%の確率で起きるということが報じられたようだ。
東京大学地震研究所の発表だったらしい。

韓国で感じた兄弟との国際政治全体に及ぶ考え方の違いも私を自問自答させた。
私の生き方、考え方は正しいのか。

父が聡気のままでいたなら聞いてみたかった。
父は頭の痛いことはもう考えないことにしたように見えた。




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2012/01/30 16:56 2012/01/30 16:56


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書道家 矢部澄翔氏 作品【2012・辰】


 会社の「河」論説委員は、今年は「明けましておめでとう」の挨拶はしないと断言しています。東北の人々を思うと「とてもじゃないがおめでとうなんて言えない」と言うのがその理由です。

 だけど韓国式の「새해 복많이 받으세요=セヘボクマニパドゥセヨ=新年には沢山の福があなたを訪れますように=I Wish You Have A Happy New Year」は良いのではないかと言っていましたので、昨日の会社初顔合わせのときみんなと「새해 복많이 받으세요」と挨拶を交わしました。

 皆様にも新年が「A HAPPY NEW YEAR」でありますように!!!


 昨年の今ころ次のようなことをこのブログに書いていました。今年も遅い新年の挨拶を書こうと思ったら、何か遅い挨拶を正当化する言い訳が無いかと考えている最中に、そう言えば去年も同じ事を思って、お正月は何時までなのか調べた事を思い出しました。


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正月に飾る松飾り(門松)を立てておく期間のことを松の内と言うんだそうです。

年の暮れに松飾り(門松)を立ててお迎えした年神様に滞在していただく期間で、松を取り付けている間とか、神様に待っていただく間などという意味といわれています。

一般的には1月6日までとし、松飾り(門松)を6日の深夜または7日の早朝に取り除くのが風習になっていますが、一部の地区では14日の深夜または15日の早朝に取り除くなど、地方によって異なります。
本来は小正月の15日までを「松の内」といいます。ちなみに1日は大正月といいます。そもそも「松の内」とは新年に際し歳神様を迎えるために道しるべとして門ごとに門松が置かれますがこの松飾りのある期間のことを「松の内」といいます。

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2012/01/06 12:38 2012/01/06 12:38

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 朝の通勤は有楽町線を利用する。
 新木場は始発駅なのでほとんどの場合、席に座って居眠りをする。

 今朝も同じく、新木場から有楽町線のいつもの車両に乗り、空いた席に座って居眠りをしていた。たまに目を開けて停車駅の確認をする。

 永田町で降りなければならないが、何回か麹町駅まで行ってしまい戻るのに苦労をした経験がある。麹町えきのホームは上下線が同じホームを利用する永田町駅と違って、乗り換えるためには階段を上り、改札口を一回出なければならないので面倒である。

 いつものとおり、停車駅を確認するため目を開けると、背広の左胸ポケットに赤系統のシルクハンカチを刺した老紳士が前に立っていた。朝の通勤電車ではあんまり見かけない姿だったので、つい観察してしまう。背が高くないせいか、珍しく靴底が厚い、だけどしゃれている紳士靴を入っている。見ているうちに目が合ってしまい、困った私はまた目をつぶって眠ったふりをする間に本当に寝てしまった。

 目が覚めたのは、座っている私に人が打つかってきたからであった。びっくりして目を開けると、先まで前に立っていた老紳士が中心をなくしてふら付いている。直感的に事態が普通ではないと感じる。瞬間、私は立ち上がり、「どうぞ、お座りください。大丈夫ですか?」と声をかけた。よく見ると彼は顔色が良くなく、冷汗をかいているよう見える。「駅員を呼びましょうか?」と聞いたが、次の駅で降りるので大丈夫と言う。並んで座っている人々はただ見ていた。明日はわが身かも知れないその状況、もし私に同じく急に具合が悪くなっていたら、そして満員電車で座ることも、駅員を呼ぶことも出来ない状況になってしまったら、誰かが声をかけてくれて、駅員を呼んでくれるのだろうかと思いながら、永田町で降りて、坂を下って会社に向かって歩く。

 9月30日、今日で今月も終わりかと思ったら、今年も残りあと3ヵ月・・・9月の天候は波乱万丈だった。気温の変化も激しく急上昇と急降下を繰り返しながら秋に向かっているようだ。

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世間の経済状況も同じだった。

 9月26日付けの「統一日報」の対談記事の出だしは「欧州発の金融危機が世界的な関心事になっている。危機は各国の国債等級引き下げや米国の信用不安につながり、日本には急激な円高という形で影響をおよぼした。その一方で韓国はウォン安に陥っている。解決策の見えない金融不安に打つ手はあるのか。」であった。

 ところで、リビアの独裁者カダフィ大佐は今どこに隠れているのだろうか・・・金部長の話によると、リビア国内に隠してある金塊300トンを無事に外に運び出すまでは国内で粘るのではないかという噂もあるとか・・・


2011/09/30 13:18 2011/09/30 13:18


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 父はギターを弾いていた。
 幼い記憶の中にはいつも部屋の何処かにギターがある。
 狭い長屋、六畳一間の部屋で五人家族が全員で暮らしていたあの頃も、ギターはもう一人の家族としてその部屋にいた。

 その部屋の壁には、父が模作していた老いたるギター弾き(The Old Guitarist)というピカソの絵が壁に掛かっていた。本物と区別が付かないほどよく出来ていた絵、父はどういう心境でこの絵を真似て描いていたのだろうか。

 父にとってギターは何だったのだろうか。父に聞いたことは無いが、音楽や美術や演劇やと才能に恵まれていた夢多き青年だった父は16歳で戦争にかい出され、二度と故郷に戻る事ができないまま、親兄弟に別れたまま、60年の間、生きるために夢を捨てざるを得なかった心のよりどころだったのかもしれない。

  父のその気持ちは、子供も女房も分かってくれなかったのであろう。
 母は父の気持ちを胸で受け止めるほどの女性ではなかった。理想と現実の間で、父よりもっと激しく揺れていて、神経衰弱症状まで見せていたからだ。父は、母性不在の家庭で育つ幼い私たち兄弟を心配してやまなかった子煩悩な人だったのである。


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 5月のゴールデンウィーク中に里帰りをした。4月の1ヵ月間、福島原発の更なる爆発を恐れて実家に疎開させていた息子の面倒を見てくれた義理の妹(長男(弟)の嫁さん)に御礼を言って、地震の事で心配しているはずの親に元気な顔を見せる事が第一の目的で、行ったついでに友達にも会ってくるのが次の目的だった。

 親に顔を見せて、弟の嫁さんには御礼を言い、友達に会うたびに色々とご馳走になって、一部のほうれん草などの葉っぱ物から放射性物質が検出された事で日本では躊躇って食べられなかった野菜を山ほど食べてた。

 父は、顔いっぱい笑って見せてくれた。
 父の手を取ると、爪が伸びていて、爪の下に黒い垢が詰まっていた。臭いもする。
昔から父はお風呂が嫌いだった。お風呂に入らない父の事で困っていた弟の嫁さんの為に父を日本の温泉に連れて行く目的で韓国から呼んだ事もある。今も弟が銭湯に連れて行かない限り、お風呂にも入らないうえ、お手も洗わないらしい。

 35年も前から、母とは別居している父、今は一日中話す事も無く、ベッドの上で寝て起きて、長男の嫁が「お父様、ご飯ですよ」と言えば、居間に出て、食卓の前に座る。ご飯が終ったら、また自分の部屋のベッドに戻り、テレビを見ながらタバコを吸う。それから眠くなったら寝るの繰り返しのようだ。話す事も無く、出かける事も無く、食事とトイレ意外には部屋から出ない。私が買ってあげたフリスを着たまま、寝て起き、起きては寝ている。

 最近、弟嫁さんが歯医者につれて行っているようだが、歯があんなに駄目になっているとは知らなかったという。元々は歯がとっても丈夫な人だったが、何せよ80という歳と歯磨き嫌いな怠け癖があるのでしょうがないかなと思う。嫁さんは入れ歯にしてあげたいと思うが、こまめに手入れしないと駄目なので、果たしてそれが出来るかどうかと、心配しながらため息をつく。

 父の手をぬれたタオルで綺麗に拭き、爪を切ってあげた。爪の下の垢も取ってあげた。お手からは臭いもとれたようだ。

 手の裏がとても柔らかくなっている。昔は手のひらがもっと硬かったと覚えている。左の指の先端も柔らかい。これじゃもうギターは弾けないな・・・


 弟の嫁さんが、帰りに仁川空港まで車で送ってくれた。車が空港に着く頃、私は彼女に言った。
「色々大変なのは分かっているけど、父をよろしくお願いします。」

 義理の妹は次のように返事した。
「よろしくと言われても、よろしく出来るかどうか・・・」

 出来る事ならば、父を引き取りたい。
 今のようなマンション暮らしではなく、陽がよく当たる山のふもとに平屋を立て、庭に花とトマトとキュウリとトウモロコシとサツマイモを植えて、犬と猫と鶏を放し飼いにしたい。父は土いじりと動物が大好きだからきっと毎日ベッドから降りてて庭に出て来てくれると思う。

 平屋の離れに大きくて気持ち良いお風呂を造って、汗を流した父が毎日入れるようにしてあげたい。

 自分の生活を守るために、それが出来ない私が、今、父の面倒を見ている弟夫婦に何もいえる資格はない。


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 遠藤さんがメールマガで韓国人にとって「恨(ハン)」について書いている。

 私にとって父の「恨(ハン)」はブルースのようなものである。
 父を思うと青の時代のピカソと老いたるギター弾き(The Old Guitarist)の絵が重なる。






2011/05/16 13:27 2011/05/16 13:27


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今回起きた東北関東大震災を千年に一度の大震災と言う。予想を遥かに超える大惨事だったと、政府は説明している。

福島第1原発の原子炉は想定内の安全対策には万全を期したというが、今回の地震と津波は予想を遥かに超えるもので不可抗力だったとか・・・

2008年冬号として発刊された、理念112号に掲載されていた前田瑠絵さんの「宮沢賢治の生涯」には次のように書かれている。



 

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 これでも福島第1原発事故は予想を遥かに超える事故だったと言い訳できるのだろうか。充分に予測できたレベルの災害であったのではないか。東京電力はこの責任から逃れられない。


 東京電力は30日、福島第1原発の南放水口(1~4号機用)から南へ330メートル地点で29日午後に採取した海水から、法令限度の3355倍の濃度の放射性ヨウ素131を検出したと発表した。26日午後に約1850倍の放射性ヨウ素が検出されていたが、さらに上昇し、これまでで最高となった。また、北放水口(5~6号機用)の北約30メートル付近の海水からも、29日午後、1262・5倍の濃度の放射性ヨウ素が検出された。

 経済産業省原子力安全・保安院の西山英彦審議官は「上昇は健康に影響はないが、早く原因を突き止め、これ以上高くなることを食い止めることが重要」と述べた。


 

2011/03/30 16:09 2011/03/30 16:09


以前、思い出のニフティサーブのCBシミュレータについて、このブログで書いたことがある。http://blog.onekoreanews.net/moris/59
そのときの仲間は、それから10年の年月が流れいる今も、何人かとは連絡を取っている。

その中の一人、三坂さんは、宮城県亘理郡山元町坂元字北谷地の青年である。
彼は、毎年、友人と共に、阿武隈川で行われるいかだ下り大会に参加し、その楽しい話をホームページに写真とともにアップして、阿武隈川と共に暮らす人々を紹介してくれた。

その三坂さん宅に、何年か前、仲間と一緒にお邪魔して、一晩ドンちゃん騒ぎをして、夜明けの前に、海につながる阿武隈川河口の防波堤に横たわって流れ星を数えた楽しい思い出もある。

仙台空港が津波に飲み込まれるのをテレビで見て、やるせない気持ちになった。
三坂さんの携帯電話を鳴らしてみるが、通じない・・・ 当たり前か・・・
三坂さんと家族のご無事を祈った。


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ようやっと電話が通じるようになった日曜日の夜、三坂さんから携帯に電話があった。
立て直したお家は津波に流されたが、本人と家族はお母様の実家に身を寄せているとの事。

三坂さん、無事でよかった。

仲間みんなに電話しておしえた。三坂さん、大丈夫。元気でいるらしいと。
すると鈴木さんが、僕も今仙台から東京に帰ってきたばかりだと言う。
仕事で、出張していて、仙台の駅前で地震に見舞われたとの事。

みんな、無事でよかった。


身内に不幸は起こっていないが、天災事変とは言え、これはあんまりじゃないかと思う。被爆の恐怖が襲い掛かるなか、絶えるしかないもどかしさがある。


11日の夜から今日まで日本国内外から沢山の安否確認の電話を頂戴した。
宮城県ではなく東京にいる私の安否を案じてくれた皆様に感謝感謝!!


2011/03/15 15:34 2011/03/15 15:34

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赤坂、風が強い。 
事務所の窓ガラス向こうで激しく揺れる
木の枝、木の葉っぱ

ねぇ、私は風が嫌いです。
だから、私は風が嫌いです。
だけど、風は止まらない。

まぁ、絶えるしかない。(T_T)

雨ニモマケズ 風ニモマケズ

 

「雨ニモマケズ」

雨ニモマケズ  風ニモマケズ

雪ニモ  夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲ  モチ

慾ハナク  決シテ瞋(イカ)ラズ

イツモシズカニワラッテイル

一日ニ玄米四合ト  味噌ト

少シノ野菜ヲタベ

アラユルコトヲ

ジブンヲカンジョウニ  入レズニ

ヨク  ミキキシ  ワカリ

ソシテ  ワスレズ

野原ノ松ノ林ノ蔭ノ

小サナ萱ブキノ  小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモ  アレバ

行ッテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ

行ッテ  ソノ  稲ノ束ヲ負ヒ

南ニ  死ニソウナヒトアレバ

行ッテ  コワガラナクテモイヽトイヒ

北ニ  ケンクヮヤ  ソショウガアレバ

ツマラナイカラ  ヤメロトイヒ

ヒドリノトキハ  ナミダヲナガシ

サムサノナツハ  オロオロアルキ

ミンナニ  デクノボウト  ヨバレ

ホメラレモセズ  クニモサレズ

ソイウイウモノニ  ワタシハ  ナリタイ

「雨にも負けず」

雨にも負けず、風にも負けず

雪にも、夏の暑さにも負けぬ、

丈夫な体をもち

慾はなく、決して怒らず、

いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と、味噌と、

少しの野菜を食べ

あらゆることを、

自分を勘定に入れずに

よく見聞きし、分かり、

そして忘れず

野原の、松の林の陰の、

小さな、萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば、

行って看病してやり

西に疲れた母あれば、

行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば、

行って、怖がらなくてもいいと言い

北に喧嘩や訴訟があれば、

つまらないからやめろと言い

日照りの時は涙を流し、

寒さの夏はおろおろ歩き

みんなに、木偶坊(でくのぼう)と呼ばれ

褒(ほ)められもせず、苦にもされず

そういうものに、私はなりたい



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 宮沢賢治の親筆ノート
2011/02/18 15:56 2011/02/18 15:56

SEがゆく

ひとり言 2010/08/10 12:52

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今もその名前が懐かしいニフティサーブ(NIFTY-Serve、のちにNIFTY SERVE)は、1986年から2006年までニフティ株式会社が運営していたパソコン通信サービスで、驚異とも言えるインターネットという新世界への幕開けだった。私も目から鱗が取れた開眼の経験をした。
  

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 ニフティサーブにはCompuServeのCB Simulatorにならい、市民バンドを文字ターミナルで再現する俗称「CB」というものがあった。

 毎晩入り浸っていたこのCBシミュレーターには、Band AとBand B(後にBand Cが追加)があり、一つのバンドに1~30チャンネルまでが設けられ、同じチャンネルに接続した者同士でリアルタイムに会話が出来た。当時私は18チャンネルをホームベースとしていた。

 そのうち、2チャンネルは初心者用チャンネルとされていたが、やがて国内最大コミュニティと言われる「2チャン」へと変貌する。


 ネットで "北村よしみ"を検索すてみる。

 かつて、彼が運営していたサイト「よιみの好きな本」はもうネット上に存在しない。Niftyの「人生後半戦フォーラム」で活躍していた痕跡も消えている。メールマガジン「よιみのオモチャ箱」も、もうない。

 彼に出会った当時、私は未だマックを使っていた頃だ。当時、通の中で話題のコミュニティーニフティサーブのCBに屯っていたパソコン仲間だったのである。その思い出のニフティサーブのCBシミュレータも、惜しまれながら2001年9月いっぱいでサービス終了となった。

 そのときの仲間はそれから10年の年月を得て今も何人かとは連絡を取っている。1986年創設され、16年間お世話になったCBer達にとって、ニフのCBは、これからのネット全盛時代の登竜門だったとも言えよう。今も多くの仲間がSE(システムエンジニアー)やプログラマーとして一線で活躍しているからだ。

 「北村よιみ」もその一人、CBで出会い、何回もオフ仲間と旅行もした。そのうち自宅に招かれ両親に挨拶までさせられ、びっくりして、それから個人対個人付き合いは控えていた。

 ある日の事、彼の書いた本「SEがゆく」の出版の前に、本の内容の中で私が登場する事を御本人から知らされ、了承してほしいと言われた。抗議をしてその部分を削除したら本の内容がおかしくなるため、ハンドルネームで使っていた私のニックネームだけ変えてもらう事にした。だから彼の本は出版前に読んだ事になる。出来た本はサイン入りで送ってくれて、それから『日系ビジネス』や『週刊金曜日』に紹介されるたびに雑誌を送ってきた。

 昨年の暮れ、思いよらぬ葉書が届くまで、私はまだ彼が次の本を書いていると思っていた。その前の年、バイクに夢中だと書いた彼からの年賀状をもらったのに・・・・ 

結局、この喪中葉書によると、私が彼からもらった年賀状を目にしていた昨年の元旦、その頃彼は既に亡くなっていた事になる。


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 彼が残した二冊の本はいままだAmazonで売れていた。


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SE中年記 北村 よしみ (単行本 - 2003/2)
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SEがゆく―波乱万丈!SE日記 北村 よιみ (単行本 - 2001/10)
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商品の説明

内容(「BOOK」データベースより)

オフコン黎明期―ようやくコンピュータが中小企業にも一般的になった時代に、アルバイトプログラマからSEとなった著者。“日本のコンピュータ史に影響を与えるほどの仕事はしなかったものの、一緒に歩くくらいはした”そのSE人生は波瀾万丈!学生で起業し、数年後には念願の家を建てるが、あまりの収入の乱高下に潮時とみて25歳でサラリーマンへ。社内SEとして数社を渡り歩くも、行く先々で大騒動に!社長逮捕にマルサ査察、ヤクザの脅しにあげく倒産!「“株式会社たこ部屋”に改名したら?」と言われるほどの日常的なハードワークをこなしていた著者が綴る、痛快SEエッセイ。

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「北村よιみ」の死因を私は知らない。いったい何があったのだろうか・・・ ずっと気になっていたけど、家族に連絡をとって聞くまでの勇気が出せなかった。

 実は今朝、私は勇気を出して彼の実家に電話をしてみた。だけど、ベルを鳴らしても誰も出なかった。 確かに両親と結婚した妹さんとその子供さんの話はよく聞いたので、誰か居ないかなと思っていたけど・・・

 喪中葉書をもらったのも仲間の中では多分、私だけだとおもう。彼が亡くなったこと他の仲間は知っているのか。仲間もこの二年間会ってない。

 何年前か亡くなったもうひとり、山ヒコ君、無口でやさしかった彼は自ら命を絶った。 静岡の戸田村まで仲間たちと行って、お線香をあげてきた事もあった。一人残されたお母様は泣いていた。

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 暗い話になったけど、みんな集まると楽しかった。みんなで同じテーマでそれぞれのホームページを作って交換した。毎晩それぞれが作ったHPの掲示板めぐりをした。関東一帯はもちろん、関西にまで足を伸ばして思い出を作った。奈良のベルは元気かな・・・・

 仙台のとさかさんと群馬のにゃんこさんが一昨年、遠いところから店に来てくれた。
CB仲間ではっちゃんとるりちゃんは結婚してる。私は結婚式でスピーチを頼まれて緊張してたりした。ふたりはこの春、新築マンションを購入したと連絡があった。泊まりに行ってこようかな・・・・

 
2010/08/10 12:52 2010/08/10 12:52

今日は車出勤でした。
江東区が自宅なので、帰りの交通事情が心配です。(T_T)

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2010/07/31 16:53 2010/07/31 16:53

パソコンが壊れた。


 自宅で使っていたパソコンが壊れた。二週間前の話である。人間に例えば脳に当たるハードディスクが壊れてしまった。それは中に入っている全てを失うという意味でもある。幸いに、三年前まではバックアップを取っていたので、失ったのはこの三年間の思い出の写真と副業で営んでいる飲食店の元帳である。

 専門のところに持ち込んだら、ハードディスクの物理的障害で、データーを読み込むヘッドが磨り減ったという。データーの復帰を試みたが失敗した。おかげで云十万円という費用は使わずに済んだけど・・・・ (-_-;)

 店の帳面付けは週末にまとめてやっている。普段は会社が終ったら店に直行し、店の閉店時間の12時まで働き、それから片付けが終って帰宅するとだいたい夜中の2時頃になるため、毎日出来ないからである。

 その日もそうだ。パソコンが立ち上がらない。
 何度も再起動を繰り返してみたが、カタカタと音がするだけで、初期画面からWindowsに切り替わらない。前日の夜中のメール確認の為立ち上げた時も、何の前触れも無くごく普通に動いてくれたのに。(ーー;) 
 ただ気になっているのは、五年間使っている日立製のこのパソコンは当初から熱が溜まりやすい構造のような気がしていた。ハードを動かすたびにモータの加速するような音を立てていた。

 使っていた OS【Operating System】(オペレーティングシステム)は「Windows XP」だが、この「XP」は今まで私が使ってみたOSの中で最も使い心地が一番よかったので、そろそろ「Windows 7」を乗せた新しいパソコンを買うべきかと、OSのバージョンアップを目前に迷いの気持ちがある今この頃であった事も確かだ。「Microsoft社」は近年「Windows Vista」から「Windows 7」へと新しい感覚のOSを世に出しているが、使い心地はいまいちという評判だ。

 私もまだ慣れてないせいだと思うけど、やっぱりXPが楽である。

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 1990年の半ば頃、最初にパソコン(パーソナルコンピュータ(Personal computer))を始めたのは「Apple社」の「マッキントッシュ (Macintosh)」で、左の写真のモデル「Macintosh LC520」から初め、Power Macintosh 4400/200にと切替えた。電話回線とモデムを使ってインターネットも楽しめたが、電話代を月10万円も払った苦い思い出もある。(/_;)

 当時のMacintoshのOSは漢字Talk7.5.5と言うものだった。それからMac OS 7.6 (この年OS名が「Mac OS」へ名称が世界統一される)になり、Mac OS 8.0 (6年ぶりのメジャーアップデート[日本では約5年ぶり])へと変更していたが、仕事上Windowsを使わざるを得なくなったのでMacを諦めてWinに乗り換えた。

 1990年の前半、会社で使うコンピューターは今みたいに個人に与えてもらえるものではなくて、コンピューター室が別にあり、会社で共同に使い、毎日、昼食の時間にカセットジャックにバックアップを取った。未だパソコンの時代に突入する前の話だ。

 Windowsを始めた頃、データーベースを呼び出して書き込むためにだけのOSで、せいぜい、「スペースインベーダー」のようなゲームを楽しむ程度で、今のようなインターネットの概念はなかった。

  MS-PC DOS J7.0/V (DOS/V)を使った。それからWindows95が登場、それからWindows98に変わり時と共にWindows Me ・・・XPになって今までの言語障害から開放された。とても使いやすかったのでそのままで良いと思うくらいだった。

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 結局、新しいパソコンを買わずに、治して使うことにした。既に世の中から姿を消した古い方のハードディスクは新しいものを手に入れる事は出来ず(下の写真のもの)、会社の金君と相談して同じメーカーの同一スペックのものを選んでネットショップで購入した。後はパソコンをばらして自分でハードディスクの交換と再インストール・・・ 結構な時間をかけた結果、パソコンの再生には成功した。まぁ、うまく行ったと言ったほうが気持ちの正しい表現になるかもしれない。(^_^;)

 パソコンと格闘するこの二週間、デジタルという実体のないものの儚さを実感した。ホームページもネットも良いが、やっぱりアナログかな・・・ 紙媒体はやっぱり大事だわ。

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壊れてしまったハードディスク。 中のデーターは取り出せないまま・・・・ (-_-;)





2010/07/20 17:55 2010/07/20 17:55

 

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 W杯南ア大会でドイツの試合結果をすべて的中させている独西部オーバーハウゼン水族館のタコ「パウル君」の予言が、また当たった。

 2年前の欧州選手権は、スペイン戦の予言を外した前例があっただけに、ドイツ国民はその再現に望みをかけていたが、パウル君の6連勝に終わった。
 AFP通信によると、地元報道などではスペイン勝利のお告げに対しては反発も多く、「パウルをシーフードサラダかパエリアにしろ」「サメが入った水槽に送れ」などのコメントがネットなどに現れ、ベルリンではタコに反対する歌も歌われたという。

 それに対してスペイン政府の閣僚らは8日、ドイツ人の反感を買い、食べられてしまうのではないかとの懸念を相次ぎ表明した。
 サパテロ首相は、ラジオ局の取材に「タコの安否が心配だ。(スペインから)保護チームを派遣しようかと考えているところだ」と表明。エスピノサ海洋相は「12日に欧州連合(EU)の漁業関係相理事会があるので、ドイツに対しパウル君を食べないよう頼むつもりだ」と述べた。
 パウル君については、「神託」が下った直後から「スペインが勝ったら、タコを速やかにスペインへ移送し保護すべきだ」(セバスティアン工業相)などとする声が上がっていた。

 水族館は、9日にドイツ-ウルグアイの3位決定戦と、オランダ-スペインの決勝の予言をする計画だという。今回も当てたら初めてタコパウルの名をサッカーW杯歴史外典に名を刻むかもしれない。

 先日、韓国試合の日、職安通りを通ったら、赤いヘル軍団の応援が凄かった。その二日後、渋谷の109の前はサムライブルーの熱気で凄かった。
 韓国と日本は8強の壁を前にして惜しくも敗れてしまったが、思う存分サッカーを楽しんだ。もう少し頑張って欲しいと願ったけど、まぁ、歴史は一日に成らずで、少しずつ頂点に向かって行けば何時かは到達するのと希望が持てるだけの成果はあったと思う。アジアを背負って頑張っちゃ両国の選手に拍手を送る。 


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左から鄭解相副審、西村雄一主審、相楽亨副審

 今回、W杯は競技の成果もさながら、日韓の審判団が活躍した。西村雄一主審と相楽副審、鄭解相副審のチームは、記憶に残るような誤審が相次いだ今大会で、正確なジャッジでとても良い評価を得た。

 準々決勝のオランダ-ブラジル戦では序盤に、ブラジルのロビーニョらが判定に食ってかかるシーンもあったが、毅然(きぜん)とした態度で諭した。激しいプレーが多く、やや荒れ模様となった試合でも、それに過剰反応せず、最後まで冷静にコントロールした。
 国際サッカー連盟(FIFA)は8日、当地で11日に行われるワールドカップ(W杯)南アフリカ大会決勝、オランダ―スペイン戦の審判団を発表し、日本の西村雄一国際主審(38)、相楽亨国際副審(34)が、それぞれ控えの第4、第5審判に選ばれた。日本人審判がW杯決勝戦の審判団に入るのはこれが初めて。

 イングランドのハワード・ウェブ氏(38)が主審を務める。西村主審はピッチ外から主審を援助し、選手交代などを担当する。相楽副審とともに、主審らが職務を続行できなくなった場合には、それぞれ代わりに入る。

 今大会で西村主審、相楽副審は、鄭解相国際副審(韓国)とのセットで開幕日のウルグアイ―フランスなど1次リーグ3試合を担当。決勝トーナメントでは、日本人審判として初めて準々決勝を割り当てられ、オランダ対ブラジル戦を担当した。

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レッドカードを渡す西村雄一主審と鄭解相副審




追記:2010.07.10


 7月9日付けのAFP通信によると、サッカーW杯南アフリカ大会(2010 World Cup)で、これまでドイツ代表チーム全6試合の勝敗を100%の的中率で予言してきたタコのパウル(Paul)が9日、決勝と3位決定戦の行方を占い、スペインの初優勝を予言したという。

「神託」は今回もドイツ西部オーバーハウゼン(Oberhausen)の水族館「シーライフ(Sea Life)」からテレビで生中継されたようだ。いつもどおり対戦国同士の国旗を張りつけたごちそう入りのプラスチック・ケースをパウルの前に下ろし、パウルが先に開けたほうが「勝者」になると言うことだ。

 まずパウルは10日の3位決定戦を占い、自分の居住国であるドイツが、ウルグアイを下すと予言し、それから11日に行われる決勝戦の占いでは、パウルは即座に決断し、まっすぐスペインの箱に向かったかと思うとふたをこじ開け、ごちそうを飲み込んだとか・・・

 ちなみにパウルの生まれはイングランドだという。

2010/07/09 13:25 2010/07/09 13:25

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 W杯南アフリカ大会の16強チームが決まった。今晩(23時から)の決勝トーナメント第一戦「韓国対ウルグアイ」の結果に大いに期待する。


 日本と韓国がそろって駒を進めている中で北朝鮮チームは3敗で初戦敗退が決まった。理念なとはさて置き、心から応援したが、とても残念だ。
 
グループリーグ第2戦、対ポルトガル戦について、「朝鮮新報」に載った記事↓


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2010/06/26 19:11 2010/06/26 19:11


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 サッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会は第11日の21日、各地で1次リーグ3試合が行われる。

 今日、G組では、北朝鮮が前回4位のポルトガルと対戦する。両国が顔を合わせるのは北朝鮮が初出場でベスト8と健闘した1966年イングランド大会の準々決勝以来だ。1966年の大会では、それまで2度優勝経験のあるイタリアを破る快挙を成し遂げた。ソ連に敗れ、チリと引き分け、迎えた1次リーグ最終戦。前半に挙げた1点を守り通し、「世紀の番狂わせ」を演じた。準々決勝でポルトガルに敗れた。W杯通算1勝2敗1分け。

 この大会には二人の在日青年が参加している。

 その一人は話題を巻き起こしている「鄭大世」選手。対ブラジル戦での彼の熱い涙が日韓両国で話題を寄せた。Jリーグ・川崎のFW「鄭大世」、北朝鮮チームは今回のW胚に鄭大世を中心に、スピードと決定力を生かしたカウンター攻撃を仕掛ける。「読売新聞」ネット版で鄭を次のように紹介した。

 イングランド代表FWウェイン・ルーニーと比較される、日本生まれのストライカーを引き連れて、ミステリアスな国、北朝鮮が、44年ぶりにW杯に戻ってきた。

 非凡な物語を宿命づけらているかのような名の持ち主だ。名前は「大いなる世界」を意味するが、鄭大世(チョンテセ)が“チョルリマ”(北朝鮮代表の愛称。翼を持った馬)のユニホームを身にまとい、踏み込もうとしているのは、サッカーの世界なのだ。複雑な過去を後方にとどめながら、欧州でのキャリアという未来を見据えている。

 というのも鄭大世は、ほかの2国の代表として南アフリカに来る可能性もあった。北朝鮮出身の母親に対し、父親の出身国の韓国。そして、1984年に名古屋で生まれた鄭大世の出生国である日本。

 朝鮮大学校で共産主義文化にどっぷりと漬かった鄭大世だが、日本のサッカークラブ、川崎フロンターレに入団し、「人民のルーニー」と呼ばれるようになった。「とても光栄に思うが、僕のモデルはむしろディディエ・ドログバ(コートジボワールFW)」と言い切る。

 韓国代表と日本代表から打診を受けたこのパワフルなストライカー(身長1メートル80、体重80キロ)は、“チョルリマ”からの招集を受け入れ、2007年に北朝鮮のパスポートを入手した。

 当時、鄭大世は「心の中では、僕は常に北朝鮮人だ」と公言していた。「だから、祖国の代表になるのはとても光栄。北朝鮮に大きな問題があることは知っているが、国民はみな素晴らしく、その上サッカーに夢中だ」

 鄭大世は、過去3年に22回の代表招集を受け、15得点を記録している。北朝鮮チームが南アフリカに到着してから、彼は発言権を与えられている数人の選手の中の一人だが、それも数分のみ。

 最初のインタビューでは開口一番、1948年に金日成によって建国されてから、息子金正日(総書記)に引き継がれ今に至るまで、スターリン体制の支配下に置かれたままの、この地球上で最も閉鎖的な国家のひとつである北朝鮮の称賛に努めた。

 「あなた方は北朝鮮についてよく知らないようだが、W杯はあなた方の持っているわが国のイメージを変えるいいチャンスだ」と、鄭大世は初歩的な英語で話したが、彼は英語をあやつることのできる代表メンバーのうちの一人だ。

 キム・ジョンフン監督の采配(さいはい)によるコンパクトな布陣のワントップである鄭大世は、W杯に楽観的だ。「僕たちのチーム精神は世界一。僕たちはドイツ人と一緒で、同じメンタルを持ち、強力なチームとして結束している。僕は66年の(W杯イングランド大会で北朝鮮が8強に入った)映像とともに育った。そしてこの年と同じように、僕たちは観客をびっくりさせ、もうひとつのサプライズをつくる」

 唯一の決勝トーナメント進出となった44年前、準々決勝に進出した“チョルリマ”は、ポルトガルのFWエウゼビオの4ゴールにより敗退。あれから世界は姿を変えた。しかし、北朝鮮は……。

(2010年6月18日15時54分  読売新聞)

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<ブラジル・北挑戦>ルッシオから厳しいマークを受ける北朝鮮の鄭大世


 もう一人の在日出身「安英学」選手。私は黙々と頑張る安選手が大好き。

 安 英学(アン・ヨンハ、안영학、1978年10月25日 - )は、岡山県倉敷市出身の朝鮮籍プロサッカー選手。現在Jリーグ ディビジョン1 (J1)・大宮アルディージャ所属。東京朝鮮中高級学校 高級部から立正大学へ進学。在学中の2002年、アルビレックス新潟へ加入し、ミッドフィルダーとして活躍。2003年のJ2優勝・J1昇格に貢献。昇格後の2004年もチームの主力選手としてプレーした。2005年から名古屋グランパスエイトへ移籍。
 2006年、韓国・Kリーグの釜山アイパークへ完全移籍。朝鮮籍のままで選手としてKリーグでプレーをするのは異例のことであった。2010年シーズン、W杯南アフリカ大会を6月に控え、試合に出られる環境に身を置くため、大宮アルディージャに移籍し、5年ぶりにKリーグからJリーグに復帰。

 北朝鮮代表としては2002年の対韓国戦でデビュー。2006年W杯ドイツ大会・アジア地区最終予選では、各種メディアによる北朝鮮代表チームに対する取材が増える中、注目を集めた。その後も代表に選出され続けており、W杯南アフリカ大会・アジア地区予選では再び、北朝鮮代表の中心選手の一人として海外遠征に招集された。北朝鮮代表として3バックの前のアンカー(守備的ミッドフィルダー)としてプレーする事が多い。「安英学」は今大会の対ブラジル戦で「鄭大世」ほど目立ってはいなかったけど、地道に頑張る姿に感動した。


 北朝鮮の安英学は中盤の底の位置でブラジルの攻撃の柱、カカと対峙(たいじ)。「後半はすごくスピードを上げてきた。スイッチが入ったときの勢いはすごかった」と、相手の地力の高さを痛感した。
 大半の時間を守りに奔走しながら、前半26分にはボールを奪って素早くつなぎ、カウンターの起点に。初めて北朝鮮代表に選ばれてから8年。チームで認められるため、意識していた攻撃の姿勢を初のW杯で見せた。(ヨハネスブルク時事)


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対ブラジル戦で奮闘する在日出身北朝鮮代表「安英学」


  北朝鮮チームの主砲「鄭大世」、その涙が話題になっている。黙々とチームを守る「安英学」先輩、後輩に好かれている、格好良い好青年。
  日本に生まれ、日本で学び、二つの祖国の間で悩み、泣き、笑い。 

  頑張れ!「安」、頑張れ!「鄭」、アジアの星に輝け!!




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追記:南アW杯:北朝鮮録画放送FIFAは合意 貧困国向け措置か・・・

 北朝鮮の朝鮮中央テレビがサッカー・ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会の試合映像を録画放送した問題について、国際サッカー連盟(FIFA)は15日、毎日新聞の取材に対し「私たちは、アジア太平洋放送連合(ABU、本部クアラルンプール)が北朝鮮側に映像を提供することで既に合意している」と答え、問題はないとの認識を示した。この問題については、朝鮮半島全域の放映権を主張する韓国の民放テレビ局SBSが「無断使用された」としていたが、FIFAは「ABUが私たちのガイドラインに基づき、映像を提供する」と述べた。
 AFP通信によると、FIFAとABUは11日の開幕試合直前にこの協定に署名。北朝鮮のほか東ティモール、ラオス、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの計7カ国の貧困国に映像を提供することで合意したという。ABUは番組の共同制作や相互提供を目的に1964年に設立された非営利組織で、現在58カ国・地域の200以上の団体が参加。日本のNHKやTBSも加盟している。
 06年ドイツ大会では、事前の合意に基づき韓国側が北朝鮮側に映像を提供。今大会はSBSと北朝鮮側が事前交渉したが、哨戒艦沈没事件など南北関係悪化で協議が中断していた。







2010/06/21 19:35 2010/06/21 19:35

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月曜日は、また雨だ。
桜も散り行く時期のこの雨・・・   
足先で踏み潰される桜の花びらが可愛そうで避け歩く。

もう四月も半ばだ。

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昨日は日曜日で、暖かかった。
風が強かった。
桜吹雪の中を車で走った。

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桜吹雪も、今週までだろうな・・・・

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2010/04/12 14:24 2010/04/12 14:24

朝鮮高級学校の現代史教科書、北朝鮮史観を反映


 東京都北区にある、東京朝鮮中高級学校。1946年創立の同校の生徒数は、高級部(高校)が563人、中級部(中学)が164人。朝鮮籍の生徒が若干多いものの、韓国籍の生徒もほぼ同数いるという。だが、韓国籍を持っていると言っても、韓国に帰属感を持っているとは思えない。何故ならそのほとんどの場合が元々韓国籍を持っていた韓国人ではなく、在日社会の中で朝鮮籍を持っていた人が朝鮮籍のままでは社会活動に支障が生じるとの事で韓国籍に切替えたと見た方が正しい思う。

 言葉、文化といった民族教育を重視して韓国籍でも子どもを通わせる保護者も少なくないというが、それは言い訳だと思う。何故なら、地方ならともかく、東京と大阪には韓国学校がちゃんと存在しているのにも関わらず、わざわざ朝鮮学校に通わせる人は韓国人にはいない。彼らは心境的には北朝鮮を慕いていて、便宜上の事情で韓国のパスポートがほしかっただけの話だと私は思う。

 在外同胞の選挙権を認めると決めた韓国。 今後韓国の大統領選挙にあたり、彼らは親北人物の登場を強く願うはず。そして「ウリキリ」(自分達だけで、内々での意味、他人排除)助け合おうという美名の下、北に対する物資の援助を求めながら、政治の主導権はあくまでも北に置くべきだとおもうだろう。 そうでなければあえて朝鮮学校を選んで通う理由がないのではないかと思われても仕方がない。

「高校無償化」制度から除外すべきだ、という意見が出ている朝鮮学校。中井洽・拉致問題担当相が対象から外すよう文部科学省側に要請し、鳩山由紀夫首相も「どんな教育をしているのかみえない」という発言を重ねている。実際はどんな教育が行われているのか。

 7日の韓国聯合ニュースによれば、朝鮮高級学校が、朝鮮戦争を「北侵」と記述するなど北朝鮮歴史観が反映された現代史の教科書を使っていることが7日、市民団体の北韓民主化運動本部から入手した教科書「現代朝鮮歴史」から分かった。
 「現代朝鮮歴史」は高級1~3の3巻からなり、朝鮮高級学校1~3年生が使うという。

 韓国と認識の差が最も大きかったのは高級1巻の1945~1953年に関する記述。朝鮮戦争について「米帝のけしかけにより李承晩(イ・スンマン)は1950年6月23日から38度線共和国(北朝鮮)地域に対する集中的な砲射撃を行い、6月25日には全面戦争に拡大された」とし、韓国が起こした戦争だと主張した。

 高級2巻では、1976年に米軍将校2人が板門店で北朝鮮軍によって殺害された「斧蛮行事件(ポプラ事件)」について、「朝鮮人民軍が管理する木を切ろうとしたことに対し、非法(違法)行為の中止を求めた共和国警備隊員に米軍が凶器を振り回し暴行を加えた事件」と説明するなど、事実をゆがめ、一方的に北朝鮮を正当化している。

 この教科書は一貫して北朝鮮体制の正当性を強調する一方、1990年代中盤以降に相次いで発生した自然災害などにより餓死者が続出した「苦難の行軍」など、北朝鮮が直面した困難は責任を外部に転嫁した。

 韓国についても多くのページを割いている。独裁政権とこれに抵抗する民衆という基本構図の下、歴代政権については批判的に記述し、4・19革命(四月革命)、光州民主化運動、1987年の6月民主抗争など民主化運動を大きく扱っている。

 また、金大中(キム・デジュン)元大統領については「政経癒着と不正腐敗を克服し、参与民主主義の実現に向けた国政改革を掲げた」と説明し、比較的肯定的に評価している。第1回南北首脳会談も別途の章を設け記述した。

 高級3巻では「敬愛なる金日成(キム・イルソン)主席」「敬愛なる金正日(キム・ジョンイル)将軍さま」という文章がそれぞれ67回と86回登場し、偶像化が深刻であることがうかがえる。

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現代朝鮮歴史」高級1巻のうち朝鮮戦争を扱った部分=7日、ソウル(聯合ニュース)



◆ 子
供達を差別することには賛成しないが、「ウリキリ」という言葉で、日本もアメリカも敵だと、わが民族同士で助け合おうと外部勢力排除を韓国人には訴え、お金の事になると自分だけ排除されるのは民俗差別という主張の矛盾が納得できない今この頃の私である。

プライドがあるなら、堂々とそんなはした金は要らないと言えばいい。その分総連系の企業から奨学金を出せば、企業はその分、税金控除出来るのではないかと想像してみる。まぁ、税金のことはあんまりよく分からないけど・・・・(^_^;)



2010/04/09 09:29 2010/04/09 09:29

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雨の月曜日だ。
桜満開の東京は週末から花冷え、曇った空に、日中にも気温が上がらない曇り空の下、まさにその通りの天気。

昨日は日比谷公園に行った。日が差さない曇り空とに花冷えで咲き戸惑う桜の木。四月とも言うのに、冬はまだ春に嫉妬していたようだ。このような春の天候を韓国では꽃샘추위(コッセムtュイ=花に嫉妬する冬将軍の意地悪)と言う。花嫁に嫉妬する姑の気持ちのようでもある、桜の季節の冷たい雨が昨晩から続く月曜日。

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日本全国、西から東へ 南から北へ 桜前線は移動する。花冷えにも負けず、桜はゆっくりと咲いて行く。北へ北へと・・・・
わが祖国の韓国、父の故郷の北の地にも桜は咲くだろうか。

開城・海洲・沙里園・南浦・平城・元山・咸興・新義州・江界・惠山・清津・・・そして白頭山にも・・・・



2010年 第24回集計(4月4日現在版)
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鹿児島・宮崎・大分・熊本・佐賀・福岡・高知・松山・徳島・下関・広島・岡山・松江・鳥取・和歌山・奈良・津・名古屋・岐阜・静岡・長野・甲府・横浜・東京・銚子・熊谷・前橋・宇都宮・水戸・福井・金沢・富山・新潟・山形・秋田・仙台・盛岡・青森・札幌


何年か前の韓国での話だが、昌慶宮の桜の木が全部取り除かれた事がある。

元々朝鮮王朝の別宮で、正宮の景福宮の東にある為、東宮とも呼ばれ、王世子と王正孫の居所であった昌徳宮並び大妃や王后が居た女性の為の昌慶宮、王家の未亡人が樂善齋がある日本にも有名な秘苑などが並ぶなかで昌慶宮で起きたことだ。その理由は桜は日本の象徴だからである。勿論、昌慶宮に桜を植えて、動物園も作って、花やしきのような乗り物の施設も作って、昌慶苑に格下げしてしまった日本の植民地統治に恨みがあるからだ。べつに桜の木に恨みがあったわけではないと思う。

私にとって、その昌慶苑と言う名前の市民公園になった場所には、大好きだった祖母との大事な思い出がいっぱいある。祖母の腕枕で寝ていると夜明けに聞こえる虎の遠吼えが聞こえた。恐がる私に祖母は「あれは昌慶苑の虎だよ。檻の中にいるから怖くないよ」と言った。それに私の出身校の「昌徳女学校」は今は中区正洞にあるが、元々は鐘路区齋洞で、昌徳宮と昌慶宮に近かった。その為、私は桜のある昌慶宮に親しんで過ごした。だから、人は何といっても、今の桜の無い昌慶宮には馴染めないのは仕方ないと思う。 

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朝は有楽町線の永田町駅に降りて、赤坂まで歩いている。
弁慶橋のふもとにも桜が満開だ。 外堀の水面の桜の陰が雨のせいで滲んで見える。
持っていた携帯電話で取った写真だけど、今しか見えない赤プリの前の風景である。

下の写真も同じく、弁慶橋で、首都高速の間から写している。


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雨の雫が冷たく感じる、四月の冷たい雨の朝の風景である。 見えるのはニューオータニーホテルの新館
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2010/04/05 16:02 2010/04/05 16:02



2010年、どうでもいい日のつぶやき


 12月25日に起きたアムステルダム発デトロイト行きのデルタ航空機テロ未遂事件から三日後に、私はアメリカ行きの日航機に身を委ねた。
 渡航前からESTA(電子渡航認証システム)だので、アメリカ旅行も面倒くさくなったなと思っていたところに、国際線よりも厳しい米国内線への搭乗時の保安検査である。「人間とは、己の愚かさで自らを束縛する動物である。」ことを実感させられた。
こんな時期にあえて出掛ける事はないと思われるかも知れないが「90円を割り込んだドル安」という現実に触発させられた、抑えきれない放浪癖の噴出が私をアメリカに向かわせたのである。
 2010年はアメリカで迎えた。米国中部標準時間は、日本とは-14時間の時差があるために、私の2009年は平年より14時間長かったのだ。もちろん、その14時間は2010年からの前借なので、今年はその分短くなるという計算になる。加減すれば結局は同じでも、何もかも期限を極められ、特にせわしない年の瀬の事を思うと、なにもすること無く、ただ時の流れを見つめて送った14時間もの余分な時間は、私にとっては果報な贅沢だった。

 日本に戻ると、打って変わって、様々な社会情勢が慌ただしい。
12日には日航(JAL)が企業再生支援機構に対し正式に支援申込を行い、支援決定を受けるとともに、東京地方裁判所に対して会社更生手続開始の申立てを行い受理された。
イランのアフマディネジャド大統領は24日、来月以降、核燃料となるウランの濃縮率を現在の3・5%から20%まで引き上げる考えを明らかにした。米欧諸国が疑う原爆開発には濃縮率90%以上のウランが必要。イランは平和利用を強調しながら実績の積み上げを狙っているのか?

 北朝鮮の外務省報道官は11日、「朝鮮戦争の休戦協定を平和協定に変えるための協議を始めることを協定当事国に提案する。」との声明を発表したが、核問題はどうするつもりなのか?また、混沌の日常に逆戻りだ。             

                                 <おわり>


2010年1月28日




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●写真はスティーヴン・スピルバーグの映画 「War Of The World」 2005 のポスター 撮影:ヤヌス・カミンスキー  出演:トム・クルーズ、ダコタ・ファニング、ティム・ロビンス、ミランダ・オットー他




2010/03/23 15:22 2010/03/23 15:22


韓国社会の葛藤と言う病
 

葛藤をそそのかす言論のダブル・スタンダード(二重規範)                                  

 

 

社会的葛藤という命題のもと、韓国の言論は自由であるだろうか。 政治家より、むしろ社会的葛藤を煽り立てた責任は言論にあるのではないだろうか。 韓国であろうが日本であろうが、相手によりその態度を変える言論のダブル・スタンダードは何時になったら改められるのか。

 

李明博大統領夫妻が首脳会談の為、インドおよびスイスを訪問した。その際に娘と孫を同行した事で国が騒々しい。民主党はスポークスマンを通じて声明まで発表し、批判の声を荒らげ、娘親子の旅行経費に対する国庫還収を主張している。その 反面、大統領側は諸外国首脳の場合を例にあげながら、外国訪問の際に家族を同行する例はいくらでもあると反論している。 しかも李明博大統領の場合、家族に掛かった経費は国庫からではなく、自費で負担しているのだから何の問題もないと言う。

事実、大統領側の主張は、場合によっては、それを受け止める側の観点から理解できる範囲でもあるが、問題視されても仕方ないとも言える。 今までの韓国の前職大統領の場合、首脳会談の為外国を訪問する際に家族を同行した例がなかっただけに厳しい見方をする人も大勢いるはずだ。 だけど大統領側の主張のように、諸外国を例として比較するならば騒ぐほどの大きな問題ではない。外国の場合、首脳が外遊の際にその家族と同行という例は少なくない。

こういう理由で同じ出来事に対しても、それを眺める視線も基準になる尺度により変わるほかない。 そのためなのか、いわゆる進歩を標榜する野党や言論等々、現政権の反対側にいる人々達は一斉に攻めに転じている。「五月蠅」は初夏に群がるハエのことで、五月ともなると、ハエがブンブンとうるさく飛び回ることから、「五月蠅い」と書いて「うるさい」と読ませるようになったといわれている。「五月蠅のように騒がしい」様子を表す慣用句副詞となったが、まさにその様子。既に故人になった韓国の初代大法院長である金炳魯氏の「公と私」を厳格に区別したエピソードまで引き出して批判の矢を射まくっている。

 

しかし朝鮮・中央・東亜日報等、保守傾向の言論は今回の事に対してだいぶ消極的な姿勢をとっている。 さぞかし、盧武鉉政権の側近だった某氏は、もし今回と同じような事を盧武鉉大統領がしていたらきっと弾劾訴追を主張していただろうと、不満をぶっ放していると言うが、何はともあれ、重要なのは国民の考えであつと思う。ところで過半数を越える国民が大統領側の積極的な解明にもかかわらず、大統領が外遊の際に家族を同行させたことは問題だという認識を持っているのを見れば、韓国政界から出る主張を国民は鵜呑みにはしてないと言うことであろう。しかしながら相手側の主張に対する反対のための反対、またそうでなければ、それまでというような旧態依然とした政治家たち姿勢は、互いのけん制としての役割とは程遠い、ただの日常の普遍的習慣になってしまったのかもしれない。
 
  そちらがそれならば、国民の知る権利を主張してきた、世論を主導する言論機関の姿はどうなのだろうか。 政治家らと別段差がないのと思わざるを得ない。 今日、ハンナラ党の重要党職者会議で、党のスポークスマンに決まった鄭美京議員だが、先日、国際交流財団の経費でヨーロッパを訪問する際に、小学生の息子を同行したことを問題にしたのが東亜日報だった。 議員公式日程に小学生の息子を同行したことは問題という主張だ。 東亜日報が問題を提起すると鄭議員は息子が公式日程に同行したことは事実だが,飛行機料金を自費で負担したという主張だ。 まさに今度の大統領家族同伴外遊の場合と同じような状況で、違いはというと、前者は大統領で、後者は与党の初当選国会議員という事だけである。 ところでこの二つの事件に対する東亜日報の見解は雲泥の差で、チョン議員の行跡を置いては議員らの公式日程のヨーロッパ訪問の道に小学生の息子を同行したので物議を醸し出したと書いている。 反面、李大統領の家族同行問題に置いては論議の対象だと表現しているだけでなく李明博大統領の場合には同行した家族の費用は自己負担で、しかも外国の首脳の場合を例に、何も問題にはならないという大統領府の主張をそのまま書いている。

 

韓国社会の葛藤と言う病(やまい)は直らないのか。 地域、世代、理念は甚だしく、宗教間葛藤まで深刻化されている。 もちろんこのような現象に対する絶対的責任は政治家たちにいる。 地域間葛藤をそそのかし、生産よりは分配を強調し、庶民の感情をそそのかし、葛藤を助長しているのが昨今の韓国政治家の姿ではないかと思う。 こういう理由で言論は政治家を批判する。

それなら、社会的葛藤という命題の下、韓国の言論は自由であるだろうか。 政治家より、むしろ社会的葛藤を引き起こした責任は言論にあるのではないだろうか。 韓国であろうが日本であろうが、相手によりその態度を変える言論のダブル・スタンダードは何時になったら改められるのか。同じ懸案でも大統領がすれば解明記事を載せて、初当選議員がすれば反論に化ける。

 

書く人の考えを現わすコラムや時論または社説もしくは同じくオピニオン性格の文を言っているわけではない。どのような見解で、いかなる論議で、何を基準にその尺度を決めて是非を問うかについては書いた人の勝手で、その文に対する同意可否は、文を読んだ読者が判断する問題であるである。 ところで問題は「ストレート性記事(事件をありのまま使う一般報道記事)」にあると思っている。 ある事実を客観的な見解で報道することが原則ではないだろうか。 だが進歩を標榜する言論は保守に対して常時否定的な見解の記事を書き、保守指向の言論は反対の姿を演出することで社会的葛藤をより一層深化させていると事がとても残念で居た堪れない気持ちである。


 

大統領と同伴でインドを訪問していた夫人「キム・ユンオク(右側二番目)女史」が1月25日午前(現地時間)ニューデリーのサンスクリティ学校を訪問, 長女イ・ジュヨン(一番左側)氏と孫娘(左側二番目)等と学校を視察後,インド学生たちと共に取った記念写真.  ニューデリー/青瓦台カメラマン撮影

 

2010/02/04 10:24 2010/02/04 10:24


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格好いい彼氏を見つけて晴々と結婚した会社の花形女記者のEmiちゃん、惜しまれながら寿退社したのが昨年の5月でした。

Emiちゃんは、一線から退いたとしても、キャリアウーマンはそのキャリアを活かして、統一日報のウェブや翻訳や色々と裏方で頑張ってくれてとても助かってます。

年明けから色々と波乱に見舞われた2009年でしたが・・・個人的にも、会社も、韓国も、日本も・・・

Emiちに赤ちゃんが生まれました。
その名も「Emi Jr.」
私が勝手につけて勝手に呼んでます。

嫌なことばかりで低調気味の私たちに光が差したような喜びをくれました。

すくすく成長してください。

たくましい男になってパパを超えてくださいませ。

Emi Jr. 万歳!!\(^o^)/










キューピちゃんそっくりの「Emi Jr.」
通販で見つけました着せ替えキューピ今日届きましたので贈ります。 

明日は晴れたらいいね♪








2009/09/03 16:28 2009/09/03 16:28

人生無常

ひとり言 2009/01/30 15:13
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 呉さんが亡くなったと聞いてしばらく耳を疑った。
28日の水曜日の朝、寝耳の水ともいえるような悪いお知らせが届く。
わずか三日前、彼は電話で営業資料を準備してもらいたいと言った。

 人生の先輩であり、仕事の先輩でもある呉さんだけど、まるでバファローのように前を向いて突進する彼とは声を荒げて口論もした。韓国語で「미운정고운정(ミウンジョンコウンジョン)」と言う言葉がある。私に日本語に訳しろと言うなら「憎まれ仲、愛しい仲」かもしれない。情にも色々あり、口喧嘩も年を重ねると相手の立場が理解できるようになるのが不思議。

 あんな純粋な中年男もそうは多くないと思うようになったのに、彼の死はあんまりにも突然で、唖然とした。


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 年末に済州道から担いできたと言いながら2キロはある本当に美味し済州道のキムチを手渡された時、「美味しキムチが食べたい」と言った軽い一言に重い(物理的の意味の重さ)思いをさせてしまって申し訳ないとおもった。

 呉さん、あなたは本当に馬鹿だよね。人生の舞台の下り際、読み間違ってるよ。ここで下りるんじゃないてば・・・ (/_;)

だけど、もう会えないよね。 
いつも行って来ますと言い残して出て行ったのに。




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■故人のご冥福を心からお祈り申し上げます。


2009/01/30 15:13 2009/01/30 15:13