
今日は雨、やや寒いけど、桜のつぼみが日に日に膨らんでいる様子で
今年の冬はこれで終わりですね。
プレミアム画像! 冬越の「面白い雪だるま」です。(^_^)/







最近、日韓両国の新聞やテレビはインターネットを騒がす様々な権力周囲のお偉いさんの言動に腹を立てている自分に疲れてしまう。
大人げないという言葉がある、幼稚な行動または言動をみて人はこう言うが、それだけで片付けられない大人げない大人が多すぎる。
≪老子の名言≫
河や海が数知れぬ渓流の
そそぐところとなるのは、
身を低きに置くからである。
同様に賢者は、人の上に立たんと欲すれば、
人の下に身を置き、
人の前に立たんと欲すれば、
人の後ろに身を置く。
かくして、賢者は人の上に立てども、
人はその重みを感じることなく、
人の前に立てども、
人の心は傷つくことがない。
サムスンのカメラは認知度で日本のニコンやキャノンに比べ評価されないけど、サムスンギャラクシーの内装カメラの性能は素晴らしい~
感度もよければスピード感もOK!
最近、寄り道して道端の花を撮るのが楽しいのもサムスンギャラクシーのおかげかも・・・(^^)v
安哲秀氏 文在寅候補への支援は表明せず(11月29日)
夕映えはあんず色 帰り道一人口笛を吹いて
名前さえ呼べなくて とらわれた心見つめていたよ
風に舞った花びらが 水面を乱すように
愛という字を書いてみては ふるえていたあの頃
新木場は始発駅なのでほとんどの場合、席に座って居眠りをする。
今朝も同じく、新木場から有楽町線のいつもの車両に乗り、空いた席に座って居眠りをしていた。たまに目を開けて停車駅の確認をする。
永田町で降りなければならないが、何回か麹町駅まで行ってしまい戻るのに苦労をした経験がある。麹町えきのホームは上下線が同じホームを利用する永田町駅と違って、乗り換えるためには階段を上り、改札口を一回出なければならないので面倒である。
いつものとおり、停車駅を確認するため目を開けると、背広の左胸ポケットに赤系統のシルクハンカチを刺した老紳士が前に立っていた。朝の通勤電車ではあんまり見かけない姿だったので、つい観察してしまう。背が高くないせいか、珍しく靴底が厚い、だけどしゃれている紳士靴を入っている。見ているうちに目が合ってしまい、困った私はまた目をつぶって眠ったふりをする間に本当に寝てしまった。
目が覚めたのは、座っている私に人が打つかってきたからであった。びっくりして目を開けると、先まで前に立っていた老紳士が中心をなくしてふら付いている。直感的に事態が普通ではないと感じる。瞬間、私は立ち上がり、「どうぞ、お座りください。大丈夫ですか?」と声をかけた。よく見ると彼は顔色が良くなく、冷汗をかいているよう見える。「駅員を呼びましょうか?」と聞いたが、次の駅で降りるので大丈夫と言う。並んで座っている人々はただ見ていた。明日はわが身かも知れないその状況、もし私に同じく急に具合が悪くなっていたら、そして満員電車で座ることも、駅員を呼ぶことも出来ない状況になってしまったら、誰かが声をかけてくれて、駅員を呼んでくれるのだろうかと思いながら、永田町で降りて、坂を下って会社に向かって歩く。
9月30日、今日で今月も終わりかと思ったら、今年も残りあと3ヵ月・・・9月の天候は波乱万丈だった。気温の変化も激しく急上昇と急降下を繰り返しながら秋に向かっているようだ。
出来る事ならば、父を引き取りたい。
今のようなマンション暮らしではなく、陽がよく当たる山のふもとに平屋を立て、庭に花とトマトとキュウリとトウモロコシとサツマイモを植えて、犬と猫と鶏を放し飼いにしたい。父は土いじりと動物が大好きだからきっと毎日ベッドから降りてて庭に出て来てくれると思う。
平屋の離れに大きくて気持ち良いお風呂を造って、汗を流した父が毎日入れるようにしてあげたい。
自分の生活を守るために、それが出来ない私が、今、父の面倒を見ている弟夫婦に何もいえる資格はない。
遠藤さんがメールマガで韓国人にとって「恨(ハン)」について書いている。
私にとって父の「恨(ハン)」はブルースのようなものである。
父を思うと青の時代のピカソと老いたるギター弾き(The Old Guitarist)の絵が重なる。
経済産業省原子力安全・保安院の西山英彦審議官は「上昇は健康に影響はないが、早く原因を突き止め、これ以上高くなることを食い止めることが重要」と述べた。
赤坂、風が強い。
事務所の窓ガラス向こうで激しく揺れる
木の枝、木の葉っぱ
ねぇ、私は風が嫌いです。
だから、私は風が嫌いです。
だけど、風は止まらない。
まぁ、絶えるしかない。(T_T)
雨ニモマケズ 風ニモマケズ
「雨ニモマケズ」雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ 夏ノ暑サニモマケヌ 慾ハナク 決シテ瞋(イカ)ラズ 一日ニ玄米四合ト 味噌ト アラユルコトヲ ヨク ミキキシ ワカリ 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 東ニ病気ノコドモ アレバ 西ニツカレタ母アレバ 南ニ 死ニソウナヒトアレバ 北ニ ケンクヮヤ ソショウガアレバ ヒドリノトキハ ナミダヲナガシ |
「雨にも負けず」雨にも負けず、風にも負けず 雪にも、夏の暑さにも負けぬ、 慾はなく、決して怒らず、 一日に玄米四合と、味噌と、 あらゆることを、 よく見聞きし、分かり、 野原の、松の林の陰の、 東に病気の子供あれば、 西に疲れた母あれば、 南に死にそうな人あれば、 北に喧嘩や訴訟があれば、 日照りの時は涙を流し、 |
毎晩入り浸っていたこのCBシミュレーターには、Band AとBand B(後にBand Cが追加)があり、一つのバンドに1~30チャンネルまでが設けられ、同じチャンネルに接続した者同士でリアルタイムに会話が出来た。当時私は18チャンネルをホームベースとしていた。
そのうち、2チャンネルは初心者用チャンネルとされていたが、やがて国内最大コミュニティと言われる「2チャン」へと変貌する。
ネットで "北村よしみ"を検索すてみる。
かつて、彼が運営していたサイト「よιみの好きな本」はもうネット上に存在しない。Niftyの「人生後半戦フォーラム」で活躍していた痕跡も消えている。メールマガジン「よιみのオモチャ箱」も、もうない。
彼に出会った当時、私は未だマックを使っていた頃だ。当時、通の中で話題のコミュニティーニフティサーブのCBに屯っていたパソコン仲間だったのである。その思い出のニフティサーブのCBシミュレータも、惜しまれながら2001年9月いっぱいでサービス終了となった。
そのときの仲間はそれから10年の年月を得て今も何人かとは連絡を取っている。1986年創設され、16年間お世話になったCBer達にとって、ニフのCBは、これからのネット全盛時代の登竜門だったとも言えよう。今も多くの仲間がSE(システムエンジニアー)やプログラマーとして一線で活躍しているからだ。
「北村よιみ」もその一人、CBで出会い、何回もオフ仲間と旅行もした。そのうち自宅に招かれ両親に挨拶までさせられ、びっくりして、それから個人対個人付き合いは控えていた。
ある日の事、彼の書いた本「SEがゆく」の出版の前に、本の内容の中で私が登場する事を御本人から知らされ、了承してほしいと言われた。抗議をしてその部分を削除したら本の内容がおかしくなるため、ハンドルネームで使っていた私のニックネームだけ変えてもらう事にした。だから彼の本は出版前に読んだ事になる。出来た本はサイン入りで送ってくれて、それから『日系ビジネス』や『週刊金曜日』に紹介されるたびに雑誌を送ってきた。
昨年の暮れ、思いよらぬ葉書が届くまで、私はまだ彼が次の本を書いていると思っていた。その前の年、バイクに夢中だと書いた彼からの年賀状をもらったのに・・・・
結局、この喪中葉書によると、私が彼からもらった年賀状を目にしていた昨年の元旦、その頃彼は既に亡くなっていた事になる。
彼が残した二冊の本はいままだAmazonで売れていた。
パソコンが壊れた。
自宅で使っていたパソコンが壊れた。二週間前の話である。人間に例えば脳に当たるハードディスクが壊れてしまった。それは中に入っている全てを失うという意味でもある。幸いに、三年前まではバックアップを取っていたので、失ったのはこの三年間の思い出の写真と副業で営んでいる飲食店の元帳である。
専門のところに持ち込んだら、ハードディスクの物理的障害で、データーを読み込むヘッドが磨り減ったという。データーの復帰を試みたが失敗した。おかげで云十万円という費用は使わずに済んだけど・・・・ (-_-;)
店の帳面付けは週末にまとめてやっている。普段は会社が終ったら店に直行し、店の閉店時間の12時まで働き、それから片付けが終って帰宅するとだいたい夜中の2時頃になるため、毎日出来ないからである。
その日もそうだ。パソコンが立ち上がらない。
何度も再起動を繰り返してみたが、カタカタと音がするだけで、初期画面からWindowsに切り替わらない。前日の夜中のメール確認の為立ち上げた時も、何の前触れも無くごく普通に動いてくれたのに。(ーー;)
ただ気になっているのは、五年間使っている日立製のこのパソコンは当初から熱が溜まりやすい構造のような気がしていた。ハードを動かすたびにモータの加速するような音を立てていた。
使っていた OS【Operating System】(オペレーティングシステム)は「Windows XP」だが、この「XP」は今まで私が使ってみたOSの中で最も使い心地が一番よかったので、そろそろ「Windows 7」を乗せた新しいパソコンを買うべきかと、OSのバージョンアップを目前に迷いの気持ちがある今この頃であった事も確かだ。「Microsoft社」は近年「Windows Vista」から「Windows 7」へと新しい感覚のOSを世に出しているが、使い心地はいまいちという評判だ。
私もまだ慣れてないせいだと思うけど、やっぱりXPが楽である。
当時のMacintoshのOSは漢字Talk7.5.5と言うものだった。それからMac OS 7.6 (この年OS名が「Mac OS」へ名称が世界統一される)になり、Mac OS 8.0 (6年ぶりのメジャーアップデート[日本では約5年ぶり])へと変更していたが、仕事上Windowsを使わざるを得なくなったのでMacを諦めてWinに乗り換えた。
1990年の前半、会社で使うコンピューターは今みたいに個人に与えてもらえるものではなくて、コンピューター室が別にあり、会社で共同に使い、毎日、昼食の時間にカセットジャックにバックアップを取った。未だパソコンの時代に突入する前の話だ。
Windowsを始めた頃、データーベースを呼び出して書き込むためにだけのOSで、せいぜい、「スペースインベーダー」のようなゲームを楽しむ程度で、今のようなインターネットの概念はなかった。
MS-PC DOS J7.0/V (DOS/V)を使った。それからWindows95が登場、それからWindows98に変わり時と共にWindows Me ・・・XPになって今までの言語障害から開放された。とても使いやすかったのでそのままで良いと思うくらいだった。
結局、新しいパソコンを買わずに、治して使うことにした。既に世の中から姿を消した古い方のハードディスクは新しいものを手に入れる事は出来ず(下の写真のもの)、会社の金君と相談して同じメーカーの同一スペックのものを選んでネットショップで購入した。後はパソコンをばらして自分でハードディスクの交換と再インストール・・・ 結構な時間をかけた結果、パソコンの再生には成功した。まぁ、うまく行ったと言ったほうが気持ちの正しい表現になるかもしれない。(^_^;)
パソコンと格闘するこの二週間、デジタルという実体のないものの儚さを実感した。ホームページもネットも良いが、やっぱりアナログかな・・・ 紙媒体はやっぱり大事だわ。
壊れてしまったハードディスク。 中のデーターは取り出せないまま・・・・ (-_-;)
W杯南ア大会でドイツの試合結果をすべて的中させている独西部オーバーハウゼン水族館のタコ「パウル君」の予言が、また当たった。
2年前の欧州選手権は、スペイン戦の予言を外した前例があっただけに、ドイツ国民はその再現に望みをかけていたが、パウル君の6連勝に終わった。
AFP通信によると、地元報道などではスペイン勝利のお告げに対しては反発も多く、「パウルをシーフードサラダかパエリアにしろ」「サメが入った水槽に送れ」などのコメントがネットなどに現れ、ベルリンではタコに反対する歌も歌われたという。
それに対してスペイン政府の閣僚らは8日、ドイツ人の反感を買い、食べられてしまうのではないかとの懸念を相次ぎ表明した。
サパテロ首相は、ラジオ局の取材に「タコの安否が心配だ。(スペインから)保護チームを派遣しようかと考えているところだ」と表明。エスピノサ海洋相は「12日に欧州連合(EU)の漁業関係相理事会があるので、ドイツに対しパウル君を食べないよう頼むつもりだ」と述べた。
パウル君については、「神託」が下った直後から「スペインが勝ったら、タコを速やかにスペインへ移送し保護すべきだ」(セバスティアン工業相)などとする声が上がっていた。
水族館は、9日にドイツ-ウルグアイの3位決定戦と、オランダ-スペインの決勝の予言をする計画だという。今回も当てたら初めてタコパウルの名をサッカーW杯歴史外典に名を刻むかもしれない。
先日、韓国試合の日、職安通りを通ったら、赤いヘル軍団の応援が凄かった。その二日後、渋谷の109の前はサムライブルーの熱気で凄かった。
韓国と日本は8強の壁を前にして惜しくも敗れてしまったが、思う存分サッカーを楽しんだ。もう少し頑張って欲しいと願ったけど、まぁ、歴史は一日に成らずで、少しずつ頂点に向かって行けば何時かは到達するのと希望が持てるだけの成果はあったと思う。アジアを背負って頑張っちゃ両国の選手に拍手を送る。
「神託」は今回もドイツ西部オーバーハウゼン(Oberhausen)の水族館「シーライフ(Sea Life)」からテレビで生中継されたようだ。いつもどおり対戦国同士の国旗を張りつけたごちそう入りのプラスチック・ケースをパウルの前に下ろし、パウルが先に開けたほうが「勝者」になると言うことだ。
まずパウルは10日の3位決定戦を占い、自分の居住国であるドイツが、ウルグアイを下すと予言し、それから11日に行われる決勝戦の占いでは、パウルは即座に決断し、まっすぐスペインの箱に向かったかと思うとふたをこじ開け、ごちそうを飲み込んだとか・・・
ちなみにパウルの生まれはイングランドだという。
イングランド代表FWウェイン・ルーニーと比較される、日本生まれのストライカーを引き連れて、ミステリアスな国、北朝鮮が、44年ぶりにW杯に戻ってきた。
非凡な物語を宿命づけらているかのような名の持ち主だ。名前は「大いなる世界」を意味するが、鄭大世(チョンテセ)が“チョルリマ”(北朝鮮代表の愛称。翼を持った馬)のユニホームを身にまとい、踏み込もうとしているのは、サッカーの世界なのだ。複雑な過去を後方にとどめながら、欧州でのキャリアという未来を見据えている。
というのも鄭大世は、ほかの2国の代表として南アフリカに来る可能性もあった。北朝鮮出身の母親に対し、父親の出身国の韓国。そして、1984年に名古屋で生まれた鄭大世の出生国である日本。
朝鮮大学校で共産主義文化にどっぷりと漬かった鄭大世だが、日本のサッカークラブ、川崎フロンターレに入団し、「人民のルーニー」と呼ばれるようになった。「とても光栄に思うが、僕のモデルはむしろディディエ・ドログバ(コートジボワールFW)」と言い切る。
韓国代表と日本代表から打診を受けたこのパワフルなストライカー(身長1メートル80、体重80キロ)は、“チョルリマ”からの招集を受け入れ、2007年に北朝鮮のパスポートを入手した。
当時、鄭大世は「心の中では、僕は常に北朝鮮人だ」と公言していた。「だから、祖国の代表になるのはとても光栄。北朝鮮に大きな問題があることは知っているが、国民はみな素晴らしく、その上サッカーに夢中だ」
鄭大世は、過去3年に22回の代表招集を受け、15得点を記録している。北朝鮮チームが南アフリカに到着してから、彼は発言権を与えられている数人の選手の中の一人だが、それも数分のみ。
最初のインタビューでは開口一番、1948年に金日成によって建国されてから、息子金正日(総書記)に引き継がれ今に至るまで、スターリン体制の支配下に置かれたままの、この地球上で最も閉鎖的な国家のひとつである北朝鮮の称賛に努めた。
「あなた方は北朝鮮についてよく知らないようだが、W杯はあなた方の持っているわが国のイメージを変えるいいチャンスだ」と、鄭大世は初歩的な英語で話したが、彼は英語をあやつることのできる代表メンバーのうちの一人だ。
キム・ジョンフン監督の采配(さいはい)によるコンパクトな布陣のワントップである鄭大世は、W杯に楽観的だ。「僕たちのチーム精神は世界一。僕たちはドイツ人と一緒で、同じメンタルを持ち、強力なチームとして結束している。僕は66年の(W杯イングランド大会で北朝鮮が8強に入った)映像とともに育った。そしてこの年と同じように、僕たちは観客をびっくりさせ、もうひとつのサプライズをつくる」
唯一の決勝トーナメント進出となった44年前、準々決勝に進出した“チョルリマ”は、ポルトガルのFWエウゼビオの4ゴールにより敗退。あれから世界は姿を変えた。しかし、北朝鮮は……。
(2010年6月18日15時54分 読売新聞)
もう一人の在日出身「安英学」選手。私は黙々と頑張る安選手が大好き。
安 英学(アン・ヨンハ、안영학、1978年10月25日 - )は、岡山県倉敷市出身の朝鮮籍プロサッカー選手。現在Jリーグ ディビジョン1 (J1)・大宮アルディージャ所属。東京朝鮮中高級学校 高級部から立正大学へ進学。在学中の2002年、アルビレックス新潟へ加入し、ミッドフィルダーとして活躍。2003年のJ2優勝・J1昇格に貢献。昇格後の2004年もチームの主力選手としてプレーした。2005年から名古屋グランパスエイトへ移籍。
2006年、韓国・Kリーグの釜山アイパークへ完全移籍。朝鮮籍のままで選手としてKリーグでプレーをするのは異例のことであった。2010年シーズン、W杯南アフリカ大会を6月に控え、試合に出られる環境に身を置くため、大宮アルディージャに移籍し、5年ぶりにKリーグからJリーグに復帰。
北朝鮮代表としては2002年の対韓国戦でデビュー。2006年W杯ドイツ大会・アジア地区最終予選では、各種メディアによる北朝鮮代表チームに対する取材が増える中、注目を集めた。その後も代表に選出され続けており、W杯南アフリカ大会・アジア地区予選では再び、北朝鮮代表の中心選手の一人として海外遠征に招集された。北朝鮮代表として3バックの前のアンカー(守備的ミッドフィルダー)としてプレーする事が多い。「安英学」は今大会の対ブラジル戦で「鄭大世」ほど目立ってはいなかったけど、地道に頑張る姿に感動した。
北朝鮮の安英学は中盤の底の位置でブラジルの攻撃の柱、カカと対峙(たいじ)。「後半はすごくスピードを上げてきた。スイッチが入ったときの勢いはすごかった」と、相手の地力の高さを痛感した。
大半の時間を守りに奔走しながら、前半26分にはボールを奪って素早くつなぎ、カウンターの起点に。初めて北朝鮮代表に選ばれてから8年。チームで認められるため、意識していた攻撃の姿勢を初のW杯で見せた。(ヨハネスブルク時事)
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朝鮮高級学校の現代史教科書、北朝鮮史観を反映
東京都北区にある、東京朝鮮中高級学校。1946年創立の同校の生徒数は、高級部(高校)が563人、中級部(中学)が164人。朝鮮籍の生徒が若干多いものの、韓国籍の生徒もほぼ同数いるという。だが、韓国籍を持っていると言っても、韓国に帰属感を持っているとは思えない。何故ならそのほとんどの場合が元々韓国籍を持っていた韓国人ではなく、在日社会の中で朝鮮籍を持っていた人が朝鮮籍のままでは社会活動に支障が生じるとの事で韓国籍に切替えたと見た方が正しい思う。
言葉、文化といった民族教育を重視して韓国籍でも子どもを通わせる保護者も少なくないというが、それは言い訳だと思う。何故なら、地方ならともかく、東京と大阪には韓国学校がちゃんと存在しているのにも関わらず、わざわざ朝鮮学校に通わせる人は韓国人にはいない。彼らは心境的には北朝鮮を慕いていて、便宜上の事情で韓国のパスポートがほしかっただけの話だと私は思う。
在外同胞の選挙権を認めると決めた韓国。 今後韓国の大統領選挙にあたり、彼らは親北人物の登場を強く願うはず。そして「ウリキリ」(自分達だけで、内々での意味、他人排除)助け合おうという美名の下、北に対する物資の援助を求めながら、政治の主導権はあくまでも北に置くべきだとおもうだろう。 そうでなければあえて朝鮮学校を選んで通う理由がないのではないかと思われても仕方がない。
「高校無償化」制度から除外すべきだ、という意見が出ている朝鮮学校。中井洽・拉致問題担当相が対象から外すよう文部科学省側に要請し、鳩山由紀夫首相も「どんな教育をしているのかみえない」という発言を重ねている。実際はどんな教育が行われているのか。
7日の韓国聯合ニュースによれば、朝鮮高級学校が、朝鮮戦争を「北侵」と記述するなど北朝鮮歴史観が反映された現代史の教科書を使っていることが7日、市民団体の北韓民主化運動本部から入手した教科書「現代朝鮮歴史」から分かった。
「現代朝鮮歴史」は高級1~3の3巻からなり、朝鮮高級学校1~3年生が使うという。
韓国と認識の差が最も大きかったのは高級1巻の1945~1953年に関する記述。朝鮮戦争について「米帝のけしかけにより李承晩(イ・スンマン)は1950年6月23日から38度線共和国(北朝鮮)地域に対する集中的な砲射撃を行い、6月25日には全面戦争に拡大された」とし、韓国が起こした戦争だと主張した。
高級2巻では、1976年に米軍将校2人が板門店で北朝鮮軍によって殺害された「斧蛮行事件(ポプラ事件)」について、「朝鮮人民軍が管理する木を切ろうとしたことに対し、非法(違法)行為の中止を求めた共和国警備隊員に米軍が凶器を振り回し暴行を加えた事件」と説明するなど、事実をゆがめ、一方的に北朝鮮を正当化している。
この教科書は一貫して北朝鮮体制の正当性を強調する一方、1990年代中盤以降に相次いで発生した自然災害などにより餓死者が続出した「苦難の行軍」など、北朝鮮が直面した困難は責任を外部に転嫁した。
韓国についても多くのページを割いている。独裁政権とこれに抵抗する民衆という基本構図の下、歴代政権については批判的に記述し、4・19革命(四月革命)、光州民主化運動、1987年の6月民主抗争など民主化運動を大きく扱っている。
また、金大中(キム・デジュン)元大統領については「政経癒着と不正腐敗を克服し、参与民主主義の実現に向けた国政改革を掲げた」と説明し、比較的肯定的に評価している。第1回南北首脳会談も別途の章を設け記述した。
高級3巻では「敬愛なる金日成(キム・イルソン)主席」「敬愛なる金正日(キム・ジョンイル)将軍さま」という文章がそれぞれ67回と86回登場し、偶像化が深刻であることがうかがえる。
2010年、どうでもいい日のつぶやき
12月25日に起きたアムステルダム発デトロイト行きのデルタ航空機テロ未遂事件から三日後に、私はアメリカ行きの日航機に身を委ねた。
渡航前からESTA(電子渡航認証システム)だので、アメリカ旅行も面倒くさくなったなと思っていたところに、国際線よりも厳しい米国内線への搭乗時の保安検査である。「人間とは、己の愚かさで自らを束縛する動物である。」ことを実感させられた。
こんな時期にあえて出掛ける事はないと思われるかも知れないが「90円を割り込んだドル安」という現実に触発させられた、抑えきれない放浪癖の噴出が私をアメリカに向かわせたのである。
2010年はアメリカで迎えた。米国中部標準時間は、日本とは-14時間の時差があるために、私の2009年は平年より14時間長かったのだ。もちろん、その14時間は2010年からの前借なので、今年はその分短くなるという計算になる。加減すれば結局は同じでも、何もかも期限を極められ、特にせわしない年の瀬の事を思うと、なにもすること無く、ただ時の流れを見つめて送った14時間もの余分な時間は、私にとっては果報な贅沢だった。
日本に戻ると、打って変わって、様々な社会情勢が慌ただしい。
12日には日航(JAL)が企業再生支援機構に対し正式に支援申込を行い、支援決定を受けるとともに、東京地方裁判所に対して会社更生手続開始の申立てを行い受理された。
イランのアフマディネジャド大統領は24日、来月以降、核燃料となるウランの濃縮率を現在の3・5%から20%まで引き上げる考えを明らかにした。米欧諸国が疑う原爆開発には濃縮率90%以上のウランが必要。イランは平和利用を強調しながら実績の積み上げを狙っているのか?
北朝鮮の外務省報道官は11日、「朝鮮戦争の休戦協定を平和協定に変えるための協議を始めることを協定当事国に提案する。」との声明を発表したが、核問題はどうするつもりなのか?また、混沌の日常に逆戻りだ。
<おわり>
2010年1月28日
韓国社会の葛藤と言う病
葛藤をそそのかす言論のダブル・スタンダード(二重規範)
社会的葛藤という命題のもと、韓国の言論は自由であるだろうか。 政治家より、むしろ社会的葛藤を煽り立てた責任は言論にあるのではないだろうか。 韓国であろうが日本であろうが、相手によりその態度を変える言論のダブル・スタンダードは何時になったら改められるのか。
李明博大統領夫妻が首脳会談の為、インドおよびスイスを訪問した。その際に娘と孫を同行した事で国が騒々しい。民主党はスポークスマンを通じて声明まで発表し、批判の声を荒らげ、娘親子の旅行経費に対する国庫還収を主張している。その 反面、大統領側は諸外国首脳の場合を例にあげながら、外国訪問の際に家族を同行する例はいくらでもあると反論している。 しかも李明博大統領の場合、家族に掛かった経費は国庫からではなく、自費で負担しているのだから何の問題もないと言う。
事実、大統領側の主張は、場合によっては、それを受け止める側の観点から理解できる範囲でもあるが、問題視されても仕方ないとも言える。 今までの韓国の前職大統領の場合、首脳会談の為外国を訪問する際に家族を同行した例がなかっただけに厳しい見方をする人も大勢いるはずだ。 だけど大統領側の主張のように、諸外国を例として比較するならば騒ぐほどの大きな問題ではない。外国の場合、首脳が外遊の際にその家族と同行という例は少なくない。
こういう理由で同じ出来事に対しても、それを眺める視線も基準になる尺度により変わるほかない。 そのためなのか、いわゆる進歩を標榜する野党や言論等々、現政権の反対側にいる人々達は一斉に攻めに転じている。「五月蠅」は初夏に群がるハエのことで、五月ともなると、ハエがブンブンとうるさく飛び回ることから、「五月蠅い」と書いて「うるさい」と読ませるようになったといわれている。「五月蠅のように騒がしい」様子を表す慣用句副詞となったが、まさにその様子。既に故人になった韓国の初代大法院長である金炳魯氏の「公と私」を厳格に区別したエピソードまで引き出して批判の矢を射まくっている。
しかし朝鮮・中央・東亜日報等、保守傾向の言論は今回の事に対してだいぶ消極的な姿勢をとっている。 さぞかし、盧武鉉政権の側近だった某氏は、もし今回と同じような事を盧武鉉大統領がしていたらきっと弾劾訴追を主張していただろうと、不満をぶっ放していると言うが、何はともあれ、重要なのは国民の考えであつと思う。ところで過半数を越える国民が大統領側の積極的な解明にもかかわらず、大統領が外遊の際に家族を同行させたことは問題だという認識を持っているのを見れば、韓国政界から出る主張を国民は鵜呑みにはしてないと言うことであろう。しかしながら相手側の主張に対する反対のための反対、またそうでなければ、それまでというような旧態依然とした政治家たち姿勢は、互いのけん制としての役割とは程遠い、ただの日常の普遍的習慣になってしまったのかもしれない。
そちらがそれならば、国民の知る権利を主張してきた、世論を主導する言論機関の姿はどうなのだろうか。 政治家らと別段差がないのと思わざるを得ない。 今日、ハンナラ党の重要党職者会議で、党のスポークスマンに決まった鄭美京議員だが、先日、国際交流財団の経費でヨーロッパを訪問する際に、小学生の息子を同行したことを問題にしたのが東亜日報だった。 議員公式日程に小学生の息子を同行したことは問題という主張だ。 東亜日報が問題を提起すると鄭議員は息子が公式日程に同行したことは事実だが,飛行機料金を自費で負担したという主張だ。 まさに今度の大統領家族同伴外遊の場合と同じような状況で、違いはというと、前者は大統領で、後者は与党の初当選国会議員という事だけである。 ところでこの二つの事件に対する東亜日報の見解は雲泥の差で、チョン議員の行跡を置いては議員らの公式日程のヨーロッパ訪問の道に小学生の息子を同行したので物議を醸し出したと書いている。 反面、李大統領の家族同行問題に置いては論議の対象だと表現しているだけでなく李明博大統領の場合には同行した家族の費用は自己負担で、しかも外国の首脳の場合を例に、何も問題にはならないという大統領府の主張をそのまま書いている。
韓国社会の葛藤と言う病(やまい)は直らないのか。 地域、世代、理念は甚だしく、宗教間葛藤まで深刻化されている。 もちろんこのような現象に対する絶対的責任は政治家たちにいる。 地域間葛藤をそそのかし、生産よりは分配を強調し、庶民の感情をそそのかし、葛藤を助長しているのが昨今の韓国政治家の姿ではないかと思う。 こういう理由で言論は政治家を批判する。
それなら、社会的葛藤という命題の下、韓国の言論は自由であるだろうか。 政治家より、むしろ社会的葛藤を引き起こした責任は言論にあるのではないだろうか。 韓国であろうが日本であろうが、相手によりその態度を変える言論のダブル・スタンダードは何時になったら改められるのか。同じ懸案でも大統領がすれば解明記事を載せて、初当選議員がすれば反論に化ける。
書く人の考えを現わすコラムや時論または社説もしくは同じくオピニオン性格の文を言っているわけではない。どのような見解で、いかなる論議で、何を基準にその尺度を決めて是非を問うかについては書いた人の勝手で、その文に対する同意可否は、文を読んだ読者が判断する問題であるである。 ところで問題は「ストレート性記事(事件をありのまま使う一般報道記事)」にあると思っている。 ある事実を客観的な見解で報道することが原則ではないだろうか。 だが進歩を標榜する言論は保守に対して常時否定的な見解の記事を書き、保守指向の言論は反対の姿を演出することで社会的葛藤をより一層深化させていると事がとても残念で居た堪れない気持ちである。
大統領と同伴でインドを訪問していた夫人「キム・ユンオク(右側二番目)女史」が1月25日午前(現地時間)ニューデリーのサンスクリティ学校を訪問, 長女イ・ジュヨン(一番左側)氏と孫娘(左側二番目)等と学校を視察後,インド学生たちと共に取った記念写真. ニューデリー/青瓦台カメラマン撮影
格好いい彼氏を見つけて晴々と結婚した会社の花形女記者のEmiちゃん、惜しまれながら寿退社したのが昨年の5月でした。
Emiちゃんは、一線から退いたとしても、キャリアウーマンはそのキャリアを活かして、統一日報のウェブや翻訳や色々と裏方で頑張ってくれてとても助かってます。
年明けから色々と波乱に見舞われた2009年でしたが・・・個人的にも、会社も、韓国も、日本も・・・
Emiちに赤ちゃんが生まれました。
その名も「Emi Jr.」
私が勝手につけて勝手に呼んでます。
嫌なことばかりで低調気味の私たちに光が差したような喜びをくれました。
すくすく成長してください。
たくましい男になってパパを超えてくださいませ。
Emi Jr. 万歳!!\(^o^)/
キューピちゃんそっくりの「Emi Jr.」
通販で見つけました着せ替えキューピ今日届きましたので贈ります。
明日は晴れたらいいね♪