'創作の部屋/随筆'に該当される記事3件

  1. 2011/08/29 あなたの初恋さがします。
  2. 2009/11/07 思い出したくない 記憶
  3. 2009/02/20 おくりびと、おくられびと


あなたの初恋探します。

 

 森下愛理沙

 

 先月18日に韓国映画「あなたの初恋探します」の試写会がありました。日本でもドラマ「コーヒープリンス1号店」で多くの女子を魅了した韓国の注目俳優コン・ユと、ドラマ「ごめん、愛してる」で一躍脚光を浴びた実力派女優イム・スジョンが主演するロマンティック・ラブストーリーというか、言わばコメディ映画です。どちらかといえば正統派コメディ映画とも言えるでしょう。監督は原作のミュージカルを手掛け、自らメガホンを取った新人女性監督チャン・ユジョン。


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その内容はさておき、私自身の「初恋」を懐かしく思い出すきっかけになりました。

「他の人たちはどうなのだろう?」

店に来るお客さんに聞いてみると、その誰もが初恋を大事な思い出として胸にしまっていました。だけど、初恋で必ずしもその心を相手が解かってくれるとは限らないわけで、恥ずかしくて気持ちを伝えることが出来なかったひと、告白したけどふられてしまった人、心と裏腹に気のない振りをしている間に他の人に取られてしまった人などさまざまでした。その相手は憧れの女優であったり、アイドルスターだったり、100人に聞けば100人の恋物語があったことでしょう。

 

さんは中学生のときに出会った初恋の方と結婚され、喜寿に至る今まで、その方と一緒に人生を歩んで来られました。いつも「うちのお千代」と奥さんのことを話すときは目じりが下がるMさん、この私にも時々赤いバラを持ってきてくれるロマンチストです。

同じく喜寿になるSさんは、初恋の人の親御さんから婿入りの申し出が在ったといいます。本人はその気になって、婿入りをすると親に言ったところ、翌日お母様が相手方の御両親に会って、「婿入りの話は絶対に認めない。」と断ってきてしまったそうです。結局、Sさんはお母さんが見つけてくれた奥さんとお見合い結婚をなさったそうですが、いまだに初恋の人を思っていて、好きな人と一緒になれなかった事についてお母様のことを恨んでいるとか・・・

それにしても立派な家族と可愛いお孫さんに恵まれ、充実した人生を歩んでこられたSさんは穏やかなお顔で、とても幸せそうに見えるのはなぜなのでしょうか・・・

 

ふと思いついて、インターネットで調べてみると、初恋の人に会いたい人の掲示板があって、これだけの書込みがありました。あんまりにも沢山の人が書き込んでいるので、その中の90人のものだけをピックアップしました。男女の比は2:1で男性の書込みが多かったです。

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1. 順子ォォォォォ~ 懐かしいなぁ・・・

1. カトウトモさん。あなたはいまどこでなにをしているのでしょう?

2.  ゆみこ・・・ もう一度だけ会いたい・・・

2. …呼べない…(T_T)/~~~  迎えに来て~!

3.  恵… 15年ぶりにそいつの家の近くを通りかかり、つい家の前まで行ってしまったが、引っ越していない事がわかっただけよかった。

4. く 今でも愛してるよ!!

3. かしわざきしんじくん、珍しい名前なのでご存知のかたよろしく。

4. 初恋の人に会いにいこうかと思ってます。彼はもうすぐ結婚するらしいです・・。その前にせめてもう一度だけ会いたい。連絡先は一応知ってます。5年前の同窓会で交換しました。でも・・恐いです。

5. 恭子~~~~~~

まぁ、あっちはオレのことなんて名前も知らなかったろうな

6.  美保子! ガキの頃はいじめて泣かせてばっかりだったけど、好きだったんだよ。ごめん。

7. 仲鉢早苗ちゃ~ん!!

神奈川に引っ越したって聞いて、めちゃショックだったよー!!

俺はあの時のまま、まだ釧路にいるよー。

3のとき貰った犬、19年生きたんだよーーーー!!

5. 検見小、花中で一緒だった佐々木ク~ン(≧ο≦)会いたいな。。。

6. 女ですが、ずっと好きな人がいます。会いたい、けど、

逆の立場で考えると自分の所に急に何年か前にちょっと話しただけのよく知りもしない得体の知れない男がいきなり来たりしたら引きます。 そう思うと怖くて会いに行けない。

7. 川村昭二くん 大好きでしたぁ

8. 最近よく初恋の人が夢に出てきます。あの頃の想いが不完全燃焼だったから 夢に出てきては、同じように当時と同じシチュエーションを繰り返すのかな~? きしねしずかくん 今も元気でいますか?

8.  直美、結婚したんやろなー。

9.  真紀さん 真紀さん 真紀さん 好きでした 今でも好きです

10. 相手は奥さんが大好きと言ってたから胸にしまったままにしといた。あんなに愛される奥さんが裏山しいのりつぐさん スゲー愛妻家だからしあわせ家族なんだろうな

10. ふーちゃん いつまでも幸せに!

11. いいじまみほちゃん。 須藤公園で遊んだよね。

12. 和美ちゃん大好きです!フラれたけど、今でもこれからも大好きです! 貴女に出会えてよかった。

13. のん。元気にしてる?また逢いたいよ。 Byかっちゃん

14. 真美世・・・お前は今どこで何してるんだ?

レイ君は元気かえ?
 

11. 隆宏会いたい~っ!

15. 熊本県東野中卒の吉住紀子さんに会いたい(;><)

16. 綾乃へ 元気ですか?

17. 万梨子。 元気にしてるだろうか?

いい人が見つかったのであれば誰よりも幸せになってくれ。

まだ見つかってないのなら、いつでも戻ってこい。

12. 虫賀くん!!!!!!

是非会いたい!!!!

18. 日尾ちゃ~ん、いつか会いに行くよ~

19. 和美ちゃん、大好きです。貴女と同じ時代に生まれ、出会えてホントによかった。死ぬまでに、もう一度逢いたい。来世があるならまた出逢いたいです。 K.S
 


13. ゆうきくん

ずっと前、ごめんね。 今どこにいるの?会いたいよ~!


20. 章子さんへ

お元気ですか?メチャクチャ会いたいです。 

21. 中学時代の塾で一緒だった松谷T晶ちゃん、今ごろなにしてるんだろう?
          彼女の若々しい声が耳に焼き付いて離れない・・・

HPで検索したら、偶然同姓同名の子が某大学研究室にいたけど、彼女なのかなと思ってみたり。


14. 古いアルバムめくり ありがとうってつぶやいた 
   いつもいつも胸の中励ましてくれる人よ
晴れ渡る日も 
     雨の日も 浮かぶあの笑顔 思いで遠くあせても
おもかげ探して 
     よみがえる日は 涙そうそう。
     一番星に祈る それが私のくせになり 
     夕暮れに見上げる空   心いっぱいあなた探す


男22. 美和ーーー!中学の時から今でも好きです。
   告白出来なかった事が情けなくて悔しいです。
     当時彼女がいたのですが本当に好きだったのは美和さんです。

 

23. わかこーーーーこれからは、同窓生でいようねーーーー それでいいじゃんっ!   愛してるけど、やめなきゃね。ごめんね。ほんと、大好きだったね。ずっとずっと、一番好きだよ

15. 修一さ-----------ん、15の春から36になった今でもやっぱり貴方が好きです。 無理して結婚したけどやっぱり無理でした。周りに何を言われてもやっぱり貴方が好きです。

24. 関東→大阪に行ってしまった景子さん、もうバリバリの関西弁なんだろうな~ 

25. 桑北出身の古橋さん・・・

俺は高1でカンニングしたとされて彼女に釣合う男じゃないって一歩引いて憧れだけで終わらせてしまった・・・

俺はそんな事していなかった、でもカンニング否定してたら退学強要されて、仕方なかったんだ。

だったら胸張って、釣り合わないなんて考えるんじゃなかった。

26. もう少しでIDCLOUDY HEARTに・・・ 彼女と俺の共通の名曲なんだよな。いつも一緒、何をするにでもアイツだった。あんな日は、もう二度と、来ないような気がして・・・

27. 直子~!!・・はもう、どっかでママになってるかな~。

28. あさみしんいちくんのお姉さん! 正しくは「しの」!

29. また逢えるといいな。

34.  9年前の同窓会で彼女が来てくれないかなぁと期待してたけど

で、結局来なかった.

35. 中川千尋さん、大好きでした。

貴方のおかげでこの世に生まれてきて良かったと思っています。

大阪から埼玉への親父の転勤さえ無かったら・・・。

36. 結婚して子供もいるのかよ!

でもさ、よくテレビで言ってるけど「美しい思い出のままの方がいい。中年以降に会わないほうがいい。」なのかね?

やっぱよほどの人物でもない限りこの歳になったら性にも人生にも色々とダークな部分があると思うべきなのかねえ。

16. 香月先生会いたいです。

37. 雪穂~!! 自然消滅しちゃったけどほんとはずっと好きだったんだ・・・ なんて俺はガキだったんだろう・・・・

38. ようちゃーん。会いたいよー。

でも会えないよー。会っちゃいけないんだよ。

39.ってことはこのまま現状維持か・・・ま、自分でそう決めてるんなら仕方ないか。

 

17. 私の初恋の相手もググったらでてくるんです。私も相手も結婚してて、私はダンナのことを愛してるし、これから一生添い遂げたいと思っているけど、初恋の人にすごく会いたい。 あの時はお互いまだ若くて、考えも子供だったから、好きなのに意地張っちゃって別れちゃったけど、

 

18. 修くん。元気ですか。

40. 和美ちゃん、今日誕生日だね。おめでとう! 今、どこで、どんな生活してるのかな?俺は貴女に出会えて本当によかったと思ってます。同じ時代に同じ土地に生まれて本当によかったと思ってます。死ぬまでにもう一度逢いたいです。By K.S


41. 二十年前に戻れるタイムマシンがほしいな。

もどってもまた告白できないかもしれないけど。


19. サト、あなたと別れてから12回目の冬が来ます。

一日たりとも忘れたことなどありません。

あなたに婚約者がいたから、振られちゃったけど・・・

死ぬまでに一目でいいから会いたい。


42. 高校時代の同級生に会いたい。授業中いつも横顔見てた。

卒業してもう19年も経ってしまった。98年にも00年にも高校時代は過去だったはず。なのにぜんぜんこんな気持ちにはならなかった。なのに何故今,こんなに切ないのか?

おばさんになっているんだろうか?結婚して子供がいるんだろうか?どんな生活をしているのだろうか?


20. 淳、団地で一緒だった。

電話くれた時、私はあなたの夢を傷つける事を言った。 ごめん。


43. 小学校を卒業して5年後に一度だけ偶然再開しましたがそれから

20年、今何をしているのだろう。神様もう一度だけ会わせてください。

21. 伸君いまでも好きで~す 結局 清い付き合いの人のがいつまでも忘れられないです…


22. もうすぐ40。 ちょっと振り返っちゃう時期なのかも。

だから、やたらと高校時代思い出しちゃってせつなくなったり。

23. 今は高校卒業しても、当たり前にメーリングリストとかミクシィとかで 気軽につながっていられるでしょう。 進路が違っても・・・。

そういうのはうらやましいなあ、って思う

44. あの頃に戻っても、きっと言えずに、同じ事をくりかえしてしまうのかなあ、と思う。

  この一文のところで涙があふれてしまって大泣きです。

45. 厚子さん。 6から一浪の頃まで8年間ずっと好きでした。結局、気持ち伝えられなかったけど…今、少し後悔してます。

数年前に結婚したっていう話聞きました。今は幸せなのかな。

24. 秀一君。 君はモテてたみたいだし…私は不器用で素直じゃなかった。天の邪鬼な態度ばかりで、ひどい事も言っちゃった。本当に本当に、ごめんなさい。

後悔と未練も含め、他の人を好きになっても貴方の事が忘れられません(天罰でしょうね)。君の家に行く途中で見た美しい山や丘の景色を見ると、今でも胸がキュンとなる。痛く切ないです。

もう私の事なんて覚えてないか、嫌われちゃってるだろうなぁ。

46. いろんな人に言いたい。 振られるとわかってても告白はしておけ。

そしてすぱっと振られておけ。 そうしたら私のような後悔はない。

47. 全く、そのとぉり! とりあえず告っとけ!

ダメなら、それも良い思い出だ。

48. 美奈子さん。 12年前に交差点ですれ違ったのを最後にあなたの姿を見てません。あの時、一言二言でも話していれば…と思うと、悔やんでなりません。

もう一度会いたい。もし会えたら、ガールフレンド(不倫ではなく)になってくれ!

49. ここで叫んでる人もそうかも。

本当に、せつないくらい好きになった初めての人ってことで。

25. Mくん、機内で会ったのあなただよね? 卒業してだいぶたってるけど、私はすぐわかったよ。 入り口でお客様むかえてたの私です。

あなたの同級生、一年の時同じクラスだった・・・

26. たっちゃんに会いたい…

50. もう、ずっと昔のことだと思わなくてはと言い聞かせています。

若かった、幼かった(苦笑)・・・

51. きっと、今の高校生が聞いたら笑っちゃうかな?

フォークダンスで手を繋ぐのが精一杯の、田舎の高校生でありました。 あんな恋はあれきりだったから・・・

52. 今思い出すと、あまりに幼い、いろんな事が。 幼すぎて胸がせつないです。

  僕も自分のことをそう思うようになりました。すごくせつないです。

  涙が止まりません。同じこの日本のどこかで同じ空の下生活しているはずなのに
 

 

53. 同級生に会いたい37歳です。僕も遅くはないと思い行動を起こしたのですが…
もうお互い社会人なんだし「久しぶりですね。元気でしたか?」等と言って会えると考えていました。

そこで元同級生などに電話をしてそれとなく彼女の行方を聴いてまわったのですが誰一人彼女の行方を知る人はいませんでした。部活のOBOG会にも出てこなかったようで部活の人達も誰も知らない。

男54. 青春の後ろ姿を 人はみな 忘れてしまう、あの頃の 私に戻って あなたに会いたい。

   高校生のころ、むかしはやった歌か、って事で特に思い入れもなく口ずさんだ。
     良い歌だな、とは思ったけど。


男55. 木綿の服をなびかせて よくわらうあの子も今では大人の恋をして  
   ぼくを忘れ たろうか
           
ポプラ通りそこはいつも 夢が帰るところ 時が流れ去っても 
      あの日のぼくがいるふるさと



56. あなた私のもとから突然消えたりしないでね

二度とは会えない場所へひとりで行かないと誓って

私は 私はさまよい人になる

時をかける少女 愛は輝く舟

27. キタガワコージくんっ!!!

今でも夢に出てくるの、君がっ!!!

本当に、好きで好きで、初めて誰かをあれ程大切に想うこと、

そして誰かに大切に想われることを教えてくれた初恋でした。

28. 孝彦くん!! 好き~!!


57. 君の事思い出す日なんて無いのは 君の事忘れた事が無いから

かっちゃ~ん!!

あの終わり方に気持ちが吹っ切れず4年も引きずった…

その間、自分を責めてあんたを責めてまた自分を責めての繰り返し…


29. しろー君! 成人式で見たら、トキメキが復活してしまいました。

   また会いたい!

 

 

58. 河上さーん! もう河上じゃないけど。 貴女以上の女なんて、そうそう居ないんだ。 忘れられないよ!
 

29. 由紀さん、会いたいです

59. 智子さん。俺は今になって、あなたと過ごした時間について考えてるよ。

今だから分かる事もある。君より物静かで、崩れそうに独りぼっちで、そして優しい人には未だ出会ってません。君はたった一つを求めたんだ。俺たちは分かり合いたかったんだ。心の全部まで。さよなら!さよなら!さよなら!手を振って別れたのに。また思い出してる。

30. 喜井さん、本当に気が狂うくらい、毎日毎秒あなたのこと考えてました。

私の大学時代の思い出のほとんどは、あなたのことと、あなたを思って嫉妬した苦しい夜のことばかりです。

60. 美奈子、お前とよく歩いた公園の景色 手を繋いだときの 掌の暖かさ春風の匂いがすると、未だに思い出すよ。

ただ一緒に居るだけで 楽しいと思えた 素敵な時間をありがとう!



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  あなたに会いたいと思う人がいるかも知れません。会うか会わないかは別の話としても、やっぱり気になるのではないかと思います。

以前に初恋の人を探すテレビ番組がありましたが、私にも私の事を初恋として思い続けてくれた人がいたようです。33年ぶりの小学校の同窓会で、その事を知りました。

私は父の仕事のことで小学校4年の春学期に地方都市に転校する事になり、それから2年半を地方で過ごす事になりました。

君は体の小さい少年でした。気弱に見える子で、あんまり話した事は無かったのではないかと思います。同時、男の子と仲良くすると他の子供たちにからかわれる事もありました。私は、どちらかと言えば、いじめられこのB君とは関りのない方が良いと、幼ながら転校生の立場をわきまえて、なるべくなら成績の良いメージャーグループに加わるほうが良いと思っていた、歳のわりにませていた子供だったかもしれません。だけど、私も大人になるまでずっと彼のことが気になっていていました。偶々連絡が取れた久しぶりに会った、今は大学教授になっている女友達に、彼がどうしているか知っているかと聞きました。すると、彼女から意外な答えが返ってきたのでした。

「B君から同じことを聞かされたのよ。彼から、聞いた話だと、あなたは何時も姉のように彼を見守ってくれていたと彼は覚えていたわ。彼が今の奥さんとお見合いで知り合って結婚するまではあなたの事をずっと探していたと聞いたわよ。大人になるまで、あなたがずっと夢に出ていたとか。」

確かに私は彼のことが気になっていました。気が弱くて体の小さい彼が大きい子達に苛められると心を痛めていたのでした。彼は多分裕福の家庭の子ではなかったと私は憶えています。

それから同窓会で彼に会いました。彼の話によりますと、子供の私は時々彼に励ましの言葉を掛けていたようです。「私も頑張るから、あなたも負けてはいけないよ」とか・・・そして聞かれました。

「時々、僕の机の中に新しいノートや鉛筆や消しゴムを入れてくれたのは君だったでしょう?やっぱりそうなんだね。僕は今、子供が2人いるけど、小さい子が女の子でね、ちょうどあの時の君の歳なんだよ。何故か昔の君に似ていてね。時々宿題やで文具類を散らかすんだ。僕は散らかした文具の中で消しゴムを見ると、手にとって匂いをかくの。幼いころの君の匂いがしてくる気がするからさ。僕の中の君の匂いは、新しい消しゴムだったんだよ。君が机に入れてくれたものさ。君の足が悪かったのを僕は知らなかった。大人になって、君のことが知りたくて、学校に行って同時の学籍簿を閲覧して、君が骨髄炎を患っていた事がわかったのさ。僕、それを知って凄く悲しかった。今は元気そうでなによりだ。」

彼の頭に白髪が混じっていました。彼は今、末端ではありますが、国家公務員になっていました。家庭事情で進学もさせてもらえなかった彼は働きながら独学で勉強をし、検定試験を受けて頑張ってきたのでした。

 

人と人の思いは確認して始めて判るものということがちょっぴり悲しく思われます。

おわり

 


『文集 おきな草』(人文研究会機関誌)30号 掲載より

 

2011/08/29 17:34 2011/08/29 17:34


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思い出したくない記憶


 先日届いた一通の電子メールは、母親の一周忌を終えた友からのものでした。「遠く離れている友へ」と始まるこのメールには母親を亡くした悲しみと淋しさが滲むように書かれており、私は慰めの言葉ひとつ見つかりませんでした。両親健在の私にその悲しい胸中がわかるはずも無かったからです。
 それでもこのようなメールを書ける人は幸せなのかも知れないと私は思い、少しばかり羨ましくなりました。メールには、「母親に恩を返すためなら命も惜しまない」とも書かれていました。男と言うものは母親に対して特別の思いがあるのかもしれないと思いながら読んだこのメールの送り主は幼なじみで、父親のいない母子家庭で母親と姉妹そして彼の四人家族でした。3人兄妹の中で唯一男の子である彼は、母親からの愛情と期待を一身に受けて育ったのです。
 本当にお母様を思うなら頂いた命を大切にするべきで、幸せになることこそお母様のお望みでいらっしゃるのに違いないと私は返事を書きました。それは誰もが書くようなありふれた文書で、私は書きながら自分の母を思い出していました。

 私を身篭ったとき、母はまだ22歳でした。今の感覚から見れば多少若すぎるような気もしますが、昭和30年代ではこく普通だったと思います。当時母は勤め人で専門職についていましたが、私が生まれた事で退職を余儀なくしました。それは彼女の本意ではなかったのです。当時の事ですから今より働く女性に対する社会全般の理解がなかったと思われます。その母に子供が出来ることに対する心の準備が出来ないうちに私は生まれました。おそらく母は、子育てに専念できる精神的な環境ではなかったのでしょう。
 
 幼い記憶の中の母は、いつもヒステリーを起こしていました。それで私は父がいない時はいつも緊張していました。母は気まぐれな人で、平気で暴力を振るったからです。裸にされ寒い冬の夜、戸外に出されたことも一度や二度ではありませんでした。小学校1年生の女の子が体罰を受けねばならないような『悪さ』とはどのようなものであったのだろうと思う事があります。
 
 私は泣き虫でもなければ、親の言いつけを聞かないわがままな子供でもありませんでした。他の子供と喧嘩をすることも無ければ、周りの大人を困らせる悪戯もした覚えがありません。どちらかと言えば近所での評判の良い礼儀正しい子で学校の成績も良い方でした。それは弟も同じで、たとえ姉弟喧嘩をしても母の前では庇いあっていました。ただ私は家が好きじゃなかったので学校が終わっても真直ぐに家に帰る気にはなりませんでした。道草をして遅くまで帰らないと母は心配して学校までの道を辿りながら私を探しました。母は私を可愛がってはくれませんでしたが、心配はしてくれたようです。
 
 家と学校は遠く、大人が早足で歩いても30分は掛かる距離でしたが骨髄炎を患って足の悪い私にはすくなくとも1時間以上かかる道のりでした。私が母に怒られた理由の大半は嘘をついたからでした。家に帰りたくなかったとは言えず、先生に言われて学校に残ったとか、友達が学校を休んだので先生と家庭訪問に行ったとか色々言い訳を母にしていました。子供の嘘はその殆どが親を騙したくてつくわけではありません。親が怖くて、叱られたくない一心で、つい嘘をついてしまうのです。
 
 子供の頃、私は母が継母ではないかと思っていました。思春期になるまでいつも家を出て、どこかに貰われてゆく事を夢見ていました。心の中では何度も尊属殺人を起こしていました。今思っても幼い私は本当によく耐えたと思うし、大人になってから父親とか兄弟に聞いてみてもやはり母親は普通ではなかったと言っています。まして母の弟である叔父も「姉貴にはまいった」と言っているくらいです。だけど当の本人である母だけは今でも自分がどのような親であったか全く自覚がないようです。私も、いまさら老いた母を責める気にもならず、もう何も言いませんが・・・
 
 父にとって私は夢であり希望でした。17歳で事情があり、親元を離れて暮らすしかなかった父にとって初めての我が子は感動だったようです。その後、二人の弟が産まれましたが、父にとって初めての子は格別だったようで、自ら私の服や靴を買ってきたとあとで母から聞かされました。父は未だ小さい私を布団の中に入れて抱っこをしては伸びかけたあご髭で頬を擦ったので嫌がったりもしましたが、私はそんな父が好きでした。思春期を迎え生意気になり、父親の言う事を聞かなくなってからは父との喧嘩も多く、いろいろと親不孝をしてきましたが、いまでも父には感謝しています。
 
 私は母方の祖母に、誰よりも大事にされました。父方にお祖父や祖母がいなかっただけに母方の祖母の溺愛を一身に受けていました。初孫の私は祖母にとって特別な存在だったのです。
 それでも、私には他の誰かから愛された記憶よりも、母に虐待されたという記憶が強く残っており、今もその傷は癒されていません。ひとは幼い頃を懐かしく思い、その頃に戻れるものなら戻りたいと言いますが私は辛かった幼い頃には絶対に戻りたくありません。幼い頃の記憶は母の暴言と暴力ばかりで、あまり良い記憶がないからです。
 いつか私が母を亡くしたら、その時私は悲しむのでしょうか。親を亡くして悲しく思わない子供は不憫です。だから私はメールをくれた友を羨ましく思いました。人間の心を眼で見ることはできませんが、時にはそれを幸いと思う事もあります。私は幼い頃から周囲の大人に自分の心の底を見抜けられないように隠していきていました。目連尊者は亡母を地獄から救い出すために衆僧供養を行ったという伝説がありますが、目連尊者のように母を思いやる事ができない私を私は悲しく思います。

 2006年6月21日、奈良県田原本町で高校生一年生の長男が自宅に放火し、継母と弟妹の三人を殺してしまうという事件が起きました。今も記憶に新しいこの事件の報道によりますと、長男の家は近所でも評判の教育熱心な家庭であったようです。勉強部屋をICU(集中治療室)と呼んでいた父親は、長男が小学校の頃から毎晩遅くまで勉強を教え、成績が下がると殴ることもあったと言います。
 事件は、継母が成績表を受け取る予定だった保護者会の日に起きました。英語の試験の成績を偽っていた長男は、母親が保護者会に出席すれば父親に嘘がばれてしまうことを恐れていたそうです。母親は子供のことを父親に報告せざるを得ない立場にあったのでしょう。

 私はこの事件を起こした少年に自分を重ねてしまいました。少年の気持ちがとてもよく分かるような気がしました。私の両親もエリート主義の人で常にトップでないと満足できない人だったからです。褒めてもらった事がない子供はやがてどのような大人になって、そして親になったらまたも自分の辛い過去と同じ過ちを繰り返すのでしょうか。

 嘘は親を騙したくて付くのではなく、親の怒りが怖いからである事をどうして親は分からないのでしょうか。自分の見栄を張ることに見合った子供で欲しかった母。それに満足できないと私に体罰を加えた母は今も言います。

 「亡くなったお父さんはとても怖かったのよ。私は小学校の時にお父さんから習字を習ったけど、上手く出来ないとお手を叩かれたわ。いつも手の甲は赤く腫れてとても辛かった。だけど私の習字をどう思う?綺麗でしょう?お父さんに叩かれながら教えてもらったおかげさまよ」と。

                                                                   おわり

2009/11/07 12:55 2009/11/07 12:55

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  滝田洋二郎監督の作品で本木雅弘主演の映画「おくりびと」が、第81回米国アカデミー賞外国語映画賞部門にノミネートされた。日本の映画としては、山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」(04)以来、5年ぶり、12作品目のノミネートだという。
「この映画を見に行きたい。」と思ったのは、この映画がアカデミー賞にノミネートされたからではない。最近身近に起きた知人の死とその葬儀が、「おくりびと」の存在を知らしめ、「死」を別の面から捉えている私に気付いた事による。

  若い頃の私は(私が齢をとっているという意味ではない。数字を用いて言えば、30歳過ぎた頃までの私)「死」に対して、恐れよりむしろ憧れに近いものを持っていたように思う。まだ現実の死と対面した事のなかった私にとっての「死」とは、文学作品の中にしばしば登場して、悲しくはあるが清らかであるがゆえに、まだ若い胸を締め付け、しばしばときめかせた。

  実際、文学作品の多くに「死」は登場し、「源氏物語」や「罪と罰」「ハムレット」のように、ストーリーの端々に死を用いる作品。「若きウェルテルの悩み」や「オイディプス王」のように、死の強烈なイメージを中心に展開する作品や推理小説のように意味と無意味の境界として、死をテーマ化するものがある。  
  死の風景は時代と場所によってその描かれ方にある種の類型が見られて面白い。ギリシャ叙事詩にでは、戦士達の誇り高き死が頻繁に表われる。近代フランス文学では「ゴリオ爺さん」や「ボヴァリー夫人」に見られるように、ベッドの上での死の情景と、それとは裏腹に、陰で遺産の計算をする看病人逹の冷やかな様子が頻繁に描かれている。ところが、その頃の私は死んだ人(遺体)を見たことがなかったので、遺体に対しては概念的に「怖れ」を持っていたに過ぎない。私にとって死というものは抽象的な想像の産物に過ぎなかったからだ。   

  歳を重ねる毎に身近な人が一人・二人とこの世を去っていった。
最愛の祖母、好きだった人、人生観を共有していた親友、etc.
その頃の私は、死ぬという事はその人の存在が消されてしまう事。その人の思いや知識、その人の喜怒愛楽のすべてが泡となり、そして消える。そうして、時と共に人々の記憶の中からも薄れていき、いずれは何もなくなるものだと思うことで自分を納得させてきた。

  先週、同じ会社に勤めている呉さんが急死された。 
当初は死に至るとまでは御本人も思っていなかったようだ。ところが、その三日後に帰らない人となってしまった。
  ある新年会に取材を兼ねて参席し、帰宅途中に駅のホームから転落。その場は駅員に助けられ、御本人は無事で済んだと思ったようだ。病院には行かず、単身赴任の一人住まいに戻ったそうだが、実は肋骨と鎖骨が10箇所も折れていたとは・・・・。翌日、異常に気付いて駆け込んだ病院で判明したが、結局それが原因で御他界されてしまった。

  お葬式は中野区のあるお寺で行われた。故人の突然の死を悼む遺族や親しい人々の悲しみで、お香の煙も重く・暗く静まり返っていた。
   
  告別式での故人との最後の対面。   
いつもの顔とは違う、冷たくなった無表情な顔。まさにそれこそ「死というものの現実なのかも知れない。」と、ふと思った。理屈ではなく、冷たくなって動けなくなった遺体こそ現実の死であるのかも知れないと・・・・。

  最後の対面が終わり、柩のふたを閉じると、遺体を霊柩車まで運ぶ。
 そう、故人には意思が無く、また、御自分では歩けないのだ。民法上の規定では、「人間」は死を境に「物」に変るので、遺体を輸送する霊柩運送事業は、貨物自動車(トラック)事業の仲間と位置づけられているらしい。道路運送法では遺体は貨物に区分される。まれに葬礼車両の運転者に、旅客輸送の二種免許保有を義務づける運行業者があるが、霊柩車の運行には旅客運送の二種免許は必要とされず、国土交通大臣並びに地域運輸局長より一般貨物自動車運送事業(霊きゅう限定)としての認可を受けた事業者が選任した一種免許を所持する運転者がこの事業者の霊柩車を運転できる。

  余談だが鉄道車両にも、霊柩車は存在する。鉄道院→鉄道省では英照皇太后・明治天皇及び大正天皇の崩御の際に、その遺体を輸送するために轜車(じしゃ)が製作された。一般用の霊柩車としては、1915年(大正4年)に名古屋市の八事に市営の共同墓地と火葬場が建設されたのにともない、尾張電気軌道(名古屋市電の前身の一つ)が墓地に線路を引き込み、既存の電車(9号とされるが、4号とする説もあり)を改造して霊柩電車を製作している。この霊柩電車は、車体の中央部に棺を出し入れする幅1800mmの扉を設置し、会葬者とともに墓地まで運んだという。この霊柩電車は、1935年(昭和10年)頃(1931年(昭和6年)とする説もあり)まで使用された。世界的にも珍しい例として知られる。

 職業上、遺体と付き合う人々は沢山いるはずだ。医療関係者、警察関係者、そのほか様々な宗教関係者や葬儀関係者、今までは、その場で淡々と仕事をこなす人々のことを思うことが無かった。
いかなる想いで仕事をこなしているのだろうか。

 中年を超えた今、死は若い時より現実になり、且つ、具体的になってきているのである。明日はわが身か・・・・。

(2009年2月或る日の想い)


                                                        おわり

2009/02/20 00:00 2009/02/20 00:00