添付画像

길에서 길을 묻다... 道の上で道を尋ねる。

洛山寺の観覧は正門から始める方法と後門から入る2つの方法がある。後門から入る人が多いのだが、義湘台(ウィサンデ)の紅蓮庵(ホンリョナム)と海水観音像から臨む景色がすばらしい。

義湘和尚が観音菩薩に遭遇したという観音窟がある紅蓮庵の仏殿の床の下にある穴に入って、遠く波が打ち寄せる音を聞いてみよう。

添付画像


一柱門と虹霓門を通って寺に入ると、法堂の両側にある土と石で作られた瓦ののった土塀や黒竹を見ることがでる。

また洛山海水浴場の北側にはある銅鐘横の小さな門から小道に沿って歩けば、義湘台と紅蓮庵に行くことができる。この義湘台は、海辺の絶壁の上で義湘大師が座禅をしたと言われるところに建てられた東屋で、紅蓮庵は義湘大師が海辺の洞窟の上に建てた庵。

法堂の床下には、直径10cmほどの穴が開いていてそこから真下にある海が見られる。また義湘台を過ぎて右側の坂を登ったとところにある神仙峰には、石造の仏像である海水観音像が海を眺めるように立っており、遠くはムルチ港からも見ることができる。


添付画像


添付画像


洛山寺(ナクサンサ)は洛山海水浴場から北に4km離れたところに位置した1300年の歴史を持つ寺院。

新羅(BC57-AD935)の30代目の王である文武王(661-681)11年(671)に義湘大師(625-702)が建てたもので、寺の中には七重石塔、銅鐘、虹霓門などの文化財がある。

中国・唐での留学を終え帰国した義湘が勤行中、観世音菩薩が現われ菩薩が教えてくれたところに法堂を建て、名前を洛山寺と名づけたと言われている。


添付画像
 その後、幾たびの再建を経て、現在の建物は1953年に建てられた。朝鮮戦争中破壊されたものを同時第一軍団長李亨根将軍によって再建されたが2005年4月4日に37軒あった建物の内、22軒が山火事で焼失し現在再建中である。

この度、李亨根将軍のご子息で、もと人気歌手李玄さんと一緒に足を運んだ。洛山寺の住職「無門先師」のご招待を受けたからである。

2013/11/15 14:53 2013/11/15 14:53


  秋夕の満月が南大門の屋根の向こうに真ん丸く現れました。増すことも引くこともなくハンガウィ(秋夕=中秋の名月)で良しと言う韓国のことわざがありますが、その通りです。暑くも寒くもない実りの秋ですね。

添付画像


添付画像


添付画像




2013/09/20 10:32 2013/09/20 10:32

添付画像


 先日、新宿職安通りにある「東海」という韓国食堂で初めてゴァメギ(과메기)という韓国料理を食べました。少し生臭いけど、美味しかったですね。野菜と韓国海苔と海藻で包んで食べました。

 ゴァメギ(과메기)とは迎日湾(韓国の南、浦項[포항]市近郊の九龍浦[구룡포]一帯)の近海でとれる青魚類を何度も凍らせて乾燥させる工程を繰り返して作られる保存食らしいですね。 李朝時代には珍味として王に献上された後、捕まえた量によってその年の豊作を占ったりもしたそうです。

 李圭景(이규경:1788~????)の『五洲衍文長箋算稿(오주연문장전산고)』という書物には、青魚を焦がして腐敗を防いだものを燃貫目(연관목)と言ったという記述があるのですが、これがカメギの起源になったという説があります。

 他にもゴァメギと思われる魚として、1918年に発刊した『笑天笑地(소천소지)』という笑い話を集めた短編集にも登場します。東海岸に住むあるソンビ(선비:学のある人)が漢陽(한양:現在のソウル)に科挙試験を受けに行くのですが、道中民家がひとつもありません。お腹が空いたソンビは丘の上にある木に目を貫かれて干されている青魚があったのを見つけ、それを食べてしまいます。それがあまりにも美味しかったので冬になるたびにそれを作って食べた…というのです。

(幽談:これがどんな話か知らないのですが、おそらくこの後に笑い話が続くのではないか??と推測されます。)

 1960年以降になると、昔からこの地方で食べられていた青魚は獲れなくなってしまい、現在は代用品としてサンマを使って作っています。

2013/05/10 10:57 2013/05/10 10:57

Yuna Kim - 2013 World Championships - LP  

フィギュアスケートの世界選手権第4日は16日(日本時間17日)、カナダ・オンタリオ州のロンドンで行われ、女子シングルは韓国のキム・ヨナが合計218.31点で4年ぶり2度目の優勝を果たした。


Britsh Euro Sport Live

添付画像
  キム・ヨナは試合後の記者会見で「百パーセントを出し切ったのでいい点数が出ると期待したが、これほど高い点数が出るとは予想しなかった」と感激した様子を見せた。今シーズンはジャンプが安定しているとの評価については、「ジャンプが楽になった気がする。負担なくジャンプを跳べるようになり、技術的に安定した気がしてミスが減ったようだ」と説明した。

 2014年のソチ冬季五輪に向けては、「いい結果が出るといいが、そのようなことに負担を感じるとストレスになる。最善は尽くすが心を軽くしたい」と述べた。以下は一問一答。

――感想は。
「久しぶりに大きな大会で試合をした。ショートプログラムとは違って、フリーではウォーミングアップの時に緊張した。だが、最終組の6番目を待ちながら心を安定させることができた。ショートとフリーともクリーンに(ミスをせずに)滑れて気分がいい」
――世界選手権を良い成績で終えたが。
「2007年から世界選手権に出場した。世界選手権ではいい記憶も悪い記憶もある。今回が私には最後の世界選手権となるが、いい結果で終えることができてうれしい」
――復帰した時に負担はなかったか。
「試合に臨む心構えは五輪シーズンや五輪シーズン前より重くなかった。負担を感じず、結果にこだわらないよう心を引き締めた。練習は厳しかったが、以前より心が重くない状態で準備することができた。その差があったと思う」
――高得点を予想したのか。
「フリーで私にできる最善の努力をしたし、実戦で百パーセントを出し切ったのでいい点数が出ると期待したが、これほど高い点数が出るとは予想しなかった」
――五輪はどう予想しているのか。
「復帰した後、練習や試合で負担を減らそうと考えた。最大の努力をし、実戦でも最善を尽くしていい結果が出るといいが、そのようなことに負担を感じるとストレスになる。最善は尽くすが心を軽くしたい」
――約20か月ぶりの復帰戦で2位との点数の差が大きい。ソチ五輪ではどうなると思うか。
「点数は基準や審判によって違うので分からない。ソチ五輪まで私だけでなく、ほかの選手も頑張ると思うので、その日のコンディションや心理状態で結果が決まると思う。私が1位になるとは確信できない」
――フリーでミスをしなかった感想は。
「デビューしてからフリーをクリーンに滑れたことは多くない。国内(韓国)の総合選手権大会でフリーをクリーンに滑れたことで自信を得た。体力的な問題もあってフリーはクリーンに滑るのが難しいが、これから自信を持つのに役立つと思う」
――ジャンプが安定的に向上した秘訣(ひけつ)は。
「今シーズンはジャンプが楽になった気がする。ミスが減った。音楽の中で負担なくジャンプを跳べるようになり、技術的に安定した気がしてミスが減ったようだ」
――世界選手権の表彰台に立った気分は。
「2007年から出場してきた。ブランクもあったが、久しぶりの世界選手権で、そして最後となる世界選手権で二つのプログラムをクリーンに滑って1位になり一層うれしい。思い出に残る一番うれしい世界選手権になりそうだ」

2013/03/17 16:49 2013/03/17 16:49



添付画像
金ヨナ

- 2013年世界フィギュアスケート選手権大会
- ショートプログラム
- カナダオンタリオ州ロンドン

日本時間14日深夜、フィギュアスケート世界選手権女子ショートプログラムが行われ、2季ぶりの復活となるキムヨナが69.97点で首位となった。2位は66.86点のカロリーナ・コストナー。

それからわずか0.22点差で村上佳菜子が3位に入った。浅田真央はジャンプミスが響き62.10点の6位。鈴木明子は61.17点で7位に続いている。



 

  ライバルの浅田真央は冒頭のトリプルアクセルはしっかりと決めたが、最後のジャンプの踏切でタイミングが合わなかったのか1回転となるミス。思わずしまったという表情を見せるがその後は軽やかなステップで観客を魅了、最後は笑顔で佐藤コーチの元へ戻った。トリプルアクセルではGOEが伸びず四大陸の10.07点には及ばなかったものの8.75点。最後のジャンプの失敗と冒頭のコンビネーションでの失点が響き6位発進となった。
 

 キムヨナは冒頭、得意の3回転-3回転で11.50という高得点を獲得。次の3回転では減点されたものの、演技構成点で2位コストナーの33.85点に続く33.18点を取り首位発進を果たした。

 健闘したのは18歳の村上佳菜子。トータルエレメントスコア(技術点)ではキムヨナの36.79点を上回る36.87点でトップ。前年世界女王コストナーと僅差の3位に入り喜びを爆発させた。

 70点超えの選手は不在で、首位キムヨナと6位浅田の得点差は7.87点。フリーの結果次第では大きく順位が変わる拮抗したスタートと言えそうだ。女子フリーは日本時間17日午前に行われる。

2013/03/15 14:29 2013/03/15 14:29






添付画像
Yuna Kim - Les Miserables, Korea Figure Skating Championships (2013. 01. 16) FS


 6年ぶりの国内大会復帰戦となった韓国選手権で優勝、3月の世界選手権(カナダ)代表に決まったフィギュアスケート女子の金ヨナの決勝戦での演技です。

彼女は試合後の記者会見で、「準備したことをしっかり出せば、世界選手権優勝も無理ではないと思う」と述べ、自信を示しました。この試合で金
ヨナはショートプラグラム(SP)で転倒などのミスがあり、64.97点にとどまりましたが、フリーではほぼ完ぺきな演技を披露、合計210.77点で1位に輝きました。金ヨナは「最後になるかもしれない国内大会で良い演技ができ、うれしい」と感想を語ったそうです。

 2年前の世界選手権以降、休養していた彼女は、昨年7月に行われた記者会見で2014年のソチ五輪を最後に引退したいと述べました。2018年の韓国・平昌五輪で国際オリンピック委員会(IOC)選手委員に挑戦する考えを示しました。ソチ五輪に向け、昨年12月にドイツで行われたNRW杯で約1年8か月ぶりに復帰、優勝しました。

2013/03/08 11:50 2013/03/08 11:50

  善徳女王(そんどくじょおう、? - 647年)は、新羅の第27代の王(在位:632年 - 647年)で新羅初の女王である。参考までに新羅には3人の女王が存在し、新羅の以外の国では摂政としての実質的女性統治者はいても、それは王の名を借りての統治で、実際に最高の地位に座った女性はなかった。善徳女王の姓は金、諱は徳曼。先代の真平王の娘であり、王母は金氏の葛文王福勝の娘の摩耶夫人、王配は飲葛文王。

 3人姉妹(善徳女王は「三国史記」では長女として記録され、「三国遺事」と「花郎世記」では次女とされている。天明公主は「三国史記」で次女、「三国遺事」では娘、「花郎世記」では長女。三女の善花公主は「三国史記」と「花郎世記」では存在が伝わっていない)であり、男兄弟はいない。先王が632年1月に死去したときに男子がなく、また父母ともに王族である聖骨の男子がいなくなっていたために、徳曼がその呪術者的性格に期待されて王位を継いだ。即位して後に聖祖皇姑の号を国人から奉られた。現代の韓国においては善徳女主とも呼ばれる。
 百済と高句麗との同盟(麗済同盟)によって当時の新羅は国際的に孤立した状況にあり、それを打開しようとして唐に積極的に近づき、朝貢を重ねて635年には父の真平王に与えられていた〈柱国・楽浪郡公・新羅王〉の爵号を継承することができた。
 
 
 慶州市月城公園の瞻星台善徳女王は仏教の保護にも熱心であり、慈蔵法師を唐に派遣して仏法を修めさせた。帰国した慈蔵法師の発願で645年3月には皇龍寺の九層塔を創建したほか、女王の時代に芬皇寺や霊廟寺が完成している。霊廟寺の建立と同時に、瞻星台(天文台)を築いたとも伝えられている。また640年には王族の若者を数多く留学生として唐の国子監に派遣し、唐の文化が新羅に流入するきっかけとなったように、新羅の文化発展への貢献が知られている。


善徳女王の神秘性・聡明さの表れとして、3つの予知を行なったことが伝えられている。

第1は、唐の太宗が牡丹の花の絵と種を贈って来たときに、その花には香りがないであろうと言ったこと。理由を尋ねられて、「花の絵には蝶や蜂が描かれていない。どんな美女でもその色香で男たちが群がるので、花に群がる虫がいないことから香りがないと解った」と答えた。

第2は、宮殿の西の玉門池に蛙がたくさん群がって鳴いたときに、西の国境付近に賊の潜んでいることを知り、角干の閼川らとを派遣して賊を滅ぼさせたこと。これも理由を尋ねられて、蝦蟇(蛙)の怒った目は兵士を表し、西の国境付近には女根谷という地名があるので、玉門池に蛙が集うのは女根谷を兵士が侵そうとしていることだと解ったと答え、庚信や毗曇ら家臣を感嘆させた。

第3は、自分の死の年月を予測して忉利天の中に埋めるように、と言ったこと。群臣は忉利天の場所がわからず尋ねると、狼山の南であると答えた。後に毗曇の内乱が起こったときに女王は予測した通りの月に亡くなって狼山の南に葬られたが、さらに十余年後に文武王によって女王陵の下に四天王寺が建てられた。忉利天とは須弥山の頂上にある帝釈天のすむ世界であって、帝釈天が四天王を従えていることから、四天王の上にある忉利天の世界に葬られることを言い当てた、と理解されたものである。

これらの説話のうち第3のものは、仏教的説話集の性格をも有する『三国遺事』紀異・善徳王知幾三事だけが記しているが、第1・第2の説話は『三国史記』新羅本紀・善徳女王紀にも記されており、女王がシャーマン的な王であったと考えられる根拠にもなっている。

今、朴槿惠さんが次期大統領に決まったところで、善徳女王が統治していた地から誕生した女性統治者について語られている。歴史に名を残す名君になってほしいと願うばかりである。

添付画像

写真↑韓国TV放送局 MBC 創業48周年記念ドラマ善徳女王より


2013/01/23 15:56 2013/01/23 15:56

添付画像


添付画像



添付画像


添付画像


 私が好きだった、元読売巨人軍投手の趙成珉(チョ・ソンミン)が母親宛にこうメールを残し亡くなった。警察では自殺とみて調べているが、「モーニングバード」の取材によると、またネット社会の行き過ぎた言論の存在が浮上している。

「私は韓国では生きていけません。お母さん申し訳ないけど、最初から息子はなかったものと思ってほしい」

   趙は6日未明(2013年1月)、韓国・ソウルにある恋人のアパートのシャワー室で、革のベルトで首を吊った状態で発見された。発見したのは恋人で、前夜、別れ話を切り出された趙は亡くなる直前に恋人あてのこんなメールも残していた。「私の人生の最後をあなたと一緒に迎えられなくて胸が痛い」

   ただ、失恋の痛手というより根はもっと深いようだ。アマチュア球界のエースとして活躍していた趙は、1996年に異例の8年契約で巨人に入団した。2000年には国民的人気女優だった故・崔真実(チュ・ジンシル)と結婚。しかし、けがに悩まされて11勝10敗11セーブと成績は振るわず、契約を1年残して02年に退団し、そこから転落の悲劇が始まった。

   04年には妻への暴力で逮捕され離婚し、その元妻は離婚から4年後に2人の子供を残して自殺した。原因はネット上で金銭問題を誹謗中傷する書き込みをされ、耐えられなかったからと言われている。元夫である趙へも「殺したのはお前だろう」という非難の書き込みが殺到したという。

   それでも、おととしから韓国プロ野球チームのコーチに就任して再起を図っていたが、昨年11月に暴力事件を起こし、再契約できずに失職していた。趙は亡くなる3日前に親友に悩みを打ち明けていた。親友は「昨年11月の暴力事件でメディアやネットでたたかれ、すごく悩んでいる様子だった」という。

   元共同通信の記者で、韓国特派員の経験がある青木理は「国民性もあるでしょうが、インターネットに書き込まれた言論を大手マスコミが紹介するなど影響は日本よりもある」という。

   国民性といえば、自殺の多さも際だつ。韓国統計庁によると、11年の自殺者数は1日当たり43.6人、OECD加盟国で1位だ(日本は3位)。青木によると、発展が急速だったために、財閥が力を持った割には一般庶民の暮らしは貧しいという。他人を自殺に追い込むほどネットで誹謗中傷するのも、いびつな競争社会、格差社会への憂さ晴らしだと分析している。


添付画像


添付画像

添付画像


二人の子供を残して死んだ。母の人気女優「崔真実」も自殺で生を閉じた。彼女の弟も自殺、今度は趙成珉

添付画像

添付画像
高校野球のエース趙成珉

添付画像



添付画像


添付画像


添付画像


添付画像


添付画像



添付画像









2013/01/08 17:16 2013/01/08 17:16


ソウル奨忠洞のあるマックッス専門店、お昼時間の風景

添付画像


暑いときにはさっぱりした麺!ということで、
蕎麦粉で作った麺「マッグクス」の専門店にやって来ました。

添付画像

まずは嬉しい蕎麦茶のサービス!

添付画像

辛くない白キムチは、さっぱりして暑い夏にもピッタリ!


添付画像

お店の定番メニュー「ムルマッグクス」。冷たくてさっぱり~!


添付画像

こちらは辛いもの好きな方にオススメの「ビビンマッグクス」。



添付画像

夏でも温かいものを食べたい方には、ゴマがたっぷり入ったクリーミーで
濃厚なスープの「メミルカルグクス」がオススメ!


添付画像

スタンダードな冷麺に飽きたら、メミル(蕎麦)冷麺も良いですよ~。


添付画像

最後にメミルジョン。そば粉で作った薄めの白菜ジョンはモッチモチの食感でシンプルながらもクセになる味!韓国版ガレットといったところ?!

健康にも良いマッグクス、暑~い夏にオススメですよ!



引用先  http://www.seoulnavi.com/special/5041549


2012/07/14 15:24 2012/07/14 15:24

ローマ文化王国-新羅    

                                                          由水常雄著(新潮社)
 

 近年まで、いえ現在でも、朝鮮半島は古来よりの中国文化圏というのが大方の常識です。本書は、考古学的な発掘の成果と史料に拠って、6世紀初頭以前における三国時代の新羅を中国ではなくてローマ文化の影響を受けた地域とする画期的な論説です。

  著者の専門はガラス工芸史、東西美術交渉史ですが、ガラス器のみならず新羅特有の樹木冠や装飾品、馬具等、さまざまな遺物を詳細に検討していて、説得力があります。動かしがたい証拠(=出土品)の数々が、常識を覆していく様があまりに鮮やかで、知的好奇心を大いに刺激してくれる一冊でした。

 新羅とローマを結びつける証左として黄金の樹木冠やローマン・グラスが現れる度に、なるほどとうなずく。今度、慶州(新羅の古都)に行ったら、改めて国立慶州博物館にこの金冠を見にいとうと思いました。

 新羅とローマ文化の関係については、しばしばテレビなどででも紹介されますが、多くの人にとって新羅=中国文化圏の図式はまだまだ色濃いと思います。これから慶州へ行くという方は、是非この本を読むことをオススメします。現地で見る遺物の数々が、違った意味合いと存在感を持つこと、間違いありません。

 よく、日本はシルクロードの終着駅と言われますが、遙かペルシアから中央アジア、中国を経て最果ての島日本に辿り着いた人々や物を思うと、そのスケールの大きさに溜め息が出ます。  同様に、本書で述べられているローマ文化も、ユーラシア大陸の西の果てからスキタイ等の遊牧民の手を経て、ロシア南縁からシベリアを抜けて東の果ての半島の小国に辿り着いたのかと思うと、感慨深いものがあります。

 新羅は、地理的には高句麗・百済の二国によって中国と隔てられていたがゆえに、独自のローマ系文化を醸成させることが出来たわけです。ヨーロッパでゲルマン民族の侵入、ローマ帝国の瓦解といった歴史的大事件が起こるのと同時に、北魏の漢化、新羅の中国文化への転換が起こるのもまた、歴史の大きな波のひとつといえます。

  古い時代の歴史は地域史として地理的にはごく狭い部分に注目が集まりやすい傾向にありましたが、この新羅-ローマに限らず、もはやネットワークという世界的な視野をもって見ることが必要なのだと実感させられました。

 特に面白かったのは、「衝撃の皇南洞九八号双墳の発掘」と題する第五章です。この古墳は新羅最大の王・王妃合葬墓なのですが、王の墓からは銀冠が、王妃の墓からは金冠が見つかっているのです。他の王墓からは、例外なく金冠が出土しているのに、この王墓には金冠はなかったのです。規模や出土遺物から見て、間違いなく新羅最大の権勢を誇った王のはずなのに。

 他にも幾つか、この古墳には謎があるのですが、それも含めて「この古墳の被葬者は誰なのか!?」という謎を解いていく過程は、推理小説でも読んでいるかのような興奮を覚えました。

 文章も全体的に一般読者にわかりやすいように配慮されています。これは筆者の初稿を「独断と偏見による見解」と断じた編集者の一撃によるところが大きいようです。



添付画像

2011/10/27 16:40 2011/10/27 16:40


添付画像添付画像添付画像
添付画像添付画像添付画像
添付画像添付画像添付画像
添付画像添付画像添付画像
添付画像添付画像添付画像


添付画像

 野間秀樹氏は彼の諸書『ハングルの誕生 音から文字を創る (平凡社)』で、ハングルを次のように書いている。

 15世紀半ば、朝鮮半島で、国王世宗と学者たちの手で、新しい文字体系「訓民正音」、後のハングルが生まれた。多くの言語と同様、音による<話されたことば>としてのみ存在していた朝鮮語が、いかに<書かれたことば>につくり上げられたのか。

 ハングルを書くことを「単なる文字ではなく、<知>と感性のありとあらゆる細部を支えるもの」として描き出す。それは、漢字と闘い、植民地時代には日本語と闘い、「生き死にを懸けるできごと」だった。

 今、21世紀、ハングルはハングルそのものの形の美しさを世界に送るハングルファッションになっている。ハングルはその優れた表記機能だけでなく、その形の美しさも注目されるようになったのである。

添付画像

添付画像

添付画像



デザイナーイ・サンボンさんのハングルファッション

ファッション,デザインのポイントは韓国語であるハングル文字を大胆にファッション,デザインに取り入れたことである。モノトーンを基調としたデザインとハングル文字をアレンジしたファッション,デザイン世界的にも注目を集めている。通称「ハングルファッション」として韓国では有名である。

添付画像

添付画像

添付画像





添付画像

2011/04/20 11:41 2011/04/20 11:41


添付画像
 私の父は平壌の外港である鎮南浦(今の南浦直轄市)出身である。16
歳の父は学徒義勇軍という名の下で戦場に連れ出された。高校2年の父を私はこの映画で観た。

 主人公のオ・ジャンボム(多分、呉長範)は戦闘で死んでしまうが、父は連合軍(UN軍)の捕虜になり、16歳から三年間を捕虜収容所で過ごす。やがて戦争が終り、捕虜交換の交渉の最中、北に返される事を拒み、収容所を脱出した。
(父の話を元に、私は短編『悲しいクリスマス』を書いた。このブログの創作の部屋に載っている)

 それから、19歳の父はたった一人で韓国で生きる事になった。母は父の初恋で、父の24歳の時、私は生まれた。だから父と私は同じ干支である。今年、父は77歳になる。出来る事ならば、未だ元気のうち、61年前、無理やり連れ出された故郷、生き別れて二度と会うことができなかった両親の墓参りに行かせてあげたい。

16歳の若い父がこの映画の中に居た。多分、この写真の主人公オ・ジャンボム役のTOPのように、初々しい高校生だったはずだ。
 
 この映画は朝鮮戦争勃発60年を記して、昨年の夏、韓国で封を切った。8月には韓国語をそのまま訳した『砲火の中で』というタイトルで、このブログにこの映画について書いたが、その時、まだ映画を見ていなかった。
 通勤の時いつも通る赤坂見附駅の構内に貼られたポスターを見て、ようやっとこの映画が日本にやってきたと思った。封切りから始めての休みの日、2月20日の日曜日、有楽町の門川シネマでこの映画を見る事ができた。

添付画像


 朝鮮戦争で戦った学徒兵たちの悲劇を描く戦争秘話は、韓国映画らしい“母への思慕”をベースにした悲壮なドラマだ。1950年の韓国。北朝鮮の猛攻で首都ソウルまで陥落した韓国軍は、追いつめられ、最後の砦である洛東江の戦線を守り抜くために全兵力を投入しようとしていた。そんな中、戦略上の要地である浦項の軍司令部が置かれた学校を託されたのは、戦闘経験がほとんどない学徒兵たち。オ・ジャンボムをリーダーとする71人は、明らかに劣勢の状況の中、命懸けで戦いに挑んでいく…。

添付画像

 
 16歳の学徒兵の遺体から母親に宛てた手紙が発見され、そこに綴られた痛切な思いが、戦争アクションとして映画化されたのが本作。主人公ジャンボムは、本来、物静かな性格で、地獄のような戦闘光景を見たときのショックがぬぐえないのに、少年兵の中で唯一“戦闘経験がある”とみなされてリーダーに任命され激しく戸惑う。生まれて初めて見る無残な死、同じ民族同士が殺し合う矛盾、母への想いなどが彼の内側でせめぎあうが、それらにゆっくりと答えを出すような猶予はどこにもない。

 否が応でも戦争の最前線に立たねばならなかったジャンボムが、短期間にリーダーとして成長するプロセスはやや不自然なのだが、敵の襲撃から逃げず、まして降伏などせず、必死の思いで正面から戦うことを決意する姿は、悲壮感に満ちている。ジャンボムと対立し、やがて心を通わせていくのは不良少年ガプチョ。演じるクォン・サンウは、いくらなんでも学徒兵役には年齢的に無理があるのだが、少年院送りにされる代わりに志願兵になるという設定は、当時の韓国軍の追いつめられた状況を上手く表している。

添付画像
 日本でも学徒出陣という悲劇があり、それは強大な敵・米国との戦争の、敗戦の象徴なのだが、朝鮮戦争時、浦項で命を散らした学徒兵の戦いは、北朝鮮軍の南への侵攻を遅らせ、韓国軍の立て直しと、後の連合軍の反撃に大きく寄与した。しかしそのことが、結果的に朝鮮半島を決定的に二分してしまうのだから、歴史というのは皮肉なものである。映画は政治的な側面には踏み込まず、あくまでも少年たちの友情や家族への思いを軸にする情緒的な演出だ。これは監督のイ・ジェハンの嗜好なのだろう。学徒兵たちの表情は皆、まだあどけない。彼らが軍服ではなく学生服を着ていることが、悲劇をより際立たせた。


(原題「71 Into the Fire」)
(韓国/イ・ジェハン監督T.O.P、クォン・サンウ、キム・スンウ、他)


2011/02/21 14:42 2011/02/21 14:42

添付画像


映画「砲火の中へ」が描いた「6・25」朝鮮戦争

「お母さん、ぼくは人を殺しました」


 1950年6月25日、早朝の日曜日、北朝鮮は38度線を越えて武力挑発、それから三年に渡る朝鮮戦争が勃発(ぼっぱつ)した。2010年6月25日、まさに60年の今日の出来事である。

 朝鮮戦争には軍人だけでなく、韓国の中学生や高校生、大学生らも学徒兵として戦っている。こうした学徒兵らを描いた映画「砲火の中へ」が韓国でこのほど封切られた。この映画は、学徒兵たちが実際に北朝鮮の朝鮮人民軍を相手に戦った実話を基に制作されている。

添付画像
 


 戦争勃発から間もない1950年8月、韓国南東部の浦項で学徒兵として戦った当時中学3年生の15歳の少年が母親にあてて書いた手紙が残っている。

 「お母さん、ぼくは人を殺しました。10人余りになるでしょうか。手榴(しゅりゅう)弾という恐ろしい武器を投げて一瞬に殺しました。今この文章を書いている瞬間も、耳に恐ろしい轟音(ごうおん)が響いています。

 お母さん、敵の足や手が引きちぎられ離れていきました。あまりにもむごい死です。いくら敵でも、彼らも人間だと考えると、ましてや同じ言葉を話し、同じ血を分けた同族だと思うと、胸が苦しくて重いです。

 お母さん、戦争はなぜしなければいけませんか? ぼくは恐ろしいです。敵兵はあまりにも多いです。ぼくたちはやっと71人です。これから、どうなるのかを考えると恐ろしいです」


 この手紙は母親に届くことなく、少年は浦項での戦闘で戦死。死後、服の中から手紙が発見された。この手紙を基に映画「砲火の中へ」が制作された。


添付画像

 

 北朝鮮が6月25日、韓国に侵攻し朝鮮戦争が勃発。開戦から3日でソウルを陥落し、その後も破竹の勢いで進撃を続ける北朝鮮。映画で描かれているのは、8月11日の浦項での戦闘の様子だ。

 記録によると、浦項戦闘前日の10日には、数百人の韓国軍兵士と学徒兵71人が待機中だった。戦力では圧倒的に劣勢で、北朝鮮軍の進撃の情報もつかめていない無防備状態だったという。

 11日、北朝鮮の766遊撃部隊が浦項を奇襲した当時、韓国軍兵士は洛東江に南下し、司令部が置かれた浦項女子中学校には学徒兵71人だけが残っていた。残された学徒兵1人当たりに支給された武器は、小銃1丁と実弾250発がすべて。学徒兵たちは圧倒的な火力で攻撃する北朝鮮軍に対抗し、11時間半に渡る死闘を繰り広げた。

 北朝鮮軍の進撃を食い止めている間に、浦項の市民20万人以上が無事避難することができたという。また、浦項の戦闘で、北朝鮮軍60人余り、学徒兵は48人が死亡した。

 こうした朝鮮戦争で犠牲となった学徒兵は、およそ3000人と推定されている。しかし、とくに軍に所属していたわけではないので、名前すら残さずに戦死した学徒兵も多いという。

 韓国の関連資料によると、朝鮮戦争で韓国側は軍人、民間人を合わせて198万人、北朝鮮側は329万人、国連軍16万人、中国志願軍92万人と、計635万人もの死者を出した。1953年7月に休戦協定が結ばれたが、戦争はいまだ終結していない。

添付画像

 ■総制作費約85億円

 記録などから、朝鮮戦争で犠牲になった学徒兵はおよそ3000人と推定される。しかし、名前すら残すことなく“砲火の中へ”消えていった学徒兵はさらに多いとされる。こうした忘れ去られた学徒兵たちを、60年ぶりによみがえらせたいという制作陣の熱い思いが映画に込められている。




2010/06/25 13:31 2010/06/25 13:31


添付画像
朝鮮時代、お茶の発祥の地である隣国中国から、韓国にもお茶が伝わってきました。唐に派遣された使いがお茶の種を持ち帰ったことから韓国でもお茶の葉の栽培が始まり、一時は茶葉を使った私達のよく知るお茶も普及していたそうです。しかし、儒教を重んじた王朝が、中国から伝わったお茶が広まるのを抑えるために木に高い税をかけ、お茶の葉はいつしか贅沢なものとなってしまい、次第に姿を消していったのです。

 そこで、これに変わるお茶として庶民が考え出したのが、果物などの食材を使ったお茶、つまり韓国の伝統茶だと言われています。日本でも知られている代表的な韓国のお茶といえば、「高麗人参茶」や「柚子茶」、「しょうが茶」などです。



 ▲なつめ茶:老化防止のお茶として有名である。少々甘くてビタミンが豊富。韓国の伝統茶には、なつめや黒ゴマをたっぷり使った一口お餅がついてくる。

 長時間煮出したお茶に蜂蜜を加えるのが一般的になっています。そのため、お茶はかなり甘いものが多く、この甘さが疲労回復にいいといわれているそうです。いろいろな種類があって、それぞれに効果や効能があり、味も多種多様。老化防止によいと言われる「なつめ茶」や、五味五色が入った「五味子茶(オミジャチャ)」と言われるお茶などがあります。韓国ではその日の体調によって、飲むお茶を決めるという習慣があるそうです。

 また、ご飯を炊いた後お釜にできた“おこげ”にお湯を入れて飲む「スンニョン」は、生活の知恵から生まれたお茶の一つです。消化促進効果があり、手軽に飲める家庭のお茶の代表になっています。

 医食同源の思想を大切にしている韓国。お茶だって立派な健康飲料として現在でも年配から若い人まで幅広くたくさんの人々に親しまれているのです。



添付画像

←柚子茶

はちみつに漬けた柚子をお湯で溶かしたお茶。さわやかでフルーティーな味。風邪の予防にも最適。






添付画像

←五味子茶

甘味・酸味・苦味・辛味・塩味の五つの味をもち、華やかな色合いのお茶。夏にはフルーツを入れて冷やして飲む。






添付画像

←高麗人参茶とお餅のケーキ

高麗人参茶は、かぼちゃの甘味がほんのりとしたお餅のケーキがよく合う。







添付画像

←梅茶

胃腸の調子を整えると言われる梅のお茶。梅酒のように香り豊か。

2010/06/04 16:51 2010/06/04 16:51

添付画像

莞草で作られる小物入れや器「莞草(ワンチョ)」とは、イグサによく似た、日本名カンエンガヤツリ(カヤツリグサ科)という1年草で、韓国では「ワンゴル」とも呼ばれています。この莞草を編んで小物入れや器を作る「莞草工芸」は、韓国の代表的な伝統工芸のひとつです。

ワンゴルは湿地帯に生息し、背丈は長いもので2メートルにも達します。日本では絶滅危惧種のII類に指定されている非常に珍しい植物です。仁川(インチョン)広域市の江華島(カンファド)は、古くから良質の莞草が生息していることで知られ、今もなお最大の莞草生産地です。江華島の莞草は、柔らかくて強く、白色で艶があります。より白いものにするために、刈り取った莞草の皮を1枚むいて使う地方もありますが、江華島の良質な莞草は皮をむかずに使われるのが特徴。皮をむいたものに比べ、艶と丈夫さを兼ね備えているのです。
.
“ござ”からさまざまな容器にいたるまで、色や柄も多彩な莞草(ワンチョ)工芸は生活に必要な道具に活用されてきました。
.「ファムンソク」と「コッサムハプ」江華島の莞草工芸でもっとも有名なのが、四角く編んだ花ござの「花紋席(ファムンソク)」と、丸く編んだ「花三合(コッサムハプ)」。平座生活様式の韓国では古くから敷物として、また小物入れなどに広く使われていました。

ファムンソクが江華島で作られ始めたのは高麗時代末期の13世紀といわれています。相次ぐ蒙古の襲来で、一時的に都を開城から江華島に移した際、そこから移り住んだ住民が副業として始めたのです。良質な材料を使った江華島の優れた莞草工芸品は、長い間、王室へ献上されていました。

江華島は韓国で5番目に大きい島で、周辺に15の小さな島が存在しています。ファムンソクはおもに江華島の本島で作られていますが、コッサムハプは、江華島の西に位置する小さな島、喬桐島(キョドンド)を中心に作られてきました。一時は、喬桐島のほとんど全世帯、200を超える世帯で、農閑期の副業としてコッサムハプを作っていました。しかし、生活様式の変化と安価な中国製の流入などで、現在は生産量が激減しているのが現実です。

円形でふたのある容器は“合(ハプ)”、その大・中・小のセットを“三合(サムハプ)”、そして、その中で模様のあるものは、“花三合(コッサムハプ)”と呼ばれています。莞草を円形に編んだものの総称として使われることもあります。

このような円形に編んでいく技術は、さまざまな工芸品で使われています。食物の保存や裁縫箱などに使われる“単合(タンハプ)”という蓋付きの容器、結納の品を入れる箱として使われる四角い容器 “四柱単子(サジュタンジャ)”、“花方席(コッパンソク)”と呼ばれる座布団のほか、最近では帽子やアクセサリーなどが、この技術によって作られています。

添付画像

“ござ”からさまざまな容器にいたるまで、色や柄も多彩な莞草(ワンチョ)工芸は生活に必要な道具に活用されてきました。

添付画像
円形で蓋(フタ)のある大・中・小のセットになった容器が“三合(サムハプ)”、なかでも柄のあるものを“花三合(コッサムハプ)”と呼びます

添付画像
韓国語では“ハム”という結納の儀式のとき、さまざまな結納品を入れるのに使うのが“四柱単子(サジュタンジャ)”というこの箱。



添付画像
緻密な手作業から生まれるコッサムハプ江華島では、稲同様、莞草も水田で栽培されます。5月には田植えのように苗を植え、7月~8月に、花が黄褐色になった頃を見はからって刈り取ります。刈り取られた莞草は、通常は縦に3等分に裂き、練炭などを使って強い暖房を施した乾燥室で1日乾燥させます。天日の場合は、乾燥させるために5、6日は必要です。干した莞草は、必要に応じて染色し、あとは編んでいくだけです。

同じ莞草工芸でも、ファムンソクは半自動の機械で編むケースもあります。しかし、円形が基本になるコッサムハプは機械で編むことができず、すべて手作業で作られます。それも分業をすることなく、最初から最後まで、すべてひとりの職人が地道に編んでいきます。なにより肝心なことは、“緻密に編む” ことだそうです。

円筒形の容器は、外側と内側の2つを別々に作り、それをはめ込んで完成。熟練した技術者ほど、外側と内側の2つのコッサムハプがぴったりとはまり込み、見た目よりも丈夫です。熟練した技術者が、1日12時間作業しても、1ヵ月に大・中・小のセットを、4~5個作るのがやっと。熟練した職人による莞草工芸は、それだけ希少価値のある逸品なのです。

添付画像
昔は花や草、木などの天然素材を使っていましたが、最近は化学染料が使われています。基本の色は赤、青、紫、黄、藍、黒、白の七色。混ぜて他の色も作れます。

添付画像
重要無形文化財103号、莞草匠李相宰(イ・サンジェ)さんが全国工芸品展で特選に受賞したときの作品。“合(ハプ)”と呼ばれるふた付きの容器です...


添付画像
四角ばった大・中・小セットの“花三合(コッサムハプ)”。強烈な赤色で、米国での展示会では大人気だった作品です。

添付画像
幾何学模様が特徴の“単合(タンハプ)”は、円形ではなく、丸みを帯びた正方形。



添付画像
角のとれた八角形の“単合(タンハプ)”。図面もなしに作られるため、高度の技術が要求される作品です。

添付画像
編目が緻密なほど堅固で、ずっしりとした重量感が感じられ、“良い製品”と言われています。

 

写真は全て重要無形文化財103号、莞草匠李相宰(イ・サンジェ)巨匠の作品です。

添付画像
    重要無形文化財103号  莞草匠 李相宰(イ・サンジェ)さん
    1996年:重要無形文化財に指定
    1963年:江華民芸品展 大賞
        第9回、24回 京畿道工芸品展 特選
    1994年:全国工芸品展 特選

2010/03/17 11:44 2010/03/17 11:44

添付画像
 韓国はバンクーバー冬季五輪で好成績をあげた。スピードスケート男子5,000メートルで無名の李承勲(イ・スンフン)が銀メダルを獲得したのをスタートに、その二日後にはスピードスケート男子500メートルでモ・テボムが金メダルを、またその翌日には同じ種目の女子500メートルで李相花(イ・サンファ)が金メダル、24日には同なじく男子1万メートルで李承勲が金メダルを獲得した。

 26日にはフィギュアスケートのキム・ヨナが歴代最高記録(228.56点)で金メダルを追加した。韓国は金6、銀6、銅2、合わせて14個のメダルを獲得し、総合順位5位、メダル数順位7位になった。この成績はアジア国家では歴代最高である。

添付画像



韓国の大躍進

 スピードスケートはバンクーバー五輪が始まるまで、欧米選手の独走と言っても過言ではない。これまで、アジア選手は欧米選手に比べ体格や体力が劣っているため、メダル獲得は難しいとされていた。そのため韓国は、瞬発力が決め手となるショートトラックで多量のメダルを獲得することを狙ってきた。スピードスケート短距離で、モ・テボムと李相花が、長距離で李承勲が優勝することが出来たのは韓国選手が成し遂げた快挙だけでなく、アジア選手にもこう言った体力や持久力を競う勝負にその可能性は十分にある事を証明できたことに意義があると思う。

 キム・ヨナの優勝は、最近国際フィギュアスケート界が注目するアジアの躍進といえる。また、日本は女子シングルで浅田真央が準優勝、男子シングルで高橋大輔が3位に入り、中国がフィギュアスケート・ペア部門で申雪-趙宏博ペアが優勝、トウ健-ホウ清ペアが準優勝を果たした。


雪上種目が課題

 韓国のこれからの課題は雪上競技である。冬季五輪は「雪と氷の祭典」といわれているが、韓国は今回の五輪で大躍進をしたものの、メダルを獲得したのはすべて氷上種目だった。アルペンスキーなどは相変わらず欧米選手が制覇した。アジア勢では最も強いと思われた日本も雪上競技の成績は期待に及ばず、取れたメダル五つは全て氷上競技からであった。
 韓国において雪上種目には、これといった有望選手も無ければ、施設も整備されていない。その為とも言えるべくメダル獲得は難しい状況である。バンクーバー五輪韓国選手団を率いる朴聖仁(パク・ソンイン)団長は、「雪上種目で好成績を上げるためにはあと10年はかかる」と話したという。



添付画像


2010/03/01 15:57 2010/03/01 15:57

添付画像
この際にスケートの話をしよう。

他紙で読んだ話だが、1894年ごろ、景福宮
注1 の池で、朝鮮王朝第26代国王の高宗(のち大韓帝国皇帝)と明成皇后(日本での呼称:閔妃〈びんぴ〉)が見守る中、朝鮮に住む外国人たちによるスケート大会が行われたそうだ。当時、朝鮮を訪れていたイギリスの女性紀行作家イザベラ・バードは、この日の光景を『朝鮮紀行』という本につづった。明成皇后は厳しいおきてに縛られていたため、香遠亭注2 にすだれを掛け、外からは見えないようにして、その中から大会の模様を見ていたという。生まれて初めて見るスケートを、明成皇后は興味津々な様子で見ていたものの、男女が男寺党(旅芸人)のように手をつないだり、離したりする場面には不快感を示したとか・・・

 当時、朝鮮ではスケートを、「足で氷の上を滑る遊び」という意味で「氷足戯」と呼んでいたらしい。一方、朝鮮よりも約30年も早くスケートが伝わった日本では、その模様を初めて見た明治維新の立役者の一人、木戸孝允が日記に「氷上に戯遊するものあるを見る」とつづったそうだ。「男女が手をつないだり、離したりした」という記述から考えて、明成皇后が見たスケート大会では、フィギュアスケートも行われたのだろうか。だが、フィギュアスケートが韓国人の間で本格的に知られるようになったのは、1924年に「フィギュアスケート・クラブ(FSC)」が誕生してからのことである。しかし、設立当時のメンバー8人の中に女性は一人もいなかったという(『韓国フィギュアスケートの100年』より)。

 フィギュアスケートは1864年、米国のバレエ教師のジャクソン・ヘインズが、スケート靴を履いてワルツを踊ったのがはじまりだとか・・

 キム・ヨナが、国際スケート連盟(ISU)グランプリ(GP)シリーズ第1戦フランス杯の女子シングル大会で、史上最高の210.03点を獲得、優勝した。
フィギュア不毛の地だった韓国に生まれ、世界のスターとしての地位をつかんだキム・ヨナが、4カ月後に迫ったバンクーバー五輪で再び吉報をもたらしてくれることを願ってやまない。


----------------------------------

注1 景福宮(キョンボックン)

李氏朝鮮の王宮。韓国のソウル特別市にある。

 李氏朝鮮王朝の創始者李成桂は1392年に開城で王に即位、その2年後の1394年に漢陽(現在のソウル)への遷都を決定。風水に基づき漢江の北、北岳山の南にあたる「陽」の地が選ばれ宮殿を建設。李成桂が開城で政務をとっている間から王宮の建設がはじまり、「景福宮」と命名され1395年から李氏朝鮮の正宮として使用された。

 1397年には漢陽 の城郭と四大城門が完成した。1395年から約200年間、朝鮮王朝の正宮として使用された。1592年文禄の役(壬辰倭乱)で豊臣秀吉の軍勢が略奪・放火しほぼ全ての建物が焼失。その後は離宮の昌徳宮が正殿に使用され、約270年間も放置された。

 王朝末期の1865年に高宗の父興宣大院君が再建し、国王の住居と政務を昌徳宮から移した。以後、王朝滅亡まで宮殿として存続したが、1910年、日本軍人を総督とする朝鮮総督府が敷地内の建物の8割以上を破壊し光化門を撤去し、宮殿正面に総督府庁舎を建て征服者が日本だということを示し、街から宮殿は見えなくなった。

 王朝の正宮が2度も日本軍に破壊され韓国という国が消滅したことは、韓国にとって屈辱の歴史の象徴とされている。

 光化門を正門にし、勤政殿を正殿にし、それを結ぶ線に対して左右対称に建物が配置されている。これは北京の紫禁城などの様式を倣ったもので、儒教の伝統にかなったものである。また中には優雅な庭園が配されており、宮殿の中にいながら山河に遊ぶことができるようになっている。

 現在は宮殿北側にある部分が大韓民国大統領官邸(いわゆる青瓦台)に使用されている。光化門は1968年にコンクリートで復元されたが総督府庁舎があったため正確な位置ではなかった。これは2006年に撤去され宮殿全体とともに復元工事中であり、2009年に正確な位置に復元される予定。2025年に景福宮復元事業が完了予定。もっと知りたい方は↓ 
http://www.seoulnavi.com/spot/goods_article.php?goods_seq=1&category_id=08

注2 香遠亭(ヒャンウォンジョン)

添付画像
 景福宮の最奥部(北端)に近い香遠池に浮かぶ香遠亭の夏模様

 景福宮の北側へ蓮池に囲まれた美しい八角亭の香遠亭がある。高宗皇帝が1867年に香遠亭を建てた時、 池を香遠亭の南側に掘らせ池の中の島に八角亭を建てた。元来 香遠亭は酔香橋という橋を渡って池の北側に繋いで王がこの橋を通りすぎ亭においでになり楽しめるようにしたと伝えられる。
 景福宮には慶会楼と香遠亭である。慶会楼は国の慶事がある時や、外交使節を応接する時に宴会を催した所で、大きな人工池の上にある。
 他方、景福宮の最奥部(北端)に近い香遠池に浮かぶのが香遠亭である。寝殿の裏側に位置する後苑空間で、慶会楼と同じく池を掘り真ん中に人工島を作って東屋を建てたものだ。慶会楼に比べて女性的なのが特徴である。

 この香遠亭は1873年、韓国で初めて電灯がともされた場所でもある。電気のほうがろうそくよりも費用が安いということや、甲申政変(1884年)などで恐怖を感じた高宗が暗がりを嫌ったことなどがその理由としてあげられている。






2009/10/21 13:43 2009/10/21 13:43


 鳩山由紀夫首相夫人の幸さんが、今日東京ドームで開催される出版記念イベントに来場することが分かった。主催者側が貴賓席を用意しているという情報もある。
 幸婦人は熱烈な韓流ファンとして知られ、それが理由で韓国では鳩山内閣誕生時に「親韓政権」と報じられた。ヨン様とファーストレディーの交友が日韓友好の象徴になってほしい。


  韓流スターのぺ・ヨンジュンさんが22日、ソウル市内で自著出版にあわせた記者会見を行い、「農家になりたい」と将来の夢を語った。
  聯合ニュースによると、ぺさんは、最もやりたいことについて問われ、「大地を踏んで土を触り、何かを植えて実らせ、誰かに健康な食べ物を提供することは、幸福なことだと思う」と話した。
 著書は韓国の伝統文化を紹介する内容。海外のファンが撮影所に立ち寄るだけで帰ってしまうことを残念に思ったといい、自ら韓国全土を回って体験したことを書き記し、写真を添えた。
 ぺさんは、執筆中に体重が10キロ以上減るなど体調を崩したという。17~21日まで入院していたが、「今は回復している。すぐに健康になるでしょう」と話した。

2009年9月22日20時05分  読売新聞)



添付画像


 2009年9月22日、ソウル市竜山区・国立中央博物館の大講堂にて、ペ・ヨンジュンのフォト&エッセー『韓国の美をたどる旅』の出版記念記者会見が行われた。敗血症で入院していた俳優ペ・ヨンジュンが、会場に集まったファンと国内外のメディアに向けて元気な姿を見せたとマスコミは報じた。

 この日の出版記念会に出席したメディアは、韓国はもとより日本、そして海外メディアも合わせてなんと300社におよび、記者も450名を超える大盛況でしたという。 午後1時過ぎに会場に現れたペ・ヨンジュンは、黒のスーツ姿にいつものやわらかなヨン様スマイルで登場。 久し振りに公の場に姿を見せた超大型スターの登場に、会場は大歓声に包まれたようだ。
 
 出版記念会の趣旨は、韓国の文化を勉強しているペ・ヨンジュンが、韓国をより深く知ってもらいたいという 強い意志で企画された。約1年という期間に渡って体験取材を行い、執筆したのがこのフォト&エッセー 『韓国の美をたどる旅』である。



添付画像


ヨン様10問10答:

Q① まず、心配されている方も多いと思いますが、健康はいかがでしょうか?

 ペ:心配をおかけして大変申し訳ございませんでした。今日、先生方にお逢いして力を得ることができました。 たくさん回復をしたと思っています。

Q② 映画俳優でありながら、この本を作ったきっかけは何だったのでしょうか?

 ペ:きっかけはたくさんありました。 うまく答えることができなくて恥ずかしい思いをしたことがあります。 そして美味しいレストランや名所を紹介しようと考えたら、それならまず先に韓国の文化や伝統を理解しなければ ならないのではないかと考えて、このような形で発表することになりました。 準備はとても大変でしたが、素晴らしい先生方の助けによって、少しは楽に学べたのではないかと思っています。 今の気持ちは無事に終わってよかったなあということです。

Q③ この本は、本当に最初から最後までご自分で書かれたんでしょうか?

 ペ:自分でちゃんと書きましたよ(笑)

Q④ この本の中に込められている、韓国の伝統文化がたくさんあると思いますが、選ばれた課程や理由はあるのでしょうか?
当初の企画から出来上がった作品には満足していますか?

 ペ:日頃から関心を持っていたことや好んでいた分野を中心に約13のテーマを選びました。 先生たちと一緒に旅行をしながらの制作過程は、自然に流れるように行われました。そして本を読んだり新聞を読んだり、生活の中で あるいはほかの人に紹介されて、先生のおひとりおひとりにお逢いすることは「縁」だと感じました。 本の出来上がりに関しては、満足しておりません。大変残念だと思うことがたくさんあります。 しかしこの残念だと思う気持ちが、次回の作業にもっと熱意を込めさせるのではないかと思います。 それから本を作る過程で大変だったのは、締め切りを守るということでした。 後の作業をするスタッフたちが本当に大変だったと思います。 この場を借りてお詫びをさせていただきたいと思います。

Q⑤ 最初の作品が出版されましたが、次の作品の出版も期待してよろしいですか?

 ペ:これからは本よりもやはり俳優として、次の撮影について準備しなければと思っています。 制作期間が長かったということもありますので、ファンの皆様にも長らくお待ちいただきました。 本を作る作業というのは魅力のある作業だなあと思いました。 次にもしまた本を出版する機会がありましたら、韓国の名所とレストランなどを紹介する本を作りたいです。

Q⑥ 出版おめでとうございます。1年間あちこちを回られたそうですが、一番推薦できる場所はどこですか?

 ペ:いいところは本当にたくさんあったのですが、ひとつだけ選ぶのであれば記憶に残るのは慶州(キョンジュ)です。 目には見えなくても多くのことを考えさせられる場所でした。 また自宅に帰ってきた後には、見忘れたものがあるんじゃないかともう一度行ってみたいと思わせる場所でした。

Q⑦ さきほど先生方から何でもうまくできたということでしたが、気楽にできて長い間やっていけるような学びたいことはありますか?

 ペ:私は農業を営む農夫になりたいです。 理由は、植物を植えて実りを得て、健康な食べ物を作るということは、いつになるかわかりませんが、大変幸せなことだと思います。 先生方に教えていただいたことももちろん素晴らしいことばかりでした。今後も続けて行きたいと思います。 そして職業欄にひとつ書き加えるとしたら、「農夫」と書いてみたいです(笑)。 しかし「農夫になる」というような記事は、記者さんたちが書かないことを願います。

Q⑧ 作家ペ・ヨンジュンではなくて俳優として、今後どんな姿で逢えるのでしょうか?歌手はどうですか?

 ペ:まず歌手になることはありません。歌がうまくないので(笑)。しかし農夫になったときに遊びに来てくれたら、歌を歌ってあげます。 また俳優ペ・ヨンジュンという名前がなかったら、作家ペ・ヨンジュンというものもなかったと思います。

Q⑨健康のことをファンの方もたくさん心配されていると思うのですが、1年間制作活動をしてきて一番大変だったことはなんですか? またファンの皆さんへメッセージをお願いします。

 ペ:一番大変だったことは、ある記者の方が言ったことなのですが、「私が文章を書いていたらどんどん痩せていきます」と言ったら、 最初はみんなそうだと言われました。10kgぐらい痩せてしまったんですけれども、次の作業をするときは多分太るだろうと言われました。 体力が落ちてしまったということだと思うんですが、少し身体が悪くなってしまって、いきなり入院ということになりました。 しかし回復しているのですぐよくなると思います。

Q⑩ 本を出版されて、やり残したことがあれば教えてください。
またこれから読者になる皆様へひとことお願いします。

 ペ:残念な点は、締め切りを守ることができなかったことです。最後の作業がうまくいかなくて残念でした。 特に残念なのは誤字があります。257頁の下から2行めは、「西の塔」ではなく「東の塔」なんです。 足りないところもあるかと思いますが、本を読みながら、私と一緒に旅をしてもらえたらと思います。 そして温かい気持ちで読んでいただけたらと思います。


2009/09/30 14:09 2009/09/30 14:09


 白夜行(びゃくやこう)はご存知のとおり、大ベストセラーの東野圭吾の長編ミステリー小説です。集英社の「小説すばる」の1997年1月号から1999年1月号に連載され、1999年8月には、単行本として刊行されました。

 当初は、連作短篇として連載されていましたが、単行本では長篇に構成しなおして刊行されました。発行部数は2005年11月の時点で55万部。ドラマ第1話放送後に、売れ行きが伸び、2006年1月に100万部を突破しました。2007年4月時点では、120万部を超えている大ベストセラーとなっています。その頃、私も家族の勧めでこの小説を読みました。

 幼少時、初恋の少女を助けるために父親を殺した少年。その少年を庇うために母親の命を奪った少女。彼らの残酷な14年間の愛の軌跡を描いた物語が「白夜行」です。私は同情人物の図を作り、それぞれの関係を表にしながら読んでいました。複雑に絡む人間関係の中からミステリを解く鍵を見つけるのは推理小説の一般的な読み方だと思っていたからです。もちろんすこしずつ犯人に辿り着く楽しみもありました。

 ストーリーは1973年の大阪。ある質屋が殺されました。何人かの容疑者が捜査線上に浮かびますが、どれも決定的な証拠はありません。最後に被害者と会った女がガス中毒死して、事件は迷宮入りを迎えます。

 被害者の息子である桐原亮司と, 容疑者の娘の西本雪穂。2人のその後の人生は順風満帆ではなく、次々忌まわしい事件が降りかかります。
随所にさまざまな伏線が張られていますが、壮大なスケールでのストーリー展開は、こまかな謎の存在などどうでもよいという印象すら与えてくれるほど。さてその結末は…

 この小説はTBSによってドラマ化されています。原作と違って最初から犯人を明らかにしてこのドラマは始まっていました。ドラマでは、原作にほとんど描かれていなかった亮司と雪穂の関係が描かれています。

 しかし、時代の整合性上、殺人事件が発生したのが1973年ではなく1991年となっていて、第1話導入部でいきなり原作のネタバレを登場させたりするなど、ドラマでは原作と大きな相違がありました。視聴者からは「小説のイメージと主要キャストの雰囲が違う」という意見も多数寄せられました。さらには、映像化そのものに反対する意見など,さまざまな声がTBSに寄せられました。

 原作者は、内容の改変に寛大な作家としても知られていますが、本作では「原作とドラマでは、主人公の性格が180度違う」という異例の発言を行なったそうです。原作に大幅な手を加えたことについて、石丸彰彦プロデューサーは雑誌のインタビューで「亮司と雪穂をモンスターにしたくなかった」と語っています。



***

添付画像

 
 この『白夜行』が韓国で映画になります。11月封切りの予定で、監督は「パク・シウ」、刑事役は『八月のクリスマス』、『シュリ』などで有名な俳優ハン・ソッキュ(韓石圭)、女主人公の「雪穂=미호」役に『私の頭の中の消しゴム』と『四月の雪』で知られているソン・イェジン(孫芸珍)、影で生きる男主人公「亮司=요한」役は若手のコ・ス

 この秋、最も期待できる映画として注目されているこの映画に、小説『白夜行』の一読者として、わくわく期待を寄せてます。o(^-^)o




韓国版『白夜行』予告編
画像及び動画 シネマサービス


2009/09/28 15:54 2009/09/28 15:54