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  1. 2010/05/06 「よど号」事件40年 (1)


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※今年は2010年、この4月で、この事件はちょうど40年です。 私は40年前、この事件を韓国のテレビで見ていました。言わば、「金浦国際空港」が「平壌国際空港」を装いましたが犯人たちに見破られ、人質だけ降ろして北朝鮮への旅立ちを許すしかない、まさにその場面を、息を呑んでみていた親のそばからですが、子供ながら、えらい事になったと思っていましたので、記憶に鮮明に残っています。

その犯人達は北朝鮮に渡り、自分達の夢の実現に向けて頑張れたのでしょうか?それから何を思って今に至り、死んで行ったのか、いったいあの事件は何を残して、何を失ったのでしょうか?

 下記の記事は10年前、丁度30年になる年の2000年6月18日に放映された、放送日本テレビ『知ってるつもり?!』の「よど号」物語 事件が彩る数奇な運命によるものです。それからまた10年の年月が流れました。
 

「よど号」物語 事件が彩る数奇な運命
 

アメリカの空を伸びやかに飛ぶ、1機の美しいジェット機!!
機体は旧式ながら、内装は超豪華!!使っているのは、プロバスケットのマイケル・ジョーダンなど各界のスターが乗るVIP!!昔…このVIPチャーターのジェット機には、日本でこんな名前が付けられていた。 ──「よど号」!!

今からちょうど30年前…

1970年(昭和45)3月31日――羽田発福岡行きの日本航空351便ボーイング727「よど号」は、乗客131名と乗員7名を乗せて、定刻をおよそ10分遅れの7時21分、羽田空港を離陸した。機長は石田真二、飛行時間は1万時間を優に越える47歳のベテランパイロット。

そして離陸から10分後、富士山上空にさしかかったその時──!!体前方に座っていた男たちが一斉に立ち上がり、日本刀やピストル、ダイナマイトを振りかざして乗客を制圧、機長らに日本刀を突きつけ「北朝鮮のピョンヤンへ行け」と要求したのである。
ハイジャックの一報は、電撃的に日本中を駆け抜け、初めての事件に日本政府も対処の仕方が分からず、戸惑うばかりであった…。「よど号」は、石田機長の機転で福岡空港で給油しながら時間稼ぎをし、人質のうち女性や子供たちを解放させたものの結局、説得をふりきり、「よど号」は、一路北朝鮮を目指し、飛び立った。
しかし、なぜか韓国の金浦空港にいったん着陸。ここで乗客の身代わりにと、名乗り出た山村新治郎政務次官が搭乗し、ついに「38度線」を越えて北朝鮮へと飛んで行った。事件発生6日目の4月5日9時10分、「よど号」は山村政務次官を乗せて無事帰国をした。

だが、実はこの「よど号事件」、いくつもの謎と秘話が隠されていた。北朝鮮に飛び立ったよど号は、朝鮮半島を一路北へ進んだ。しかし、38度線を越えたところで、なぜか急旋回!レーダーに誘導されるがままに、よど号は15時16分、着陸した。
――しかし、そこはピョンヤン空港ではなく、ソウルの金浦空港だったのである!
「よど号」の北朝鮮行きを何としても阻止したい日本政府が、米国軍に解決を依頼し、韓国側に協力を要請したという一説も…!

さらに──金浦空港でピョンヤン空港までの地図を要求した石田機長に渡されたのは、何と中学生用の白地図のコピー1枚だけ!!その余白には「航路図なし。121・5MCをつねに傍受せよ」としか書いてなかったのである!──そして白地図1枚を頼りに、初めての北朝鮮・ピョンヤン空港へ…日の暮れたソウルを飛び立った「よど号」は、いっこうに無線の応答もないまま勘を頼りの有視界飛行を続けた。そんな時、石田機長の目に入った、照明もない草ぼうぼうの滑走路!!その滑走路は凸凹で、戦時中に旧日本軍が作って放置されていた飛行場であった。
そんな夜間の無人滑走路への無事着陸──!それを可能にしたのは、石田機長の過去にワケがあった。19歳で航空機乗員養成所に入った石田さんは、太平洋戦争が始まると、「夜間特攻隊」の教官に。それは、闇夜の中を飛んで敵に近づき体当たりをするというもの!──この飛行技術と体験が、よど号事件で活かされることとなったのである。

事件によって「英雄」となった、「よど号」の機長、石田真二氏──5日後に羽田空港へ戻ってきた彼は、一躍脚光を浴び「時の人」と騒がれた。ところが、有名になったことで白日のもとに晒されたものがあった!!「愛人騒動」──一転してのスキャンダル。時に石田さん47歳、それが20年近い「流転の人生」の始まりであった…。女性問題で日航を辞め、その後、家族ともうまくいかず、自家用飛行機の雇われパイロットとして、大阪、札幌、岡山…と転々と一人で渡り歩いたものの、会社が倒産するなど、どこまでもうまくいかない人生──。エリートの機長時代には味わったことのない辛酸に石田さんは、「事件に人生を狂わされた…」と幾度も運命を呪ったという。しかし、石田さんを待っていたのは、捨てたはずの家族。何も言わず、全てを許してくれた家族のもとで、人生のやり直しを始めた。現在は夜間の警備員として職に就き、平穏に暮らしている。
──「今でも、よど号を操縦して空を飛んでいる夢をみるよ…」

そして乗客の身代わりとして北朝鮮に飛んだ、もう一人の「英雄」山村運輸政務次官──

韓国の金浦空港にて、緊張したこう着状態が続き、乗客たちの疲労もピークとなっていた「ハイジャック3日目」。“乗客を降ろす条件で自分が人質に”と提案…。結局、この提案を犯人グループも受入れ、乗客たちはようやく解放、よど号はこうしてピョンヤンへと飛び立っていった…。
よど号が日本へ帰ってきたのは、その2日後。──国民的英雄として、熱狂的に迎えられ、男を上げた山村氏は、その後の選挙でもトップ当選!!大臣のイスを歴任するなど、「男、山新」は政界の顔として活躍する。しかし、「事件」から22年後の1992年、自宅で実の娘に刺殺されるという、まさかの衝撃的な事件が!
その影に隠されていた、事件の複雑な波紋とは…

そして北朝鮮に亡命した赤軍派メンバー──当時、彼らは声明文で「我々は…あしたのジョーになる」と叫び、当時の人気漫画・「あしたのジョー」に自分たちをなぞらえ、“燃え尽きるまで戦うのだ”と叫んだ、当時20歳前後のメンバーたち。彼らは日本初のハイジャックを「フェニックス作戦」と命名。北朝鮮を夢の楽園と目指し、軍事訓練を積んで日本へ帰って武装闘争をしようとしていたのであった。
今や50歳を過ぎ、9人だったメンバーも現地で病死したり、海外で逮捕されたりして…今は4人。しかし、現地で結婚した彼らの子供たちは合わせて20人も…!!
──「僕たちも、20世紀中に起こしたことは、20世紀中にキチンと解決したい…。我々も日本に帰りたいのは、偽らざる心情…」海外に出た彼らに時効はない。日本へ帰る事は、刑に服することを意味するのである。彼らは今、30年目の「清算」を迫られる日々を過ごしている。

事件から30年たった今年、4月。ハイジャック犯人、赤軍派の隊長だった塩見孝也は、こう言っている。
「英雄性だとかあったかもしれないが…基本的には独り善がりだったと思う」

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同機に乗り合わせた乗客の中に聖路加国際病院の日野原重明理事長(98)がいた。2010年3月、「よど号」乗っ取り事件から40年というので、産経新聞に寄稿し、当時の様子を生々しく振り返っている。               

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事件は、私が59歳になる半年前のことであり、当時、私は聖路加国際病院の内科医長だった。ちょうど飛行機が富士山の噴火口の真上を飛んでいたとき、日本刀を持った一団からハイジャックの宣言を聞き、これは大変なことになったと胸騒ぎがした。自分の気持ちが動揺しているかどうか確認しようと思い、縛られた手の指で自分の脈拍を数えてみると、平素の脈拍数70が80にもなっていた。

尊敬するアメリカの医学教育の開拓者、ウィリアム・オスラー博士の講演集『平静の心』にある「医師にとって、沈着な姿勢、これに勝る資質はありえない」という文章や、新約聖書にある「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちよ」というイエスのお言葉が頭をよぎった。私はあるがままに任せるほか仕方がないと観念した。

冷暖房が作動しない機内の温度は40度にもなり、韓国軍と赤軍側のやり取りで緊迫し、食料をめぐって騒然となったこともあった。だが、ハイジャック3日目に機内放送があり、山村新治郎代議士が乗客の身代わりになって赤軍とともに北朝鮮へ出発することが伝えられた。

3日目の夜には、乗客の1人がハイジャックとはどういう意味かと質問をしたが、田宮(高麿)代表も答えられなかったので、私がマイクをもらって「ハイジャックする人が説明できないのはおかしい」といったところ、一同は大笑いして、座が急に明るくなった。生きるも死ぬも皆が同じ運命にあるという意識から生じたストックホルム症候群という敵味方の一体感に一同が酔ったといえるのかもしれない。

乗客の1人が別れの歌「北帰行」を高らかに吟じ、それに対して赤軍一同が革命歌「インターナショナル」を歌うと、学生時代に左翼運動に参加したと思われる乗客たちが手拍子を取って一緒に歌ったりもした。

ハイジャック4日目の朝に解放されて金浦空港(韓国)の土を踏んだときの靴底の感覚を私は今でも忘れることができない。1969年にアポロの宇宙飛行士が月飛行を終えて無事に基地に帰り、大地を踏んだときの心境に近いものではなかったかと思った。

人生を還暦前と還暦後に分ければ、私は、後半の人生を誰のためにささげるべきかを深く考えさせる大事件に出会ったわけである。国の内外を問わず、人々のためにささげる生き方を始める人生の転換が与えられたのだと感じ、その後、いつまでもその覚悟を持って生活してきた。

赤軍のよど号グループのメンバーたちは、今にして無謀なことをやったと後悔はしていようが、帰国すると刑を受けるために、残留組は意地をはっていると思う。


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http://www.videonews.com/
動画は「今週のニュース・コメンタリー(2010年03月27日)」より




「よど号」ハイジャック事件の詳細が知りたい方は下記のサイトをご参照ください。


boro's space 無限回路
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/yodo.htm


おちゃらけ社会派Chikirinさんのブログから
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080830







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