'パソコン'に該当される記事2件

  1. 2010/08/10 SEがゆく (4)
  2. 2010/07/20 パソコンが壊れた。 (4)

SEがゆく

ひとり言 2010/08/10 12:52

添付画像
今もその名前が懐かしいニフティサーブ(NIFTY-Serve、のちにNIFTY SERVE)は、1986年から2006年までニフティ株式会社が運営していたパソコン通信サービスで、驚異とも言えるインターネットという新世界への幕開けだった。私も目から鱗が取れた開眼の経験をした。
  

添付画像
 ニフティサーブにはCompuServeのCB Simulatorにならい、市民バンドを文字ターミナルで再現する俗称「CB」というものがあった。

 毎晩入り浸っていたこのCBシミュレーターには、Band AとBand B(後にBand Cが追加)があり、一つのバンドに1~30チャンネルまでが設けられ、同じチャンネルに接続した者同士でリアルタイムに会話が出来た。当時私は18チャンネルをホームベースとしていた。

 そのうち、2チャンネルは初心者用チャンネルとされていたが、やがて国内最大コミュニティと言われる「2チャン」へと変貌する。


 ネットで "北村よしみ"を検索すてみる。

 かつて、彼が運営していたサイト「よιみの好きな本」はもうネット上に存在しない。Niftyの「人生後半戦フォーラム」で活躍していた痕跡も消えている。メールマガジン「よιみのオモチャ箱」も、もうない。

 彼に出会った当時、私は未だマックを使っていた頃だ。当時、通の中で話題のコミュニティーニフティサーブのCBに屯っていたパソコン仲間だったのである。その思い出のニフティサーブのCBシミュレータも、惜しまれながら2001年9月いっぱいでサービス終了となった。

 そのときの仲間はそれから10年の年月を得て今も何人かとは連絡を取っている。1986年創設され、16年間お世話になったCBer達にとって、ニフのCBは、これからのネット全盛時代の登竜門だったとも言えよう。今も多くの仲間がSE(システムエンジニアー)やプログラマーとして一線で活躍しているからだ。

 「北村よιみ」もその一人、CBで出会い、何回もオフ仲間と旅行もした。そのうち自宅に招かれ両親に挨拶までさせられ、びっくりして、それから個人対個人付き合いは控えていた。

 ある日の事、彼の書いた本「SEがゆく」の出版の前に、本の内容の中で私が登場する事を御本人から知らされ、了承してほしいと言われた。抗議をしてその部分を削除したら本の内容がおかしくなるため、ハンドルネームで使っていた私のニックネームだけ変えてもらう事にした。だから彼の本は出版前に読んだ事になる。出来た本はサイン入りで送ってくれて、それから『日系ビジネス』や『週刊金曜日』に紹介されるたびに雑誌を送ってきた。

 昨年の暮れ、思いよらぬ葉書が届くまで、私はまだ彼が次の本を書いていると思っていた。その前の年、バイクに夢中だと書いた彼からの年賀状をもらったのに・・・・ 

結局、この喪中葉書によると、私が彼からもらった年賀状を目にしていた昨年の元旦、その頃彼は既に亡くなっていた事になる。


添付画像




 彼が残した二冊の本はいままだAmazonで売れていた。


----------------------------------------------------
SE中年記 北村 よしみ (単行本 - 2003/2)
新品: ¥ 1,008
1 新品 ¥ 1,008より
6 中古品 ¥ 357より
在庫切れ;商品が入荷次第配送します
5つ星のうち 1.0   (1) Amazonプライム対象商品

------------------------------------------------
新品: ¥ 620
1 新品 ¥ 620より
5 中古品 ¥ 1より
2分以内に「お急ぎ便」でご注文いただくと、2010/8/10 火曜日までにお届けします
Amazonプライム対象商品 

---------------------------------------
SEがゆく―波乱万丈!SE日記 北村 よιみ (単行本 - 2001/10)
6 中古品 ¥ 48より

商品の説明

内容(「BOOK」データベースより)

オフコン黎明期―ようやくコンピュータが中小企業にも一般的になった時代に、アルバイトプログラマからSEとなった著者。“日本のコンピュータ史に影響を与えるほどの仕事はしなかったものの、一緒に歩くくらいはした”そのSE人生は波瀾万丈!学生で起業し、数年後には念願の家を建てるが、あまりの収入の乱高下に潮時とみて25歳でサラリーマンへ。社内SEとして数社を渡り歩くも、行く先々で大騒動に!社長逮捕にマルサ査察、ヤクザの脅しにあげく倒産!「“株式会社たこ部屋”に改名したら?」と言われるほどの日常的なハードワークをこなしていた著者が綴る、痛快SEエッセイ。

----------------------------------------


「北村よιみ」の死因を私は知らない。いったい何があったのだろうか・・・ ずっと気になっていたけど、家族に連絡をとって聞くまでの勇気が出せなかった。

 実は今朝、私は勇気を出して彼の実家に電話をしてみた。だけど、ベルを鳴らしても誰も出なかった。 確かに両親と結婚した妹さんとその子供さんの話はよく聞いたので、誰か居ないかなと思っていたけど・・・

 喪中葉書をもらったのも仲間の中では多分、私だけだとおもう。彼が亡くなったこと他の仲間は知っているのか。仲間もこの二年間会ってない。

 何年前か亡くなったもうひとり、山ヒコ君、無口でやさしかった彼は自ら命を絶った。 静岡の戸田村まで仲間たちと行って、お線香をあげてきた事もあった。一人残されたお母様は泣いていた。

添付画像



 暗い話になったけど、みんな集まると楽しかった。みんなで同じテーマでそれぞれのホームページを作って交換した。毎晩それぞれが作ったHPの掲示板めぐりをした。関東一帯はもちろん、関西にまで足を伸ばして思い出を作った。奈良のベルは元気かな・・・・

 仙台のとさかさんと群馬のにゃんこさんが一昨年、遠いところから店に来てくれた。
CB仲間ではっちゃんとるりちゃんは結婚してる。私は結婚式でスピーチを頼まれて緊張してたりした。ふたりはこの春、新築マンションを購入したと連絡があった。泊まりに行ってこようかな・・・・

 
2010/08/10 12:52 2010/08/10 12:52

パソコンが壊れた。


 自宅で使っていたパソコンが壊れた。二週間前の話である。人間に例えば脳に当たるハードディスクが壊れてしまった。それは中に入っている全てを失うという意味でもある。幸いに、三年前まではバックアップを取っていたので、失ったのはこの三年間の思い出の写真と副業で営んでいる飲食店の元帳である。

 専門のところに持ち込んだら、ハードディスクの物理的障害で、データーを読み込むヘッドが磨り減ったという。データーの復帰を試みたが失敗した。おかげで云十万円という費用は使わずに済んだけど・・・・ (-_-;)

 店の帳面付けは週末にまとめてやっている。普段は会社が終ったら店に直行し、店の閉店時間の12時まで働き、それから片付けが終って帰宅するとだいたい夜中の2時頃になるため、毎日出来ないからである。

 その日もそうだ。パソコンが立ち上がらない。
 何度も再起動を繰り返してみたが、カタカタと音がするだけで、初期画面からWindowsに切り替わらない。前日の夜中のメール確認の為立ち上げた時も、何の前触れも無くごく普通に動いてくれたのに。(ーー;) 
 ただ気になっているのは、五年間使っている日立製のこのパソコンは当初から熱が溜まりやすい構造のような気がしていた。ハードを動かすたびにモータの加速するような音を立てていた。

 使っていた OS【Operating System】(オペレーティングシステム)は「Windows XP」だが、この「XP」は今まで私が使ってみたOSの中で最も使い心地が一番よかったので、そろそろ「Windows 7」を乗せた新しいパソコンを買うべきかと、OSのバージョンアップを目前に迷いの気持ちがある今この頃であった事も確かだ。「Microsoft社」は近年「Windows Vista」から「Windows 7」へと新しい感覚のOSを世に出しているが、使い心地はいまいちという評判だ。

 私もまだ慣れてないせいだと思うけど、やっぱりXPが楽である。

添付画像
 1990年の半ば頃、最初にパソコン(パーソナルコンピュータ(Personal computer))を始めたのは「Apple社」の「マッキントッシュ (Macintosh)」で、左の写真のモデル「Macintosh LC520」から初め、Power Macintosh 4400/200にと切替えた。電話回線とモデムを使ってインターネットも楽しめたが、電話代を月10万円も払った苦い思い出もある。(/_;)

 当時のMacintoshのOSは漢字Talk7.5.5と言うものだった。それからMac OS 7.6 (この年OS名が「Mac OS」へ名称が世界統一される)になり、Mac OS 8.0 (6年ぶりのメジャーアップデート[日本では約5年ぶり])へと変更していたが、仕事上Windowsを使わざるを得なくなったのでMacを諦めてWinに乗り換えた。

 1990年の前半、会社で使うコンピューターは今みたいに個人に与えてもらえるものではなくて、コンピューター室が別にあり、会社で共同に使い、毎日、昼食の時間にカセットジャックにバックアップを取った。未だパソコンの時代に突入する前の話だ。

 Windowsを始めた頃、データーベースを呼び出して書き込むためにだけのOSで、せいぜい、「スペースインベーダー」のようなゲームを楽しむ程度で、今のようなインターネットの概念はなかった。

  MS-PC DOS J7.0/V (DOS/V)を使った。それからWindows95が登場、それからWindows98に変わり時と共にWindows Me ・・・XPになって今までの言語障害から開放された。とても使いやすかったのでそのままで良いと思うくらいだった。

添付画像

 


 結局、新しいパソコンを買わずに、治して使うことにした。既に世の中から姿を消した古い方のハードディスクは新しいものを手に入れる事は出来ず(下の写真のもの)、会社の金君と相談して同じメーカーの同一スペックのものを選んでネットショップで購入した。後はパソコンをばらして自分でハードディスクの交換と再インストール・・・ 結構な時間をかけた結果、パソコンの再生には成功した。まぁ、うまく行ったと言ったほうが気持ちの正しい表現になるかもしれない。(^_^;)

 パソコンと格闘するこの二週間、デジタルという実体のないものの儚さを実感した。ホームページもネットも良いが、やっぱりアナログかな・・・ 紙媒体はやっぱり大事だわ。

添付画像

壊れてしまったハードディスク。 中のデーターは取り出せないまま・・・・ (-_-;)





2010/07/20 17:55 2010/07/20 17:55