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  1. 2009/09/19 イムジン河水清く

イムジン河水清く
 
 「9月6日の明け方、(軍事境界線をまたいで南北に流れる)臨津江の水位が急に増えてキャンプ中だった子ども1人を含む民間人6人が行方不明になった」のは、北韓当局が通知なしで上流にある黄江ダムの水門を開いて水を放流水を放流したのが原因で、北側もこれを認めた。 7日、そのニュースは韓国のみならず日本でも大きく扱われた。月曜日の朝の出勤前、朝のニュース番組で知った。水攻めて本当にあり得る話だと実感した。亡くなった方々の冥福を祈る。

 その事件で思い出したのは皮肉にも南北分断の悲しみを歌った「イムジン河」で、今日はその歌の話をしたいと思う。
 この『臨津江』、日本人にも馴染みがある歌、『イムジン河』である。   
 この歌は北朝鮮の高宗漢(コジョンハン)が作曲し、北朝鮮の国歌を作詞した朴世永(パクセヨン)が詩を書いたと言う。オリジナル曲は1957年7月、北朝鮮で「臨津江(リムジンガン)」という曲名で発表された。朝鮮半島を南北にわける軍事境界線にそって流れ、黄海(韓国では西海)に注ぐ臨津江(イムジンガン)(北朝鮮読みでは「リムジンガン」になる)。その川の流れに託して南北分断の悲しみを歌った歌がこの「イムジン河」である。

 私がこの歌を初めて耳にしたのは、5、6年ほど前になる。車を運転中、カーラジオから偶然流れてきたこの曲を初めは懐かしい思いで聞いていた。「イムジン河」は私が生まれた韓国の最も北にある川で、北朝鮮からすれば最も南を横切る川になる。私にはこの川での思い出があり、静かに流れる清き川と川辺の風景が目に浮かんだ。その「イムジン河」が祖国を分断していると言う現実を思い起こさせたこの曲の歌詞に少し衝撃を受け、深く印象に残った。

 この曲がフォークソングに生まれ変わったきっかけは、知られるように、作詞家・松山猛の活動だった。朝鮮学校の生徒と喧嘩に明け暮れていた京都でこの曲を耳にした松山少年は、朝鮮人の友人から譜面と朝鮮語の歌詞、一番の日本語訳のメモをもらう。そして十代の終わり、フォーク・クルセダースのメンバーに口頭でそのメロディーを伝えたのである。当時を思い出す松山猛の記憶によれば「朝鮮民謡だろう」と思い誰も曲の由来をしらなかったという。作者不明のまま13万枚のプレスが済んでいた。それがいわば『幻のイムジン河』であった。しかし、この曲は1968年3月、発売中止になる。発売二日前の記者会見も予定通り開かれたものの、総連が抗議していた事実が一部マスコミに伝わっていたので、会見は大混乱のうちに打ち切られた。

 会見の翌日、東芝音工(現在の東芝EMI)は「イムジン河」の発売中止を発表し、新聞は歌詞の内容が原作と違うことに関するモラル的責任を取ったと報じた。その理由についての記述は次のようなものがある。
 「原詞に忠実でないと朝鮮総連から抗議をうけたというのがその理由であった。しかし、実は総連側の抗議内容は、『イムジン河』の原詞は、北側にとっては重要な人が作ったものなので、発表する場合は、朝鮮民主主義人民共和国の何某が作った歌と、はっきり明記すること、というものだったのだ。国交のない共産圏の国の正式名称を併記することを東芝は親会社の手前、躊躇したのである。」(黒沢進 CD/ザ・フォーク・クルセダーズ『ハレンチ+1』解説1995、ソリッド・レコード)

 しかしこの解説だけでは、「朝鮮総連から抗議をうけた」ことや、東芝音工がなぜ「親会社の手前、躊躇した」のかは理解しがたい。一説によれば北朝鮮の歌が日本で広がることを好ましく思わなかった韓国大使館が東芝に圧力をかけ、発売中止に至ったともいう。つまりここで言う「親会社の手前、躊躇した」とは、韓国に進出していた東芝が韓国との経済的関係を優先し、北朝鮮の歌のレコードの発売を中止したとのことなのではないかとの話も聞いたが、言わばそれを裏付ける証拠も証言もないのも事実である。

 ところで、原詞に忠実でないといわれたその歌詞は何処がどのように忠実でなかったのか比較してみたが、それ程の違いは感じられない。おそらく立場の違いからくる、感覚的な相違ではないだろうか。

 原詞は《リムジンガン水清く/静かに流れゆき/鳥は川よぎり自由に飛びかうよ/南の故郷へ何故に帰れぬ/リムジンのながれよ/答えておくれ/悲しく水鳥は南の岸でなき/荒れた野良には/むなしく風が立つ/幸せ花咲く祖国の北のうた。》

 松山は《イムジン河水清く/滔々と流る/水鳥自由にむらがり飛びかうよ/我が祖国南の地/思いははるか/イムジン河水清く/とうとうと流る/北の大地から南の空へ/飛びゆく鳥よ自由の使者よ/誰が祖国を二つに 分けてしまったの/誰が祖国を分けてしまったの》と歌詞を変えた。

 おそらく松山さんは朝鮮学校の友人たちを取り巻いていた時代の空気に対する反発のようなものを持っていたに違いない。言わば「帰国事業」で「在日の友人たちが北に渡って行った時期だったからだ。政治的な意図が感じられる原作の歌詞を「幸せ花咲く祖国の北のうた」と、そのままには歌えなかったのだろう。それから年月は流れ、その『幻のイムジン河』は2002年、34年ぶりに封印が解かれた。また、この歌を主題曲にして作られた映画もある。

 2006年3月3日に発表・授賞式が行われた第29回日本アカデミー賞で塩谷瞬と沢尻エリカが新人俳優賞を手にした映画「パッチギ!」だ。在日朝鮮人の女学生を演じきった沢尻エリカはこの映画をきっかけに大ブレイク、昨年のあの「別に・・・」の騒動があった直前まで、その人気は知っての通りである。

 井筒和幸監督の映画「パッチギ!」の背景は1968年の京都からである。松山康介(塩谷瞬)は府立東高校の2年生。ある日、担任の布川先生(光石研)から親友の紀男(小出恵介)と一緒に、敵対する朝鮮高校との親善サッカーの試合を申し込みに行くように言われる。二人は恐る恐る朝鮮高校に行くが、康介は音楽室でフルートを吹くキョンジャ(沢尻エリカ)に一目で心を奪われてしまう。しかしすぐに彼女は朝鮮高校の番長アンソン(高岡蒼佑)の妹だという事が分かる。康介は楽器店で坂崎(オダギリジョー)と知り合い、キョンジャが吹いていたのは『イムジン河』という曲だという事を教えてもらう。

 康介は国籍の違いに戸惑いながらもキョンジャと仲良くしたくて、『イムジン河』をギターで弾こうと決心する。康介は朝鮮語を覚えるために辞書を買い、坂崎からはギターと歌を教えてもらう。そして坂崎から聞いたコンサートにキョンジャを誘う事にする。勇気を出して電話をすると、その日は自分のコンサートがあるからと断られるが、逆にそのコンサートに誘われた康介は「絶対行きます!」と答えていた。その日円山公園では、帰国船で祖国に戻る事を決意したアンソンを祝う宴会が行われていた。そこにギターを抱えた康介が現れみんなから訝しげに見られるが、キョンジャの母(キムラ緑子)がキョンジャと一緒に何か演奏するように声をかけてくれた。二人は康介のギターと歌、キョンジャのフルートで「イムジン河」を合奏する。康介はみんなの輪の中に入れてもらい、キョンジャともすっかり仲良くなる事が出来た。ある夜、康介が川沿いに自転車で走っていると、対岸でキョジャがフルートを吹いていた。康介はいきなり川に入って渡り始める。そしてズブ濡れになりながらキョンジャに「付き合ってくれへんか」と告白する。しかしキョンジャの「もしも結婚する事になったら、朝鮮人になれる?」という質問に、康介は何も答えられなかった。それから映画は様々なエピソードをもって展開していくが、この先は映画を見て欲しい。

 在日韓国朝鮮人について、今の韓国人は良くわからない。勿論、今の日本の若い者も例外ではないだろう。映画は日本で上映されただけでなく、韓国でも大ヒットした。その点、在日韓国朝鮮人にそれ程感心を持ってなかった日韓両国の人々に及ぼした影響は少なくないと私は思う。何より、この日本社会に在日韓国朝鮮人という存在がいる事と、我々の目をそむけたい歴史のある部分に彼らが、そして私たちが深く関わっていることは否定できない事実であるからだ。
                                                             おわり



       
映画「パッチギ!」の中のワンシーン
イムジン河を歌う松山康介(塩谷瞬)とキョンジャ(沢尻エリカ)





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