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  1. 2009/12/21 Women in the Arts ルネサンス

Women in the Arts


ルネサンスの中の女性画家

 ルネサンス以前は、女性が芸術の分野で、大きな役割を担っていた。しかし、ルネサンス期は、芸術そのものの定義が変化した時代でもある。女性は工房からも締め出されるようになったようだが、そういった中で芸術家となり得たのは、特権階級の女性たちであった。
 
 貴族階級や中流階級では、女性が学校へ行くことは、しつけの重要な要素であった。男性に比べ、学校教育はそれほど厳しく厳格なものではなかったようで、知性的で、非凡な女性には、以外にも並外れた自由が保障されたようである。
 ルネサンス期、男性社会はヒューマニズムに夢中であったが女性はどうだったのだろうか。ヒューマニスト達は、キリスト教と古代ギリシャ・ローマの理想を融合させることを追求しながら、「個人」を生み出していった時代であり、教育も重要視された。
 
 カスティリャ女王イザベラ (1474-1504) は、芸術家達のパトロンであり、コロンブスの航海を財政面で支援し、スペインのカソリック教会を統合するなど、並外れた才女であった。一方、英国のエリザベス一世 ( 1533-1603 ) は、50年あまりにわたって君臨し、大英帝国の土台を築いた。
 
 芸術の分野でも、数少ないが女性の成功者たちがいた。彼女らはほとんどが、芸術家の娘たちで、父親のアトリエで働いていた。
 


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ソフォニスバ・アンギッソラ ( 1532-1625 ) イタリア ルネサンス
 
Sofonisba Anguissola
 


 クレモナの貴族。五人姉妹の一人。ベルナルディーノ・カンピとベルナルディーノ・ガッティに学ぶ。父親を通してではあるがミケランジェロが彼女に絵画を送り、彼女はそれを模写して、ミケランジェロに見てもらった。彼女は多くの作品を残していて、合わせると50あまりに及ぶ。

 1560年、スペインの宮廷画家となり、1580年、バレルモに移住。そこで、生涯を終えた。96歳のときに、フランドルのヴァン・ダイクの訪問を受けている。ファン・ダイクは彼女の肖像画を描いた。
 彼女は、絵画だけではなく、音楽やラテン語も学んだ。重要なことは、彼女が、階級と性を乗り越えて、スペインの宮廷画家となり、イタリアでは教皇から注文を得た、ということである。

 アンギッソラは解剖学を学んでいない。それゆえ、半裸、全裸が描けなかった。ということは、宗教画、歴史画を描くにいたらなかった、ということになる。しかし、彼女は身近な人物を描き、「家族の肖像」という、新しい肖像画の分野の初期の草分けになった。さらに、彼女は自画像を多く描いた。

 Sofonisba は、女性では初めて、国際的に認められた画家であった。Campi の元で学び、以後、有名な画家達が女性を弟子として受け入れられるようになった。
ミケランジェロが彼女に絵画を送り、彼女はそれを模写して、ミケランジェロに見てもらった。彼女は多くの作品を残していて、その数は50あまりに及ぶ。 

スフォニスバ・アングイッソラ作品
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/a/ang

※ 「Anguissola」の読み方について・・現代イタリア語的に読めばたぶん「アングイッソーラ」。ただ「アングイッソーラ」なのか「アングイッソラ」なのか確証がありません。「アンギッソラ」という呼び方は現代イタリア語的には正確でないけれど、当時はラテン語的な読み方をしたりとかもあったし、そういう意味では彼女をなんと呼ぶのがいちばん正しいのか、いつかわかる日がくるまでおあずけ。

添付画像
Self Protrait

1554
oil on canvas
Kunsthistorisches, Viena



















 
 


添付画像
Double Portrait of a Lady & Her Dog


no date
oil on canvas
National Museum of Women in the arts


















添付画像
Portrait of Sister Minerva

1559
oil on canvas
Layton Art Collection




















添付画像
Portrait of Philip II


1573
oil on canvas
Museo del Prado, Madrid




















添付画像
Elizabeth of Valois


1565
oil on canvas
Museo del Prado, Madrid




















添付画像
Profile Portrait of a Young Woman


Oil on canvas, 68,5 x 52,5 cm

The Hermitage, St. Petersburg



























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ラヴィニア・フォンターナ(1552-1614) イタリア
Lavinia Fontana

 もし、女性画家がルネサンスを向かえたとしたら、それはフィレンツェでも、ローマでもなく、ボローニャに違いない。その時期も15世紀じゃなく、16世紀~17世紀におけるもになる。ラヴィニアは幸運にも
イタリアのボローニャで育った。ボローニャ大学では、中世から女性に対する教育が行われていたので、彼女にとってこの地は学術や芸術の才能を伸ばすチャンスを与えた。その面で彼女は恵まれた事になる。ボローニャ大学出身の女性画家は、ボローニャの守護聖人・聖カタリナに値した。

 初めて成功した女性画家は、ラヴィニア・フォンターナであった。彼女は画家として、家族を支えていた。父親は有名な芸術家であり、教師であった。この父親の理解のもと、彼女は才能を伸ばしていったのである。
 1577年に、ラヴィニア・フォンターナは父親のアトリエで働いていた Giano Paolo Zappi と結婚する事になった。Zappi は、彼女の才能を認め、自分の仕事をあきらめ、財政面での管理、11人の子供の世話や作業の補助などをして妻を助けてた。

 彼女は、当時階級が低いとされた、肖像画や静物画を描いていたのではない。男性・女性のヌードを含む、聖書や神話を主題とした絵画を数多く描いた。教会堂の祭壇背後の飾り壁を描いたりもした。当時、こういったものを描くには、ヌードモデルを研究しなければならかった。彼女においては、差別など払拭してしまうほどの才能があったのである。

 1603年にローマに移って、ローマの巡礼教会のために、有名な Strong of Ft. Stephen Marttye を描いているが、残念ながら、1823年の火事で焼失している。ローマの芸術院から、仕事を依頼されたのは、女性では彼女が初めてである。

添付画像
Holy Family with Saint John
no date , Oil on metal
National Museum of Women in the Arts





















添付画像
Portrait of Pope Gregory XIII (Ugo Buoncompagni) (1502-85)

oil on canvas
bridgeman berlin























添付画像
BIANCA CAPELLO de’ MEDICI (1548-1587),

Italian noblewoman, second wife of  Francesco I de’ Medici
 
























添付画像
Minerva Dressing

1613
Oil on canvas
Galleria Borghese, Rome

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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アルテミジア・ジェンティレスキ (1953-0652) イタリア
Artemisia Lomi Gentileschi


 17世紀イタリア、カラヴァッジオ派の女性画家。画家としてのその業績の偉大さにも関わらず女性であることで、20世紀後半までその名を広く知られることがなかったこと、その生涯においてレイプ事件の被害を訴訟した公文書が残ることなどから、ジェンダー研究の対象としても知られる。

 アルテミジアはローマに生まれた。父親オラツィオ・ジェンティレスキは画家である。近年、フェミニスト(男女同権主義者)の批評家が、彼女を復活させるまで、多くの彼女の絵画は父親が描いたもの、とされていた。カラバッジョの影響が濃く、影と光を巧みに描いた。彼女の才能は若い頃から花開き、父親はそれを理解して、遠近法をもっと習得させようと、個人的に教師をつけた。
 女性的な絵画も描いているが、彼女は暗く、激しい、場面を描くことで知られている。フェミニスト(男女同権主義者)の批評家によると、彼女の絵画の暴力的な描写は、彼女自身が受けた暴力から来るのではないか、と言われている。
 
 19歳の時に、Altemisia は個人教師から何度もレイプされて、それを訴えている。しかし、その訴えは、レイプをしたほうよりも、された彼女自身を傷つけた。
彼女の訴えを確かめるために、彼女自身が実際に、親指締め具で拷問を受けているのである。そのあげく、訴えられた男は、無罪放免となっているのである。裁判の一ヵ月後、彼女は結婚し、フィレンツェに移り住んだ。そこでメディチ家の援助を受け、すばらしい絵画を描いている。1616年、女性で初めて、正式なアカデミーの会員となった。後にナポリに移り、そこで安楽に暮らした。

 Artimisia は肖像画家として知られていたが、歴史絵画、宗教絵画が評判になり、並外れた女性画家としての名を残した。

添付画像
『絵画の女神としての自画像』 Self Portrait as the Allegory of Painting 
 1630、Oil on canvas
The Royal Collection

この自画像は長い間、無名作品として倉庫に置かれていた。
当時、女性みずから絵を描く、などとは考えられなかったのが一つの理由にあるということである。当時、女性は、芸術家にインスピレーションを与えるミューズとしての役割しかなかったのである。
彼女の激しさは、自画像にも表れている。描くことに夢中になっている姿である。意志の強さ、実直さがよく表れている。
当時、こんなに仕事に打ち込む女性の姿を、描くなどどいうことはなかっただろう。髪を振り乱し、飾り気のない姿は、「女性らしさ」をわざと前面に出さず、彼女の個性のみを描いている。


添付画像
ホロフェルネスを殺すユディット
1620年頃
(Giudetta che decapita Oloferne)
199×162.5cm | 油彩・画布 | ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

 カラヴァッジョの作品から構想を得て、画家の生涯中に繰り返し描いた≪ユディットとホロフェルネス≫の物語から、特に白眉の完成度を見せるアルテミジア・ジェンティレスキの代表作『ホロフェルネスを殺すユディット』。

 本作の主題≪ユディト≫は、第二正典のユディト記(ユディト書)を典拠とした架空の物語で、アッシリア王ネブカドネツァルの命により、軍を率いて侵攻する将軍ホロフェルネスに近づき、酔いつぶれたところをユディトが斬首、自身の住むベツリアの街(ヘブライ語で神の家を意味する)を救う内容である。本作は、その最もドラマティックな斬首の場面を描いたもので、リアリティに富んだ写実性に加えエロティックでありながら暴力的な描写で、当時より極めて高い評価を得ていた。



※まだ作成の途中です。m(__)m


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