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金正男氏告白本『父・金正日と私』、「日本誌が出版を強行」=韓国

 雑誌「文芸春秋」が、故金正日総書記の長男である金正男氏へのインタビューやメール内容などをまとめたノンフィクション本『父・金正日と私』を今月20日に刊行することが6日、明らかになった。韓国メディアは日本の報道を引用し、相次いで伝えた。

 この本の著者は東京新聞記者の五味洋治氏で、2004年に北京国際空港で正男氏と出会ってからメールでのやりとりをはじめ、昨年には北京とマカオで長時間にわたるインタビューも行ったという。

 今年1月に届いたメールで正男氏は、北朝鮮の3代世襲に対する批判や、最高指導者となった金正恩氏への見方などを伝えた。父親については「厳格で情が深かった」などと思いを語っており、金総書記がかつて「息子には権力を継がせない」として、世襲を否定していたことも明かしたという。

 韓国メディアは、「刊行を待ってほしい」という正男氏の要求にもかかわらず、文芸春秋側は「北朝鮮に注目が集まっている中、当事者の一人である金正男氏の声を届けることに意義が大きい」として出版を強行する計画だと伝えた。(編集担当:永井武)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120107-00000016-scn-kr


上記の本はアマゾンでも予約受付中です。

http://www.amazon.co.jp/%E7%88%B6%E3%83%BB%E9%87%91%E6%AD%A3%E6%97%A5%E3%81%A8%E7%A7%81-%E9%87%91%E6%AD%A3%E7%94%B7%E7%8B%AC%E5%8D%A0%E5%91%8A%E7%99%BD-%E4%BA%94%E5%91%B3-%E6%B4%8B%E6%B2%BB/dp/4163751904/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1325970695&sr=8-2



情報ソース「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」
  http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=00740




2012/01/14 15:55 2012/01/14 15:55


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 私の父は平壌の外港である鎮南浦(今の南浦直轄市)出身である。16
歳の父は学徒義勇軍という名の下で戦場に連れ出された。高校2年の父を私はこの映画で観た。

 主人公のオ・ジャンボム(多分、呉長範)は戦闘で死んでしまうが、父は連合軍(UN軍)の捕虜になり、16歳から三年間を捕虜収容所で過ごす。やがて戦争が終り、捕虜交換の交渉の最中、北に返される事を拒み、収容所を脱出した。
(父の話を元に、私は短編『悲しいクリスマス』を書いた。このブログの創作の部屋に載っている)

 それから、19歳の父はたった一人で韓国で生きる事になった。母は父の初恋で、父の24歳の時、私は生まれた。だから父と私は同じ干支である。今年、父は77歳になる。出来る事ならば、未だ元気のうち、61年前、無理やり連れ出された故郷、生き別れて二度と会うことができなかった両親の墓参りに行かせてあげたい。

16歳の若い父がこの映画の中に居た。多分、この写真の主人公オ・ジャンボム役のTOPのように、初々しい高校生だったはずだ。
 
 この映画は朝鮮戦争勃発60年を記して、昨年の夏、韓国で封を切った。8月には韓国語をそのまま訳した『砲火の中で』というタイトルで、このブログにこの映画について書いたが、その時、まだ映画を見ていなかった。
 通勤の時いつも通る赤坂見附駅の構内に貼られたポスターを見て、ようやっとこの映画が日本にやってきたと思った。封切りから始めての休みの日、2月20日の日曜日、有楽町の門川シネマでこの映画を見る事ができた。

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 朝鮮戦争で戦った学徒兵たちの悲劇を描く戦争秘話は、韓国映画らしい“母への思慕”をベースにした悲壮なドラマだ。1950年の韓国。北朝鮮の猛攻で首都ソウルまで陥落した韓国軍は、追いつめられ、最後の砦である洛東江の戦線を守り抜くために全兵力を投入しようとしていた。そんな中、戦略上の要地である浦項の軍司令部が置かれた学校を託されたのは、戦闘経験がほとんどない学徒兵たち。オ・ジャンボムをリーダーとする71人は、明らかに劣勢の状況の中、命懸けで戦いに挑んでいく…。

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 16歳の学徒兵の遺体から母親に宛てた手紙が発見され、そこに綴られた痛切な思いが、戦争アクションとして映画化されたのが本作。主人公ジャンボムは、本来、物静かな性格で、地獄のような戦闘光景を見たときのショックがぬぐえないのに、少年兵の中で唯一“戦闘経験がある”とみなされてリーダーに任命され激しく戸惑う。生まれて初めて見る無残な死、同じ民族同士が殺し合う矛盾、母への想いなどが彼の内側でせめぎあうが、それらにゆっくりと答えを出すような猶予はどこにもない。

 否が応でも戦争の最前線に立たねばならなかったジャンボムが、短期間にリーダーとして成長するプロセスはやや不自然なのだが、敵の襲撃から逃げず、まして降伏などせず、必死の思いで正面から戦うことを決意する姿は、悲壮感に満ちている。ジャンボムと対立し、やがて心を通わせていくのは不良少年ガプチョ。演じるクォン・サンウは、いくらなんでも学徒兵役には年齢的に無理があるのだが、少年院送りにされる代わりに志願兵になるという設定は、当時の韓国軍の追いつめられた状況を上手く表している。

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 日本でも学徒出陣という悲劇があり、それは強大な敵・米国との戦争の、敗戦の象徴なのだが、朝鮮戦争時、浦項で命を散らした学徒兵の戦いは、北朝鮮軍の南への侵攻を遅らせ、韓国軍の立て直しと、後の連合軍の反撃に大きく寄与した。しかしそのことが、結果的に朝鮮半島を決定的に二分してしまうのだから、歴史というのは皮肉なものである。映画は政治的な側面には踏み込まず、あくまでも少年たちの友情や家族への思いを軸にする情緒的な演出だ。これは監督のイ・ジェハンの嗜好なのだろう。学徒兵たちの表情は皆、まだあどけない。彼らが軍服ではなく学生服を着ていることが、悲劇をより際立たせた。


(原題「71 Into the Fire」)
(韓国/イ・ジェハン監督T.O.P、クォン・サンウ、キム・スンウ、他)


2011/02/21 14:42 2011/02/21 14:42

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読者の方から古い記事について問い合わせがあったので、1991年(平成3年)の春から夏に発行された新聞を調べていました。
20年前のの古い新聞を捜していたら、いつものことですが、色んな記事に目が行ってしまい、他の仕事はそっちのけになってしまいました。
仕事は出来ませんでしたが、記事を読み返すのも楽しいですね。(*^_^*)

その中で、朴泰美さんのエッセー見つけました。 今は64歳になられるでしょう。貴重な思い出、読ませていただきました。





朝鮮民主主義人民共和国、1991年でしたらまだ金日成健在で、今と比べれば、良かったと思うが・・・
果たしてこの国の「民主主義」て何でしょうか? 


1991年(平成3年)はこんな年でした。

5月31日 - 東京都港区芝浦にジュリアナ東京オープン。

6月3日 - 雲仙普賢岳で大火砕流発生(死者・行方不明43人)。

6月15日 - IOCが1998年冬季オリンピック開催地を長野市に決定。

6月20日 - 東北新幹線上野駅-東京駅間開業。

6月20日 - ドイツ、ベルリンへの首都移転決定。

7月9日 - IOCが南アフリカ共和国のオリンピック大会復帰を承認。

7月15日 - ロンドンサミット開幕( - 7月17日)。

8月19日 - ソ連8月クーデター発生、保守派がゴルバチョフ大統領を軟禁(8月21日、クーデター失敗)。

9月9日 - SMAPがCDデビュー。

9月17日 - 韓国、北朝鮮が国連に同時加盟

9月22日 - クロアチア、ユーゴスラビア軍と衝突(クロアチア紛争、1995年まで続く)。

10月3日 - 海部俊樹首相、退陣表明。

10月14日 - ミャンマーのアウンサンスーチーにノーベル平和賞。

11月29日 - 営団地下鉄南北線開業(2000年に全線開業し、東急目黒線・埼玉高速鉄道との相互直通運転開始)。

12月4日 - アメリカのパンアメリカン航空(パンナム)が運航停止、倒産。

12月6日 - 11月30日に北朝鮮を電撃訪問した「世界基督教統一神霊協会」(統一教会)教祖の文鮮明が金日成主席と会談。

12月8日 - 独立国家共同体 (CIS) の創立宣言、ソ連離脱の合意(ベロヴェーシ合意)。

12月25日 - ソビエト連邦崩壊、ゴルバチョフ大統領辞任。


2011/02/07 14:54 2011/02/07 14:54

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 金日成・金正日に継ぐ「金氏朝鮮」王家の長男金正男が、李氏朝鮮の悲運の王子譲寧大君(ヤンニョンデグン)と重ねて思えるのは私だけではないと思う。だからと言って、金正恩を忠寧大君に例える話ではない。

 譲寧大君は李氏朝鮮の第4代国王、世宗大王(세종대왕、セジョンデワン)の兄で、第3代国王太宗の第1王子であったが、弟である3男の忠寧大君(大君は王の嫡出子に与えられる職官)に王座を譲ることになった。健康問題を抱えた父・太宗には何度か譲位を行う意向があったが、外戚との確執や長男の譲寧大君(ヤンニョンデグン)の奔放な性格が問題となり、なかなか行われなかった。

 1418年、太宗は譲寧大君から世子(セジャ、王太子)の資格を剥奪し、三男の忠寧大君、後の世宗に譲位した。そして、世宗即位当初の4年間は、上王となった太宗が軍事権をはじめ政治の実権を握っていた。1422年に太宗が亡くなると、世宗の親政が始まることになる。北の金氏王朝も先軍政治(せんぐんせいじ、선군정치)註1とか言うからその構えでいるのではないかと思ったりする。

 次男である金正哲の動きが見えない今だからこそ、長男金正男の行動がなお気になるのである。金正男はかなり以前に、彼の母方の人々が金正日に背を向け、韓国やフランスに亡命した当時、すでに北朝鮮では厳しい立場に立たされていた。それこそ悲運の王子なのである。その彼がどのような生き方をすればこの世を上手く渡り切る事ができるのだろうか。
 
※金正男の生い立ちについては別途に記事を書く予定です。(^_^;)

 李氏朝鮮の譲寧大君の人生もそうであったが、権力を握る側のけん制を受ける人物は、愚か者、または道楽ものを装う事で自分を守るのは古近東西を問わず、最も正解とされた身の振る舞いであるのではなかろうか。自分は権力に何の未練も欲もないように見せる、言わば破落戸(ごろつき=파락호)註2で生きるのが身の安全の為の唯一の手段なのかもしれない。

 もしも、金正男が親と縁を切り、海外で誠実な人生を生きると仮定すてみよう。父親からの仕送りなど一切受取らないで、他の模範になる誠実な生き方をしているとすれば、そのうえ頭も良いとすれば・・・   北朝鮮の体制に疑問を持つのであろう、意識ある人々に好かれるに違いない。例えば今は息を潜めている反北体制の知性人の精神的求心点になり、北の現在の体制を脅かす勢力と成長する事に対する懸念が起きるはずである。
 それは今の北朝鮮の立場からみれば、金正日・金正恩体制擁立に危険要素になるだろう。 聞く話によると、金正日は長男金正男を可哀想に思っているらしいので、そんな事はないと思うが、金正恩王子派から見れば消去しなければならない対象になり、金正男は交通事故を装う形で反対派から暗殺された可能性が非常に高いと私は見る。当然ながら今のような自由な生活を送る事などもちろん出来ない。
 金正恩の側に立ち、金正恩擁立に命を掛け、己の一族の繁栄を計らう機会主義者集団の王子派らが、今頃になって、次から次へ世に顔を出しているではないか。

 いつか私は、北半島問題の解決の最善と考えられる北韓の無血解放の一方法として、金正日一家の身辺安全確保を前提とした中国への亡命について、それを可能に出来る方法などについて議論したことがある。その為に無くては成らないのが金正男の役割で、金正日一家が中国へ政治亡命をした場合、彼は長男としての役割を十分に遂行できる立場にある。金正男は思うよりもっと重要な役割を担う可能性がなくもない。

 私は彼を非常に賢い人物と見ている。何年か前、日本で、不法入国が摘発され強制送還された事件を起こした際に彼は、ディズニーランドに行きたかったので来日したと証言した。その弁明はまさに彼の賢さの決定版であったのではないか。自分を笑いものにして国際問題に拡大せず、穏便に処理する事が出来て、日本政府もほっとしたはずである。彼はあの場面であのように言い逃れができるほどで、見ている限り、如何なる状況でも彼は余裕がある。 (「読売新聞」は2001年5月18日付けの一面トップ記事で「金正男が5月1日に日本に不法入国しようとしたのは、ミサイル販売の代金を運搬するための目的だった可能性が高く、金正男は金正日の指示を受けるミサイル販売責任者である可能性が高い」と書いている) 

 韓国では金正男が父親の仕送りで贅沢三昧をしていると、それは北の人民から搾取したお金だと批判があるが、私はそうは思えない。金正男は国の外側でお国の為頑張った事の報酬、または活動資金だろう。 彼は韓国人女性を愛人にしていると噂を聴く。その韓国人女性との間に子供も居るとか・・・ 韓国に繋がりを持っているから韓国情報を簡単に得ることができ、韓国の知人とも自然に交際している。 今回、彼が朝日新聞とのインタビューで北を「共和国」でも「朝鮮」または「我が国」といわず「北韓」と呼んだことは、彼の確信のもとで意図的に私は感じる。これは彼の計算された戦略ではないだろうかと。 それは日本に不法入国の際、その理由をディズニーランドに行きたかったので来たと答えたことと同じ脈絡だろう。

 己を破落戸(ごろつき)で、親父の気持ちも分からない親心知らずの問題児と認識させる事で、西側世界が持っている朝鮮民主主義人民共和国のイメージと自分自身のイメージを隔離させる事で、自分のより自由な活動領域の確保を計らったのではないかと思う。

 金正男が北の跡継ぎに成っていたら、北朝鮮にも希望があったのではないかという思いを私は頭から振り切れない。もう北には絶望しか残ってないのか・・・


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註1
 先軍政治(せんぐんせいじ、선군정치)

 先軍政治(せんぐんせいじ、선군정치)は北朝鮮の公式イデオロギー。
すべてにおいて軍事を優先し、朝鮮人民軍を社会主義建設の主力とみなす政治思想である。先軍思想とも呼ばれる。
 
 2009年の憲法改正で主体思想と並び憲法上で指導思想であると明記されるようになった。先軍政治という言葉が北朝鮮のメディアに登場したのは金正日が朝鮮労働党の総書記に就任した1997年である。そして、金正日は先軍政治について「先軍政治は私の基本的な政治方式であり、我々の革命を勝利に導くための、万能の宝剣です」と述べたとされる(労働新聞 1999年6月16日)。また、「人民軍隊は我々の革命の柱であり、主体(チュチェ)革命偉業完成の主力軍です」と述べたとされる。こうしたことから、社会主義建設においてプロレタリアートの役割を最重視するマルクス・レーニン主義とは根本的に異なる。そして、北朝鮮で出版された文献をみると、ほかの社会主義国は、労働者階級の党(共産党など)がまず建設され、それに基づき軍が建設されるという「先党後軍」の「先労政治方式」を採っているが、北朝鮮では逆に、金日成によって朝鮮人民軍の前身である朝鮮人民革命軍がまず創建され、祖国解放を成し遂げた後に朝鮮労働党が創建され、続いて軍を正規武力に強化発展させ、建国偉業を成し遂げたとしている。

 また、ソ連やルーマニアの社会主義政権崩壊を例に挙げ、それらの国々では軍事の問題を正しく解決しなかったことで、軍が反革命に同調してしまい、政権崩壊に導いたと分析している。先軍政治が北朝鮮のメディアで喧伝されるようになるにつれ、金正日による軍の視察も盛んに報じられるようになった。そして、2002年9月17日、金正日が日朝平壌宣言に調印した際も、「朝鮮労働党総書記」ではなく「朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長」という肩書を用いた。こうしたことから、北朝鮮問題のアナリストである重村智計は、朝鮮労働党の支配がすでに形骸化しており、党が軍を指導するのではなく、軍が党を指導する状態になっていると指摘している。

                          フリー百科事典『ウィキペディア』より



註2  破落戸

ごろつき(破落戸)には次の意味がある。

・ ならず者のこと。住所や定職をもたず彷徨する。ごろ。
 
・ 企業対象暴力およびそれを行う者のこと。以下のものがある。
  会社ゴロ、特許ゴロ(パテント・トロール)、社会運動標榜ゴロ(えせ同和行為)

・ 雷の別称。

                          フリー百科事典『ウィキペディア』より

2010/10/18 17:59 2010/10/18 17:59

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← 後継者に決まった金正日の三男「金正恩」氏 
外見が祖父である金日成に似ていると言われている。










それにしても「韓国」とはびっくり発言でした。 金正男のしゃべり形、北訛りは全くありません。 完璧に韓国の標準語、言わばソウル弁使ってます。

2010/10/17 12:43 2010/10/17 12:43

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 北朝鮮が30年ぶりに一新した朝鮮労働党指導部の顔ぶれを見ると、分野ごとに北朝鮮を率いる「金正恩(キム・ジョンウン)の男たち」の姿が浮かび上がってくる。韓国統一部の関係者は1日、「金正日(キム・ジョンイル)時代を象徴する『元老』も多いが、新たに金正恩時代を代表する人物が随所に配置されている」と語った。


(1)経済:洪錫亨(ホン・ヒョンソク)党計画財政部長(74)=デノミネーションの失敗で銃殺された朴南基(パク・ナムギ)氏の後任=や、太鍾守(テ・ジョンス)党総務部長(74)らは経済通とされ、党書記にもそろって選出された。

 洪錫亨氏は義賊小説『林巨正(イム・コッチョン)』を書いた洪命憙(ホン・ミョンヒ)の孫で、金策製鉄所の責任書記や国家計画委員長などを務めた。また、太鍾守氏も経済担当副首相を務めた。

 だが、「二人は改革・開放とはかけ離れている」という見方がある。改革寄りの人物は中核的な党職である政治局員とその候補計32人はもちろん、党中央委員124人にも含まれていない。「開放派」で知られる朴奉珠(パク・ポンジュ)前内閣首相と、その側近の金英虎(キム・ヨンホ)前内閣事務局長が、党中央委員会候補委員105人にかろうじて名を連ねている程度だ。


(2)対外:対南(対韓国)は金養建(キム・ヤンゴン)氏(68)、対米は姜錫柱(カン・ソクチュ)氏(71)が担当する。党統一戦線部長だった金養建氏は今回、党対南書記を兼任することになり、このほど内閣副首相に昇進した姜錫柱氏は政治局員に任命された。

 対南軍事工作は、韓国海軍哨戒艦「天安」沈没事件の「主犯」とされる金英哲(キム・ヨンチョル)偵察総局長(上将)が引き続き担当するものと思われる。金英哲氏は党中央軍事委員会の委員(副委員長は金正恩氏)に任命された。


(3)公安:禹東則(ウ・ドンチュク)国家安全保衛部(スパイ監視・摘発担当機関)第1副部長(68)は中央軍事委員会委員と政治局員候補に、朱相成(チュ・サンソン)人民保安部長(警察長官に相当、77)は政治局員に昇進した。

 これらの統制・監督は、金正恩氏の叔父に当たる張成沢(チャン・ソンテク)党行政部長(64)が担当する。「張成沢・禹東則・朱相成の3氏で金正恩体制を守る『トロイカ』になるだろう」(北朝鮮に詳しい消息筋)との見方がある。


(4)軍・党:軍は代表者会直後に行われた記念撮影の際、金正日総書記・金正恩氏親子の間に座っていた李英鎬(リ・ヨンホ)総参謀長兼政治局常務委員(次帥、68)が中心となる。李英鎬氏を筆頭に、崔富日(チェ・ブイル)副総参謀長ら実質的な武力勢力を指揮する総参謀部メンバーが多数昇進、あるいは中央軍事委員などの要職を占めている。

 党では、崔竜海(チェ・リョンヘ)氏(60)が急浮上した。今回の人事で党政治局員候補、党書記、党中央軍事委員という三つの役職を同時に与えられ、代表者会の集合写真でも、金正恩氏のすぐ後ろに立っている。なお、金正恩氏の叔母・金敬姫氏(64)も政治局員に任命された。

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2010/10/04 14:36 2010/10/04 14:36


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 サッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会は第11日の21日、各地で1次リーグ3試合が行われる。

 今日、G組では、北朝鮮が前回4位のポルトガルと対戦する。両国が顔を合わせるのは北朝鮮が初出場でベスト8と健闘した1966年イングランド大会の準々決勝以来だ。1966年の大会では、それまで2度優勝経験のあるイタリアを破る快挙を成し遂げた。ソ連に敗れ、チリと引き分け、迎えた1次リーグ最終戦。前半に挙げた1点を守り通し、「世紀の番狂わせ」を演じた。準々決勝でポルトガルに敗れた。W杯通算1勝2敗1分け。

 この大会には二人の在日青年が参加している。

 その一人は話題を巻き起こしている「鄭大世」選手。対ブラジル戦での彼の熱い涙が日韓両国で話題を寄せた。Jリーグ・川崎のFW「鄭大世」、北朝鮮チームは今回のW胚に鄭大世を中心に、スピードと決定力を生かしたカウンター攻撃を仕掛ける。「読売新聞」ネット版で鄭を次のように紹介した。

 イングランド代表FWウェイン・ルーニーと比較される、日本生まれのストライカーを引き連れて、ミステリアスな国、北朝鮮が、44年ぶりにW杯に戻ってきた。

 非凡な物語を宿命づけらているかのような名の持ち主だ。名前は「大いなる世界」を意味するが、鄭大世(チョンテセ)が“チョルリマ”(北朝鮮代表の愛称。翼を持った馬)のユニホームを身にまとい、踏み込もうとしているのは、サッカーの世界なのだ。複雑な過去を後方にとどめながら、欧州でのキャリアという未来を見据えている。

 というのも鄭大世は、ほかの2国の代表として南アフリカに来る可能性もあった。北朝鮮出身の母親に対し、父親の出身国の韓国。そして、1984年に名古屋で生まれた鄭大世の出生国である日本。

 朝鮮大学校で共産主義文化にどっぷりと漬かった鄭大世だが、日本のサッカークラブ、川崎フロンターレに入団し、「人民のルーニー」と呼ばれるようになった。「とても光栄に思うが、僕のモデルはむしろディディエ・ドログバ(コートジボワールFW)」と言い切る。

 韓国代表と日本代表から打診を受けたこのパワフルなストライカー(身長1メートル80、体重80キロ)は、“チョルリマ”からの招集を受け入れ、2007年に北朝鮮のパスポートを入手した。

 当時、鄭大世は「心の中では、僕は常に北朝鮮人だ」と公言していた。「だから、祖国の代表になるのはとても光栄。北朝鮮に大きな問題があることは知っているが、国民はみな素晴らしく、その上サッカーに夢中だ」

 鄭大世は、過去3年に22回の代表招集を受け、15得点を記録している。北朝鮮チームが南アフリカに到着してから、彼は発言権を与えられている数人の選手の中の一人だが、それも数分のみ。

 最初のインタビューでは開口一番、1948年に金日成によって建国されてから、息子金正日(総書記)に引き継がれ今に至るまで、スターリン体制の支配下に置かれたままの、この地球上で最も閉鎖的な国家のひとつである北朝鮮の称賛に努めた。

 「あなた方は北朝鮮についてよく知らないようだが、W杯はあなた方の持っているわが国のイメージを変えるいいチャンスだ」と、鄭大世は初歩的な英語で話したが、彼は英語をあやつることのできる代表メンバーのうちの一人だ。

 キム・ジョンフン監督の采配(さいはい)によるコンパクトな布陣のワントップである鄭大世は、W杯に楽観的だ。「僕たちのチーム精神は世界一。僕たちはドイツ人と一緒で、同じメンタルを持ち、強力なチームとして結束している。僕は66年の(W杯イングランド大会で北朝鮮が8強に入った)映像とともに育った。そしてこの年と同じように、僕たちは観客をびっくりさせ、もうひとつのサプライズをつくる」

 唯一の決勝トーナメント進出となった44年前、準々決勝に進出した“チョルリマ”は、ポルトガルのFWエウゼビオの4ゴールにより敗退。あれから世界は姿を変えた。しかし、北朝鮮は……。

(2010年6月18日15時54分  読売新聞)

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<ブラジル・北挑戦>ルッシオから厳しいマークを受ける北朝鮮の鄭大世


 もう一人の在日出身「安英学」選手。私は黙々と頑張る安選手が大好き。

 安 英学(アン・ヨンハ、안영학、1978年10月25日 - )は、岡山県倉敷市出身の朝鮮籍プロサッカー選手。現在Jリーグ ディビジョン1 (J1)・大宮アルディージャ所属。東京朝鮮中高級学校 高級部から立正大学へ進学。在学中の2002年、アルビレックス新潟へ加入し、ミッドフィルダーとして活躍。2003年のJ2優勝・J1昇格に貢献。昇格後の2004年もチームの主力選手としてプレーした。2005年から名古屋グランパスエイトへ移籍。
 2006年、韓国・Kリーグの釜山アイパークへ完全移籍。朝鮮籍のままで選手としてKリーグでプレーをするのは異例のことであった。2010年シーズン、W杯南アフリカ大会を6月に控え、試合に出られる環境に身を置くため、大宮アルディージャに移籍し、5年ぶりにKリーグからJリーグに復帰。

 北朝鮮代表としては2002年の対韓国戦でデビュー。2006年W杯ドイツ大会・アジア地区最終予選では、各種メディアによる北朝鮮代表チームに対する取材が増える中、注目を集めた。その後も代表に選出され続けており、W杯南アフリカ大会・アジア地区予選では再び、北朝鮮代表の中心選手の一人として海外遠征に招集された。北朝鮮代表として3バックの前のアンカー(守備的ミッドフィルダー)としてプレーする事が多い。「安英学」は今大会の対ブラジル戦で「鄭大世」ほど目立ってはいなかったけど、地道に頑張る姿に感動した。


 北朝鮮の安英学は中盤の底の位置でブラジルの攻撃の柱、カカと対峙(たいじ)。「後半はすごくスピードを上げてきた。スイッチが入ったときの勢いはすごかった」と、相手の地力の高さを痛感した。
 大半の時間を守りに奔走しながら、前半26分にはボールを奪って素早くつなぎ、カウンターの起点に。初めて北朝鮮代表に選ばれてから8年。チームで認められるため、意識していた攻撃の姿勢を初のW杯で見せた。(ヨハネスブルク時事)


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対ブラジル戦で奮闘する在日出身北朝鮮代表「安英学」


  北朝鮮チームの主砲「鄭大世」、その涙が話題になっている。黙々とチームを守る「安英学」先輩、後輩に好かれている、格好良い好青年。
  日本に生まれ、日本で学び、二つの祖国の間で悩み、泣き、笑い。 

  頑張れ!「安」、頑張れ!「鄭」、アジアの星に輝け!!




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追記:南アW杯:北朝鮮録画放送FIFAは合意 貧困国向け措置か・・・

 北朝鮮の朝鮮中央テレビがサッカー・ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会の試合映像を録画放送した問題について、国際サッカー連盟(FIFA)は15日、毎日新聞の取材に対し「私たちは、アジア太平洋放送連合(ABU、本部クアラルンプール)が北朝鮮側に映像を提供することで既に合意している」と答え、問題はないとの認識を示した。この問題については、朝鮮半島全域の放映権を主張する韓国の民放テレビ局SBSが「無断使用された」としていたが、FIFAは「ABUが私たちのガイドラインに基づき、映像を提供する」と述べた。
 AFP通信によると、FIFAとABUは11日の開幕試合直前にこの協定に署名。北朝鮮のほか東ティモール、ラオス、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの計7カ国の貧困国に映像を提供することで合意したという。ABUは番組の共同制作や相互提供を目的に1964年に設立された非営利組織で、現在58カ国・地域の200以上の団体が参加。日本のNHKやTBSも加盟している。
 06年ドイツ大会では、事前の合意に基づき韓国側が北朝鮮側に映像を提供。今大会はSBSと北朝鮮側が事前交渉したが、哨戒艦沈没事件など南北関係悪化で協議が中断していた。







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