悲しいクリスマス <その⑤>


収容所の中は俺みたいに思想とかイデオロギーとかには
特別な信念を持たな連中も大勢いたが
社会主義者や革命家、人民解放軍の意識がはっきりしてる連中も多かった。
両勢力の捕虜達は互いに軽蔑し、憎みあった。
喧嘩も絶えなかった。


ある日は収容所の中で殺人事件まで起きてしまった。
それをきっかけに両勢力を別々に収容するようになった。
それから俺は連合軍の責任者の気に入られ
薬品とか備品などを管理する事になった。
同郷の人も何人か会えて仲間も出来た。
そうして三年の年月が流れていて、戦争は終わりに向かっていた。

休戦会談が行われていると噂が流れた。
後から収容所に送られた同郷の先輩に
両親がこの戦争で亡くなった事を聞いたのも

戦争が終わりに近いある日であった。

俺は一晩泣いた。
そして、これから自分ひとりで生きていかない現実を
受け入れなければならない事が分かった。
 

皆といる時は戦争の行方を占った。
それからどう生きて行くか皆は語り合ったが
将来自分たちがどうなるかは誰も知らない。
全員北に返されると噂をする人もいた。
一人になる時間は不安な未来に泣いた。




その日はいつもと同じように夜が来た。
連合軍の監視兵はあくびをしながら自分の宿舎に帰った。
皆、寝たフリをして夜が深けるのを待っていた。
息を潜め子の刻が来るのを待っていた。
零時になるとこの捕虜収容所の難い門が密かに開く。

連合軍は自分らの捕虜達を連合側に連れてくるため、
このK島に収容所に収容されている全員を本人達の意思とは関係なく
戦争相手に返すと噂があった。
俺だって人民解放軍からの無断離脱者である。
このまま返されたらきっと批判の対象になるに違いない。
国に親はもういない。


捕虜たちそれぞれ事情も様々であった。
当人の意思など気にもせずその運命の鍵は連合軍が握っていた。
毎日変わる政策で収容所の人々は揺れていた。
噂が噂を呼ぶなかで、ある日、北に戻りたくない捕虜達を
収容所から逃がす計画が持ち上がった。
連合軍の考えに必ずしも納得できてない政府の首脳の決断であった。
そのDデイHアワーが今晩の0時である。
密かな伝達が俺にも回ってきた。

それにしても大量の脱出が、連合軍にばれないはずが無い。
その時は命は無いのと思わなければならないのだと
誰もがわかっていた。

夜が更けると扉の前で誰かのささやく声が聞こえた。

「今だ!!皆、起きてるのか?これから順番に出て行くんだ。
音を立てるな。銃声が聞こえても振り向くんじゃないぞ。
前を見るのだ、そして走れ!! 桟橋に向かって行くんだ。
国防軍の軍艦が海岸に近く来てるんだ。
軍艦はこれから3日連続夜中らが朝方にかけておい等を迎えに来る。
漁師さんたちがおい等を軍艦まで運んでくれることになっているんだ。
3日間だけだからそのいずれかの軍艦に乗れ、昼間は隠れて夜に移動しろ。
そして陸に着いたらそれからは自由だ。頑張りたまえ。幸運を祈る。」

いっせいに扉を目指して突進した。
誰もが口を噤んだまま。






2008/06/12 16:54 2008/06/12 16:54

<その④>

耳になれない言葉で何かを叫びながら
黒人の男が銃口を俺に向けてきた。
何人かの白人と黒人の軍服の男が俺を囲んだ。
頭が真っ白で、状況判断もできないまま俺は捕縛された。
俺は絶望で崩れ落ちた。
殺せと叫んだが彼らは俺を殺しはしなかった。

それから連れられて行ったところは大勢の若者がいた。
服は汚れきって、顔は北風の冷たさにやけて頬が赤い。
俺は連合軍の捕虜になった。
村の裏山のふもとにある畑には所々雪が残っていた。


雪の下には暖かい土があり、
その下にはきっと白菜の根っこが残ってるだろう。
白菜の根っこは甘くて辛い。それは冬のおやつだった。
畑に残った白菜の根っこを探したりしながら
元気で遊んだ幼頃の俺が俺に手を降って遠ざかっていた。


戦争中であることも知らなかった山の奥の村にも軍隊はやって来たのか。
村の子供たちは始めて見た白人や黒人の顔に驚き、
泣き出しただろう。
始めて聞いた意味の不明な言葉に、
村人達は息を潜んで隠れていたのだろう。

今になってはこんな事だって思うが
その時はこれで自分の人生は終わりだと思っていた。

それから長い道のりが始まった。
これからどうなるのかも分からないまま、果てなく歩く毎日だった。
夜は野原で雪が降ったら降られたまま、雨に濡れたら濡れたまま
寝具も無く過ごさなければならなかった。
日が昇る朝が待ち遠しい長い長い冬の夜を互いの体温で乗り越えた。
塩を塗しただけのご飯を手のひらにもらって動物のように口をつけて食べた。

連合軍は絶対に捕虜は殺さないと誰かが吐いた言葉だけを
すがる気持ちで信じて生き延びるために必死で耐えた。

何処に連れて行かれるのか分からない毎日、
それにしても日が経つに連れ段々暖かくなっていくような気がするのは
多分南に来てるからだろう。


一ヵ月後、南のある島に辿り着いた。
後でこの島は捕虜収容所で使われるようになったK島だと分かった。
今までと違ってそこではそれなりの生活が出来た。
頭は丸かりにされ全身にDDTをぶっかぶられたが、
収容所の中は寝袋も有ったし、食事も食器を使う。
時々キャンデーもチョコレートも貰えた。
死とうい絶望感は薄れていたがこの戦争の行方は気になるものだ。


北に社会主義の国が出来た時、

親父は持っていた小さな果樹園を取られた。
今まで勉強した外国語の英語もロシア語に変わった。
俺は可愛がられた担任の先生に密かに呼ばれて忠告された。

「君のために言うんだが、君の生活捜査表の宗教欄に宗教は無い事にした方がよさそうだ。君は成績もトップだし将来があるから進学もしないとね」

そのとき俺は納得出来なかった。
自分の利を得るために信念を曲げる事は

親父から教わった人間の生き方とは異なる。


親父もおふくろも兄弟も敬虔なカトリックであった家族は
信じる道に命を掛ける事を名誉と思ってきた。
俺は先生の忠告を聞き入れなかった事で進学が難しくなっていた。
教師になりたかった俺はその道も難しくなった事がなんとなく分かっていた。
俺は新しく出来上がった社会主義に迷っていたのかもしらない。
俺の心は社会主義が受け入れられなかった。

2008/06/03 15:54 2008/06/03 15:54

<その③>

軍服を脱いた。俺はもう軍人ではない。
俺は高等学校3年の学生なんだ。
夢が大きい青年なんだ。
理由も分からないまま誰かを殺し、そして殺される。
そんなの、俺は望んでない。

小屋を出るとき俺は既に軍人ではなかった。
老婆が持たしてくれた蒸したじゃが芋を胸に
いつか必ず恩返しをすると誓った。
老夫婦の息子さんが無事に両親の元に返って来るよう祈った。
 


冬の日は短く、俺はくれる日を向かって歩いた。
ここからしばらく西に向かってそれから北の方へと。

歩いても歩いても山道は続いていたが
山は低くなっていて時々村や畑も見えたりした。

思考の転回というのはこんなことを言うんだろうか、
瞬間頭に浮かんできたものは
この辺は今どちらの勢力の支配におかれてるのかと言うことであった。
俺的には何の意味もないことであるのにも関わらず、
俺の人生に大きく関わることになってしまったことが
しみじみとわかってきた。

とにかく畑が見えてきたという意味は人にも会える事である。
人に会うことがこんなにも慎重に考えなければならないとは
今までは一度も思った思ったことがない。
もうしばらく隠れて様子を見なければならない。
母の元に返ることすら許されない状況がわかってきたような気がしてきた。

「俺て一体何をやったんだ」

頭が混乱してきた。
ひと目につく夜道を歩くのは怪しく思われるのに違いない。
だからて昼間に等々と歩ける立場でもないのだ。
老人と女と子供以外に誰が昼間歩けると言うのか
こんな時勢に・・・・

取りあえず回りが闇に包まれるまで待つことにして
日が当たって雪が解け、そして乾いた岩に身よ寄せると
嫌な予感と同時に後ろから人影を感じた。

俺は振り向く勇気もないまま、心の揺れと襲い掛かる恐怖、
それは一瞬でありながら果てなく長い瞬間でもあった。

2008/05/30 10:01 2008/05/30 10:01