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  1. 2010/09/08 笑顔が綺麗だよ (4)

≪創作短編≫ 笑顔が綺麗だよ


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 アメリカから時々日本に里帰りをした。里帰りをする毎に、彼に会う回数が増え、時には彼に会うために帰国した。私が渡米を決心した頃は、彼とはそれほど親しい間柄ではなかった。同じ職場ではあったが、別の部署だったので、偶にすれちがったら会釈を交わす程度だった。
 ショートケーキの上にのったイチゴの味のような彼との時間を過ごした後、私は姉と子供が待つボストンに戻る。ボストンでは国際取引・国際契約に関する業務について勉強中だった。

 ボストン大学ロースクール(LL.M.)で学ぶことにしたのは、夫との離婚がきっかけだった。
大学を卒業した後、中堅クラスの商社に勤め、その五年後に、大学のサークルの先輩であった夫と、妊娠を機に結婚した。結婚して五年間、妊娠・出産・育児に追われているうちに後輩に追い抜かれ、かなり焦っていた私は、子供が幼稚園に行くようになると、ようやっと本格的な仕事復帰を果たした。

 国際ビジネスの世界は日に日に情勢が変り、その分析力によってこの世界の勝敗がきまる。その最前線で活躍する後輩達は着実に先を進んで行って、その背中は段々と遠くなっていく。彼らを後で支える役割に回ってから五年間、世界は目まぐるしく変わってしまった。国際環境も、市場の流れも、以前とまったく変わってしまい、付いていくことが精一杯。このままではここで止まり、適当に働き、程々の給料をもらって、あとは夫に頼る、「女」に甘んじる生き方を選ぶ他にない。夫も、そうであるべきと、当たり前のように思っていたのだろう。

 夫は勉強する私に嫉妬していた。勉強をしていると、口実を探しては世話をやかせた。結婚前の夫は私のビジネス分析の能力を高く評価していたが、いつの間にか、それよりも女房の役割を要求するようになっていた。私はその傲慢にも近い夫の態度に失望していった。

 夫との別れを決心したのは、子供が夜、急に熱を出し、病院に運ばれた際の事だった。夫はこう言った。
「俺は明日、大事な仕事が在るから、悪いけど先に帰って寝る。」
 
 その言葉で私の気持ちは固まった。

 姉はアメリカ人と結婚していた。とても誠実なクリスチャンであるアメリカンの義兄と姉の間には、仲睦まじく暮らしていたが、何故か子供ができなかった。姉の寂しさを案じた義兄が私と子供をアメリカに呼んでくれた。丁度夫と別れ、仕事は後輩に追い抜かれ、子供を抱えながら日々の現実に苦しむ中で、私自身に自信を付ける機会を兄が作ってくれたのだ。私は姉の住まいに近いところにアパートを借りて、子供と新しい生活を始めた。姉夫婦に負んぶに抱っこの生活ではあったが、姉夫婦の愛を一身に受ける子供も、勉強が思う存分できる私も幸せだった。

 アメリカ行きが決まったために会社を退職したため、会社が催してくれた送別会の帰り、彼から声を掛けられた。
「先輩、よかったら先輩の行く先の住所を教えてください。」
今時、家の住所を教えてという人は珍しいと思った。
「住所ですか?メールアドレスじゃなくて?」
「いや、住所です。もしボストンへ出張があったら日本の美味しい物を持って行きますから・・・。」
私はこれから住む街、ボストンの住所をメモして渡した。

 渡米後、しばらくして彼から手紙が届いた。封を開けると青い便箋に万年筆で書いた彼の筆跡に、(今時珍しい人)と再び思った。


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 それからも手紙は続き、私も電子メールではなくて手紙を書いた。手紙が届くのを待つ間、時めきと切なさが交錯する胸の中、わたしたちはゆっくり、そして密かに愛を育んでいった。

 二年後、彼が交通事故で意識不明になったことを聞いたのは、偶々電話してきた、前の職場で仲の良かった友人からだった。その前日に、一週間前に彼が書いた手紙が届いたので信じられなかった。
彼と付き合っていることを会社の人には内緒にしていたので、彼女が知っていて、伝えたわけは無い。きっと彼の気持ちがそうさせたと思った。
私は急いで、日本に帰った。


 彼の体についた幾つものコード、喉に埋め込んだ人工呼吸の為のチューブ・・・。彼には意識もな、く一人では呼吸もできない状態で、病院の重患者室のスチール製のベッドに寝ていた。悲しくて胸がつまった。私も息ができないような気がした。
翌朝の夜明け、彼は息を引き取った。私の目の前で、いつまでも待ち続けると言った彼が、私の前を去っていった。

 彼を見送ってからアメリカに戻る途についた。
 泣いて腫れぼったい眼は、辛うじて前が見える程度、ほとんど開けられない状態で、サングラスを掛けずには外に出られなかった。

 アメリカへの入国審査の際に、サングラスを取るように命じられた。躊躇しながらサングラスをとった私を見て、黒人の審査官は言った。

   Lady!  please don't cry. A smiling face is beautiful for you.
   Look! This picture of passport. you are not crying. It’s  nice.

  レディー、泣かないでね。あなたは笑顔が綺麗だからね。
   見てよ、このパスポートの写真。泣いてない顔はなかなか素敵じゃないの。



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2010/09/08 14:30 2010/09/08 14:30