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 私の父は平壌の外港である鎮南浦(今の南浦直轄市)出身である。16
歳の父は学徒義勇軍という名の下で戦場に連れ出された。高校2年の父を私はこの映画で観た。

 主人公のオ・ジャンボム(多分、呉長範)は戦闘で死んでしまうが、父は連合軍(UN軍)の捕虜になり、16歳から三年間を捕虜収容所で過ごす。やがて戦争が終り、捕虜交換の交渉の最中、北に返される事を拒み、収容所を脱出した。
(父の話を元に、私は短編『悲しいクリスマス』を書いた。このブログの創作の部屋に載っている)

 それから、19歳の父はたった一人で韓国で生きる事になった。母は父の初恋で、父の24歳の時、私は生まれた。だから父と私は同じ干支である。今年、父は77歳になる。出来る事ならば、未だ元気のうち、61年前、無理やり連れ出された故郷、生き別れて二度と会うことができなかった両親の墓参りに行かせてあげたい。

16歳の若い父がこの映画の中に居た。多分、この写真の主人公オ・ジャンボム役のTOPのように、初々しい高校生だったはずだ。
 
 この映画は朝鮮戦争勃発60年を記して、昨年の夏、韓国で封を切った。8月には韓国語をそのまま訳した『砲火の中で』というタイトルで、このブログにこの映画について書いたが、その時、まだ映画を見ていなかった。
 通勤の時いつも通る赤坂見附駅の構内に貼られたポスターを見て、ようやっとこの映画が日本にやってきたと思った。封切りから始めての休みの日、2月20日の日曜日、有楽町の門川シネマでこの映画を見る事ができた。

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 朝鮮戦争で戦った学徒兵たちの悲劇を描く戦争秘話は、韓国映画らしい“母への思慕”をベースにした悲壮なドラマだ。1950年の韓国。北朝鮮の猛攻で首都ソウルまで陥落した韓国軍は、追いつめられ、最後の砦である洛東江の戦線を守り抜くために全兵力を投入しようとしていた。そんな中、戦略上の要地である浦項の軍司令部が置かれた学校を託されたのは、戦闘経験がほとんどない学徒兵たち。オ・ジャンボムをリーダーとする71人は、明らかに劣勢の状況の中、命懸けで戦いに挑んでいく…。

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 16歳の学徒兵の遺体から母親に宛てた手紙が発見され、そこに綴られた痛切な思いが、戦争アクションとして映画化されたのが本作。主人公ジャンボムは、本来、物静かな性格で、地獄のような戦闘光景を見たときのショックがぬぐえないのに、少年兵の中で唯一“戦闘経験がある”とみなされてリーダーに任命され激しく戸惑う。生まれて初めて見る無残な死、同じ民族同士が殺し合う矛盾、母への想いなどが彼の内側でせめぎあうが、それらにゆっくりと答えを出すような猶予はどこにもない。

 否が応でも戦争の最前線に立たねばならなかったジャンボムが、短期間にリーダーとして成長するプロセスはやや不自然なのだが、敵の襲撃から逃げず、まして降伏などせず、必死の思いで正面から戦うことを決意する姿は、悲壮感に満ちている。ジャンボムと対立し、やがて心を通わせていくのは不良少年ガプチョ。演じるクォン・サンウは、いくらなんでも学徒兵役には年齢的に無理があるのだが、少年院送りにされる代わりに志願兵になるという設定は、当時の韓国軍の追いつめられた状況を上手く表している。

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 日本でも学徒出陣という悲劇があり、それは強大な敵・米国との戦争の、敗戦の象徴なのだが、朝鮮戦争時、浦項で命を散らした学徒兵の戦いは、北朝鮮軍の南への侵攻を遅らせ、韓国軍の立て直しと、後の連合軍の反撃に大きく寄与した。しかしそのことが、結果的に朝鮮半島を決定的に二分してしまうのだから、歴史というのは皮肉なものである。映画は政治的な側面には踏み込まず、あくまでも少年たちの友情や家族への思いを軸にする情緒的な演出だ。これは監督のイ・ジェハンの嗜好なのだろう。学徒兵たちの表情は皆、まだあどけない。彼らが軍服ではなく学生服を着ていることが、悲劇をより際立たせた。


(原題「71 Into the Fire」)
(韓国/イ・ジェハン監督T.O.P、クォン・サンウ、キム・スンウ、他)


2011/02/21 14:42 2011/02/21 14:42

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映画「砲火の中へ」が描いた「6・25」朝鮮戦争

「お母さん、ぼくは人を殺しました」


 1950年6月25日、早朝の日曜日、北朝鮮は38度線を越えて武力挑発、それから三年に渡る朝鮮戦争が勃発(ぼっぱつ)した。2010年6月25日、まさに60年の今日の出来事である。

 朝鮮戦争には軍人だけでなく、韓国の中学生や高校生、大学生らも学徒兵として戦っている。こうした学徒兵らを描いた映画「砲火の中へ」が韓国でこのほど封切られた。この映画は、学徒兵たちが実際に北朝鮮の朝鮮人民軍を相手に戦った実話を基に制作されている。

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 戦争勃発から間もない1950年8月、韓国南東部の浦項で学徒兵として戦った当時中学3年生の15歳の少年が母親にあてて書いた手紙が残っている。

 「お母さん、ぼくは人を殺しました。10人余りになるでしょうか。手榴(しゅりゅう)弾という恐ろしい武器を投げて一瞬に殺しました。今この文章を書いている瞬間も、耳に恐ろしい轟音(ごうおん)が響いています。

 お母さん、敵の足や手が引きちぎられ離れていきました。あまりにもむごい死です。いくら敵でも、彼らも人間だと考えると、ましてや同じ言葉を話し、同じ血を分けた同族だと思うと、胸が苦しくて重いです。

 お母さん、戦争はなぜしなければいけませんか? ぼくは恐ろしいです。敵兵はあまりにも多いです。ぼくたちはやっと71人です。これから、どうなるのかを考えると恐ろしいです」


 この手紙は母親に届くことなく、少年は浦項での戦闘で戦死。死後、服の中から手紙が発見された。この手紙を基に映画「砲火の中へ」が制作された。


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 北朝鮮が6月25日、韓国に侵攻し朝鮮戦争が勃発。開戦から3日でソウルを陥落し、その後も破竹の勢いで進撃を続ける北朝鮮。映画で描かれているのは、8月11日の浦項での戦闘の様子だ。

 記録によると、浦項戦闘前日の10日には、数百人の韓国軍兵士と学徒兵71人が待機中だった。戦力では圧倒的に劣勢で、北朝鮮軍の進撃の情報もつかめていない無防備状態だったという。

 11日、北朝鮮の766遊撃部隊が浦項を奇襲した当時、韓国軍兵士は洛東江に南下し、司令部が置かれた浦項女子中学校には学徒兵71人だけが残っていた。残された学徒兵1人当たりに支給された武器は、小銃1丁と実弾250発がすべて。学徒兵たちは圧倒的な火力で攻撃する北朝鮮軍に対抗し、11時間半に渡る死闘を繰り広げた。

 北朝鮮軍の進撃を食い止めている間に、浦項の市民20万人以上が無事避難することができたという。また、浦項の戦闘で、北朝鮮軍60人余り、学徒兵は48人が死亡した。

 こうした朝鮮戦争で犠牲となった学徒兵は、およそ3000人と推定されている。しかし、とくに軍に所属していたわけではないので、名前すら残さずに戦死した学徒兵も多いという。

 韓国の関連資料によると、朝鮮戦争で韓国側は軍人、民間人を合わせて198万人、北朝鮮側は329万人、国連軍16万人、中国志願軍92万人と、計635万人もの死者を出した。1953年7月に休戦協定が結ばれたが、戦争はいまだ終結していない。

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 ■総制作費約85億円

 記録などから、朝鮮戦争で犠牲になった学徒兵はおよそ3000人と推定される。しかし、名前すら残すことなく“砲火の中へ”消えていった学徒兵はさらに多いとされる。こうした忘れ去られた学徒兵たちを、60年ぶりによみがえらせたいという制作陣の熱い思いが映画に込められている。




2010/06/25 13:31 2010/06/25 13:31


月も雲に隠れ、道の分別も出来ない夜るだった。
騒がしい気配を感じ取ったのか蛙の合唱が一層大きい。
何故か今も耳に残るのは泥濘に足を捕らえ転んだとき
一斉に飛びはねる蛙の群れの合唱と後ろから聞こえる多発の銃声。

収容所にいる間、俺は二十歳になった。
誕生日など忘れていたが気が付いたら二十歳になっていた。
収容所に収容されてる人は必ずしもこの戦争に立ち入った軍人とは限らない。
民間人も多数収容されていた。
身分がはっきり確認できてない男はすべて連れてこられたからだ。
そこで知り合った40代後半の男に俺は息子のように可愛がられた。
収容所を脱出する前日、彼は俺に言った。

「ここから出たら何処に行くんだ?
行くあてはあるのか?」

俺は首を横に振った。

「俺はP市に行くつもりだよ。そこに昔、俺が世話したある人が住んでるんだ。
その人を宛てに北から南へ向かう途中捕まえたからな・・・
もしここから出て、行く宛が見つからなかったらP市に来いよ。
そこは大きな港だし、二人なら何とか出来るかもしれん。」

彼とは闇の中ではぐれてしまった。

周辺が明るくなってくると遠く桟橋が見えて、
小さい漁船がエンジンをかけて桟橋で出向の準備をしているように見えた。
近づくと髭の来い男が大きい声で叫んでいる。
「後、一人乗れるから早よう来いよ!!」
船は20人乗りの漁船で島の人は3人乗っていて後は皆、収容所脱出者だった。
「これで5回往復だよ。急がないともう一回往復できない・・・」
島の人が言った。
夜中からすべての島の船は脱出捕虜を運んだ。
こういう方法で政府は連合軍からこの地に残りたいと願う捕虜達を解放したのだ。
危険過ぎる、無謀だとの批判の声が高まる緊迫の状況で
数千人の戦争の渦巻きに巻き込まれてしまった人々が
再び自由を向かって突進する。

俺は書いてもらったP市の住所を胸に
漁船に乗って始めての自由のみになっていた。





そして、7年の年月が流れた。
今日俺に子供が生まれた。
外は寒くてあらゆる物を凍らせてる。
ここで俺は根をおろす。
俺はもう独りぼっちではないのだ。

いつかこの子に言ってあげられるのだろうか
この地で独りポツンと浮き草のように生きてきて
今、こうやって根を下ろし始めている俺の話を
この子は聞いてくれるのだろうか。

明日はクリスマス。
街は今晩、華やかに照らされるだろう。
雪の積もった野原でいつの間にか過ぎていたクリスマス、
捕虜収容所で米軍から与えられたクリスマスケーキ、
皮肉にも始めてのクリスマスケーキだった。
国のクリスマスは敬謙なものだった。
隠れキリスタンであった先祖の代から
神父様に祖立てられた父の代まで
クリスマスは敬謙なミサで捧げられた喜びの儀式だった。
これから俺はこの子のサンタになるだ。
産声を上げる赤ん坊を向かって口ずさむ。


「さようなら悲しいクリスマス」



<おわり>

2008/10/15 12:34 2008/10/15 12:34

悲しいクリスマス <その⑤>


収容所の中は俺みたいに思想とかイデオロギーとかには
特別な信念を持たな連中も大勢いたが
社会主義者や革命家、人民解放軍の意識がはっきりしてる連中も多かった。
両勢力の捕虜達は互いに軽蔑し、憎みあった。
喧嘩も絶えなかった。


ある日は収容所の中で殺人事件まで起きてしまった。
それをきっかけに両勢力を別々に収容するようになった。
それから俺は連合軍の責任者の気に入られ
薬品とか備品などを管理する事になった。
同郷の人も何人か会えて仲間も出来た。
そうして三年の年月が流れていて、戦争は終わりに向かっていた。

休戦会談が行われていると噂が流れた。
後から収容所に送られた同郷の先輩に
両親がこの戦争で亡くなった事を聞いたのも

戦争が終わりに近いある日であった。

俺は一晩泣いた。
そして、これから自分ひとりで生きていかない現実を
受け入れなければならない事が分かった。
 

皆といる時は戦争の行方を占った。
それからどう生きて行くか皆は語り合ったが
将来自分たちがどうなるかは誰も知らない。
全員北に返されると噂をする人もいた。
一人になる時間は不安な未来に泣いた。




その日はいつもと同じように夜が来た。
連合軍の監視兵はあくびをしながら自分の宿舎に帰った。
皆、寝たフリをして夜が深けるのを待っていた。
息を潜め子の刻が来るのを待っていた。
零時になるとこの捕虜収容所の難い門が密かに開く。

連合軍は自分らの捕虜達を連合側に連れてくるため、
このK島に収容所に収容されている全員を本人達の意思とは関係なく
戦争相手に返すと噂があった。
俺だって人民解放軍からの無断離脱者である。
このまま返されたらきっと批判の対象になるに違いない。
国に親はもういない。


捕虜たちそれぞれ事情も様々であった。
当人の意思など気にもせずその運命の鍵は連合軍が握っていた。
毎日変わる政策で収容所の人々は揺れていた。
噂が噂を呼ぶなかで、ある日、北に戻りたくない捕虜達を
収容所から逃がす計画が持ち上がった。
連合軍の考えに必ずしも納得できてない政府の首脳の決断であった。
そのDデイHアワーが今晩の0時である。
密かな伝達が俺にも回ってきた。

それにしても大量の脱出が、連合軍にばれないはずが無い。
その時は命は無いのと思わなければならないのだと
誰もがわかっていた。

夜が更けると扉の前で誰かのささやく声が聞こえた。

「今だ!!皆、起きてるのか?これから順番に出て行くんだ。
音を立てるな。銃声が聞こえても振り向くんじゃないぞ。
前を見るのだ、そして走れ!! 桟橋に向かって行くんだ。
国防軍の軍艦が海岸に近く来てるんだ。
軍艦はこれから3日連続夜中らが朝方にかけておい等を迎えに来る。
漁師さんたちがおい等を軍艦まで運んでくれることになっているんだ。
3日間だけだからそのいずれかの軍艦に乗れ、昼間は隠れて夜に移動しろ。
そして陸に着いたらそれからは自由だ。頑張りたまえ。幸運を祈る。」

いっせいに扉を目指して突進した。
誰もが口を噤んだまま。






2008/06/12 16:54 2008/06/12 16:54

<その④>

耳になれない言葉で何かを叫びながら
黒人の男が銃口を俺に向けてきた。
何人かの白人と黒人の軍服の男が俺を囲んだ。
頭が真っ白で、状況判断もできないまま俺は捕縛された。
俺は絶望で崩れ落ちた。
殺せと叫んだが彼らは俺を殺しはしなかった。

それから連れられて行ったところは大勢の若者がいた。
服は汚れきって、顔は北風の冷たさにやけて頬が赤い。
俺は連合軍の捕虜になった。
村の裏山のふもとにある畑には所々雪が残っていた。


雪の下には暖かい土があり、
その下にはきっと白菜の根っこが残ってるだろう。
白菜の根っこは甘くて辛い。それは冬のおやつだった。
畑に残った白菜の根っこを探したりしながら
元気で遊んだ幼頃の俺が俺に手を降って遠ざかっていた。


戦争中であることも知らなかった山の奥の村にも軍隊はやって来たのか。
村の子供たちは始めて見た白人や黒人の顔に驚き、
泣き出しただろう。
始めて聞いた意味の不明な言葉に、
村人達は息を潜んで隠れていたのだろう。

今になってはこんな事だって思うが
その時はこれで自分の人生は終わりだと思っていた。

それから長い道のりが始まった。
これからどうなるのかも分からないまま、果てなく歩く毎日だった。
夜は野原で雪が降ったら降られたまま、雨に濡れたら濡れたまま
寝具も無く過ごさなければならなかった。
日が昇る朝が待ち遠しい長い長い冬の夜を互いの体温で乗り越えた。
塩を塗しただけのご飯を手のひらにもらって動物のように口をつけて食べた。

連合軍は絶対に捕虜は殺さないと誰かが吐いた言葉だけを
すがる気持ちで信じて生き延びるために必死で耐えた。

何処に連れて行かれるのか分からない毎日、
それにしても日が経つに連れ段々暖かくなっていくような気がするのは
多分南に来てるからだろう。


一ヵ月後、南のある島に辿り着いた。
後でこの島は捕虜収容所で使われるようになったK島だと分かった。
今までと違ってそこではそれなりの生活が出来た。
頭は丸かりにされ全身にDDTをぶっかぶられたが、
収容所の中は寝袋も有ったし、食事も食器を使う。
時々キャンデーもチョコレートも貰えた。
死とうい絶望感は薄れていたがこの戦争の行方は気になるものだ。


北に社会主義の国が出来た時、

親父は持っていた小さな果樹園を取られた。
今まで勉強した外国語の英語もロシア語に変わった。
俺は可愛がられた担任の先生に密かに呼ばれて忠告された。

「君のために言うんだが、君の生活捜査表の宗教欄に宗教は無い事にした方がよさそうだ。君は成績もトップだし将来があるから進学もしないとね」

そのとき俺は納得出来なかった。
自分の利を得るために信念を曲げる事は

親父から教わった人間の生き方とは異なる。


親父もおふくろも兄弟も敬虔なカトリックであった家族は
信じる道に命を掛ける事を名誉と思ってきた。
俺は先生の忠告を聞き入れなかった事で進学が難しくなっていた。
教師になりたかった俺はその道も難しくなった事がなんとなく分かっていた。
俺は新しく出来上がった社会主義に迷っていたのかもしらない。
俺の心は社会主義が受け入れられなかった。

2008/06/03 15:54 2008/06/03 15:54

<その③>

軍服を脱いた。俺はもう軍人ではない。
俺は高等学校3年の学生なんだ。
夢が大きい青年なんだ。
理由も分からないまま誰かを殺し、そして殺される。
そんなの、俺は望んでない。

小屋を出るとき俺は既に軍人ではなかった。
老婆が持たしてくれた蒸したじゃが芋を胸に
いつか必ず恩返しをすると誓った。
老夫婦の息子さんが無事に両親の元に返って来るよう祈った。
 


冬の日は短く、俺はくれる日を向かって歩いた。
ここからしばらく西に向かってそれから北の方へと。

歩いても歩いても山道は続いていたが
山は低くなっていて時々村や畑も見えたりした。

思考の転回というのはこんなことを言うんだろうか、
瞬間頭に浮かんできたものは
この辺は今どちらの勢力の支配におかれてるのかと言うことであった。
俺的には何の意味もないことであるのにも関わらず、
俺の人生に大きく関わることになってしまったことが
しみじみとわかってきた。

とにかく畑が見えてきたという意味は人にも会える事である。
人に会うことがこんなにも慎重に考えなければならないとは
今までは一度も思った思ったことがない。
もうしばらく隠れて様子を見なければならない。
母の元に返ることすら許されない状況がわかってきたような気がしてきた。

「俺て一体何をやったんだ」

頭が混乱してきた。
ひと目につく夜道を歩くのは怪しく思われるのに違いない。
だからて昼間に等々と歩ける立場でもないのだ。
老人と女と子供以外に誰が昼間歩けると言うのか
こんな時勢に・・・・

取りあえず回りが闇に包まれるまで待つことにして
日が当たって雪が解け、そして乾いた岩に身よ寄せると
嫌な予感と同時に後ろから人影を感じた。

俺は振り向く勇気もないまま、心の揺れと襲い掛かる恐怖、
それは一瞬でありながら果てなく長い瞬間でもあった。

2008/05/30 10:01 2008/05/30 10:01

<その②>

気が付くと俺は山道を走っていた。
息が切れそうで止まると自分が何処にいるか分からなくなっていた。
微かに見える白い雪道は

自分の足跡と野生動物の足跡が混じって散乱していた。
頬が痛かった。
どこかですれ傷を付けたようだ。

家に帰らないと、母さんが待つ家に帰らないと・・・
俺はまた走った。

母さんは俺を秘密の部屋に隠していた。
村に若者の召集令が出されたとき、お袋は隠し部屋を作った。
母屋の脇に小さい物置を装って俺の居場所を作ってくれた。

何日も何日もその中で過ごすには俺は若すぎたのかもしれない。
外の様子が気になって隠し部屋を抜け出したその時
俺の家を見張り続けていた村の役場の人間に見つかってしまったのだ。
村の責任者に酷く批判されるお袋を後にして
俺は人民解放軍になって戦う身分となった。

夜が明けようとしていた。
このままでは家にたどり着く前、捕まえてしまう。
だって俺は軍服を着たまま。
このままじゃ軍隊から逃げ出したのがすぐばれてしまうだろう。
現実の自分に戻ると怖くなった。
これからどうすれば良いのか・・・
朝になればみんなは俺がいなくなったことに気が付くだろう。

とにかくその日は山の岩の影に隠れていた。
寒さと怖さと極度の緊張で空腹感すら感じなかった一日だった。

夜になってまた歩いた。
今度は激しい空腹感で吐き気がした。
離れた群から俺を追っかけてくる気配はなかった。
何処かで食べ物を調達しなければならない。
ふらふら一晩歩くと回りがやや明るくなってきた。
もう歩けない。疲れた。おなかが空いてどうにもならない。
残雪を手に取って食べてみた。
これからどうするのか俺にも分からない。


その時、ふと煙の匂いがした。
もしかしたら他の軍隊の群ではないかと思い、怖くなった。
山の高い所に登り、隠れて様子を見ると

火田民の部落が闇の中で微かに見える。
朝ご飯の準備に掛かってるらしかった。
俺はその煙が昇る小屋に向かった。

俺に選択の余地なんかが有る訳がない。

小屋には老夫婦がいた。
早朝の尋ね人に大変驚いた様子、当然の事だ。
だって俺、山ですべて転んで傷だらけの人民軍服の姿であったから。
しばらく俺の顔を見ていた老夫婦は
幼い少年兵の疲れ果てた姿に同情をしたらしく、
色々と聞いて来た。

老婆は黍(きび)のお粥を持ってきてくれて
兵隊に連れて行かれた息子の服を出してくれた。
老人は布団を敷いてくれた。

「疲れた様子だね。食べてひと眠りして、
それからお家に帰りなさい。ご両親が待ってるんだろう?」

眠った、久しぶりに。
満腹で暖かい部屋で眠った。
軍服ではなく民服。
心が和んで深い深い眠りに襲われた。

2008/05/28 17:11 2008/05/28 17:11

悲しいクリスマス

                                  

<その①>

今日、俺に子供が生まれた。女の子だ。
外は寒くてあらゆる物を凍らせてる。
ここで俺は根をおろす。
俺はもう独りぼっちではないのだ。
こんな寒い夜、故郷の町は
灯した明かりまで凍りつく寒さだ。


今、戦争は終わって世の中は平和が訪れようとしてる。
この平和は何時まで続くのだろうか。

俺は17歳で故郷を離れた。
俺は戦争を望んではない。
だけど、世の中は俺の意思とは関係なく、
全ての人を巻き込んでいた。狂ったように・・・・
その時俺は自分の納得の出来ないその状況から逃げたかった。

たった一週間の訓練で
俺には恐ろしくも人を殺せる許可が与えられた。
本当に俺は人が殺せるのか。

戦場に向かう群れの列は百メーターを超えるくらいで
何人か同じ学級の友人もその群れにいて
その中の何人かは俺に手を振った。
寒い冬の日差しは有り難い物だ。

山道は険しく、太陽はもう隠れようとしている。
今晩は多分この辺で野営だろう。
寒い冬の日没は悲しいものであった。


どのくらい寝ていたのか寒さと膀胱の圧迫感に目が覚めた。
この行軍はもう一週間も続いてる。
みんな疲れ果てて、寒さにもめげず死んだように眠ってる。
このように寝られるのも後、幾晩だろうか
後2,3日で戦線に着くのは誰もかが予測していた。


用を出すため野営地から離れた。
圧迫されていた膀胱が元に戻る快感を感じながら
体を振るって一瞬空を見上げると、
山々に隠れて狭くなった空に月もなく星が見えた。

雪が止んだ空は綺麗。とても綺麗。
人間は戦って死んでいくのに、星は変わらなく今夜も出ていたのだ。
瞬間、星は涙を流していた。


母さん・・・ それは母さんの涙の様だ。



 

2008/05/28 16:57 2008/05/28 16:57