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  1. 2010/10/18 金氏朝鮮の悲運の王子譲寧大君「金正男」

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 金日成・金正日に継ぐ「金氏朝鮮」王家の長男金正男が、李氏朝鮮の悲運の王子譲寧大君(ヤンニョンデグン)と重ねて思えるのは私だけではないと思う。だからと言って、金正恩を忠寧大君に例える話ではない。

 譲寧大君は李氏朝鮮の第4代国王、世宗大王(세종대왕、セジョンデワン)の兄で、第3代国王太宗の第1王子であったが、弟である3男の忠寧大君(大君は王の嫡出子に与えられる職官)に王座を譲ることになった。健康問題を抱えた父・太宗には何度か譲位を行う意向があったが、外戚との確執や長男の譲寧大君(ヤンニョンデグン)の奔放な性格が問題となり、なかなか行われなかった。

 1418年、太宗は譲寧大君から世子(セジャ、王太子)の資格を剥奪し、三男の忠寧大君、後の世宗に譲位した。そして、世宗即位当初の4年間は、上王となった太宗が軍事権をはじめ政治の実権を握っていた。1422年に太宗が亡くなると、世宗の親政が始まることになる。北の金氏王朝も先軍政治(せんぐんせいじ、선군정치)註1とか言うからその構えでいるのではないかと思ったりする。

 次男である金正哲の動きが見えない今だからこそ、長男金正男の行動がなお気になるのである。金正男はかなり以前に、彼の母方の人々が金正日に背を向け、韓国やフランスに亡命した当時、すでに北朝鮮では厳しい立場に立たされていた。それこそ悲運の王子なのである。その彼がどのような生き方をすればこの世を上手く渡り切る事ができるのだろうか。
 
※金正男の生い立ちについては別途に記事を書く予定です。(^_^;)

 李氏朝鮮の譲寧大君の人生もそうであったが、権力を握る側のけん制を受ける人物は、愚か者、または道楽ものを装う事で自分を守るのは古近東西を問わず、最も正解とされた身の振る舞いであるのではなかろうか。自分は権力に何の未練も欲もないように見せる、言わば破落戸(ごろつき=파락호)註2で生きるのが身の安全の為の唯一の手段なのかもしれない。

 もしも、金正男が親と縁を切り、海外で誠実な人生を生きると仮定すてみよう。父親からの仕送りなど一切受取らないで、他の模範になる誠実な生き方をしているとすれば、そのうえ頭も良いとすれば・・・   北朝鮮の体制に疑問を持つのであろう、意識ある人々に好かれるに違いない。例えば今は息を潜めている反北体制の知性人の精神的求心点になり、北の現在の体制を脅かす勢力と成長する事に対する懸念が起きるはずである。
 それは今の北朝鮮の立場からみれば、金正日・金正恩体制擁立に危険要素になるだろう。 聞く話によると、金正日は長男金正男を可哀想に思っているらしいので、そんな事はないと思うが、金正恩王子派から見れば消去しなければならない対象になり、金正男は交通事故を装う形で反対派から暗殺された可能性が非常に高いと私は見る。当然ながら今のような自由な生活を送る事などもちろん出来ない。
 金正恩の側に立ち、金正恩擁立に命を掛け、己の一族の繁栄を計らう機会主義者集団の王子派らが、今頃になって、次から次へ世に顔を出しているではないか。

 いつか私は、北半島問題の解決の最善と考えられる北韓の無血解放の一方法として、金正日一家の身辺安全確保を前提とした中国への亡命について、それを可能に出来る方法などについて議論したことがある。その為に無くては成らないのが金正男の役割で、金正日一家が中国へ政治亡命をした場合、彼は長男としての役割を十分に遂行できる立場にある。金正男は思うよりもっと重要な役割を担う可能性がなくもない。

 私は彼を非常に賢い人物と見ている。何年か前、日本で、不法入国が摘発され強制送還された事件を起こした際に彼は、ディズニーランドに行きたかったので来日したと証言した。その弁明はまさに彼の賢さの決定版であったのではないか。自分を笑いものにして国際問題に拡大せず、穏便に処理する事が出来て、日本政府もほっとしたはずである。彼はあの場面であのように言い逃れができるほどで、見ている限り、如何なる状況でも彼は余裕がある。 (「読売新聞」は2001年5月18日付けの一面トップ記事で「金正男が5月1日に日本に不法入国しようとしたのは、ミサイル販売の代金を運搬するための目的だった可能性が高く、金正男は金正日の指示を受けるミサイル販売責任者である可能性が高い」と書いている) 

 韓国では金正男が父親の仕送りで贅沢三昧をしていると、それは北の人民から搾取したお金だと批判があるが、私はそうは思えない。金正男は国の外側でお国の為頑張った事の報酬、または活動資金だろう。 彼は韓国人女性を愛人にしていると噂を聴く。その韓国人女性との間に子供も居るとか・・・ 韓国に繋がりを持っているから韓国情報を簡単に得ることができ、韓国の知人とも自然に交際している。 今回、彼が朝日新聞とのインタビューで北を「共和国」でも「朝鮮」または「我が国」といわず「北韓」と呼んだことは、彼の確信のもとで意図的に私は感じる。これは彼の計算された戦略ではないだろうかと。 それは日本に不法入国の際、その理由をディズニーランドに行きたかったので来たと答えたことと同じ脈絡だろう。

 己を破落戸(ごろつき)で、親父の気持ちも分からない親心知らずの問題児と認識させる事で、西側世界が持っている朝鮮民主主義人民共和国のイメージと自分自身のイメージを隔離させる事で、自分のより自由な活動領域の確保を計らったのではないかと思う。

 金正男が北の跡継ぎに成っていたら、北朝鮮にも希望があったのではないかという思いを私は頭から振り切れない。もう北には絶望しか残ってないのか・・・


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註1
 先軍政治(せんぐんせいじ、선군정치)

 先軍政治(せんぐんせいじ、선군정치)は北朝鮮の公式イデオロギー。
すべてにおいて軍事を優先し、朝鮮人民軍を社会主義建設の主力とみなす政治思想である。先軍思想とも呼ばれる。
 
 2009年の憲法改正で主体思想と並び憲法上で指導思想であると明記されるようになった。先軍政治という言葉が北朝鮮のメディアに登場したのは金正日が朝鮮労働党の総書記に就任した1997年である。そして、金正日は先軍政治について「先軍政治は私の基本的な政治方式であり、我々の革命を勝利に導くための、万能の宝剣です」と述べたとされる(労働新聞 1999年6月16日)。また、「人民軍隊は我々の革命の柱であり、主体(チュチェ)革命偉業完成の主力軍です」と述べたとされる。こうしたことから、社会主義建設においてプロレタリアートの役割を最重視するマルクス・レーニン主義とは根本的に異なる。そして、北朝鮮で出版された文献をみると、ほかの社会主義国は、労働者階級の党(共産党など)がまず建設され、それに基づき軍が建設されるという「先党後軍」の「先労政治方式」を採っているが、北朝鮮では逆に、金日成によって朝鮮人民軍の前身である朝鮮人民革命軍がまず創建され、祖国解放を成し遂げた後に朝鮮労働党が創建され、続いて軍を正規武力に強化発展させ、建国偉業を成し遂げたとしている。

 また、ソ連やルーマニアの社会主義政権崩壊を例に挙げ、それらの国々では軍事の問題を正しく解決しなかったことで、軍が反革命に同調してしまい、政権崩壊に導いたと分析している。先軍政治が北朝鮮のメディアで喧伝されるようになるにつれ、金正日による軍の視察も盛んに報じられるようになった。そして、2002年9月17日、金正日が日朝平壌宣言に調印した際も、「朝鮮労働党総書記」ではなく「朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長」という肩書を用いた。こうしたことから、北朝鮮問題のアナリストである重村智計は、朝鮮労働党の支配がすでに形骸化しており、党が軍を指導するのではなく、軍が党を指導する状態になっていると指摘している。

                          フリー百科事典『ウィキペディア』より



註2  破落戸

ごろつき(破落戸)には次の意味がある。

・ ならず者のこと。住所や定職をもたず彷徨する。ごろ。
 
・ 企業対象暴力およびそれを行う者のこと。以下のものがある。
  会社ゴロ、特許ゴロ(パテント・トロール)、社会運動標榜ゴロ(えせ同和行為)

・ 雷の別称。

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