「An die Musik」はドイツ語で「音楽に寄せて」と訳されます。
シューベルトの歌曲作品88の4 D.547の題名として知られています。
歌詞は、シューベルトの友人フランツ・フォン・ショーバー(Franz von Schober/1798-1882)の詩から採られています。
ショーバーは、詩人としてのみならず作家や外交官としても活動し、フランツ・リストの秘書も務めた人物で、自分の家にシューベルトを寄宿させていた時期もあり、『楽に寄す(音楽に寄せて)』以外にもいくつか自分の詩をシューベルトに提供しています。
大意:「人生の苦しみを癒してくれる芸術、清らかな調べによって私を天に導いてくれる芸術、私はあなたに感謝する」
An die Musik
Du holde Kunst, in wieviel grauen Stunden,
Wo mich des Lebens wilder Kreis umstrickt,
Hast du mein Herz zu warmer Lieb entzunden,
Hast mich in eine beßre Welt entruckt!
Oft hat ein Seufzer, deiner Harf' entflossen,
Ein sußer, heiliger Akkord von dir
Den Himmel beßrer Zeiten mir erschlossen,
Du holde Kunst, ich danke dir dafur!
To Music
Oh sacred art, how oft in hours blighted,
While into life's untamed cycle hurled,
Hast thou my heart to warm love reignited
To transport me into a better world!
So often has a sigh from thy harp drifted,
A chord from thee, holy and full of bliss,
A glimpse of better times from heaven lifted.
Thou sacred art, my thanks to thee for this.
音楽に寄せて
甘美なる芸術よ
心病める時も
人生の荒波の前にも
心に灯る暖かい愛情の光
別世界へと誘う
零れ落ちるハープの溜め息
甘く清らかな旋律
我を天国に誘う
甘美なる芸術よ
心から感謝の意を捧げん
Fischer-Dieskau sings Schubert -- "An die Musik"
声楽家 : ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
(Dietrich Fischer-Dieskau, 1925年5月28日 - )
ドイツのバリトン歌手(後に指揮活動も行った)。多くの人が録音史上、最も傑出した歌手とみなしている。彼の演奏解釈と声質・声の陰影に富んだ音色の素晴らしさは大いに称えられており、同じ戦後ドイツの大歌手エリーザベト・シュヴァルツコップをして「神に近い存在」と言わしめた。
フィッシャーは父方、ディースカウは母方の姓であり、ディースカウがバッハの農民カンタータにちなんだ領主の名前だった事から、縁起を担いで両方の姓を名乗ったという。
若年期: フィッシャー=ディースカウはベルリンで学校長の父アルバートと教師の母ドーラの間に生まれた。幼年時代から歌唱を始め、16歳からは正式な声楽のレッスンを受け始めた。しかし1943年、ベルリンの音楽院で2学年と1学期分を修めた直後に、兵役に召集される。そして1945年にイタリア戦線で連合軍に捕らえられ、2年間の捕虜生活を送った。
歌手としてのキャリア: 1947年、ドイツに戻るとバーデンヴァイラーでプロ歌手としての経歴が始まる。彼はヨハネス・ブラームスのドイツ・レクイエムの演奏会で、直前に病気になった歌手の代役としてリハーサル無しで歌った。1947年秋に最初の歌曲リサイタルをライプツィヒで開いたのに続き、ベルリンのティタニア・パラスト(元映画館)で行った最初の演奏会でも大成功を収めた。
翌年秋、フィッシャー=ディースカウはベルリン国立歌劇場の第一リリックバリトン歌手として採用され、フェレンツ・フリッチャイ指揮のもとヴェルディのドン・カルロのポーザ公爵を歌ってオペラ・デビューを飾った。続いて彼はヴィーンとミュンヘンの歌劇場にも客演する。1949年以降はイギリス、オランダ、スイス、フランス、イタリアなどに演奏旅行を行った。1951年にはザルツブルク音楽祭にフルトヴェングラーとの共演でマーラーのさすらう若者の歌を歌ってデビューを果たす。彼はまた、1954年から1961年にかけてバイロイト音楽祭に毎年出演し、ザルツブルク音楽祭でも1956年から1970年代にかけての常連出演者であった。
オペラ歌手として、彼は主にベルリン・ドイツオペラとミュンヒェンのバイエルン国立歌劇場で活動し、ヴィーン国立歌劇場、ロンドンのコヴェント・ガーデン(ロイヤル・オペラハウス)、ハンブルク国立歌劇場や日本での公演、それにエディンバラの音楽祭で王立劇場への客演を行った。フィッシャー=ディースカウの初めての米国への演奏旅行は1955年に行われ、ニューヨークのカーネギー・ホールで初めての歌曲リサイタルを1964年に開いた。
1951年、ロンドンのEMIスタジオにおいてジェラルド・ムーアの伴奏ピアノで初めての歌曲のレコードを録音した。以後ふたりは1967年のムーアの公演引退までしばしば演奏会や録音を行い、それらは高い評価が与えられた。特にシューベルトの歌曲については個人として前人未到の曲数を録音し、さらに主な重唱曲も合わせて収録しており、ドイツ・リート録音の名録音と言われる。他にロベルト・シューマン、フランツ・リスト、ヨハネス・ブラームス、リヒャルト・シュトラウスなど主要なリート作曲家の歌曲全集をさまざまな伴奏者と共に録音している。
フィッシャー=ディースカウはブリテン、バーバー、ヘンツェ、クレネク、ルトスワスキ、マットゥス、ツィリヒ、フォン・アイネム、ライマンら20世紀音楽の数多くの作品を歌っている。
フィッシャー=ディースカウの主要なレパートリーには他に宗教曲、特にバッハがあげられる。彼のユニークな歌唱はこの分野でも際立った存在である事を示しており、EMIに残したカール・フォルスターの指揮での録音やアルヒーフに残したカール・リヒターの指揮でのさまざまなアリアは古楽器が大流行した現在でもまったく色褪せる事が無い。 全世界に及んだ彼の足跡の中で、1963年と66年に、ベルリンオペラと共に来日したことは、日本の音楽愛好家にとっては特記すべきことであろう。
彼は1992年に歌手としての演奏会活動の第一線から身を引き、指揮者としてオーケストラ・ピットおよび録音スタジオでの活動を開始。現在は絵画活動や詩の朗読活動に重点を置いている。
現在はベルリン芸術大学でリートのマスター・クラスを持っており、彼のもとからアンドレアス・シュミット、ディートリヒ・ヘンシェル、マティアス・ゲルネなど現在のリート界を代表する歌手が数多く育っている。
私生活: フィッシャー・ディースカウは1949年、チェロ奏者のイルムガルト・ポッペンと結婚した。ふたりの間には3人の息子:マティアス(舞台デザイナー)、マルティン(指揮者)、マヌエル(チェロ奏者)がいる。イルムガルトは1963年に出産後の合併症で亡くなった。 以後彼は女優のルート・ロイヴェリク(1965年~67年)、クリスティーナ・プーゲル・シューレ(1968年~1975年)と再婚し、1977年以降はハンガリー人(ルーマニア生まれ)のソプラノ歌手ユリア・ヴァラディと結婚している。
フィッシャー・ディースカウの著書
『シューマンの歌曲をたどって』Robert Schumann Wort und Musik、翻訳:原田茂生、吉田文子、出版社:白水社、ISBN 4560037302
『ワーグナーとニーチェ』Wagner und Nietzsche、翻訳:荒井秀直、出版社: 白水社、ISBN 4560024340
『シューベルトの歌曲をたどって』"Auf den Spuren der Schubert‐Lieder"、翻訳:原田 茂生、出版社: 白水社、ISBN 4560037310
The Fischer-Dieskau Book of Lieder: The Original Texts of over 750 Songs. Trans. Richard Stokes and George Bird. Random House, 1977. (ISBN 0394494350)
Reverberations: The Memoirs of Dietrich Fischer-Dieskau. Trans. Ruth Hein. Fromm International, 1989. (ISBN 0880641371)
Schubert's Songs: A Biographical Study. Alfred A. Knopf, 1977. (ISBN 0394480481)
フィッシャー・ディースカウについての書籍
『自伝 フィッシャー=ディースカウ―追憶』著者:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ 翻訳:実吉 晴夫・五十嵐 蕗子・田中 栄一(共同翻訳)、出版社:メタモル出版、ISBN 4895951898
『ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ―偉大なる声楽家の多面的肖像』Dietrich Fischer-Dieskau、原著者:ハンス・A. ノインツィヒ、翻訳:小場瀬 純子、出版社:音楽之友社、ISBN 4276217768
『フィッシャー=ディースカウ』Dietrich Fischer-Dieskau: Mastersinger 原著者:ケネス・S・ホイットン、翻訳:小林 利之、出版社:東京創元社、ISBN 4488002196
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伴奏(ピアノ): ジェラルド・ムーア
ジェラルド・ムーア(Gerald Moore、1899年7月30日 - 1987年3月13日)は、多数の著名な歌手とともに歌曲の演奏会やレコード録音で知られたイギリス人ピアニストである。
ハートフォード州ウォトフォードに生まれたあとカナダのトロントで育ち、音楽教育も主に同地で受けた。ムーアは著名な器楽奏者、たとえばパブロ・カザルスなどとの共演をしたこともあるが、エリーザベト・シューマンやマギー・テイト、キャスリーン・フェリアなどの歌手との共演で、より知られるようになる。伴奏者の地位を、それまでの歌手に従属した役割から芸術的に同列の共演者に高めたのは、彼の功績である。
ムーアは音楽について講義や執筆も行い、1962年に出版した『お耳ざわりですか―ある伴奏者の回想』は高く評価されている。この回想録は原題を Am I Too Loud?、すなわち「(私の演奏は)音が大きすぎますか?」 というもので、歌手に遠慮して控えめに弾くのではなく、音楽の要求に従い積極的に表に出た演奏をしている彼から歌手へのユーモア溢れるメッセージである。これらの文筆活動は引退後も続けられた。
1967年2月20日のムーアの引退記念演奏会には、彼と長年共演を重ねたディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレス、エリーザベト・シュヴァルツコップが出演しており、彼らの演奏はライブ録音としてレコード化された(CDでも再発売されている)。なお、彼はこの演奏会の最後に、アンコールとしてシューベルトの歌曲「楽に寄す」(D547)の自作編曲を演奏したが、これは彼の最初で最後のソロ演奏であった。
ムーアが加わって録音したレコードの多くは世界各国でレコード賞を受賞している。また、ムーアは1954年に大英勲章(OBE)を受賞した。
演奏会からの引退後も、フィッシャー=ディースカウやヘルマン・プライらとのレコード録音を続けたが、1987年にバッキンガムシャーで死去した。
『出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
素晴らしいページですね。
よくまとまっていると思います。
D.F.Dieskau も G.Moore も今世紀の偉大な芸術家だと思います。(おそらくあらゆるクラシックジャンルで卓越した演奏家?)
ご意見を残していただきまして有難うございます。
趣味の世界の話に過ぎませんが、このように書き残しをして頂きと大変励みになります。
共感ができる方がいらっしゃるなら幸せに思います。<(_ _)>