松本さんからせっかくのパリ祭なのだからシャンソン大会にしないかとメールが来た。シャンソン・・・ 歌える曲がそれ程ないよ・・・(^_^;)
20代半ばころ、縁があって、フランスの人々と一緒に仕事させてもらった事がある。韓国の東海岸に位置する慰珍原子力発電所5・6号機建設が行われたときの話なのでもう20年余前だけど、その時も安全性の問題は指摘されていながら、フランスの技術を投入して建設した現場に私は居たわけであるから、原発と無縁ともいえない。
フランスでは単に「Quatorze Juillet(7月14日)」と呼ばれ、「パリ祭」は日本だけの呼び名である。これは、映画『QUATORZE JUILLET』が邦題『巴里祭』として公開されヒットしたためで、邦題の考案者は川喜多長政である。
ちなみに、10月5日のヴェルサイユ行進では、パリの数千の女性達が武器を持って雨の中パリ市役所前の広場に集まり、ヴェルサイユ宮殿に乱入。国王と議会に食糧を要求、ルイ16世はこの圧力により人権宣言を承認し、彼女等に連れられてパリのテュイルリー宮殿に家族と共に移り住み、これ以降、ルイ16世一家はパリ市民に監視されて暮らすことになったとか・・・
だけど、フランス革命は、実際にフランスの女性の地位向上にはさほど役に立ってないというか、むしろ女性の地位向上運動は、フランス革命では完全に挫折している。啓発運動の初期段階が始まったというだけで、フランス革命では女性の参政権どころか人権すら法的にも世論としても認知されなかった。実際に婦人参政権を認めたのはヨーロッパ列強ではフランスが一番遅い部類である。
つまり、フランス革命は女性地位向上活動は失敗はしたけれど、有名なオランプ・デ・グーシュの女権宣言、テローニュ・メリクール、ポーリーヌ・レオン、ラコンブなどの著作や公演、活動が次世代にはつながってはいると言えよう。女権宣言の内容は多少有名だけれど、直接日本にはこれらは全く影響しない。韓国や日本など、世界で婦人運動が始まるのは、だいたい第一次世界大戦前後で、フランス革命から100年もあとの話になる。
7月14日、日本では宝塚パリ祭を始め、NHKのパリ祭なの、文化的な祭りをイメージするが、フランスでは革命記念日らしく、軍事パレードや空軍のエアーショーやで愛国心を高揚させるような行事も多いようである。
フランス各地で一日中花火が打ちあげられる。また慣例として消防士はダンス・チーム (bals du 14 juillet) を組んで市民に披露する。午前中にはパリで軍事パレードが開催され、フランス大統領の出席のもとシャンゼリゼ通りを行進する。
パレードはエコール・ポリテクニーク、サン・シール陸軍士官学校、フランス海軍兵学校の生徒による行進で幕を開け、歩兵部隊、機械化部隊が登場する。フランス空軍のアクロバット飛行チームであるパトルイユ・ド・フランスも演技飛行をおこなう。近年においてはフランスの同盟国の要人を招待することが慣例となっている。






