精神論〔1758年〕
エルヴェシウス著・仲島陽一訳
第二部 第23章 道徳学の進歩を今まで遅らせた諸原因について
詩学、幾何学、天文学、そして一般にすべての学問が早さの違いはあってもその完成に向かっているのに、道徳学はほとんど生まれたままであるように思われる。それは集まって社会をつくる人々が、観察によってその真の体系を発見する前に、法や習慣を自らに与えざるを得なかったからである。体系ができてしまうと観察をやめた。だから私達はいわば、世界の幼年期の道徳学しか持っていない。ではどうやってそれを完成させるか。
ある学問の進歩を早めるのに、それが公衆に有用であることでは十分ではない。一国民を構成する各々の公民が、その学問の完成になんらかの利点をみいだすことが必要である。ところで、地上のあらゆる民族が体験した革命において、公衆の利害、すなわちよい道徳学の諸原理を常に支えなければならない最大多数の利害は、必ずしも最強者の利害にかなうとは限らない。最強者は、他の諸学の進歩には無関心で、道徳学の進歩には効果的に対立するに違いなかった。
実際、同国民の上に初めて立った野心家、同国民を踏みつけた暴君、同国民をひれ伏させた狂信家、こういったいろいろな人類の禍、こうしたさまざまな種類の悪漢たちは、その個人的利害によって、一般的福利に反する掟を設けざるを得ず、自分たちの威力の基礎は人間の無知と愚かしさしかないと感じ取ったのである。だから彼等は、道徳の真の原理を諸国民に解明して、その不幸すべてとその権利すべてを明らかにし、不正に対して武装させるような者すべてに、いつも沈黙を課したのである。
次のように言い返されるかもしれない。古代においては専制君主が征服した諸国民を独裁の下においていたから、道徳学の真の原理を諸民族に隠すことが君主たちの利害であるとしよう。その原理は、暴君に反対して諸民族を立ち上がらせ、各公民にとって復讐を義務とさせるものであろうから。しかし今日では支配権はもはや犯罪の報酬ではない。全員一致の同意で君主たちの手のなかに置かれ、諸民族の愛がそれをそこに保っている。一国民の栄光と幸福とが、主権者の上に照らし出され、その偉大さと幸福を増している。人類のどんな敵が、いまなお道徳学の進歩に対立するのか、と言い返されるかもしれないのである。
それはもはや王たちではなく、他の二種類の強い人々である。第一は狂信者であるが、私はこれを真に敬虔な人々と混同はしない。後者は宗教の格律を保つが、前者はこれを壊す。後者は人類の友である(a)が、前者は外面菩薩内面夜叉で、ヤコブの声とエサウの手をもつ1)。誠実な行為には無関心で、自分を有徳と判断するが、何をしているかではなく何を信じているかにだけ基づいている。彼等によれば人々の軽信が彼等の徳義の尺度なのである(b)。〔スウェーデン〕女王クリスティネが言ったが、彼等は、自分たちに欺かれない者は誰でも死ぬほど憎む。彼等はその利害によってそれを強いられている。つまり野心家で偽善者で慎重な彼等は、諸民族を従わせるには、彼等を盲目にしなければならないと信じている。だからこれらの不敬虔な者たちは絶えず、諸国民を啓蒙すべく生まれる者すべてに反対して不敬虔を非難する。新たな真理はみな彼等には疑わしい。彼等は闇のなかですべてにおびえるこどもに似ている。
道徳学の進歩に対立する第二の強い人々は、政治屋である。その中には、真なるものに向かう素質はあるのだが、ただ怠惰であって、新しい真理を検討するのに必要な注意の労苦を免れたいということから、その敵となる者がいる。また危険な動機にかきたてられる者もいるが、こちらのほうがより恐るべきである。これは精神に才能が、魂に徳が欠けた人々である。蛮勇さえあれば大悪党にもなる。崇高で新しい見方ができないので、これらの人々は、自分たちの高い評価は愚かな敬意によっていると思い、または自分たちは既存の臆見や誤謬すべてに有利な宣伝をしているように見せかける。彼等の支配力をゆるがそうとする者すべてにいきり立ち、自分たちか軽蔑する情念や偏見をさえ敵への武器とし、「新しがり」という語によって弱い精神の持ち主を脅かすことをやめない。
まるで真理が地上から徳を追放しなければならないかのように。地上のすべてがかくも悪徳に有利であるかのように。愚かでなければ有徳になれないかのように。道徳学がその必然性を証明するかのように。この学問の研究がしたがって世の禍になるかのように。そのように彼等は、人々が既存の偏見の前で、〔エジプトの〕メンフィスの聖なる鰐の前でのように平伏させておくことを望む。道徳学で何かの発見がなされるか。彼等は言う、それを啓示すべきなのは我々だけであると。エジプトの秘伝伝授者に倣って、その責任者であるべきなのは我々だけであると。残りの人々は偏見の闇に覆われていればよい、人間の自然状態は盲目なのだ、と。
吐剤の発見に嫉妬して、若干の司教の軽信を濫用して、とても早くとてもよく効く薬を破門させたあの医者たちにかなり似て、彼等は若干の誠実な人々の軽信を濫用するが、そういう人々の愚かで誘惑された徳義は、あまり賢くない政府の下では、ソクラテスのような人の啓蒙された徳義を処刑させるかもしれない。
啓蒙された精神の持ち主に沈黙を課すためにこれらに種類の人々が使った手段はこうしたものである。啓蒙された人々に抵抗するために、公衆の好意に支えられようとしても無駄である。一公民が真理と一般的福利とに動かされるとき、常に彼の業から徳の香気が立ち上り、それが彼を公衆に快くすること、またこの公衆が彼の保護者になることを、私は知っている。しかし、公衆の承認と評価とを盾にしても、あの狂信者たちの迫害からは身を守れない。狂信たちの激怒に敢て立ち向かうほど勇敢な人はとても少ない。
以上が、どんな乗り越えがたい障害が、いままで道徳学の進歩に対立してきたかであり、またほとんど常に無用であったこの学問が、私の諸原理に従えば、常にほとんど評価されなかったかのわけである。
しかし卓越した道徳学から引き出される効用を諸国民に感じさせられないであろうか。そしてこの学問を開発する人々によりいっそう名誉を与えることで、その進歩を早めることができないのであろうか。重要な題材なので、脱線のおそれはあるが、私はこの主題を次に扱うことにする。
【原注】
(a)彼等はスキュタイ人たちがアレクサンドロスに言ったように、迫害者たちにすすんで言うであろう。「おまえは人々に禍をなしているのだから、そもそも神ではない」と。キリスト教徒が、人々をいけにえにしたカルタゴのサトゥルヌスまたはモロクの神をみて、こうした宗教の残酷さはその誤りの証拠だと何度も繰り返したならば、私達の狂信的な司祭たちは、互いに、異端者たちが、この議論で言い返す理由を何度与えたことであろうか。私達の間にどれだけ多くのモロク神の司祭がいることか!
(b)だから彼等はある異端者の徳義を認めるべくありとあらゆる労苦を払った。
(c)利害が常に迫害の隠された動機である。不寛容がキリスト教的にも政治的にも一つの悪であることはどんな疑いもない。〔新教徒への寛容を定めた〕ナントの勅令の撤回〔1685年〕は後悔されていない。ああした〔宗教戦争に導くような〕論議は危険だ〔ゆえに不寛容がよい〕、と言われよう。権力が関与するときにはそうである。そのときは一党派の不寛容がときおり他党派に武器を取らざるを得なくする。もし行政が関与しなければ、神学者たちは幾分侮辱を言い合った後で、折り合いもつけよう。この事実は、寛容な国々が享受している平和によって証明されている。しかし、若干の政府には好都合なこの寛容は別のいくつかの政府にはたぶん忌々しくあろう、と言い返されよう。血の宗教と専制政府とを持つトルコ人たちは、それでも私達より寛容ではないのかと。コンスタンティノープルに教会はあるが、パリにモスクはない。トルコ人は〔政治的に支配しているキリスト教徒の〕ギリシャ人をその信仰のために苦しませず、彼等の信仰は戦争を起こしていない。
キリスト教徒の資格でこの問題を考察すると、迫害は犯罪である。ほとんどいたるところで、福音、使徒たちと教父たちは、やさしさと寛容を説いている。聖パウロと聖クリュソストモスは、強制によってではなく説得によって人々を得ることで司教はその地位を果たさなければならないと言っている。また言うに、司教は、それを望む人々に対してだけ統治するのであり、この点で、望まない人々を統治する王とはおおいに異なると。東方では、ボゴミル派2)を火刑にすることに同意した公会議が断罪された。
聖バシレウスは、当時多くの混乱を引き起こしていた聖霊の神聖という問題で世が沸き立っていた4世紀の教育において、どんな穏健さの実例を与えたことであろう。ナチィアンスの聖グレゴリウスの言うところでは、聖バシレウスは、聖霊の神聖という教義の真理に愛着を持っていたのだが、三位一体の第三位格〔すなわち聖霊〕に神の資格を与えないことにそのとき同意した。ティルモン氏3)の見解にしたがえばきわめて賢明なこの心遣いが、若干の偽りの熱心な人々によって断罪されたとしても、彼等が聖バシレウスをその沈黙によって真理を裏切ったとして告発したとしても、まさにこの心遣いは、この時代の最も有名で最も敬虔な人々によって、とりわけ断固としたところがないと疑われない偉大な聖アタナシウスによって是認されたものである。
この事実はティルモン氏の『聖バシレウスの生涯』第63・64・65項で詳述されている。コンスタンティノープルの公会議4)はこれに倣って聖バシレウスのふるまいを是認したと、この著作は付け加えている。
聖アウグスティヌスは、神について、私達と同じ観念を持たない者を断罪しても処罰してもならないと言っている。彼が言うには、それが神への憎しみによってでなければだが、それは不可能である。聖アタナシウスは、彼の書簡ad solitatios第1巻855頁で、アリウス派の迫害は彼等が敬虔さも神への畏れも持たない証拠であると述べている。彼がさらに言うに、敬虔さに固有なのは、説得することであって強制することではない、各人に自分についてくる自由を委ねる救い主に倣わなければならない、と。彼はもっと前の830ページで言うが、自分の意見を受け入れさせるために、嘘の父である悪魔は斧とまさかりを必要とするが、救い主は優しさそのものであると。戸を叩いて開かれれば入り、拒まれれば退く。真理を教えるのは剣、槍、牢獄、兵士、そして畢竟武力によってではなく、説得の声によってである。
実際力に頼るのは道理がないときである。ある人が三角形の角の和が二直角に等しいことを否認しても、笑われるだけで迫害はされない。火刑と絞首刑とはしばしば神学者たちの議論がわりを勤めた。彼等はこの点で、異端や不審者に彼等への攻撃手段を与えたのである。イエス・キリストは誰にも暴力を加えなかった。彼はただ、「私についてきますか」と言った。彼の執行者たちは、利害のために必ずしも彼の穏健さに倣うことができなかった。
【訳注】
1) 旧約聖書によれば、ヤコブは視力の衰えた父イサクを欺いて毛深い弟エサウと思わせるため、子山羊の毛皮をつけて父にエサウと名乗った。「声はヤコブの声だが腕はエサウの腕だ」(創世記,27-22)。
2) ボゴミル派は10世紀にバルカン半島で発生した異端。弾圧されて、東方では14世紀に衰亡したが、西方ではカタリ派などにも影響を与えた。
3) ティルモン(Luois Sébastian Le Nain de Tillemont,1637-98)はフランスの司祭で歴史家、ジャンセニスト。『最初の六世紀の皇帝の歴史』など。
コンスタンティノープルの公会議は四つあるが、ここではその第一回(381年)のもの。テオドシウス1世が召集し、ナチアンスのグレゴリオスが途中から議長を務めた。バシレイオスの意見に沿って作られた信条は、聖霊の神聖を含む。
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