床屋道話 (その30 代理母に反対)
二言居士
話を限定するために、ここでは夫婦によってできた受精卵を第三者の子宮に入れて出産させることだけを問題にする。また現在の法律形式だけの問題は、法改正で解消するものとしてなるべくとりあげず、倫理的な実質にかかわることに限定する。また以下の「問題」について現行の法律でも、これは合法これは違法、これはこの人にこういう処分、など法的「答え」があっても、それが倫理的によい「答え」であるかは別であり、ここで扱っているのはそのことである。
この代理母は、卵子提供者の親族などが無償でなる場合と、金銭を代償としてまったくの他人がなる場合とがある。A共通する反対理由として挙げられるのは次のようなものである。①出産は危険を伴う。医学が発達した今日においても、出産によってなくなる女性は毎年ある程度いる。そこまでではなくても、出産によって健康を損ねる女性は少なくない。当人は覚悟のうえ、あるいは金銭的保証があっても、生命や健康は簡単にうめあわせられない。夫婦の願望を実現させるため、他人にリスクを負わせるのはよくないのではないか。②出産は一朝一夕のことではない。頼んだときはひきとるつもりだった夫婦が、いざ生まれたこどものひきとりを拒否したらどうなるのか。破約の理由は、夫婦そのものの側の事情や考えの変化による場合と、生まれたこどもの側の問題(たとえば障害がある)がからむ場合とが考えられる。またもし依頼者がはじめからひきとる条件をつけるようなとき(条件を満たさなかった場合は代理母の子とするというような)、双方の合意があればよいとするのか。③出産は一朝一夕のことではない。代理母が胎児に次第に愛情をいだくのは自然である。またなんらかの理由で依頼者がこどもの「親」としてふさわしくないと思うようになるかもしれない。そのような依頼者のほうが違約にはなるが出産した子の引き渡しを拒んだらどうなるのか。B近親者などが代理母になるときは次の問題がある。④夫婦と代理母の間にトラブルが起こると、親族関係そのものをこわす危険がある(金銭賠償ですむ可能性がある他人とは異なる)。⑤続柄が複雑になる。これは現行法で法律上の母を出産者と定めていることによる。では法改正して、申し出により、卵子提供者が遺伝子上の母と確認されたら法律上も母と変更できるようにしたら解決するか。やはりトラブったとき、子は「卵子を提供した」母と「腹を痛めた」代理母との間の板ばさみにならないか。C最後に他人が金銭などとひきかえに代理母になる場合の問題である。マイケル・サンデル教授流に言えば、「それをお金で買っていいんですか」ということになる。⑥売買が問題ということの一つは、人権とのからみである。臓器のレンタルは臓器のパートタイムの売買である。死体の臓器売買もまったくのノープロブレムとはいえず、「脳死の人」からのでは激しい論議となり、生きている人の臓器売買は基本的には(当人が同意しても)アウトだろう。⑦商売となれば、買うのは金持ちで、売るのは貧しく、また雇われにくいような弱い女性だろう。「臓器市場」で既に起こっているような、富裕な国が貧しい国の人々の臓器(の一時利用権)を買うような事態が生じないか。ブローカーが横行したり、ある地域でそれが大きな収入源になったりすることを、経済活性化と評価していいのか。
賛成派は、上の問題に「かまわない、少なくともメリットのほうが多い」とするか、解決可能、と答えるであろう。そこは扱わないで端的な賛成理由をみれば、不妊の夫婦に役立つことになる。しかしこれは、⑧病気の治療を超えた医療技術の転用であり、そうした「エンハンスメント」については、私は「需要がある」だけで許可されてよいものとは考えない。⑨どうしてもこどもがほしい夫婦は、養子をとればよい。血縁信仰はよくない。それに「他人」だって溯れば遺伝上何ほどかはつながっている。100%自分たちの遺伝子でなければなどという親は、わが子ならどんな悪でも許すような、延長された利己主義になるのではないか。いやそもそも、自分大好きな親が、自分の複製を作りたくて借り腹まで利用するのかもしれない。そんな親に「複製として作られた」こどもこそいい迷惑である。
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