床屋道話 (その32 幸村と家康)

二言居士

 

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ことしの大河『真田丸』、出足は好評のようである。二ヶ月みたところ、三谷幸喜らしく、おもしろくできている。ただし小生は本来幸村は好きでなく、ほとんど同じことになるが家康びいきである。従来幸村好きの人というのは、主に幸村が、強力な「家康を最も苦しめ」、弱小ながら知略を使って「もう少しで勝つところまでいった」、活躍によってである。しかし及ばなかったという単純な判官びいきもあろうが、多くは相手の家康が「悪役」と認知されることで増幅する好感度である。

では家康は悪だったのだろうか。その理由として言われるのは、豊臣家を1)悪辣なやり方で2)滅ぼしたこととされる。1)とは? a孫の千姫を嫁がせたのが「安心させる」術策というのは家康をマキャベリストと決め込んだ一種の陰謀史観であり、支持する歴史学者はほとんどおるまい。とするとこれはむしろ「少なくともはじめから」大坂を攻める意図はなかったことを示す。b「外堀だけを埋める約束で内堀も埋めた」というのは、約束内容や家康自身の意図かどうかを含めてはっきりした史実は不明である。また大坂の役が一度で終わらず(豊臣の滅亡に至った)二度目の攻撃が起きたことにとって本質的要因でないと(詳しくは略すが)考える。2)とは? a秀吉から秀頼の後事を託されたのに裏切ったのはひどいと言われる。託された内容が「天下人」とすることまで含まれるかは疑問の余地があるが、そうだと想定しよう。しかしα幼い秀頼にその器量があるかどうかは未知数であり、戦国が終息していない時代にそんな約束は虚しい、とらわれるべきでない気休めとみるのが常識ではないか。β秀吉が主君の信長の遺児たちをどう処遇したかを考えれば、家康にどうこう言える立場ではあるまい(しかも家康は秀吉の協力者であり「義理の弟」であっても家臣ではない)。γだとしても嘘はよくないと言われるかもしれないが、では「約束しない」と明言したらどうなったか。瀕死の者の切望を正直に断るのが道徳的かどうかという私人としての倫理的難問は棚上げしておこう。もしそうすれば二年早く関が原になったであろう。二年後も家康が望んで起こしたのでなく、三成の悪あがきがなければ避けられたと小生は考えている。いわんや秀吉が死んだ時点では、日本は朝鮮(及び援軍の明国)とまだ戦争中であり、内乱はもとより内部対立も絶対に起こしてはならず、公人として嘘でもそう約束することが政治的に正当化されよう。δ成人した秀頼には「天下」を渡すべきだったというのは、現実離れした形式論であろう。徳川家臣らが納得すまいし、秀頼の政権担当能力は未知数である。家康が率先すれば家臣らは従い政治を補佐すればいいと言われるかもしれない。補佐役に従わなければどうか。従わざるを得ないのなら傀儡であって最高権力者ではない。それに家康は既に徳川家でも家督を譲っており、老い先短い「補佐役」の実効性は少ない。bそれにしても滅ぼさなくてもよかったのでは? 滅ぼす意志はなかった。徳川家の最高権力を認めることを求めただけだった。「二つの権力」は平和共存の可能性もあるが、二重権力状態はけっして保たれない。それを認めれば、豊臣家は大名として、(そして権力的には徳川の下になっても)元の関白家として朝廷と結ばれた別格の大名として存続させたであろう。その最も明白な表明は移封の受け入れである(家康が関東移封を受け入れて、秀吉の単なる協力者でなく彼を最高権力者として認める意志を明らかにしたように)。そのことは当時の人々にもわかっており、したがって大坂城に籠った主戦派(ありがちだが、真に城主のためというより自分たちがあばれる名分として主君をかつぐ者たち)は、講和派の道をふさぐべく、移封先とみなされていた大和郡山城をまず焼いたのである。大坂落城後も、家康個人は(もう大名家としては無理だが)助命はするつもりだったのではないか。淀君と秀頼はみずから死んで家を滅ぼしたのである。

家康に悪役がふられるようになったのは明治以降で、二つの大きな力による。一つは少年講談本の『立川文庫』の「真田十勇士」ものである。実在でない「猿飛佐助」なども含めて幸村らの活躍を描いた。単純に活劇としてのおもしろさ、強大な幕府に抗する反体制的(関西人には反東京の)庶民感情、最後に敗れる滅びの美学の三要素で、一般受けした。もう一つは、明治政権が徳川政権を倒して成立したので、その正統性を訴えるために徳川を悪にしたという上からの教育による注入である。一見反体制的な庶民文化の立川文庫も、実はこの体制的枠組みに都合よく働いて家康=腹黒い狸オヤジというキャラ設定が機能したのである。

上に述べたように家康が実際はそう悪でない(大坂方に義はない)ならば、幸村の加担はどうみたらよいのか。従来言われてきたことは、どちらにも加担する(兄は徳川についた)ことで家存続の保険をかけるということで、他の(特に中小の)武士団にも時々みられた。それにしても関が原ならともかく、大坂の役では勝敗ははっきりしていたのではないか。これに対する一つの答えとして、勝つ確率は低いがそれだけ買ったときの利得(オッズ)は大きいので「期待値」としてはばかにできず、大勝負する賭け方もある、というものである。幸村がその場合かどうかはわからないが、一般論としてこう答える。大きな禍に備えるために、損を覚悟で保険をかけることはよいが、あわよくばの利得を狙って、自分の破滅だけでなく、他の人々の損失や不幸をもたらすことはとんでもない、と。なお山岡宗八の『徳川家康』では、別の理由を出している。泰平の世をめざす家康に対して、世の中からいくさはなくならないというのが幸村の信念であると。これは家康礼賛の立場からの対抗的設定に過ぎまいが、もしもそのとおりなら幸村こそ最低最悪の人間である。

家康によって築かれた徳川体制は悪だったのか。そう主張した明治政権を、今の安倍政権(長州)も継いでいる。小生の知り合いで薩摩出身の年配の男性(こちらは朝ドラで注目の五代友厚の孫だかひ孫だかと同級だったという)も大日本帝国の正統性をいまだに信奉しているので、よく論争になる。徳川時代は二百五十年の平和であった。それをあなた方がつぶしてつくった「御維新」体制は十年に一度大きな戦争を行った。いったいどちらがよい統治だったのだろうかと。勿論この一点だけで論ずるのは不十分であろうが、それでもきわめて大きな一点ではある。

三谷幸喜はどのようなつくりで幸村を大坂城に向かわせるのか、みていくことにしよう。


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