精神論〔1758年〕
エルヴェシウス著・仲島陽一訳
第三部 精神が考察されるべきは自然の恵みとしてか、教育の結果としてか
第1章
私がこの第三部で検討していくのは、自然と教育とが精神に対して何ができるかである。このために私がまず規定しなければならないのは、「自然」[nature]という語で何を理解するかである。
この語が私達に引き起こしうるのは、私達の感官から与えられる存在または力の雑然とした観念である。ところで感官は私達の観念すべての源である。ある感官がなくなれば、それに関係するすべての観念がなくなる。この理由によって盲目に生まれついた人は、色のどんな観念も持たない。それゆえ、この意味においては、精神は全体的に自然の恵みとして考察されなければならないことは明らかである。
しかし、もしこの語を異なる意味にとり、五官が与えられ、有機組織にどんな欠陥も認められないちゃんと構成された人々の間に、それでも自然がとても大きな違いを、精神にとても不等な素質を与え、有機組織のあり方で愚かになるべきものと精神的になるべきものとがある、と想定するならば、問題はより微妙になる。
はじめに人々の精神の大きな不等性を考察できるのは、精神の間に身体の間と同じ違いを認めることによってであると認めるが、身体的には弱くて虚弱なものも、強くて頑丈な者もいる。この点で自然が働く際の一様な違いの中に違いを誰がひきおこせるか、と言われよう。
この推論は、確かに、類比にしか基づいていない。月に住民がいる、なぜならそれは地球とほとんど同じ物質で構成されているから、と結論する天文学者の推論にかなり似ている。
この推論はそれ自体としてはどれだけ弱くても、それでも論証的とみえるに違いない。なぜなら結局、同じ教育を受けたと思われる人々の間に認められる精神の大きな不等性は、何の原因に帰すべきか、と言われよう。
この反論に答えるには、複数の人が、厳密に同じ教育を受けたことがあるかどうかを、まず検討しなければならない。そしてそのためには、「教育」[éducation]という語に付与される観念を固定しなければならない。
もしも「教育」によって、単に、同じ場所でまた同じ先生によって受ける教育を理解するならば、この意味においては、教育は無数の人々において同じである。
しかしもし、この語により真実でより広い意味を与えて、私達を教えるのに役立つものすべてを一般的に理解するならば、誰も同じ教育を受けないと私は言おう。なぜなら、敢て言えば、各人が教師として持つのは自分がその下で生きる統治形態、友達、愛人たち、まわりの人々、読書、最後に偶然、すなわち私達の無知が原因の連鎖を認めさせない無数の出来事だからである。ところでこの偶然は私達の教育に考えられている以上に関与している。偶然が若干の対象を私達の目に触れさせ、したがって、最もうまい観念を持たせる機縁となり、また時折最も偉大な発見に導くのである。若干の例を挙げれば、庭師がポンプを動かしていた時、フィレンツェの庭にガリレイを導いたのは偶然であった。水を3ピエ以上に挙げられなかったので、庭師たちがその原因をガリレイに尋ね、この質問によってこの哲学者の精神と虚栄心を刺激したとき、庭師に霊感を与えたのは偶然であった。続いて、この偶然の一撃に動かされて、この自然の作用を自分の省察の対象にさせられ、ついには空気の圧力の原理の発見によって、この問題の解決をみいだすに至らせたのは、彼の虚栄心であった。
ニュートンの平穏な魂がどんな仕事にも携わらずどんな情念にも揺り動かされなかったときに、彼を林檎の並木道に引き寄せ、枝からその実を落とし、そしてこの哲学者に彼の体系の最初の観念を与えたのは、同様に偶然であった。物体が地上に落ちるのと同じ力で、月が地球に向かって引かれないかどうかを検討するために、まさにこの事実から彼は出発したのである。それゆえ偉大な天才が最も巧みな観念をしばしば得たのは、偶然のおかげである。どれだけ多くの才人が、ある種の魂の平穏が、あるいは庭師との出会いが、あるいは林檎の落下がないために、大量の凡庸な人々の中にうずもれたままでいることだろう。
こんなに遠くの、またみかけはこんなに小さな原因にこんなに大きな結果を苦も無く帰することははじめにはできない、と私は感じる(a)。しかしながら経験が教えるのは、自然的なものにおいても精神的なものにおいてと同様、最も大きな出来事がしばしはしば感じ取れない原因の結果であるということである。誰が疑おうか。アレクサンドロスのペルシャ征服が、部分的にはマケドニアの長槍密集歩兵の創始者のおかげであったことを。アキレウスの詩人〔ホメロス〕がこの君主を栄光への熱意で動かして、ダレイオスの〔ペルシャ〕帝国の破壊に寄与したのが、ちょうどクイントゥス・コルティウス〔・ルフス〕がカール12世に寄与したのと同様であることを。ウェトゥリアの涙がコリオラーヌス1)の武装を解かせ、ウォルスキ人の下に屈しようとしていたローマの勢力を強くさせ、世界の様相を変えたあの勝利の長い連鎖をひきおこしたことを。こうした事実(b)はどれだけ多くひけることだろう。ウェルト氏殿が言うには、グスタフ〔1世〕2)はスウェーデンの諸州を巡ったが無駄であった。彼はダレカルリアの山中に一年以上さまよっていた。山人達は、彼の態度の良さ、体の大きさとそれに伴う力に好感を持っていたが、しかしながらこの君主がダレカルリアの人々に演説したまさにその日、北風が常に吹いたことに地方の年寄りたちが気付かなかったら、彼についていこうと思わなかったであろう。この風は彼等に、天の加護の確かなしるしと、またこの英雄に味方して武装をとれという命令とみえた。それゆえスウェーデンの王冠をグスタフの頭に置いたのは北風である。
大部分の出来事は同様な小さな原因を持っている。私達はそれに無知であるが、なぜなら大部分の歴史家自身がそうであったり、それらを認める目を持っていなかったりするからである。確かにこの点で精神は彼等の見落としを償い得る。若干の原理を知ることが、若干の事実の認識にたやすく補いとなる。こうして、偶然がこの世界で考えられている以上に大きな役割を演じているということを証明すべくさらに立ち止まることはせず、言ってきたことから結論したいのは、教育という語の下に一般に私達の教示に役立つものを理解するならば、まさにこの偶然が必然的に、そこで最大の役割を持つに違いない、ということである。そして諸環境の同じ合致の中に厳密におかれる人はいないのだから、正確に同じ教育を受ける者はいない、ということである。
これを事実とすれば、誰が疑うであろうか。教育の違いが諸々の精神間に認められる違いを生み出すことを。人々は同じ種の木々に似ていて、その芽は破壊できず絶対に同じだが、正確に同じ土地に撒かれることはなく、正確に同じ風、同じ日光、同じ雨にさらされることはないので、成長したとき、必然的に無数の異なる形態をとらざるを得ないことを。それゆえ私が結論できるのは、人々の精神の不等性は、自然あるいは教育の結果として区別なくみなされ得る、ということである。しかしどんなに真実であっても、この結論は曖昧なものしか含んでいないであろうし、いわば一つの「たぶん」に還元されようから、私はこの問題を新たな観点の下に考察し、より確実でより正確な原理に帰着させなければならないと思う。このためには問題を単純な点に還元しなければならない。私達の観念の起源、精神の発達に遡らなければならない。そして思い出さなければならないのは、人間が、類似と差異とを、すなわち自らに提供されあるいは自らの記憶が示すいろいろな事物が互いに持つ関係を、感じ、思い出し、観察することしかしない、ということである。またこうして、自然が人々に、感官の繊細さ、記憶の広さ、注意の能力の違いを与えることで、彼等の精神の素質の量的な差を与えるであろう、ということである3)。
【原注】
(a)文芸年報を読むと、ボワローがこどものとき、庭で遊んで転んだ。そのとき上着がまくれた。七面鳥がくちばしで彼のとても弱いところを何度もつついた。ボワローはそれで生涯不自由した。彼の作品すべてに認められるあの品行の厳しさ、あの感情の乏しさはたぶんそこからきている。女性に対する、リュリに対する、キノーに対する、また艶っぽい文芸すべてに対する彼の風刺は、たぶんそこからである。
たぶん七面鳥に対する彼の反感のために、それをフランスにもたらしたイエズス会士4)に彼はいつも秘かな反感をひきおこされたのである。曖昧さに関する彼の風刺、アルノー氏に対する彼の称賛、そして神の愛のための彼の書簡詩はたぶん、彼に起こったこの事故のおかげである。人生のふるまい全体と私達の諸観念の一続き全体を決めるのが、しばしばこうした気づかれない原因であることは、これほど真実である。
(b)サン=テーブルモンが言うに、ルイ14世は未成年でブルゴーニュにひきこもろうとしていたとき、チュレンヌの忠告によってパリにとどまりフランスを救った。しかしこれほど重要なこの忠告は、この将軍に、54の騎兵の敗北ほどには名誉をもたらさなかった、とこの有名な著者は言う。大きな結果を遠くて小さくみえる原因に帰すのが難しいことはかくも真実である。
【訳注】
1) コリオラーヌス(Corioranus,BC.6c-5c)はローマの半伝説的貴族。ウォルスキ族に勝ったが、平民の反感を買ったことからウォルスキを味方にローマを攻めたが、母と妻の懇願によりやめた。シェークスピアの悲劇、ベートーベンの音楽の題材にもなっている。
2) グスタフ一世(Gustave Ⅰ,1495/96-1560)はスウェーデンのヴェ―サ王朝の祖。デンマークと戦い敗れてとらわれたが、逃れてダルカルリアに帰り、その地の農民を率いて反乱をおこし成功して王になった。
3) 「著者がこの後の諸章で諸精神の自然的平等をそこから引き出す、また著作のはじめで確立しようと努めた原理は、人間の判断力が純粋に受動的であるということであった。この原理は『百科全書』の項目「明証性」において、多くの哲学と深さとで確立され議論された。この項目の著者か誰か私は知らない。しかし確かにとても偉大な形而上学者である。コンディヤック師かビュフォン氏ではないかと思う。いずれにせよ私は彼と戦い、この本〔『精神論』〕のはじめに〔関して〕書いた注釈においても、〔『エミール』の〕「サヴォワの助任司祭の信仰告白」の第一部においても、私達の判断の能動性を確立することに努めた。もし私が正しく、エルヴェシウス氏と上述の著者との原理が誤りならば、その帰結に他ならない後の諸章の推論は自壊するのであり、諸精神の不等性が、教育がおおいに影響するとはいえ、教育だけの結果であるということは本当ではない」(notes sur <De l’esprir>,Rousseau Œuvres complètes t.4,Gallimard,1969,p.1129)。「明証性」の著者はケネーである。
七面鳥はアメリカ原産で、コロンブス以降ヨーロッパに持ち込まれた(イエズス会士によるかどうかはつまびらかでない)。
仲島先生の本を紹介します。
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