床屋道話35 天皇退位問題に関連して
二言居士
今上陛下が退位のご希望を述べられた。御高齢にあることから、国民の多くはこれをもごもっともなこととうけとめた。国事行為の委任や摂政の任命という制度もあり、敢て退位しない対策もあるが、陛下がそちらはお望みにならない理由もおいおいわかってきた。そして小生としてはそれも了解できるが、絶対的な根拠とまでは言えないという意見も理解できる。しかしここでとりあげたいのはそのことではない。小生がわからなかったのは、そして多くの国民も不審に思ったのは、右翼の論客の多くが退位に反対であるということであった。右翼こそ、陛下の御意向を重んじ、陛下をいたわることに熱心と思われるからである。また天皇の生前退位は歴史上いくらでもあり、伝統に反するわけでもないからである。そこで彼等の言い分を調べてみた。
八木秀次氏は天皇の存在の「尊さ」が「男系男子による皇位継承という『血統原理』に立脚する」と言い、「能力原理」を持ち込んではならないと言う。ここで問題になっていることからすると、「能力原理」とは「年で仕事ができないから身を引く」といういわば常識的な考え方である。日本国憲法は、天皇の地位についてもこの常識的な考え方に即している。つまりそれは「日本国と日本国民統合の象徴」であるが、生身の人間である天皇が国や国民の「象徴」であるということの具体的・法的な意味は何かと言えば、天皇がこの憲法の定める国事行為を行うことだからである。八木氏はこれに反対する。天皇の意味は、そのような仕事をすることではない、ただ天皇家の男子として生まれたということだ、とするからである。彼の意見は日本国憲法に反するだけでなく、大日本帝国憲法の起草者たちが想定していたと考えられる、また昭和天皇もそれでよいと漏らされたという、「天皇機関説」にも反するものである。驚くべく古代的な発想である。
桜井よしこ氏は、「国家と国民の安寧のために祈ってくださる」「祭祀」が皇室の「本来のお役割」とし、それを私的行為としている現在のあり方を批判している。これも驚くべき、また実に恐ろしい思想である。これは政教分離の否定である。天皇の祭祀を「ご公務」とすれば、国教を定めることになり、国民の信教の自由は否定される。信教の自由こそは近代民主国家の最初の入り口であり、数多くの人々が命がけで、あるいは命と引き換えにかちとってきたものである。また戦前の日本が多くの罪悪を犯し、国民と他国民とに大きな被害を与えた多くの要因の一つが、国家神道の強制によって自由が侵害されたことであった。政教分離は、私達が必死で守らなければならない、最後のよりどころの一つである。なお国家神道は日本の伝統でなく、明治政府の創作である。生前の天皇も神とみなす観念は奈良朝以前よりできていたが、それに従わないということで処罰されたような者は明治以前には一人もいない。天皇が国家なり国民なりのために祈りたいというなら私的祭祀として行うことは自由であり、一般国民がそれをありがたく思うことは無論自由だが、そう思えと強制まではしない、というのがいまの憲法体制であるとともに、そちらのほうが伝統的でもある。いみじくも陛下は、学校で「国歌」を歌わせていると誇った東京都教育委員に、そういうことは(彼等がやっているような処罰を通じての)強制というやり方でないのが望ましい、と正しくもご指摘された。宗教行為こそを天皇の「公務」と規定し、すなわち宗教を国家の公的事項とし、それに従うことを国民の義務として法的に根拠づけることは、とてつもない人権侵害であるとともに、即位に際して「日本国憲法を守る」と述べられた陛下のお心にも悖る。
多くの国民が陛下のご意向を肯ったのは、難しい理屈からでなく、仕事がつらい高齢になってその地位にとどまるのはお辛いであろう、という人間的な思いやりからであろう。反対する論客にはそれがないのかと言えば、ある意味でないのだろう。仕事ができなくてもよい、ある血筋に生まれたということに意味があるとか、「祈る」ことが「本来のお役割」だとする者は、天皇を人間としてでなく、宗教的存在とみているのである。しかし昭和天皇おんみずからがそれを否定して、「人間宣言」をしたではないか。(安倍首相によってNHK経営委員に任命された長谷川三千代氏はこの宣言を公然と否定した)。昭和天皇がGHQに「押し付けられた」というのだろうか。実際、退位反対派は天皇の「人権」を重んじる結果になることを恐れている。なりたい地位に誰でもなれるわけでないのは当然である。いやな地位に無理やりつけられるのも、実際問題としては仕方ない場合もあるかもしれない。しかしできない仕事をやめさせてもらうことくらいは「人権」としては最低限と思われるが、それを天皇には認めないのだ。
天皇を人として敬わない彼等は、そもそも国民の人権も重んじない。彼等の多くがかかわったり実現に努めたりしている自民党の新憲法草案では、基本的人権も「公の秩序」によって制約されると明記されており、信教の自由も無条件の保障ではない。彼等は「天賦人権論」を日本の国体(あるいはいまの彼等の用語では「国柄」)に合わないものとして攻撃してきた。同胞国民を敬わず、天皇に対しても最低の敬意も実際には持たず、ただ自分たちの狂信を国民に強いる道具として「神」扱いする。これが右翼または自称「保守派」の正体である
明治時代初期の頃の理髪店の様子を描いた絵
仲島先生の本を紹介します。
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