第一部

  第2章 私達の情念から起こる間違いについて

 

 私達は情念によって間違いに導かれるが、それは情念が、私達に示す対象の一側面に、私達の注意すべてを固定するからであり、そのあらゆる相の下に対象を考慮することを許さないからである。ある王が征服者という称号を渇望している。彼は言う。勝利が余を地の果てまで呼んでいる。余は戦い、勝利するであろう。敵の自尊心〔orgueil〕を打ち砕き、その両手に鉄鎖をかけるであろう。そして余の名が、難攻不落の城のように彼等の恐怖となり、余の帝国への侵入を阻むであろう、と。こうした希望に酔って、運命が移ろいやすいこと、悲惨の重みは勝者にも敗者にもほとんど等しく担われることを忘れている。彼の臣民の福利は、彼の戦争熱の口実としてしか役立たないこと、彼の武器を鍛え彼の軍旗を翻させるのは自尊心であることを、感じていないのである。彼の注意すべては、勝利の凱旋と華々しさとに固定されているのである。

 自尊心に劣らず、心配[crainte]も同じ結果を生み出す。それがお化けを生み出して墓のまわりに出没させ、森の暗がりでは、おびえている旅行者の目にそれを示し、彼の魂からあらゆる能力を奪い、こんなに空虚な恐れからくる動機の不条理を考慮するための、どんな自由な能力も残しておかないのが、わかるであろう。

 情念は私達に、それが示す対象のいくつかの相だけしか考慮させない、というだけではない。それは私達にしばしば、まさにその対象が実在しないところにそれを示すことで、私達を欺きもする。ある司祭といろっぽい婦人との話がある(*1)。彼等は月に住民がいることを噂で聞いていた、それを信じていた。そして望遠鏡を手にして、その住民をみわけようとした。はじめに婦人が言った。「もし間違っていなければ、影が二つ見えますわ。お互いに傾き合っています。疑いなしです。二人の幸せな恋人ですわ……」司祭が答えた。「ああ! もしそうなら、あなたが見ている二つの影は、礼拝堂の二つの鐘ですな。」この寓話は私達の実話である。私達が最もよく事物の中にみるのは、そこにみたがっているものにほかならない。地上でも月と同様、いろいろな情念によって、私達はいつもそこに、恋人なり鐘なりをみるであろう。幻想は情念の必然的結果であり、その力はほとんどいつも、情念が私達の目をどれだけ曇らせるかの程度によって測られる。それはどこかの女性が、恋敵の腕の中にいるところを恋人に見られて、彼が見た事実を否認したときにとてもよく感じていたものである。彼は言った、「何だって! あなたはそこまで厚かましいんですか……」彼女は叫んだ、「ああ、裏切り者! わかったわ、もう私を愛していないのね、私の言うことよりも自分が見たことのほうを信じるんだから。」この言葉は、愛の情念に対してだけでなく、あらゆる情念に適用できる。すべての情念が、私達を最も盲目にする。<これを納得するには、まさにこの言葉をもっと高尚な主題に移すとよい。メンフィスの寺院の戸を開くがよい。心配して平伏しているエジプト人にアピスの牛を示して、祭司はこの女性に倣ってこう叫べないであろうか。「人々よ、この化身の下に、エジプトの神を認めよ、それを世界全体が崇めるように、それを論議したり疑ったりする不敬な奴、地の呪いであり人々の卑しいくずである者は、天の火で焼かれるように。汝が誰であれ、汝は神々を畏れない、尊大な人間よ、汝はこの牛の中に、アピス神を認めない、そして汝は、彼が私の口を通じて言うことよりも、汝がみてとることのほうを信じるのだ。」

 メンフィスの祭司たちの話は、疑いなくこうしたものであったが、彼等は、さきに引いた婦人同様、人が盲目であることをやめたときでさえ強い情念に動かされたと確信していたに違いない。どうして彼等は信じなかったであろう。もっとずっと弱い利害が、同様の結果を私達に生み出しているのが、毎日みられないであろうか。>たとえば野心が、二つの強力な国民の手に武器をとらせ、不安な公民が互いに安否を尋ね合ったとき、一方では、どんなに簡単によい知らせを信じるであろうか! 他方では、悪い知らせはどんなに信じようとしないであろうか! 無知な修道僧への信頼のおかげで、何度キリスト教徒は、対蹠人の可能性を否定したであろうか。なんらかの滑稽な主張または否認によって、笑いの種を次の世紀に提供しないような世紀はない。過去の狂気が、現在の狂気に関して人々を啓蒙することは稀である。

 しかも、無数の間違いの芽とみなすべきまさにこの情念は、私達の知識の源でもある。それが私達を迷わすとしても、それだけが私達に、歩むのに必要な力を与える。それだけが私達から、私達の魂のあらゆる能力をいつでもとらえようとしているあの無気力、あの怠惰を引き抜くことができる。

 しかしここはこの命題の真理を検証するところではない。私はいまや、私達の間違いの第二の原因に進もう。

 

【第2 訳注】

*1)フォントネル『世界の複数性についての対話』(1686)参照。月、あるいは他の天体におれる人類の存在についての議論は、当時の科学トピックであった。
2015/05/04 02:05 2015/05/04 02:05
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