床屋道話38 組織人のけじめ

二言居士

 

 都知事選で小池百合子氏が圧勝した。小生としては意外な結果であった。

それを予想しなかったのは、まず彼女の出馬の仕方に納得できなかったからである。自民党員なのに、党が正式に機関決定したのに異を唱えた。そういうことはあるとしよう。所属政党の正式決定でもすべてに賛成できるとは限らない。それでも基本方針は認め党員であり続けるなら、決定には従うべきであり、いわんや反対を外に向けて言うべきではない。政治信念や政治信条からどうしてもそうできないというのなら、離党しなければならない。ところが彼女は党員のまま自ら立候補して、自党の公認候補と争ったのである。こうなると党の決定に反対したのも、選んだのが増田氏だからでなく自分でなかったからに過ぎないのではないかと思いたくなる。このけじめのなさをメディアに問われると「進退伺」は出したと答え続けたが、ふざけた話である。「離党届」を出して党のほうでなかなか処分しない、というならまだしも通じるが。結局何か月も後の都議選で、「都民ファースト」という新党の代表になって、はじめて離党を届けた。そもそももとからの自民党員でなく、いろいろな政党を「渡り歩いた」人物だが、組織の上に自分をおく政治家に巨大官庁の最高権力を与えてよいのだろうか。

提起したいのは、単なる小池批判というより、このような仁義なき手法をむしろかっこよく感じる風潮に対してである。政界ではこれは小泉純一郎首相(2001-06)によるところが大きいと思われる。党内にありながら、「自民党をぶっつぶす」発言で大衆の支持を集めた。この党のために骨身を惜しまず尽くしてきた多くの党員の気持ちを思いっきり踏みにじる言い方である。自民党に反対する者もこうした非道さには立腹すべきだったのに、彼を持ち上げてしまった。郵政私有化法に参院が反対すると、衆院の解散に向かった。彼の派閥の長で前首相の森喜朗が、他の長老同様解散に反対で話しに行っても耳を傾けなかった。出てきた森氏が、干からびたチーズを見せこれしか出ないとこぼしたのが印象的だったが、無論それに象徴される小泉氏の対応ぶりを嘆いたのである。議員定年制を決めて排除された中曽根康弘氏が、唇をひくつかせて「政治テロだ」と憤ったのも忘れ難い場面である。念のため言えば、小生は森氏や中曽根氏を支持するものではない。内容的には小泉氏より彼等のほうが悪いと言えるかもしれない。小泉流の手法を問題にしているのだが、これは単なる形式でなく思想でもある。従来の自民党なら、解散する、あるいは年齢制限するにあたって、丁寧な根回しをしただろう。長老が反対と聞けば、何度も足を運んで辞を低くして理解を求めただろう。こうした態度にまわりが長老に対して、「最後はトップに選んだ者に任せよう」とか「そろそろ若い者に譲ろう」とか働きかけて、丸く収めようとしただろう。こうした辞譲の心が日本が世界に誇る「和」をつくっていたのだが、小泉氏が「ぶっこわした」のはこうした古き良き日本であった。

小池氏は、2000年の衆院憲法調査会で、現憲法の「改正」でなく、現憲法を「停止、廃止」のうえで新憲法をつくるという考え(これ自体国会議員では違憲行為)に賛同した。通常の「改憲」派を上回る右翼思想である。また「都民ファースト」代表をすぐやめて、彼女の特別秘書の野田数氏に替えた。野田氏は12年の都議会で、現憲法は「国民主権という傲慢な思想」でただちに放棄すべきであり、「大日本帝国憲法が現存する」という請願に賛成した。小池氏に投票した有権者はこれらを知っているのだろうか。代表交代の後、中学生が新聞に投書した。「新代表は、党の中で選挙をして決めるのが当然と思っていた」のに、「小池さんと周辺だけで」決めてしまったのに「とても驚いた」という内容である。組織人としての筋というより、中学生にもわかる組織原理がわからない、あるいはそのような「国民主権的」原理が嫌いらしい人を長とする党派が東京を(そして今後国政を?)率いていく。

おりしも小池氏は、毎年都知事が「九月一日関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」に出していた追悼の辞を取りやめた。いま世界で移民や外国人居住者への差別やヘイト行為が問題にされているが、小池氏はヘイトを助長する側に立つのだろうか。


添付画像



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2017/08/29 00:49 2017/08/29 00:49
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