美学と芸術の歴史 第二章 アリストテレス

 

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【1 生涯】 アリストテレス(Αγιστοθελης,BC.384-322)は古代ギリシャ最大の哲学者である。

新興国マケドニアに生まれた。父は王フィリッポス二世の侍医。

BC.367年頃アテネに出、プラトン(第一章、本誌第26号、2009)の主宰する学校アカデメイアに入学し、最大の弟子となる。

BC.347年頃、プラトンの死によりアカデメイアを出て各地を遍歴。

BC.342年、フィリッポス王に招かれ、BC.340年頃まで王子(後のアレクサンドロス大王)の教育にあたった。BC.335年、アテネに戻り、学校「リュケイオン」を創設し、多くの弟子を教え「逍遥学派」の祖と呼ばれた。研究範囲はほとんど森羅万象に及び、「万学の祖」と呼ばれる。

BC.323年、アレクサンドロス大王の死を契機にアテネで反マケドニアの機運が強まり、市民から涜神のかどで訴えられた。彼は「再びアテネ人に哲学を冒涜させないため」とソクラテス裁判を諷しつつエウボイアに亡命した。翌BC.322年、胃の病で死去。遺書はきわめて周到に死後の指示がなされており、性格を示している。

20年間プラトンの下に学んだのであるから、彼の哲学がプラトンの大きな影響を受けていることは当然である。しかし結局彼はその亜流とはならなかった。アリストテレスは医者の子である。臨床医はまず目の前の病人をよく観察することが重要である。「逍遥学派」の名は、一説には、彼が戸外に出て気象や生物、人々やそのなりわいを実際に観察させたことからきたともいう。また医師の対象は動き成長し衰える生き物であり、アリストテレスの学問のモデルは生物学である。頭の中の論理操作を重視する幾何学をモデルとし、詩人的直感にすぐれたプラトンとは、「持って生まれた」資質が異なる。プラトンとの共通性と違いを意識しながら整理すると、アリストテレスの哲学はより把握しやすくなる。ラファエロの名画「アテネの学堂」では、天を指差すプラトンと地を示すアリストテレスが並んでいる。理想主義と現実主義の二大巨匠が意味されている。

【2 哲学全般】 彼の哲学全般に関してより詳しくは文献①を参照されたいが、簡略に示しておくことにする。

アリストテレスは人間の活動を三つに分けた。第一が観想θεωρια)であり、内容からは学問と言ってよい。第二は実践πραχις)であり、内容からは政治と言える。第三は制作ποιησις)であり、基本は経済だが、付随的に文化も入る。そしてこの三つに価値の序列をつける。人間の生物的生存を目的とする制作(米作りや道具作りなど)が最も低くおかれる。実践はこれより価値が高いという。それは物に対してでなく、他の人々に対し、手でなく言葉を用い、共同体全体の善を目的とし、それによってまた自らの人間的卓越を示す行為であるとする。しかし観想が最も高い価値を持ち、それゆえそれは自己目的であるという。

アリストテレスはまず論理学をつくった。論理学とは正しい思考が則るべき法則・基礎についての学問である。

 存在一般を対象とする理論は「形而上学」とも言われる存在論である。「存在」(ある)という語には二つの意味がある。一つは「がある」(実体)であり、もう一つは「である」(属性)である。属性はすべて実体の属性である。実体は「それ自体として存在するもの」である。実体には四種類の原因(アルケー)がある。①質料:机が実体なら木材やスチールなどである。②形相:たとえば木材という質料が椅子でなく机という「その」実体をとらせている形であり、いわば設計図に当たるものである。③動力:たとえば木材を机にする際に職人が用いる力である。④目的:机なら「本を載せる」などである。プラトンはイデアを実体であるとした。イデアは普遍的存在という意味でアリストテレスの形相と重なるが、アリストテレスはイデアを実体とみなさない。形相は現象から離存するイデアでなく、質料に内在する普遍性であり、両者が結合した個物が実体だとする

 自然物の質料因としては土・水・火・空気の四種類を認める四元素説である。動力因としては、機械論をとらない。第一に運動を位置の移動に限定せず、質的変化を含め豊かに理解する。第二に運動を実体に内在するものとし、外力によるとしない。おたまじゃくしは蛙の可能態であり、蛙はその現実態である。プラトンの哲学は本質的に時間のない幾何学をモデルとし、アリストテレスは生成する生物の世界をモデルとしている。ただしアリストテレスは、運動を最終的には循環として質的発展を認めない。これは「目的」を実現する活動、円環的、自己完結的行為に大きな価値を置くこととつながっている。いわば世界全体の設計図であり最終「目的」である「形相の形相」は神である。万物はこれをめざして運動するが、神そのものは不動であって他の万物を動かしていく第一動者である。

 人間の本質として、アリストテレスは二つを挙げる。第一は「理性」であるとともに「言葉」でもあるロゴスλογος)を持つということである。第二は、国家すなわちポリスπολις)を形成してその中で生きるということである。第一の点からは彼の哲学が合理主義的であることが、第二の点では彼以後の「世界市民(コスモポリタン)的」すなわち個人主義的な思想(ストア派とエピクロス派)と異なることがわかる。

徳の本質として、アリストテレスは事柄に適しており、不足でも過度でもない中庸を挙げる。こうした考え方はいわば良識的なものとも言える。完全なる「善のイデア」に向かってのたえざる努力を説いた理想主義者プラトンに対して、現実主義者アリストテレスの特徴がみえる。

ソクラテスおよびプラトンは徳を得るのは知性によるとした。彼等を継ぐアリストテレスもそれを第一とはするが、より現実主義的に、知性的徳とともに、習性的徳も認める。道徳的な人間関係をアリストテレスは親愛φιλια)とする。プラトンが求める愛慕(’ερως)と比べると、やはりより現実主義的である。親愛はまず自他の等しさによって成立する。次に相手の「よさ」によって成立し、これは第一にはやはり道徳的な善さであるが、付き合って楽しい人、面白い奴も親愛の第二の対象と認める。さらには付き合えば自分が得する相手もまた、親愛の第三の対象となり、プラトンの崇高だが窮屈な道徳と比べると凡人にも受け入れやすい。

プラトンは理想の国家を哲人王による君主政とした。アリストテレスもまたこれを最善とするが、そうでないなら悪いとはせず、国家の目的である共同体全体の福利が実現されていればよい国家とする。正統な統治形態の中では、君主政・貴族政・民主政の順でよいが、不当な統治形態の中では、衆愚政・寡頭政・僭主政の順でより少なく悪い、と考える。アリストテレスは当時存在した奴隷制を正当なものとして認めているが、これも彼の現実主義である。彼は自由人と奴隷の関係を人間と動物との関係に、また魂と肉体の関係に類比する。ここにも彼の思想が支配階級のイデオロギーであるということと、それが哲学的観念論と結びつくということが表れている。

「経済学」もその源はアリストテレスにあるが、今日のその名称(の語源)で彼が意味しているのはむしろ「家政術」である。物質面での家(奴婢も含めた広範な経営体)の経済が扱われている。彼はこれを「貨殖術」と対置する。観念論的ではあってもプラトンのような精神主義者でない彼は、物質的富の追求を是認するが、それは自己目的ではないので、有限であるとする。貨殖術はいわばその堕落形態であり、貨幣そのものが目的とされるので無限となる。貨幣が自己目的になるということは、貨幣の量的増加が追求されるということであり、投資家の行為(G-W-G’)である。家政術の場合貨幣は質の異なる物品を入手するための媒体に過ぎない(Wa-G-Wb)。これは今日のマネー資本主義を反省させる。

【3 著作『制作術』】 ここに『制作術』と訳したアリストテレスの著作名はラテン語でars poeticaである。arsは英語art(芸術)のpoeticapoem(詩)やpoet(詩人)の語源である。よってこれを『詩学』と訳すものもあり、というよりそのほうが多い。しかしそれは正確な訳ではない。まずarsは「芸術」というより「技術」一般を指す語である。次にpoeticaは、「詩」の制作に限らない、前項で挙げた人間の制作活動一般としてのpoiesisにかかわる、という意味である。「芸術」も「詩」も無論古代ギリシャにあったが、私達過去の日本語で頭に浮かべるものとはかなり違う。また実際この著作の内容も、「詩学」という日本語で思い浮かぶものとずれがある。よって私は原語により忠実に「制作術」とするが、ここでとりあげられているのは演劇、特に悲劇である。

 【4 古代ギリシャの演劇】 古代ギリシャでは演劇が盛んであった。野外で行われたのは、照明技術のせいというより、天気がよく暖かい地中海性気候のせいであろう。円形劇場は建築学的に見事であり、舞台の小さい音も最上段でちゃんと聞こえるという。アテネでは国家行事として毎年劇作のコンクールが行われた。悲劇と喜劇の二分野にはっきり分かれていた。悲劇は仮面劇であり、少数の登場人物が仮面をつけてせりふを言い、また合唱隊(コロス、「コーラス」の語源)がいる。興味深いのは、わが国の古典劇も、荘重な仮面劇である「能」と、滑稽な「狂言」とが組み合わされて上演される仕組みであったことである。悲劇の題材は神話か歴史である(古代人には両者は画然と区別されるものではない)。能もまた「本説」といい、権威ある物語に基づくものであること(平家物語による弁慶や伊勢物語による業平など)が求められる。

ギリシャ悲劇の作者としては三人が有名である。アイスキュロス(作品『縛られたプロメテウス』など)、ソフォクレス(作品『オイディプス王』『アンティゴネー』など)、エウリピデス(作品『メディア』など)である。

喜劇の作者としてはアリストファネス(作品『女の平和』など)が名高い。喜劇は本質的には古今東西そう変わらないように思われる。つまり、だじゃれ、どたばた、しもねたなどが主要部である。ギリシャ喜劇の場合は、実名による個人攻撃が目を引く。有名な政治家や文化人(ソクラテスなど)などが(ときに歪められて)嘲笑されているのをみると、卑猥な身振りなどとともに、「表現の自由」がかなりあったことが察せられる。

【5 オイディプス王をめぐって】 ギリシャ悲劇の中で最も有名なのは、ソオォクレスの『オイディプス王』である。オイディプスは生まれたとき、成長すれば父を殺し母を娶るというまがまがしい予言を受ける。これを聞いた父は殺害を家来に命ずる。忍びなく思った家来は面従腹背して、わが子として彼を育てる。成長した彼は予言のことを聞き、しかし養父母を実の両親と信じているので、予言が成就しないように家を出、武者修行の旅に出る。当時ギリシャ人を苦しめていたのはエジプトの怪物スフィンクスであった。これはなぞなぞ大好きの怪物で、相手が答えられないと殺してしまう。特に困っていたのはテーベの国である。王は行方知れずになってリーダーもいないので、スフィンクスを倒した者を王に迎えると決めていた。この怪物のなぞなぞは周知のように、「朝に四本足、昼に二本足、夕方に三本足のものなあんだ」である。これを解いたのがオイディプスであり、答えは「人間」である(なぜかは考えてみてください)。これによって怪物は倒れ、オイディプスがテーベの王となり、先王ライオスの后を娶った。だが国に禍がやまないので占い師に問うと、先王が殺されたためという。そこで犯人探しをすると、オイディプスが旅の途中で正体を知らずに殺した老人こそその人であり、しかも実の父であることがわかった。こうしてこの英雄は父を殺し母を娶るという予言を成就させてしまったことを知る。

ここでヘーゲルの美学に少し脱線しよう。彼はよれば美は絶対者の感性的表れである。東洋人は自然の中に、ギリシャ人は人間の中に絶対者をみた。東洋をギリシャにつなぐエジプトは、したがってその中間の性質を持ち、それゆえ「謎の国」である。その象徴は人面獣身の怪物スフィンクスであり、動物的状態から人間性がもがきでようと顔をのぞかせている。謎の怪物は謎をかけるが、謎の答えは「人間」だと解いたのがギリシャ人オイディプスであり、この西洋の人間主義によって東洋の自然主義は乗り越えられたのである、と。

なおオイディプスの物語は、フロイトの芸術論を扱う章においてもとりあげることになろう。

【6 芸術および演劇一般】 私達が今日「芸術」と総称するものを「模倣」(μιμησις)とする点では、アリストテレスも師プラトンを継ぐ。よってこの点は詳述を省く。彼が名を挙げている分野は、絵画、文芸、演劇、音楽、舞踏である。

では演劇では何が模倣されるのか。神々または人間の行為である。ギリシャ演劇は二種類に分かれていた。私達がその違いを問われれば、劇の内容および効果に漢字を対応させて、「悲しい」出来事の「悲劇」と「喜ぶ」出来事の「喜劇」と言うであろう。しかしアリストテレスは、その違いを何を模倣しているかの違いによるものとする。すなわち悲劇」は「すぐれた人」の、「喜劇」は「劣った人の」模倣とする。これは私達には少し説明を必要がいる。まず私達は「すぐれた(劣った)」者とは何かが自明でないが、この場合、「すぐれた者」とは神々、なかば神である半神、そしてその子孫とされる王侯貴族などであり、「劣った者」とはふつうの人々つまり観客よりも「劣っている」と考えられる者である。ここで注意すべきことが三つある。①前近代では、事実と価値とがはっきり区別されておらず、価値も人間が「価値付けた」ものとしてでなく、存在そのものの客観的性質として考えられていた。②前近代は身分制社会で人間は平等という観念はなく、貴族などが「すぐれた」人というのは同義反復的な観念であった。③ギリシャ人はすべての物事を「優劣」で判定する傾向がきわめて強く、価値的に同等だが質的に異なる(「みんな違ってみんないい」)といった考え方は乏しかった。

【7 悲劇の分析】 悲劇をアリストテレスは、次のように規定する。「悲劇は高貴で完結し相当な長さを持った行為の模倣であり、その部分部分には、各種の快く飾られた言葉が用いられ、叙述でなく演技により、憐れみと恐れを通じて、これらの感情のカタルシスを行うものである」(1449b)。――「高貴」な行為であるのは「すぐれた人」の行為だからである。短すぎるのも長すぎるのも、彼によれば悲劇に適さない。だがここでより重要なのは、彼は悲劇に「完結」を持つことを求めていることであろう。悲劇の言葉は日常用語とは異なる。歌舞伎なら七五調が使われたりするたぐいである。誰何されて「問われて名乗るもおこがましいが、生まれは遠州掛川在…」などと朗々と答えることは実生活ではなく、ここでは「快く飾られた言葉」が楽しみの一つを構成しているのである。だがより根本的なこととして、そもそも西洋演劇のせりふは基本的に韻文であり、それゆえそもそも演劇が詩の一分野としても分類されるということである(西洋の古典的な詩は、叙事詩、叙情詩、劇詩に三分される、叙景詩はない)。そしてその言葉は第三者の叙述でなく登場人物のせりふであるから全体は演技によって運ばれるのである。

アリストテレスは、悲劇の本質的な要素を三つ挙げる。①μυθος]②性格’ηθος]③思想διανοια]である。今日の言葉では筋はプロット、性格はキャラクターである。「思想」がわかりにくいかもしれないが、いわば芝居のコンセプトであろうか。キャラたちが出来事を通じて筋を形づくるが、それを結びつけるものがこれで、たとえば主人公が竜の球を集めようとしているとか、海賊王をめざしているとかである。アリストテレスはここで、その結び付け方に合理性が必要であると言う。たとえばオイディプスの父親殺しを考えてみよう。ここで若者は、自分の運命にうちかつべく武者修行に出て怪物にも立ち向かう、血気さかんな性格とされている。頑固なじじいにかっとなり、結果的にあやめてしまったのは不条理ではない。他方相手の老人は王座にあったものであり、生意気な若造には譲るどころかやはり立腹するであろうことは道理である。もしオイディプスが弱気な、あるいは謙虚な青年であったり、ライオスが仕えられることよりも仕えることに慣れた、あるいは右の頬を打たれたら左を出すような老人であったりすれば、この出来事は成り立つまい。演劇は感情を、したがって感情的な行為を内容とする。これは師プラトンが既に言ったことであり、そしてそれによって演劇を批判したのだった。アリストテレスも事実としての感情性を認めるが、しかしそこから演劇批判には向かわない。たとえば怒りは確かに感情である。しかし侮辱されたときに怒るということは「合理的」である。侮辱されて喜ぶのは「不合理」である。パスカルは心情にはそれ自らの理由(理性)があるといった。アリストテレスは演劇にこの感情の合理性をみいだし、あるいは求める。感情より理性を上におく点では、師プラトンと同じである。しかし感情「でなく」理性という二択でなく、感情そのものの合理性を求めることによる。より一元論的でより現実主義的であるゆえんである。

さて悲劇が憐れみをもたらすのは、主人公が不幸になるからである。その際主人公は悪人でも善人でもないことが必要だとアリストテレスは指摘する。悪人が不幸になるのは自業自得というものであわれには思えない、ざまをみろと快く思う者さえいるかもしれない。かといって善人が不幸になるというのは、憐れみというより憤りを感じさせかねない。では「たまたま」不幸になるのはどうか。これもアリストテレスの合理主義はしりぞける。偶然は少なくとも舞台上ではあるべきでないと彼は考える。行き詰ってしまうようだが、ここで彼は言う。不幸は主人公の「あやまち」[‛αμαρτια]によると。自分の父と知って殺すことは悪人の所業であり、同情しかねる。しかしそうと知らずに争った相手を殺してしまったということはあやまちであり、悪いことではあるが同情の余地がある、という具合である。憐れみとともに必要とされる恐れというのも、怪物(そのものはもとより)のような悪逆非道の人間が恐ろしいのでなく(「悲劇」と「ホラー」は別のジャンルである)、とんでもない結果をもたらすようなあやまちを自分もしてしまうかもしれないことが恐ろしいのである。

筋が(偶然に頼らず)合理的で、しかし観客の感情を効果的に動かすには、「発見」と「逆転」が有効であると言う。「発見」とは重大事実を登場人物が知ることで、たとえばオイディプスが自分の罪を知るようなことである。「逆転」とは運命の急に反対になること、いわゆるどんでん返しであり、たとえばオイディプスが自分がまさに破滅を免れたと思った直後にその打撃を受けるようなことである。「発見」と「逆転」は現在に至るまで悲劇作家が愛用する手法である。

【8 悲劇と歴史】 近代的通念では悲劇は「虚構」であるが、アリストテレスは「模倣」ととらえた。ではそれは歴史とどう違うのか。彼によれば、悲劇は可能なものの、歴史は現実のものの模倣である。たとえばヘロドトスの歴史ではペルシャ戦争が言葉によって再現すなわち模倣されるが、それは現実にあった出来事である。そこで重要なのは、いつどこで誰が何をしたかという事実そのものであり、年号、地名、人名などである。マケドニア軍が玉砕したのはテルモピレーであってマラトンでもサラミスでもなく、その指揮官はレオニダスであってペリクレスでもテミストクレスでもない。『オイディプス王』の場合はこれと異なる。これは事実あった出来事ではなく、主人公の名前や土地の名前は別でもよい。尊属殺人や近親相姦は(めったにあることではないが)起こるかもしれないことであり、あるいは運命に逆らおうとしても人の思い通りにならないこともあり得ることである。

芸所の本質が個別性を通じて普遍性を示すことにあるとしたのは、アリストテレスの卓見である。ただし歴史を個別的事実の記録としてみ、理論的にとらえられなかったのは、当時の通念を越えていない。よって芸術が歴史「よりすぐれる」というのは蛇足であり、「歴史」の理解不足とともに、比較すると「優劣」をつけないではいられないギリシャ的発想の弊害でもある。また、悲劇を可能なものの模倣としたことは(広義の)リアリズム芸術の観点である。芸術を「現実」と抽象的に対立させる観点からすれば本質的にすぐれている。しかし非リアリズム芸術(彼の時代にほとんどなかったことは事実だが)がすべてよくないわけではないということからすれば、狭い観点であるとも言える。

普遍性に価値をおく点では、アリストテレスは師プラトンを継ぐ。そしてプラトンは普遍を個別的感覚的対象から「離存」するとし、したがって後者「でなく」前者を、よってまた芸術「でなく」学術をという二択に追い込まれた。しかしアリストテレスは普遍を個別的感覚的対象に「内在」するとすることで、後者「を通じて」前者を、という道を開き、したがって芸術に対しても、あるべき社会に向けて存在意義を与え得た。同様に彼は感情を否定することなしに合理主義を主張できた。すなわちすぐれた芸術における感情が対象や程度において的を得ているという意味で合理的とすることで、感情そのものの中庸化、純化、陶冶に、芸術の意義をみた。

 

文献案内

 

    拙稿「哲学史」第五章『おきな草』第14号、2003

    拙著『共感の思想史』(第四章アリストテレス)創風社、2006

    出隆『アリストテレス哲学入門』岩波書店、1972

④『世界の大思想20アリストテレス』河出書房新社、1974

⑤アリストテレス『形而上学』出隆訳、岩波文庫(上下)、1961

⑥『アリストテレース「詩学」・ホラーティウス「詩論」』松本・岡訳、岩波文庫、1997

⑦『ギリシャ悲劇全集』人文書院、全四巻、一九六○

⑧『ギリシャ喜劇』ちくま文庫(上下)、1986

⑨エーコ『薔薇の名前』東京創元社

⑩三浦洋「『悲劇の定義』の規範性」日本哲学会編『哲学』第67号、2016

 

③は抄訳と解説。まず読むべきもの。④は「ニコマコス倫理学」「デ・アニマ」「詩学」を収録。⑨はあったかもしれないアリストテレスの「喜劇」論の思想的意味の示唆や、思想の自由と社会の関係についても考えさせる名作ミステリー(映画も興味深い)。


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