精神論〔1758年〕
エルヴェシウス著、仲島陽一訳
第三部 第6章 情念の力について
それゆえ、技芸の発明と驚異とは強い情念のおかげである。それゆえ強い情念は、精神の生産的な芽として、また人々を偉大な行動に促すばねとしてみなされなければならない。しかし先に進む前に、私はこの「強い情念」という語に付与する観念を定めなければならない。大部分の人々が話してもわかり合わないのは、用いなければならない語の曖昧さのためである。バベルの塔4)で働いた奇跡の延長はこの原因に帰され得る(a)。
「強い情念」というこの語で私が解するのは、その対象が私達の幸福にとても必要なので、それが得られなければ生きるのが耐え難いような対象への情念である。ウマルが次のように言うとき、情念について抱いていた観念はそのようなものである。「汝が誰であれ、自由を愛し、財産なく富み、臣下なく権勢を保ち、主なしの臣下であることを欲する汝は、敢て死を軽視せよ。そうすれば王たちも汝の前では震え、汝だけが誰も恐れぬであろう」。
実際、この程度まで強くなった情念だけが、最も偉大な行動を実行し、危険も苦痛も死も天さえもものともしないことができるのである。
フィリッポスの将軍ディカイアルコスは、彼の軍の前に二つの祭壇を立てるが、一つは不敬への、もう一つは不正への祭壇であり、そこに犠牲を捧げてキュクラデスに向かって進む。
カエサル暗殺の数日前、高貴な自尊心の情念と結びついた夫婦愛で、ポルキアは自分の足を刺してその傷を夫に見せて言う。「ブルートゥス、あなたは嘘をついて私に大きな目論見を隠しています。私は今まではどんな慎みのない質問もしませんでした。けれども私達女性はそれ自体としては弱くても、賢く有徳な男性との交渉で強くなること、自分がカトーの娘でブルートゥスの妻であることを、私は知っています。しかし臆病な私の愛が自分の弱さを用心させていました。あなたは私の勇気の試みを目にしています。いまや私は苦しみの試練を行ったのだから、あなたの秘密に値するかどうか判断してください」。5)
責め苦のただ中で、ピュタゴラス派の女性ティミシャ6)が、自派の秘密を暴露することに身をさらさないために、自分の舌をかみ切ることができたのは、名誉の情念と哲学的狂信だけであった。
まだ若いカトーが家庭教師に連れられてスラの邸宅にのぼり、処刑者たちの血染めの頭を見て、これほど多くのローマ人を暗殺した怪物の名を問う。「スラだ」と答えを得る。「なんだって。スラが彼等を殺戮し、そしてスラはまだ生きているのか」。スラの名前だけで、我が市民たちの腕から武器が落ちてしまいます、とまた答えがある。「ああローマよ!」とそこでカトーは叫ぶ。「なんとお前の運命は嘆かわしいことか、もしこの広い城壁の中に、一人の有徳なおとなもおらず、またもし専制に武器を向けられるのが弱いこども一人しかいないなら!」この言葉で家庭教師に向かって言う。「お前の剣をくれ。僕の服で隠そう。スラに近づいて殺してしまおう。カトーは生き、ローマはまた自由になる」(b)。
どんな風土で、祖国へのこの有徳な愛は英雄的行動を実行しなかったであろうか。中国である皇帝は、一市民の勝利の武器に追われて、この国で、息子が母の命令に対して持つ迷信的敬意を利用して、この市民の武装解除を強いようとする。この母に向かって皇帝の士官が遣わされて来て、剣を手に、彼女は死ぬか従うかの選択しかない、と言う。彼女は苦笑して答える。「人民が服従し、王が人民を幸せにすることを約束し合う、人民と君主とを結びつける、暗黙の、しかし神聖な信約を私が無視して、お前の主が喜ぶと思うのか。彼が最初にこの信約を侵害した。暴君の命令の卑しい執行者よ、こうした場合に自分の祖国に何を負っているかを一人の女から学べ」。この言葉で士官の手から剣を奪って我が身を刺して言う。「奴隷よ、もしもまだ幾分かの徳が残っているなら、この血染めの剣を我が息子に届けよ。自分の国民の仇を討ち暴君を罰するように彼に言え。彼には私のために恐れることはもう何もなく、策することももう何もない。彼は今は自由に有徳になれる」(c)。
もし高貴な自尊心、祖国愛と栄光への情念〔情熱〕によって、公民が、これほど勇敢な行為を決意するならば、技芸において名を挙げたい者、キケロが「平和的な英雄」と呼んだ者に、どれだけの粘り強さとどれだけの力を吹き込むことであろうか。栄光への欲望がコルドリエ〔山脈?〕の凍った頂の上で、雪と霧のただ中で、天文学者の望遠鏡を傾かせる。植物を採取するために、植物学者をがけっぷちに導く。それがかつては、学問を愛好する若者を、エジプトへ、エチオピアへ、そしてインドまで導き、そこで最も有名な哲学者たちに会い、彼等との会話からその学説の原理を汲もうとさせた。
まさにこの情念は、デモステネスにどれだけの影響力を持ったであろうか。自分の弁舌を完全にするために、彼は海辺に立ち、口を砂だらけにしながらも、荒れ狂う波に毎日演説したのである! まさにこの栄光への欲望のため、ピュタゴラス派の若者たちは、瞑想と省察の習慣をつけ、三年間の沈黙を課せられたのである。このためデモクリトス(d)は世間の娯楽から身を引いて墓地にこもり、発見が常に困難で人々から常にほとんど評価されないあの正確な真理を求めようとしたのである。このため最後に、哲学にすっかり身を捧げるため、ヘラクレイトスは、長子権によって与えられるはずのエフェソスの王座(e)を弟に譲る決心をしたのである。自分の力をすべて保つために体育家は恋の快楽を自ら奪う。このためまた古代の若干の聖職者たちは、より褒められるものになるという望みで、まさにこの快楽の断念を強いられたが、その際しばしばボワンダン7)がおもしろく言ったように、それによって得る絶え間ない誘惑以外に、彼等の禁欲の報いはないことのほうが多い。
私が示したのは、地上で私達が賞賛するほとんどすべての対象が情念のおかげであるということである。このために私達は危険、苦痛、死を冒し、最も大胆な決心もするということである。
いまや私が証明したいのは、微妙な場合に、情念だけが偉人の助けに飛んできて、最善の言行を彼等に吹き込むことがある、ということである。
この件では、ティチノ8)の戦いの日の、兵士たちへのハンニバルの有名な短い演説を思い出されたい。ローマ人への憎しみと栄光への情念だけが、それを吹き込むことができたと感じられよう。彼は言った。「戦友たちよ、天が私に勝利を告げている。身震いするのは諸君でなくローマ人のほうだ。この戦場に目を向けよ。ここには卑怯者の逃げ場はない。全滅させるか、さもなければ負けるかだ。勝利のこれ以上確実な保証があるか。神々の庇護のこれ以上明らかなしるしがあるか。神々は我々を、勝利と死のはざまにおいたのだ」。
まさにこの情念がスラを動かしたことを、誰が疑えよう。マルス人9)の国での新たな軍の招集をしに行くために護衛をカッシウスに求められたとき、彼は答えた。「もし君が敵を恐れているなら、護衛として私の父、兄弟、親類、友達を受け取れ。彼等は暴君たちによって殺戮され、復讐を叫び、それを君に待っている」。
戦いの疲れにうんざりしたラケダイモン〔スパルタ〕人たちが、自分たちを軍務から解くようにアレクサンドロスに頼むとき、この英雄に次の誇り高いこたえを告げさせるのは自尊心と栄光への愛である。「行け、恩知らずども。去れ、腰抜けども。余はお前たちなしで世界を征服する。男たちがいるところではどこでも、アレクサンドロスは家臣と兵士とをみつけるだろう」。
こうした弁舌は情熱的な人々によっていつも発せられる。才気そのものもこうした場合、感情を補うことはできない。体験しない情念の言葉はいつも知られない。
そのうえ、情念が精神の産出的な芽とみなされなければならないのは、雄弁のような一技術においてではなく、すべての分野においてである。情念は、私達の観念の中で絶えず醗酵しつつあり、弱い魂の中では不毛で、石の上に落ちた種に似たような、まさにそのような観念を私達の中に産む。
情念が、私達の注意を私達の欲望の対象へと強く定め、他人には知られない観点からそれを考察させる。したがって情念が、あの大胆な企てを英雄に思いつかせ実行させるのであり、それは、成功して英雄の知恵が証明される前は、愚かにみえるし、また実際大衆にはそうみえざるを得ない。
リシュリュー枢機卿は言う。だから弱い魂は最も単純な企ても不可能と思うが、最も強い魂には最大の企てもたやすくみえる。後者にあっては山々も低くなるが、前者の目には丘も山脈に姿を変える、と。
実際、分別ある人がほとんどいつもごっちゃにする、とてつもないものと不可能なものとを区別することを教えるのは、良識よりも啓蒙されている強い情念だけである。なぜなら、強い情念に動かされなければ、あの分別ある人々は凡庸な人々でしかないからである。情熱的な人に他の人々に対して優越を感じさせ、実際に偉人を生めるのは大きな情念〔情熱〕しかないことを示すために、私が〔次章で〕証明する命題がこれである。
【原注】
(a)たとえば「赤」という語で、真紅から肌色まで理解するなら、一人は真紅しか、もう一人は肌色しか見たことがない二人を想定しよう。一方は当然にも赤は鮮やかな色であると言おうし、他方は逆に、それは中間色だと言おう。同じ理由で、理解し合わずに「…しよう」という語を二人が発せられるが、なぜなら、最も弱い程度の意志から、すべての障害にうちかつあの実効的な意志まで表現するのに、私達にはこの語しかないからである。「情念」という語も精神という語と同様である。発する人にしたがって意味を変える。ほとんど才気のない人々で構成されている社会で凡庸とみなされる人は確実に馬鹿である。最上級の人々の間で凡庸な人として通る者についてそうではない。彼の社会の選択は、通常の人々に対する彼の優越を証明している。他のすべての階級で一番であるのは凡庸な修辞家である。
(b)まさにこのカトーは、ウティカに退いた時、ユピテル、ハムモーン10)の神託に諮るように促した人々にこう答えた。「神託は女たちや卑怯者や無知な者たちに委ねよう。勇気ある人間は、神々とは独立に、自分自身で生き死ぬすべを知っている。自分の運命を知っていようといまいと、等しくその前に歩み出る」。
海賊に拉致されたカエサルもその大胆さを保ち、上陸したら死刑にすると彼等を脅す。
(c)義務の観念は同様にアブダラ11)の母を動かしたが、その息子は友達に捨てられ、ある城に攻囲され、シリア人たちが提示する名誉ある斬首を受け入れるように促され、取るべき方策を図るために母のところに行き、次の答えを受け取った。「息子よ、ウマイヤ家に敵対して武器をとったとき、正義と徳の方策をとっていると思ったのか」。「はい」と彼は答えた。彼女は答えて言った。「それなら、何を考えることがある。恐れに降参するのは腰抜けだと知らないのか。ウマイヤ家の人々に軽蔑され、命か義務かを選ばなければならなくしてお前が選んだのは命のほうだと言われたいのか」。
まさにこの栄光への情念によるものとして、装備が悪く寒さに震えるローマ軍は、潰走せんとしたとき、セプティムス・セウェルス12)の救援に、哲学者アンティステネス13)を伴ったが、彼は軍の前で身一つになり、雪の中に身を投げ、そしてこの行動によって、ばらばらの軍団をその義務に立ち戻られた。
ある日トラセアス14)は〔ローマ皇帝〕ネロに少しは服従するように勧められた。彼は言った。「なに! 生存を何日か伸ばすために、そこまで身を落とすだろうか。いや。死は借財返済だ。自由は自由人として完済したいので、奴隷として払いたくはない」。
興奮したウェスパシアヌス15)がへルヴィディウス16)を殺すと脅したとき、次の返答を受けた。「自分は不死だとでも言いましたか。あなたは私を殺して暴君の務めを果たすがよい。私は公民として震えずにそれを受ける」。
(d)デモクリトスは金持ちの生まれであったが、才気を軽蔑してよい、名誉ある愚かさの中で生きてよい、とは思わなかった。
(e)ケーンの僭主の息子ミュソン17)は、同様に、父の王権を放棄した。そして一切の責務を離れ、人跡稀な地にひきこもり、誰とも話さずに深い反省で身を養った。
【訳注】
1) モイリス湖は古代エジプトの湖。その開鑿については、ヘロドトス『歴史』第二巻第101および149-150節参照。
2) ロドスはエーゲ海の島。前三世紀にそこに立てられた太陽神をかたどる青銅の巨像は古代「世界七不思議」の一つに数えられた。約半世紀後に地震で崩れ、672年に最終的に破壊された。
3) プリニウス『博物誌』第35編第43章第1節。
4) 「創世記」(11:1-9)。
5) プルタルコス『対比列伝』ブルートゥス編第13節。
6) ティミシャ(Timicha)は不詳。
7) ボワンダン(Nicola Boindin,1676-1751)はフランスの文芸家。
8) ティチノ(原文ではTesinだが仏語では普通Tessin伊語でTicino)はスイスに発し、ロンバルディア平原を通ってポー川に注ぐ川。第二次ポエニ戦争のときその岸でカルタゴのハンニバルがローマのスキピオを破った。
9) 前1世紀にローマ人に敗れたゲルマン民族。
10) ハムモーン(またはアムモーン)はエジプト人の神。神託で名高い。ギリシャ人はゼウス(ローマ人のユピテル)と同一視した。
11) ウマイヤ家の王族の殺戮に加わって甥によるアッバース朝創設を助け、その死後はカリフになったが、755年に殺された。
12) セウェルス(Lucius Septimius Severus,146-211)はローマ皇帝(193-211)。しばしば東方パルティアを征し、ブリタニアに赴いてカレドニア進出を企てたが成功しなかった。
13) アンティオコスは犬儒派の哲学者(-216)。カラカラ帝の命により死。
14) トラセアス(Lucius Thraseas, ?-66)は古代ローマの元老院議員。ネロの専制化にただ一人反対した。
15) ウェスパシアヌス(Vespasianus,9-79)はローマ皇帝(65-79)。ネロ死後に軍隊に推されて即位。
16) ヘルウィディウス(Prisus Helvidius)は古代ローマの元老院議員。
ミュソンは「ギリシャ七賢人」の一人。ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシャ哲学者列伝』第一巻第九章に伝記あり。-----------------------------------------------------------------------------------------
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