床屋道話39 経済の「理論」と現実
二言居士
菅原晃『高校生からわかるマクロ・ミクロ経済学』(河出書房新社、2013)という本を古本屋で買った。帯の「最高・最新の教科書!」の文句にもつられて、お勉強するつもりで求めたのだが、中身は自由貿易やアベノミクスの礼讃など、「教科書」というには党派色が強すぎるものであった。がっかりしたが、ためになったこともある。
新自由主義ないし新古典派をへたに糊塗せずに原理主義的に打ち出していることで、問題点も浮き彫りになる。比較優位説による自由貿易論がその一つである。著者はこれを、「経済学史上最大の発見で、誰一人反証できない、古典理論」(104頁)と言う。ではなぜ反対する人がいるのか。彼が引く(136頁)日経新聞の記事はわかりやすい。TPPで「得する人」が1億人、得する額が計10兆円とする。他方損する人が200万人で損する額が計8兆円とする(総額で得が上回らなければ比較優位説は成り立たない)。この際一人あたりだと得は10万円だが、損は400万円になる。前者がコストをかけてTPP賛成の運動をするとは考えにくいが、後者がTPPにかなりのコストをかけても反対する誘因がある、と。菅原氏がこの「得する人」を「消費者」一般に当てているのは、論点隠しを含む雑な当てはめだが、それは言わないことにしよう。「損する人」を「農業従事者」にあて、「経済学的」にはそれを切り捨ててよいとするところに、この「経済学」の弊害が表れている。新古典派経済学は、倫理学的には功利主義と共犯関係にある。そこでは、「消費者」が10万円の「快」を得ることと「農家」が400万円の「苦」を受ける(つまりつぶれる)ことの違いが、量の問題としてしかとらえられない。そして総量として「快」が増えるならば、決定的な意味で「苦」を受ける(ここでは家業を失うということだが、他に人権を侵害されるとか、人間としての尊厳を奪われるとかの場合も考えられる)少数者がいてもかまわないという強者の論理である。いわゆる「外部経済」の話を持ち出さなくても、農家をつぶして「消費者」が少しずつ「得」することが「正解」と言えるのか。劣位産業にしがみつかないで比較優位の産業に転じれば国民全体が得するのだ、と言い返されよう(実際言っている人々もいる)。しかし土地を手放し長年携わってきた職業から他に転じるのは(ここでも外部経済のことは言わないにしても本人にとっても)容易ではない。比較優位なものにどんどん転じていけばよいというのは、雇ったりやめさせたりする側の者、株を買ったり売ったりする側の者にとって有利で、勤労者や生活者の側にとっては不利な論理である。新古典派経済学と功利主義倫理学の損得計算は、このような立場の違いを覆い隠し、総量が増えればよいという論理で不平等を拡大する思想である。
こうした理論の抽象性は、現実の人々の立場だけでなく、この理論自体の歴史性を捨象するところにも表れている。これについては朝日新聞1990年8月14日付コラム「経済気象台」(筆名「六一弥」)の紹介で済ますことにしよう。“貿易自由化論はリカードが唱えたがその英国の工業が比較生産費で優位を占めたのは25年間に過ぎない。その間耕地は放棄・転用され、95%自給していた小麦は88%の輸入依存になった。世界の食糧事情のタイト化と二度の世界戦争で、英国は惨憺たる辛酸をなめたが、これはリカードの反対者マルサスが懸念していた通りであった。それから英国は必死になって耕地の復活、品種の改良、遺伝子の研究に取り組み、ようやく百年たって食糧自給の道を回復した。”
小生は一言だけ付け加えよう。これらの経済学・倫理学は分業を一面的に礼讃する。しかしアダム・スミスさえその弊害にも目を向けていた。確かに画一化する必要はない。得意分野を伸ばして、個性ある他者と協力するのは互いの益となる。しかし自らを「特化」して自立できなくなってしまうこと、歯車の一つになってしまうことは、個人においても国においても「協力」でなく、強者に従属してしまうことである。バランスを無視した「特化」は、けっして自らを強くすることでも得することでもない。-----------------------------------------------------------------------------------------
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