精神論

                                  エルヴェシウス著・仲島陽一訳

 

  第二部 第五章 個別的社会との関係における徳義について

 

 この観点においては、徳義とは、この小社会に個別的に有用な行為の、大小の習慣にほかならない、と私は言いたい。こう言っても、ある種の有徳な社会が、人々の行為に対して公衆の利害に適う判断を下すために、固有の利害関心をしばしば脱するようにみえるのを否定するわけではない。ただそうする社会も、啓蒙された自尊心が徳に対して与える情念を満たす〔ためにそうする〕に過ぎない。したがって、他のあらゆる社会と同じく、個人的利害という掟に従うに過ぎない。どんな他の動機が、寛大な行為を人に決意させられようか。善のために善を愛することは、悪のために悪を愛することと同じく、人間には不可能である(a)。

 〔初代〕ブルートゥスがローマを救うために息子を犠牲にした1)のは、彼にとっては、父性愛よりも祖国愛のほうが強い力をもっていたからに過ぎない。そのとき自分の最も強い情念に従ったに過ぎない。それが彼に、公衆の利害に関して彼を啓蒙して、自由への愛を甦らせるのにこれほど適した、これほど気高い子殺しの中に、ローマを救い、ローマがタルクィニス家の専制の下に舞い戻るのを防ぐ、唯一の方策を気づかせたのである。ローマが当時陥っていた危機的状況においては、こうした行為が、以後公共の福利と自由への愛とがローマを導いた広大な力の基礎として役立ったに違いない。

 しかしブルートゥスのような人やそういう人々で構成された社会はほとんどないから、各々の社会において、人々の行為に認められる評価を配分するのがもっぱら個人的利害であることを証明するのに、私が例をとるのは、ふつうの秩序の中にであろう。

 これを得心するには、厳しい法から身内の殺人犯を救うため、自分の全財産を犠牲にする人をみてほしい。この人はその一族においては、確実にきわめて有徳な人として通るであろうが、実際にはきわめて不正である。私がきわめて不正と言うのは、もし罰を受けない望みが国民の間に大罪を増やすならば、もし罪の確実性が、秩序を維持するには絶対に必要であるなら、一つの犯罪に恩恵を与えることは、公衆に対しては、同じような恩恵を懇願する者をその共犯者にする一つの不正であることは、明らかだからである(b)。

 ある大臣が、親族や友達の懇願に耳を貸さず、要路には第一の功績ある人々だけを出世させるべきだと信じるとしよう。きわめて正当なこの大臣は、彼の仲間内では確実に、情けを知らぬ無益な男、たぶんは不誠実な男としてさえ通るであろう。当代の恥としてこう言わなければならない。要路にある人が、自分がともに生きている仲間から惜しげなく受ける、よい友、よい親族、有徳で善行する人といった称号を受けるのは、ほとんどいつも不正のおかげでしかない。<(1)>

 策謀によって、ある父が統率力のない息子のために将軍の職を得るとしよう。この父は一族の中では、誠実で善行する人として名をひかれよう。しかしながらただ一家の野心を満足させるためにだけ、一国民を、あるいは少なくともその地方のいくつかを、壊滅の危険にさらすことほど、憎むべきことがあろうか。

 君主が常に警戒することが不可能な懇願以上に罰すべきことがあろうか。諸国民をしばしば最大の不幸に投げ入れてきたこうした懇願は、災いの尽きない源である。こうした禍から民衆を救うには、たぶん、人々の間の親族のすべての絆を断ち切り、あらゆる公民を国家のこどもと宣告することによってだけであろう。徳の外観が権威づける悪徳の息のねをとめ、一民族が無数の家族または小社会へと分解し、その利害がほとんどいつも公益と対立し、ついには万人の魂の中で、あらゆる種類の祖国愛を消してしまうのを防ぐ2)、そのための唯一の手段である。

 ある小社会の判定の前で、利害が人々の行為の唯一の裁き手であることを、いま言ったことは十分に証明している。だから私は、もしこの著作の主要目的として公益をもくろんだのでなかったとしたら、いま言ったことに何も付け加えないであろう。ところで私は、誠実な人が、自分が生活している社会の意見が必然的に彼に対して持たざるを得ない影響力を恐れて、知らないうちに徳から遠ざけられるのを当然にも恐れるかもしれないと感じる。

 それゆえ私は、誘惑を逃れ、罠を避ける方法を示さないうちはこの題目を離れないことにしよう。個別的社会の利害によって、最も誠実な人々の徳義に対しても、こうした罠は張られており、この利害はこの徳義をその罠の中に、あまりにしばしば襲ったものである。

 

【原注】

 (a)人々の邪悪さに対するモラリストたちのたえざる憤慨は、彼等が人々をほとんど知らないことを証明している。人々は邪悪ではなく、自らの利害に服従しているのである。モラリストたちの叫びは、精神的宇宙のこのばねをきっと変化させないであろう。それゆえ嘆かなければならないのは、人々の邪悪さではなく、常に個別的利害を一般的利害と対立させてきた立法者たちの無知である。スキタイ人達が私達より有徳であったのは、彼等の立法と生活様式とが、より多くの徳義を彼等に鼓吹したからである。

 (b)瀕死のキロン3)は言った。「私にはただ一つの罪がある。それは私が行政官であったとき、罪人である私の親友を厳しい法から救ったことだ。」

 この件では、私はなお、〔サアディの〕『薔薇園』の中で述べられている事実も引用したい。あるアラブ人が、彼の家で二人の未知の者が遂行した暴行について、スルタンに苦情を言いに行く。スルタンはそこに赴き、明かりを消させ、犯罪人たちを捕らえ、その頭を外套で包み込ませる。彼等を剣で突くことを命じ、実行されると、スルタンは明かりをまたつけさせ、犯罪人たちの体を注視し、手を挙げ、神に感謝する。大臣が彼に言う。「いったいどんな恵みを神から受けられたのですか。」スルタンは答える。「大臣よ、私は息子らがこの暴行の犯人だと思った。だから明かりを消し、この悪人どもの顔を外套で隠すことを望んだのだ。父親としての情けのために、余が仕事でなさねばならぬ正義をおろそかにさせないかと、心配したのだ。子殺しにならずに自分が正しいと認めている今、余が天に感謝すべきかどうか、判断してくれ。」

 <(1)アテネ人クレオンが公務に参与した日、彼は友人たちを集めて友情を断つと彼等に言ったが、なぜならその友情は彼にとって、自分の義務を怠り、不正を犯す機会になるかもしれないからというのである。>

 

【訳注】

1)(初代)ブルートゥス(Lucius Brutus)は古代ローマの政治家。当時エトルリア人系のタルクィニス王家の支配下にあったローマ人は、BC.509年に蜂起して独立と共和制とを勝ち取ったが、ブルートゥスはその指導者として初代統領の一人に選ばれた。巻き返しを図ったタルクィニス側は、ローマ内部に謀叛を企てたが、事前に発覚した。その一味にブルートゥスの息子がおり、統領として父は子に死刑を宣せざるを得なかった。ここからブルートゥスは祖国愛と共和制の父とみなされることになった。有名なブルートゥス(ブルータス)はこの遠い子孫であり、カエサル(シーザー)が王になろうとしたとき、反対派がその大義名分を示すものとして(カエサルの友人であったにもかかわらず)彼を仲間に入れたのはこのためであった。

2)「反〔論すべし〕」(Rousseau,notes sur <De l'esprit>,Œuvres complè tes,t.4,Dallimard,1969,p.1126)。ルソーは次のように言っている。「約束による絆をかたちづくるためには自然の手掛かりは要らないのか。身近な者に対して抱かれる愛が、国家に対して抱かなければならない愛の根源ではないか。家族という小さな祖国を通してこそ、心は大きな祖国に結び付けられるのではないか。よい息子、よい夫、よい父親こそが、よい公民となるのではないか。」(Rousseau,Emile: Œuvres complètes,t.4,p.700

3)キロン(Chilon)は前6世紀のスパルタの政治家。


---------------------------------------------------------------

哲学史
  • 和書
  • ポイントキャンペーン

哲学史

仲島 陽一【著】

  • 価格 ¥2,700(本体¥2,500)
  • 行人社(2018/04発売)
  • ポイント 50pt
  • ウェブストア在庫あり(通常、当日~翌日に出荷)
    ※正確な在庫状況は書名をクリックしてご確認ください。

共感を考える
  • 和書
  • ポイントキャンペーン

共感を考える

仲島 陽一【著】

  • 価格 ¥2,160(本体¥2,000)
  • 創風社(2015/10発売)
  • ポイント 40pt
  • ウェブストア在庫あり(通常、当日~翌日に出荷)
    ※正確な在庫状況は書名をクリックしてご確認ください。

ルソーの理論 - 悪の原因と克服
  • 和書
  • ポイントキャンペーン

ルソーの理論 - 悪の原因と克服

仲島 陽一【著】

  • 価格 ¥3,132(本体¥2,900)
  • 北樹出版(2011/12発売)
  • ポイント 58pt
  • ウェブストア在庫あり(通常、当日~翌日に出荷)
    ※正確な在庫状況は書名をクリックしてご確認ください。

共感の思想史
  • 和書
  • ポイントキャンペーン

共感の思想史

仲島 陽一【著】

  • 価格 ¥2,160(本体¥2,000)
  • 創風社(2006/12発売)
  • ポイント 40pt
  • ウェブストア在庫あり(通常、当日~翌日に出荷)
    ※正確な在庫状況は書名をクリックしてご確認ください。

入門政治学 - 政治の思想・理論・実態
  • 和書
  • ポイントキャンペーン

入門政治学 - 政治の思想・理論・実態

仲島 陽一【著】

  • 価格 ¥2,484(本体¥2,300)
  • 東信堂(2010/04発売)
  • ポイント 46pt
  • ウェブストア在庫あり(通常、当日~翌日に出荷)
    ※正確な在庫状況は書名をクリックしてご確認ください。
2015/05/11 05:12 2015/05/11 05:12
この記事にはトラックバックの転送ができません。
YOUR COMMENT IS THE CRITICAL SUCCESS FACTOR FOR THE QUALITY OF BLOG POST