床屋道話41 「心」の問題
某県の知事が「女性問題」で辞職した。「出会い系サイト」で知った女子大生と関係を持ち、会うたびに三万円ほど渡していたという。本人によれば、金を与えたのは「好きになって欲しかった」からだが、他人からは「売春と言われても」仕方ないという意味で非を認めたものである。成人同士のまったく自発的な売春は悪ではない、という議論は昔からある。その問題を正面から検討することはしないでおく。ここでとりあげたいのは、からめ手からの横槍として、「結婚だって無期限の売春だ」という議論である。
長い間小生は、この言葉は売春容認のまじめな論拠として言われるのでなく、ブラック・ユーモアに近いネタの一つと思ってきた。しかしどうも、品が悪すぎるので口にはしない、あるいはその表現は好まないにしても、事柄の本質はそのようなものだと本気で考えている者は想定していた以上におり、「ごく少数」とは言えないのではないかと思うようになった。要するにお互いの損得勘定だということである。小生は結婚について、必要悪視するパウロのような宗教的禁欲思想に同意できないのはもとより、これを「人倫的結合」とするヘーゲルの観念論的位置づけにも、ちょっと立派過ぎはしないかと違和感も覚える。しかし損得勘定で利用し合っているに「過ぎない」と割り切るほどの、個人主義や功利主義にはなじめない。つまり「損得」の面が少なからずあると事実問題として認め、またそのこと自体を悪いとはしない。しかしそれ「だけではない」のが多くの場合であろうと思うし、それ「だけ」ならばつまらないと思う。「つまらない」の意味をさらに説明すれば、よんどころない事情でそれ「だけ」のために結婚し、あるいは夫婦生活を続ける場合は「やむを得ない」つまり悪とは認めないが、その場合は生きている意味のかなりの部分がなくなってしまうと感じる、ということである。ここで問題なのは、そう「感じない」人にはこの議論が説得力を持たないことで、結婚即無期限売春説を「本心で」是認するものはそれにあてはまるであろう。ではそれ「だけでない」ものは何かと言えば「心」の問題であり、性欲を満たすことはこれにはいらない。かの知事が「好きになってほしかった」というのはその意味では同情できる。金によって実現できると思ったならそこが間違いであり、彼は邪悪というより未熟な人間だったのだろう。
和辻哲郎は、風土に基づく日本人の国民性を、「しめやかな激情」「戦闘的な恬淡」とする。これは小生には実によくわかり、うまく言ったものだと感心する。これが「わかる」のは推論によってでなく直感によってである。パスカルの用語にすれば、「幾何学の精神」でなく「繊細の精神」によってである。よってこの命題を「証明」することはできない。「しめやか」でなく「ドライ」な日本人もいる。「恬淡」とせずにしつこい日本人もいる。それは少数派だと言えようが、では何パーセントかと言われると統計があるわけではない。他の国民と比べて「しめやか」な人が何ポイント多いか、数理的な調査があるわけではない。またこうした「幾何学の精神」では概念を定義することが求められるが、この場合の「しめやかさ」とは何か。最高湿度何パーセント以上の日が年に何回あるか、なら明晰判明な答えが出るが、「しめやかな激情」をどう数値化できるのか。けれども多くの人はその意味を「了解」する。春夏秋冬の雪月花に照らし、あるいは広重の五十三次なり中島みゆきのニューミュージックなりのしみじみした情感に照らして、または和食が中華やフレンチやエスニックのようなしつこさがないことに照らしても、「しめやかな激情」や「戦闘的な恬淡」が日本の心であることを了解する。それだけが「日本の心」ではないと補足するにしても、自分はその意味ではあまり「日本的」ではないと考えるとしてもそれが日本的であることは了解する。あるいは和辻のこの意見には賛成しないとしてさえも、彼が言っていることの意味や、そういう人がいてもおかしくはないであろうことは、多くの人は了解できる。しかしなかには、ちょっとなに言っているかわからない、と「サンドイッチマン」状態になる人もいるのである。そしてそのような人は小生が以前想定したよりも多いのかもしれないというのが疑問であり、近頃増えているのではないかというのが恐れである。
どんな問題にも、「エビデンス」や「数値化」を持ち出すのがよいこと、すぐれたことのような風潮になってきてはいないであろうか。---------------------------------------------------------------
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