精神論〔1758年〕
エルヴェシウス著、仲島陽一訳
第三部 第7章 分別くさい人々に対する情熱的な人々の精神的優位について
成功するまでは大天才があらゆる分野で、分別くさい人々にほとんどいつも馬鹿扱いされるのは、分別くさい人々というのは偉大なことは何もできず、偉人が偉業をなすのに用いる方法があるのではと疑うことさえできないからである。
こうした理由であの偉人たちは、賛嘆をひきおこす前はいつも笑いをひきおこさざるを得ないのである。〔ペルシャ王〕ダレイオスが行った講和の提案に関して意見を述べるようアレクサンドロスに促されたパルメニオン1)はこう言った。「もし私がアレクサンドロスならば受け入れるでしょう」。勝利がこの君主のあきらかな大胆さを正当化する前には、パルメニオンの意見が、「そしてもし余がパルメニオンならばそうしよう」というアレクサンドロスの答えよりもマケドニア人に賢明と思えたということを、誰が疑おう。それゆえ明白に、もし偉大な行為によって、フィリッポスの息子〔アレクサンドロス〕が既にマケドニア人の尊敬を受けていたのでなければ、また彼等を異常な企てに慣れさせていたのでなければ、彼の答えは彼等には絶対に滑稽にみえたであろう。この英雄は自分の勇気と知識の優越について、この両性質のどちらもがペルシャ人のような軟弱な民族に対して与える利点について、内的感情を持っていたに違いない。そして最後に、彼はマケドニア人の性格と彼等の精神に対する自分の影響力について、したがってまた彼がその身振りや弁舌や目つきで、彼が自分自身を活気づける勇敢さを彼等にたやすく伝えられることを、知っていた。こうした内的感情のなかにも知識のなかにも、彼等の誰もその動機を探究しなかった。しかしこれらいろいろな動機が、栄光への強い渇望とあいまって、もっともなことながらパルメニオンにそうみえたよりも彼にはずっと確実なものと勝利を考えさせ、したがってまたより高尚な返答を吹き込んだに違いない。
チムールがオスマン帝国の軍勢が壊滅したばかりのスミルヌ2)の城壁の下に旗を立てたとき、彼は企ての難しさを感じていた。キリスト教ヨーロッパが絶えず補給できた場所を攻撃していることが、よくわかっていた。しかし、この企てに彼を駆り立てて、栄光への情念がそれを実行する手段を彼に提供した。彼は河川の淵を埋め、海とヨーロッパ勢に対して堤を築き、スミルナの突破口の上に勝利の旗を掲げ、驚く世界に対し、偉人には何も不可能ではないことを示す(a)。
リュクルゴスがラケダイモン〔スパルタ〕を英雄の強国にしようと思ったとき、知恵と呼ばれるものののろい、そして不確実な歩みにしたがって、そこに目に見えない変化によってそれが起こることを人はみなかった。この偉人が、徳の情念に燃えて感じていたのは、演説あるいは想定された神話によって、彼自身が熱を入れていた感情を同国民に吹き込めるということであった。熱の最初の瞬間を利用して、統治の体制を変え、この民族の習俗に独自の革命を起こさせるということであり、それは思慮の通常の方法では、長年続けることでしか実行できないような革命である。彼が感じ取ったのは、情念は、突然の噴火が河床を一度に変えるような火山に似ていることである。技術は新たな河床を穿ち、したがって巨大な時間と労働の後でしか川の向きを変えられないのだが。こうして彼はかつて抱かれたたぶん最も大胆な、また分別くさい人ならみな実行をやめるような企てにおいて成功するが、分別というこの資格は、強い情念に動かされることができず、それを吹き込む技術をいつも知らないことによるに過ぎない。
これらの情念は、熱狂に火をつける手段の正しい評価者なのだが、しばしばその使用人を持っており、それは分別くさい人々が、この点で人の心を知らないので、成功の前には、いつでもこどもっぽく滑稽だとみなしたものである。ペリクレスは、敵へと進み、自らの兵士たちをみな英雄に変えようと思い、暗い森の中に隠し四頭の馬車につながれた車の上に、極度に背の高い男を載せたが、彼は高価な外套で身を覆い、輝く長靴で足を飾り、まばゆい髪を頭にのせ、突如軍隊に現れ、その前をだっと通りながらこの将軍に叫ぶ、「ペリクレスよ、汝に勝利を約束する」。このときペリクレスが用いた方法がこのようなものである。
エバミノンダスは、ある神殿に足止めされていた軍を野戦に起たせ、テーベの守護神たちが、敵と戦うために翌日来るべく武装している、と兵士たちに確信させた。このときエバミノンダスがテーベ人たちの勇気を振るいたたせるのに用いた方法がこのようなものである。
最後にジシュカ3)は、死の床でもなお、彼を迫害したカトリックに対する最も激しい憎しみに動かされて、彼の死後ただちに自分の皮をはぎ、それで太鼓をつくるように命じ、それをならしてカトリックに対して歩むたびに勝利するであろうと約束し、成功によっていつも正当化されたが、この命令がそうしたものである。
それゆえわかるが、最も決定的で、偉大な結果を生み出すのに最も適した方法は、分別くさいと呼ばれる人々にはいつも未知で、情熱的な人々によってだけ気づかれ得るのであり、彼等は、あの英雄たちと同じ環境におかれたならば、同じ感情に動かされたであろう。
大コンデの名声に帰すべき敬意がなければ、何らかの記憶すべき言行によって卓越することになるであろう兵士たちの名を各々の連隊において登録させるという、この公がかたちづくった計画は、兵士たちにとっての競争心の芽とみなされるであろうか。この計画が実行されなかったことは、その有用性がほとんど知られなかったことを証明しないであろうか。著名なフォラール騎士4)のように、兵士に対する演説の力を、人は感じないであろうか。士官たちが結集させようとしても無駄であった若干の軍隊の遁走を目にして、将軍ヴァンドーム氏5)は逃走兵たちのただ中に乗り出し、士官たちに叫んだ。「兵士たちに任せよ。この軍隊が行って再結集すべきなのはここではない、あそこ(百歩離れた樹木を指し)だ」と。この言葉のまったくの見事さもまた、誰もが認める。彼はこの弁舌で、兵士たちにその勇気へのどんな疑いも垣間見せなかった。彼はこの方法によって、羞恥心と名誉の情念を彼等に目覚めさせたのであり、彼等はそれを彼の目になおも保てるものと信じたのである。それがこの敗走兵たちの足を止め、再結集して戦闘と勝利に導く、唯一の方法であった。
ところで誰が疑おうか。こうした弁舌が性格の表れであることを。また一般に、熱狂の火で魂を熱くするのに偉人たちが用いたすべての方法が、情念によって吹き込まれたものであることを。マケドニア人に対してより多くの自信と敬意を刻むために、アレクサンドロスが〔神〕ユピテル・ハモンの息子であると自称するのを正当化したであろうような、分別くさい人がいるか。ヌマがニンフのエジェリと秘かに交渉しているふりをすることを正当化したであろうような。ザモルクシス、ザレウコス、ムネヴェ6)が、ウェスタ、ミネルウァ、メルクリウスの霊感を受けたと自称することを。マリウスがよい冒険について口先女を自分の供に連れて行くのを。そして最後にデュノワ伯7)がイギリス勢に勝利するために、一人の少女を武装させたことを。
自分の思想を普通の思想の上に高める者はごく少ない。自分が考えていることを敢て実行し言う者はさらに少ない(b)。もし分別くさい人々がこうした方法を用いようと思っても、ある種の機転と情念についてのある種の認識がないので、それを巧みに適用することはけっしてできないであろう。彼等は踏み固められた道を行くようにできている。そこから離れると道に迷ってしまう。良識ある人は、怠惰が性格を支配する人である。第一線にあって、世界を動かすばねを偉人に作らせたり、現在のなかに将来の出来事の種を撒かせたりするような、あの活発な魂に恵まれた人ではない。だから将来という本は、情熱的で栄光に飢えた人にだけ開かれる。
マラトン〔の戦い〕の日に、ギリシャ人でテミストクレスだけがサラミスの戦いを予見し、アテネ人を航海に訓練させて、勝利を準備するすべを知っていた。
啓蒙された人というより分別くさい人である監察官カトーが、元老院全体とともに、カルタゴの破壊に固執したとき、なぜスキピオは一人この町の破壊に反対したのか。彼一人がカルタゴを、ローマにふさわしい好敵手として、またイタリアに満ち溢れようとしていた悪徳と腐敗の急流に抗い得る防波堤としてみなしたからである。歴史の政治的研究に専心し、名誉をつまり栄光への情念によってだけ可能なあの疲れる注意を習慣づけ、彼はこの方法によって、一種の予見者に至ったのである。だから彼は、この世界の主がすべての王国のがれきの上に自らの王座を高めたまさにそのとき、落ち込もうとしているすべての不幸を予言したのである。だから彼は、マリウスやスラのような〔国家を内から滅ぼす〕者が四方から生まれるのをみていたのである。だから彼は、ローマ人がいたるところで、勝利の桂冠しか認めず勝鬨しか聞かなかったときに、〔マリウスやスラによって乱発された政敵〕追放の忌まわしい一覧表が公表されるのを既に耳にしたのである。水夫は、穏やかな海を見て、西風が優しく帆を膨らませ海面にさざ波を立てるのを身、能天気な喜びに身を委ねても、注意深い水先案内人は、水平線の端に、間もなく海をさかまかせるはずの突風が上がるのを見るときがあるが、この民族はこの〔カルタゴに勝った〕とき、こうした水夫達に比べられるものであった。
ローマの元老院がスキピオの勧告を重視しなかったのは、過去と現在の知識によって将来の知識を得る人々がほとんどいないからである(c)。柏の木が成長しても枯れても、その陰に這う短命の虫には感じ取れないように、帝国は大部分の人には一種の不動状態で現れ、彼等は予見的な配慮を免れさせると思い込ませる自らの怠惰には好都合であるだけにいっそう、この不動性という外観に好んでしがみつく。
精神においても自然においてと同様である。民衆は海はいつでも海底に結びついていると思うとき、賢者は海が順々に広大な諸国を覆い浸し、車が最近通っていた平原を舟が行きかうのを〔あり得る将来として〕みてとる。民衆が山を雲の上に等しい高さの頂を保つとみるとき、賢者はその誇らしげな頂が、幾世記ものあいだに絶えず形を変え、谷に崩れてそれをその土で埋めるのをみてとる。しかし、精神的世界を自然的世界と同様に、継続的で永続的な環境を再生のなかにみて、諸国家の転覆の諸々の遠因を認められるのは、省察に慣れた人々だけである。一寸先の闇の迷路を見通すのは、情念の鷲の目である。天が晴れ気が澄んでいるとき、都会人は嵐を予見しない。注意深い耕作者の利害関心ある目が見て恐れるのは、かすかな蒸気が地上から昇り、上空で凝縮し、黒雲で覆い、重なり合ったその横腹が間もなく雷光と雹を吐き出し、作物を荒らすであろうことである。
各々の情念を個別に検討されたい。みてとれるであろうことは、すべてが常に、その探求の対象に関してはとても啓蒙されていることである。情念だけが時折、無知のために偶然に帰せられる因果関係を認められるということである。したがって情念だけが、各々の発見が必然的にその国境を縮めるこの偶然の帝国を狭くし、またたぶんいつかは完全に滅ぼすことができる、ということである。
貪欲や恋といった情念が把握させ遂行させる観念や行動が一般にはほとんど評価されないのは、それらの観念や行動がしばしば精神の多くの組み合わせを要求しないからではない。どちらも公衆にはどうでもよいか有害でさえあるかであって、公衆は、第二部で私が証明したように、自分に有用な行動や観念にしか、有徳とか精神的とかの称号を与えない。ところで、栄光への愛は、すべての情念の中で、この種の行動と観念とを常に吹き込める唯一のものである。東洋のある王が次のように叫んだとき、この情念だけが彼を燃え立たせていた。「奴隷のような民衆に命令する君主に禍あれ。ああ! 神々と英雄たちがかくも渇望する甘美なる正しい賞賛は、彼等のためにつくられてはいない」。彼はさらに言う。「ああ、とても卑しくて、自らの主を公然と非難する権利を失った民衆よ、汝らはその主を賞賛する権利も失ったのだ。奴隷の称賛は疑わしい。奴隷を統治する者は、自分が評価に値するか軽蔑に値するか常に知らない! しかしてこの不確実の刑に委ねられて生きることは、高貴な魂にとっては何という責め苦か」。
こうした感情は、栄光に対する情念を常に前提する。この情念は、あらゆる分野の天分と才能ある人々の魂である。彼等が時折人間精神にふさわしい唯一の仕事として自らの技芸に対して熱狂するのは、この欲望のためである。この意見によって彼等は分別くさい人々によって馬鹿扱いされるが、啓蒙された人によってはけっしてそう考えられないのであり、啓蒙された人は、彼等の狂態の原因のなかに、彼等の才能と成功の原因を認めるのである。
本章の結論は、あの分別くさい人々、凡庸な人々のあの偶像は、情熱的な人々に常にとても劣っているということである。私達を怠惰からひきぬき、精神の優秀さが結びついているあの連続的な注意力を唯一私達に与えられるのは、強い情念であるということである。この真理を確認するために残っているのは、著名な人々の列に入れられるのがもっともな人々でさえ、もはや情念の火に支えられていないときは、最も凡庸な人々の部類に舞い戻ることを次章で示すことである。
【原注】
(a)グスタフ〔・アドルフ〕についても同じことを言おう。軍と砲の先頭にいて、冬が海面を凍らせる時を利用し、この英雄は凍った海を渡ってゼーラントに下る。彼の士官同様、彼が下りていくのにたやすく対抗できることはわかっていた。しかし彼等以上にわかっていたのは、賢明な大胆さはほとんどいつも、通常の人々の予見の裏をかくということであった。そして至上の大胆さが至上の思慮である場合がある、ということであった。
(b)しかしながらそういう人々だけが人間精神を進ませる。少しでも失敗したら民衆の幸不幸に影響し得るような統治の問題でなく、学問だけの問題であるなら、天分ある人々の誤りでさえ公衆の賛辞と感謝に値する。なぜなら学門においては、無数の人々が間違うことが、他の人がもはや間違わないためには必要だからである。次のマルティアリス8)の詩は彼等に適用できる。
間違エナカッタラ、モットデキナカッタ。
(c)しばしば現在の小さな善で、その中に将来の大きな悪を発見する高尚な天才を、盲目的に国家の敵扱いする国民を酔わすのに十分である。その天才に「不満分子」という汚名を浴びせて悪徳を罰する美徳だと想像するのである。しかしてそれは実に多く、才気を嘲笑する愚劣さに過ぎない。
【訳注】
1) パルメニオン(Parmenion,c.BC.400-330)はマケドニアの貴族でフィリッポス二世の将軍。アレクサンドロス大王の東征に副指揮官として従軍し戦功。彼の子フィロタスの陰謀事件から大王と不和になり、殺された。
2) スミルヌは現イズミル(Izmir)でエーゲ海に面するトルコの町。1330年からトルコ領、1344年からロドスのフランス騎士団が領有したが、1402年にチムールはこの地を奪った。(1424年にオスマン帝国が奪還した。)
3) ジシュカ(Johann Ziska,c.1370-1424)はベーメンのフス派の指導者。フスの火刑(1415)後、皇帝軍に数度勝利した。
4) フォラール(Jean-Charles Folard,1669-1752)はフランスの将校。
5) ヴァンドーム(Vendôme)はフランスの貴族だが、Louis Joseph,1654-1712か、その弟Phillippe,1655-1727か。
6) ザレウコス(Zaleukos)は古代(前七世紀半ば)ギリシャ(南イタリア)の立法者。
7) デュノワ(Dunois,c.1403-68)はフランスの軍人。英仏百年戦争ではオルレアンを固守し、ジャンヌ・ダルクを助けて各地でイギリス軍を破り、フランスの勝利に導いた。
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