哲学は科学ではない(哲学の現在第一回:『メテウス』会報第21号)
ちかごろ『哲学史』を上梓した(行人社、2018)。これをテキストとした学習会を主宰している。これには私を含め何人かの「メテウス」会員も参加している。似たような、つまり哲学的な問題に関心を持つ社会人による勉強会は前から行っている。そのなかでだんだん感じられるようになったことの一つに、「哲学」になじまない人が思っていた以上に多いということがある。直近では『共感の思想史』(創風社)『共感を考える』(同)『入門政治学』(東信堂)といった拙著を用いたので、哲学的領域も多いが分野にとらわれない勉強を志向していたのだが、「哲学史講座」になったことでより強く感じられるようになった。これはある意味では当たり前のことである。こちらは「哲学科」に入って出た後も同業者と「学ぶ」ことが多かったわけだが、それは世間のごく一部に過ぎないので、多くの人がそれほど「哲学的」でないのにいまさら驚くのが井蛙の見というものであろう。とはいえ資格を得られるわけでもない勉強会に来るのであるから、学ぶことや考えることが嫌いという意味で「非哲学的」というわけではない。むしろまじめかつ熱心であり、「哲学」に対しても関心や意欲が強い人々である。にもかかわらず私が哲学に「なじまない」と言ったのは、哲学を「科学」的にとらえようとすることである。
そのなかには、もっぱらまたは過度に「真偽」を追究する人々がいる。これは自然科学的知識への関心が強いか、その方面を既に学んできた者に多い。そのことは哲学の本質でないことがわかっておらず、科学の延長として哲学をイメージしているのである。高校の教科書も、この点を以下のように注意している。「これ〔科学〕に対して、哲学は、この人生、この現実が全体として何であり、またいかにあるべきかを問題にする。このようなことがらは、純粋に客観的な知識とはなりえず、各人一人ひとりがみずからの人生を生きつつ、それに向かって問うなかで明らかにされていくことである。したがって、哲学においては、自分自身にかわる問題として主体的に問うという態度が何よりも大切」(竹内整一・他著『倫理』東京書籍、2018、40頁、下線は引用者)と。また社会科学的思考の強い者やその分野を既に学んだ者は、哲学上の思想を真偽の問題とはしないが、もっぱらまたは過度に社会現象としてとらえ、何々哲学はこの時代のこの階級の思想である、というような解明をすれば事足れりとしがちである。哲学において真偽の問題がどうでもいいものではないように、こうした社会性の解明は重要ではある。しかしそれも「主体的」態度ではない。この時代に生まれこの環境で育ったので私は民主主義や男女平等を支持する、と言っても、そう言われたときの「私」は客体であって主体でない。
しかしそれなら哲学は宗教や趣味と同じなのか、と科学派は問う。客観的知識よりも主体的選択、という意味ではこれらは重なっている、と言ってよい。科学派はこれに、一元論か多元論か、実在論か不可知論か、といった論点は「一人ひとり」の選択であると仮に認めるにしても、ファシズムか民主主義かといった論点で、サッカーか野球かと同じではまずいのではないか、と言うかもしれない。これに対し、ポストモダン派はいや同じなのだと開き直り、他の多くの哲学は同じではないが、しかし科学とは違うやり方で扱われる、と答える。それらについての私の考えは機会が与えられれば別に述べることにして、ここで問題にしたいのは、たとえばファシズムの「偽」を科学的に示すべきだという科学派の考えである。哲学も科学にしようという哲学もあることは客観的事実であり、そのなかで現時点で有力なのは功利主義系であろう。勉強好きな科学派はベンサムの快楽計算はむしろ発想の基盤として、脳科学、ゲーム理論、ダーウィニズムによって、思想や社会の「妥当性」や「進化」を「説明」することに喜びを覚える。「主体的選択」が前提している「自由意志」は幻想なのであり、人間は脳内物質によって本質的に決定されている。対人行動は自らの快楽または「効用」を最大化するための戦略としてとらえられる。すぐれた社会制度とは、そのような各個人が「合理的」行動をしたときに、プレイヤー総員の利得が最大化されるようなものである。そしてそうでないものは淘汰されることによって社会も進化していく、という世界観・人生観である。
みてのとおり、ここには、道徳原理、自由意志論、社会思想、歴史観といった、伝統的哲学の諸問題もかかわっている。よってこうした世界観・人生観を、単に非哲学として門前払いするわけにもいかない。それらがいま強くなった理由をまさに科学的にも解明しつつ、哲学の問題としても対峙しなければならない。近頃の私の課題であり、苦しみである。
Metis(メーティス)とはギリシャ神話に語れている「英智の女神」を意味します。
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