討ち入りの諸論点から(哲学の現在第二回:『メテウス』会報第22号)
いわゆる赤穂義士による吉良上野介への討ち入りの是非に関しては、いろいろな議論がなされている。以下はそれを整理しつつ自ら考えてみたい。
まず復讐を完全に否定すれば討ち入りは悪である。よってここではこの立場は考慮しない。復讐の是非はもちろん論議に値する問題だが、そのためにはわざわざこの問題をとりあげる必要はない。個別の問題を理論的に考察する場合には、ちゃぶ台返しは避けるべきであり、仮に前提そのものを否定するにしても、まず内在的に批判したうえで、そうなる以上前提を変えねばならない、と戻すべきである。同様に「封建的主従関係」をここで批判しても始まらない。かたき討ちをありうべきものとし、君臣関係を前提したうえでも、この討ち入りを非とする思想家は当時からいた。
吉良は浅野のかたきではないという批判論が、荻生徂徠や太宰春台などからなされている。浅野は吉良に殺されたのでなく、幕府による処罰として死刑になったからというのである。これに対して浅見絅斎は、直接の原因は幕府による処罰でも、そのもとにある本質的原因は吉良の振る舞いが浅野にとって許せぬものであったことで、彼にとって問題なのは吉良に対する遺恨を晴らすことであり、義士たちがそれを継ごうとしたのは当然であると答えている。これはもっともな論理である。かたき討ちをする者は、誰のかたきというその「誰」の恨みを果たすことである。不当な死の原因を究明するという合理的行為ではなく、恩義ある者の気持ちにこたえる、というのが道徳では優位になりうる。(浅野が、もっともな理由で吉良への刃傷に及んだことと遺志を家臣に託したこととは史実としては確証がないが、これも前提とする。)片手落ちという意味で幕府の裁定が不当であっても、それをただすということは陪臣である赤穂藩士の権能には属さない。
以上によってもまだ問題は残る。仮に浅野が死罪にはならなかったが、吉良をうてずに辱めを受けたままとなり、家臣に仇討ちを命じたとしたならば、今までの前提では彼等はそうすべきとなる。現実がこれと違うのは主君は死にお家は取り潰されたということである。これが意味するのは、その時点で大石らは旧赤穂藩士の浪人に過ぎず、もはや家臣ではないということである。それでも仇討すべきか。
法的には、そこまでする「義務」はない。大石らも、旧家臣は皆そうすべきだとは思っておらず、加わらなかった者(そのほうがずっと多い)を咎めていない。不参加者を非難した世人も、それを不法行為としてでなく不徳義な行為としてであった(その非難にはもっともなものも不当なものもある)。ここで明らかになることの一つは、道徳は伝統主義的であり得るが、法律は「いま生きている人」中心主義だということである。現在の法律でも、遺産相続は義務でなく放棄できる。これが行使されるのはふつう負の遺産、つまり借金を相続しないためである。法律だけで是非をいう立場に立てば不参加組は非難すべきでなく、むしろ参加組が違法行為として非となる。しかしそのような法律万能論はごく少数の奇論であろう(「セクハラ罪はない」という理由で配下を弁護した某大臣などはこれに属するかもしれないが)。一般的には法律は最低限の道徳と位置付けられている。法的義務でないが道徳的な行為がある(よきサマリア人のごとく)ように、違法ではなくても不道徳な行為もある。
しかしここで問題なのは、この討ち入りは道徳的であるとともに(許可を受けていないので)不法であることである。幕府の処置を正当とみなす林信篤は、士の道からは褒められるべき(打ち首論を退ける)で、法を犯した点で処罰されるべき(放免論を退ける)と、道徳的不法を認める。個人倫理としてはどうか。アイヒマンは合法であるがゆえに正当だとするのはごく少数で、道徳的不法もあり得ると認められるのではあるまいか。
伝統主義や道徳主義が最悪の結果をもたらした時代の体験者である丸山眞男が徂徠を評価したのは、政治的立法行為を正当性の源とする近代主義の先駆としてであった。十分理解できるし、正しく評価すべきであるが、今日では足りないところも考えてよいであろう。徂徠は討ち入りを義と認めないが、直方と違って情において酌量すべきとした(『四十七士の事を論ず』、なおいわゆる徂徠義律書は偽書であろう)。彼の学派は、法令の徒と文芸の徒に分裂した。現代哲学でローティが、社会思想ではハーバーマスやロールズに賛成しつつ、ニーチェやハイデガーを趣味の問題として両立できると言う(拙著『共感を考える』参照)のを思わせる。プラグマティズムとはそんなものだと言えばそれまでだが、それでいいのだろうか。個人の趣味とすべき事柄(たとえば文芸)と、公共的外的規範の領域(法)との間の橋渡しの機能として、倫理や哲学があるのではなかろうか。
≪画家説明≫Catia
Chienは、ブラジルのサンパウロに生まれ野生動物とトロピカルフルーツに囲まれて育った。2004年に米国カリフォルニア州パサデナのArt
Center College of
Designを優等で卒業、現在はニューヨークのアートスタジオでイースト川と古い鉛筆工場の眺めを楽しみながら創作に励んでいる。Random
House、Candlewick、Panda Press、Penguin、Houghton
Mifflinなどのイラストを手掛けている。子供向け書籍の『The Longest Night』でSydney Taylor金賞、『Sea
Serpent and Me』でSociety of Illustrators LA金賞を受賞。
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