哲学の端緒は「驚き」ではない(哲学の現在第三回:『メテウス』会報第23号)

 

哲学のはじめは「おどろき」であると言ったのはアリストテレスである。哲学の教科書や入門書のなかには、まるでこれが証明を必要としない公理か、哲学者すべての一致した見解であるかのように記してあるものがある。しかしこれはあくまでアリストテレスの意見に過ぎない。タレスをはじめ、彼以前の哲学者で明示的にこう言った者はいない。また内容的に考えて、たとえばソクラテスなどは明らかに異なる考えであろう。私自身もそうである。では何が哲学の端緒かと言われれば、一語で表すのは難しくはある。ただたとえばアウグスティヌスならば、幸福の追求といったところになろうが、こちらのほうがずっと腑に落ちる。

しかしアリストテレスが驚きを端緒としたのは「誤謬」というわけではなく、彼としては真実なのであろう。つまり哲学の端緒は一つではない。幸福の追求は彼の倫理学の主題になっており、つまり彼にとってどうでもいいことではない。しかしそれが彼の哲学全体の端緒でないということは、それが彼には最も重大なことではないということである。自分を不幸と嘆いている人や、自分の生き方に悩んでいる人ではないということである。つまり最も根本のところでは、満足しており、悩んでいない人なのである。そのような人にとっての驚きとは、単に知識欲を満たしたいということを出ない。彼は、「ただひたすら知らんがためにであって、なんらの効用のためでもな」いと言う(『形而上学』982)。この言い分は憎い。

批判の立場はいくつかある。アウグスティヌスやパスカルらからすれば「知のための知」の追求は、肉欲や権力欲とならぶ邪欲である。この批判は了解できるが、蒙昧主義(この二人はそうではないが)や、宗教的信仰の優位を前提させるものならば賛同できない。アリストテレスが、この知のための知を、生活に不自由せず安楽な暮らしが備わって可能になった、とぬけぬけということを憎む立場も了解できる。ただそこから、つまりしょせんそのような哲学は奴隷所有者階級のものであって現代の勤労者のものでない、というのは清算主義であり、器が小さすぎる。私としてはただ、人生に苦しみ悩み、なんとか救われたいともがいている者として、彼の余裕のすがたが憎らしいのだ。

むしろここでアリストテレスが、「純粋な観想」に対置するかたちで「生活の必要」を挙げることから判明するのは、彼がカントの言う「実践的」と「実用的」の区別をしないことである。彼の「実践哲学」が、カントの言う仮言的な問題設定になっている、つまり究極目的は与えられたうえでそのためには何をなす「べき」かというかたちになっていることである。カントの「実践理性の優位」に加えて、ハイデガーによる「好奇心」への批判も、「理論哲学」優位への批判と言える。ハイデガーがこれを、「世人」の「おしゃべり」などとともに「退落」とする構えと表裏一体の、彼特有の大衆蔑視は逆に批判されなければならないが、実存的な関心が知に先行するのが「本来的」だという主張は肯ける。

アリストテレスは最終目的や究極価値がなんであるかについてはあまり悩まず、彼の実践哲学(広義の倫理学)は問題の整理整頓や技術(テクネ―)の知という位置づけになり、ここから理論哲学なかんずく存在論が「第一哲学」とされる。これに同意しない私としては、むしろ倫理学が第一哲学だと言うレヴィナスに賛成する。アリストテレスの用語を使って(『分析論後書』71等)妥協をはかれば、存在論は「それ自体として先なるもの」であり、倫理学は「私達にとって先なるもの」と言えるかもしれない。しかしそれでもずれは残る。彼が「私達にとって先なるもの」というのは、認識の立場にたっての感覚などのことであり、ハーバーマスのいう「認識関心」ではないからである。

哲学の端緒は驚きではない。「驚きをはじめとする哲学もある」、が教科書ならせいぜい言えることである。そのような哲学とそうでない哲学とがあることを記し、どこからその違いが生じるのかを考えさせるならば、哲学書として悪くはあるまい。

苦悶や懐疑や絶望から考えないではいられない人、それらは特になく、ただ不思議な物事にうたれまたは興味をひかれ、知識を増やしたり疑問を解き明かしたりすることに、それ自体として大きな喜びを感じる人、両者の溝は、実人生においても、哲学においても、とても深い。



添付画像












左がプラトン、右がアリストテレス(手前に寝転んでいるのは、ディオゲネス)
ラファエロ「アテナイの学堂」より


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2019/04/03 17:05 2019/04/03 17:05
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