哲学的疑問と哲学的感情(哲学の現在:第四回)

 

前回、私の哲学の端緒(したがってまた目的)を倫理的なものとした。これは、いま私にとっての哲学を整理するとこうなる、ということであって、私の人生における哲学の「端緒」の話ではない。「哲学者」になるような者の多くは、学校や書物で「哲学」に接する前から哲学をしていたと思う。私もまたそうであるが、しかし「哲学者」にならない者でも、何かしら「哲学的」な問題を考えたことはあっても、どこかでそれをやめる。今回はこども時代(から)の私をとらえた二つの「哲学的」問題にふれたい。

一つは、十歳くらいからのもので、世界はなぜあるのか、というものである。哲学者ではライプニッツなどが問題にしたようだ。今日では私はこれは考えないようにしている。なぜなら問題として成立していない、言い換えれば「答」が出る「問」ではないからである。「なぜあるのか」の答え方の一つは、目的を答えることである。しかし世界はある目的のためにつくられて存在するのではない(。これへの異論はある。しかし理由は略すが、私は今日では多数派のものであるこの考えに与する)。もう一つの答え方は、原因を答えることである。しかしAの原因がBであるということは、AとBの両者の「存在」が前提でその関係を述べている。「世界」とは「存在するものの全体」であるから、その原因となるような他の「存在」はない。それを「無」と言っても、無が存在の「原因」だとはどういうことか了解できない(。これも了解できるという人もいるが、私は多くの人同様それは無理と考える)。だから私はこのことを「考えないようにしている」と書いたが、「考えない」とは書かなかった。考えても答えができないと了解しても、この問いを出させた「気持ち」はなくならないのである。よってこれは論理的「問題」というより「感情」であろう。それを強いて言葉にすれば、「世界はなぜあるんだ(むしろ無でなく)?!」とでもいうものになる。論理的にも倫理的にも無益としておさえようとしつつ、五十年後の私も時折この感情に襲われてしまう。

もう一つは、漠然としたかたちでは六歳ころからで、第一のものよりも強く襲う、自分はなぜあるのか、というものである。目的や使命という意味での自分の「存在理由」の問題ではない。自分はなぜこの家、この国、この時代等々に生まれたのか、を不思議と思う者はたまにいる。つながる面もあるが、それを言うならそもそも自分(というもの)の存在自体が不思議ではないかと思うのだ。しかしそれを問題にした一般人には会ったことがない(。哲学者では永井均氏あたりがとりあげているかもしれない)。これに対して、この「自分」がたとえば山田太郎なら、山田家に生まれたこどもに太郎という名が付けられ、かくかくの遺伝子としかじかの環境を受けてこの心身を持った山田太郎がいま存在するのであって何の不思議もない、と答える者もあろう。しかしそれが必然だとしても(実際には偶然もあると考えるが)そのようにして生まれたその山田太郎が「この自分」である必然性はない、ということを問題にしているのだ。もっと字数を使った説明ができても、ちょっと何言ってるかわからない、という「サンドイッチマン」状態の者もいるだろう。気にせず同じことを裏から言うと、その山田太郎とは別に、「この自分」は木村拓哉であってもクレオパトラであってもいいし、世界(の実在は認めるとして)のいつどこにもそんなものは存在しなくても何の不都合もない、ということである。この問題も「答」の出しようのない「問題」であると考える。同時にまた、そのような「偽問題」の烙印によっても「解決」したという感情にはならない。

どちらも、なぜそんな感情が起こるのか、という心理学的問題に変更すれば答えは簡単である。世界や自分の存在に違和感や恨みを覚える者の感情なのである。元気はつらつな人は、肝臓がどこに存在するのか、人間には胃がいくつ存在するのか、無関心でいられる。その違和感や恨みの原因をさらに問うこともできようが、いずれにしてもそのことでもとの問題が答えられたり解決したりするわけではない。

誤解されないように強く言いたいが、私はこれらの問題を哲学的に重要とするのではない。哲学の中にも外にも、考えるべき大事なことはほかにいくらでもある。こういうことに関心がない者や聞いてもぴんと来ない者は程度が低いなどとはまったく考えない。ではなぜ書いたかというと、哲学者としての私のなかにはこのような面もあるということをどこかで記しておきたかったことが一つである。より大きな理由としては、もしかして同様な問題ないし感情があり、それを持つことで悩んだり恐れたりしている者がいるとしたら、似た者の存在を知ることで荷が軽くなればよいと思うことからである。


添付画像
≪画家説明≫Catia Chienは、ブラジルのサンパウロに生まれ野生動物とトロピカルフルーツに囲まれて育った。2004年に米国カリフォルニア州パサデナのArt Center College of Designを優等で卒業、現在はニューヨークのアートスタジオでイースト川と古い鉛筆工場の眺めを楽しみながら創作に励んでいる。Random House、Candlewick、Panda Press、Penguin、Houghton Mifflinなどのイラストを手掛けている。子供向け書籍の『The Longest Night』でSydney Taylor金賞、『Sea Serpent and Me』でSociety of Illustrators LA金賞を受賞。





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2019/06/04 08:09 2019/06/04 08:09
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