第二部 第7章 個別的社会との関係における精神について

 

 ただ一人の人間との関係における精神について言ったことを、個別的社会との関係において考察された精神についても、私は言おう。それゆえこの件で、同じ証明の疲れる細部は繰り返すまい。同じ原理の新たな適用によって、各社会が他の社会の観念を評価したり蔑視したりするのは、各個人と同様、そうした観念が、自らの情念、自らの分野の精神、そして結局その社会を構成する人々が世間で占めている階級との間に、適合するかどうかによってのみであることを、示すだけにしよう。

 シバリス人1)のサークルの中に行者を生み出してみると、この行者は、官能的で甘美な魂の持ち主が、想像上の福利を追求するために現実的な快楽を失う人に対して抱く、あの軽蔑の哀れみでみられるのではなかろうか。征服者を哲学者たちの隠遁所の中に入り込ませれば、彼等の最も深い思弁を彼が浅薄さとして扱うこと、自分を偉人とする魂が卑小と信じる魂に対して、また権勢家が弱者に対して抱く尊大な軽蔑で彼等を眺めることを、誰が疑うであろうか。しかし今度はこの征服者を、柱廊に移してみよう。憤慨したストア派2)が彼に言うであろう。「慢心者め、自分より高尚な魂を軽視する汝は、汝の欲望の対象が、ここでは我々の軽蔑の対象であることを学べ。高い視点から地上を観照する者には、偉大にみえるものは何もないことを学べ。」古い森の中で、旅人が腰掛ける杉の根元からその頂は、天にも届くように見える。鷲が飛ぶ雲の高みからは、背の高い大樹林も地を這うヒースのようであり、鷲の目には、平原に広げられた緑の絨毯しか示されない。このようにしてストア派から傷つけられた自尊心は、野心家の軽蔑で復讐するであろう。そして一般に異なる情念に動かされている者すべては、このように互いを扱うであろう。

 物語に描かれたあの有名なクレオパトラは、その多くの美点、魅力的な才気、さまざまな甘言で各自その愛人に、浮気の喜びを味わわせた。そして要するに、その第一の享受は、エシャール3)が言うには、第一の恵みにほかならなかった。そのような若く、美しく、粋な女性が、老いと醜さとのために貞節が保障されているあの貞淑ぶる女たちの集まりにいるとしよう。彼女の優雅さと才能とは、そこでは軽蔑されよう。醜さの盾の後ろで誘惑から守られて、これらの貞女気取りは、恋の陶酔がどんなに快いかを感じない。美しいなら、愛人を無数の密かな餌で信じさせるという欲望に抵抗するのは、どんな労苦を要することであろう。それゆえ貞女たちは、この美女たちに怒り狂い、彼女らの弱さを最大の犯罪の列に入れるであろう。しかしこうした貞女の一人が、今度は浮気女のサークルに現れるなら、若さと美しさとが老いと醜さとに払うべきどんな思いやりもなく扱われるであろう。彼女の淑女ぶりに復讐しようと、人は彼女に言うであろう。愛に屈する美女も愛に抗う醜女も、二人とも虚栄という同じ原理に従っているに過ぎない、と。愛人において、前者は自分の魅力の称賛者を求め、後者は自分の不格好の密告者から逃げているのだと。そして二人とも同じ動機に動かされており、貞女と浮気女との間には、美しさの違いしかない、と。

 こういう次第で異なる情念は互いに侮辱し合う。それだから栄光ある者は、凡庸な身分の中に真価を認めず、これを蔑み、これが自分の足元にはいつくばるの見ようとするが、今度は啓発された人々から軽蔑される。彼等はすすんでこう言うであろう。「無分別な者よ、功績も自尊心さえない人々よ、おまえは自分の何を自賛するのか。ひとから与えられる名誉をか。しかしひとが称賛するのはおまえの真価ではなく、おまえの豪華さと権力とだ。おまえ自身はとるにたらぬものだ。もしおまえが輝いても、それは主権者〔君主〕の寵遇がおまえを照らす光のためだ。沼の泥から湧き出るあの蒸気を見よ。大気に支えられると、輝く雲に変化する。それはおまえのように輝くが、太陽から借りた光輝による。太陽が沈むと雲の輝きも消える。」

 反対の情念に動かされている人々が互いに軽蔑の気持ちをひきおこすなら、精神的に正反対であることも、ほとんど同じ結果を生み出す。

 私が第4章で証明したように、他人の中に、自分のと類比した観念しか感じ取ることができないのに、自分のとあまりに異なる分野の精神をどうして賛嘆するであろうか。ある学問または技芸の研究によって、それなしでは知らないであろう無数の美点や難点に気づくならば、それゆえ私が「実感的」と呼ぶこの評価を必然的に最も多く持つのは、自分が開発した学芸に対してである。

 私達の評価は、他の学芸に対しては、それが自分の専門とする学芸に対してどれだけ近い関係を持つかに常に比例する。それだから幾何学者はふつう詩人よりも自然学者を評価するが、詩人のほうでは幾何学者よりも弁論家にいっそう評価を与えるに違いない。

 異なる分野の著名な人々が互いにほとんど尊重しないのがみられるのも、世間の最良の信念からである。彼等の側から常に相互的な軽蔑という現実(なぜなら軽蔑以上に忠実に支払われる負債はないからである)について確信するために、才人たちから漏れてくる話に耳を貸そう。

 公共広場に広がっている香具師に似て、その各々は称賛者たちを自分へと呼び、自分だけが彼等に値すると思い込む。小説家は、精神的に最も創意と精妙さとを前提するのは、彼の分野の仕事であると確信している。形而上学者は自らを、明証性の源であり自然の秘密を知る者とみなしている。彼は言う、「自分だけが、観念を一般化し、毎日自然と精神の世界に展開する出来事の芽を発見することができる。そして私によってだけ人間は啓発され得る。」形而上学者たちをまじめぶった馬鹿とみなす詩人たちが彼等に断言して言うには、もし真理がひきこもった井戸の中から彼等がそれをみいだすとしても、それを汲み出すのに彼等はダナイスの桶しか持っていない4)、彼等の精神による発見は疑わしいが、自分の精神〔才気〕による楽しみは確実だ、と。

  この三人が互いを少ししか尊重しないことが明らかになるのは、こうした言葉によってである。そしてもし、こうした争いにおいて彼等が政治家を調停者としたならば、彼は彼等すべてに言うであろう。「学芸はまじめくさった瑣事だし、小難しい遊び事でしかないことを学びたまえ。こども時代には、精神をもっと鍛えるためにそれに専心するのもよかろう。でも分別あるおとなの頭を占めるべきは、ただ諸民族の利害についての知識だけだ。他の対象はみな卑小で、卑小なことはみな軽蔑すべきだ。」と。そこから彼は、彼だけが万人の称賛に値すると結論するであろう。

 ところで、この項目をある最近の実例で終えるべく、一人の自然学者がこの結論に耳を貸したと想定しよう。彼はこの政治家に反論するであろう。「君は間違っている。精神の大きさを、それが考慮する対象の大きさだけで測るならば、本当に評価すべきなのは私だけだ。私の発見のただ一つが、諸民族の利害を変える。私は針を磁化しそれを羅針盤に入れる。〔すると〕アメリカが発見される。〔アメリカの〕鉱山を掘り、金を載せた無数の船が海を渡り、ヨーロッパに着く。そして政治世界の局面が変わった。いつも大きな対象に専心しているので、私がひとり黙って思念をこらすのは、諸政府の卑小な革命を研究するためではなく、全世界の革命を研究するためだ。諸国の宮廷のつまらぬ秘密でなく、自然の秘密を見抜くためだ。私はどのように海が山をつくり、地上に広がったかを発見する。私は天体を動かす力とそれが空に描く光の輪とを測る。天体の量を測り、地球のそれと比べる。そして私は地球の小ささに赤面する。ところでもし私が巣をそれほど恥じるならば、そこに住む虫けらに対してはどんなに軽蔑するか、判断したまえ。最も偉大な立法者も、私の目には蜂どもの王に過ぎない。」

 以上のような理屈によって、各人は自分が最も評価すべき種類の精神の所有者であることを自分自身に証明する。またこうして、それを他人に証明したいという欲望にかられて、才人たちは互いにけなし合うが、その際その各々が、自分が同類に吹き込む軽蔑に巻き込まれて、自分がその賛嘆の的になるはずであったまさにその公衆の嘲りの的になることに気づかないのである。

 しかも、各人が自分の精神に対して抱く有利な先入見を減らそうとしても無駄である。チューリップの花壇のそばにじっとしている栽培家は笑われる。彼は常にチューリップの咢の上に目をくぎづけにしている。彼はその栽培によって、自然に強いて描かせた色の繊細さと混じり方以上に称賛すべきものを、地上に何もみない。各人がこの栽培家である。栽培家が人々の精神を、花について自分が持っている知識に基づいて測るならば、私達は同様に人々に対する自分の評価を、彼等の観念と私達の観念との適合に基づいてだけ評価するであろう。

  私達の評価はこうした観念適合にとても依存しているので、誰でも自分を注意深く検討すれば気づかずにいないことは、もし一日のあらゆる瞬間に、同じ人を厳密に同じ程度に評価しないならば、自分の評価の測定器の永続的な変動は常に、日々の親密な付き合いの中で避け難い、これらの理由のいくつかのために違いないことである。だからその観念が自分の社会の観念と類比的でない人はみな、常に社会から軽蔑される。

 伊達男たちとともに暮らす哲学者は、彼等の社会には愚物であり笑い者であろう。彼はそこで最悪の軽演劇によって自分が演じられるのを見、その最も気の抜けた冷やかしがすぐれた言葉として通るのを見るであろう。なぜなら冗談が成功するのは、その作り手が繊細な精神を持つよりも、自分の社会に不快な観念だけを滑稽にするように注意すればよいからである。冗談は党派の仕事と同じである。それは常に一族郎党に称賛される。

 それゆえ、個別的社会相互の不当な軽蔑は、諸個人相互の不当な軽蔑と同様、ひとえに無知と自尊心との結果である。この自尊心は確かに責められ得るが、人間本性に必然的かつ内属的である。自尊心はきわめて多くの徳と才能との芽であるので、それを破壊することを望んではならず、弱めようと試みさえしてはならず、ただそれをまっとうな事柄に導くことだけが必要である。もし私がここで何人かの人の自尊心を嘲るとしても、私がそうするのは疑いなく、他の自尊心によってなのであり、それはたぶんこの個別的な場合には、かれらの自尊心よりもより一般的利害に一致するものとして、たぶんよりよく理解された自尊心である。なぜなら私達の判断と行為との正しさとは、私達の利害と公共の利害との幸運な合致以外のものではけっしてないからである(a)。

 もし、いろいろな社会がある種の見解やある種の学問に対して抱く評価が、情念と、その社会を構成する人々の精神の分野とにしたがって異なるものであれば、人々の身分の間の違いが、ほとんど同じ作用を生み出すことを、誰が疑うであろうか。またある種の階級の人々には快い観念が他の身分の人にはいとわしいことを、誰が疑うであろうか。軍人、商人が法律家たちの前で論ずるとしよう。第一の者は攻囲、陣営、軍事展開の技術に関して、第二の者はインディゴ、絹、砂糖、カカオの通商について。法律家たちが喜んで聞くのは彼等よりも、宮廷の策謀、行政特権、訴訟指導についてより多く、彼等の精神の分野が、彼等にとってより個別的に興味深いものにする対象すべてについて語ってくれる人であろう。

 一般に、身分が自分より低い相手は精神まで軽蔑される。ある市民〔bourgeois〕がどんな真価を持とうと、愚かな地位にあるならば、要職者からは常に軽蔑されるであろう。ドマ5)は言っている。「才人と愚かな大貴族の間には自然的区別があるとしても、市民と大貴族の間には公民的区別しかない。」

 それゆえ、いろいろな社会の中で組み合わさりつつ、無数の仕方で意見の驚くべき多様性を生み出すのは、常に私達の欲求、情念、そして精神の分野と身分との違いによって変容される個人的利害なのである。

 各々の社会がその口調と個別的な判断様式とを持ち、公衆の判断への恐れがこうした神格化に反対しないならばすすんで一柱の神にされたであろうような偉大な精神を持つのは、こうした利害の多様性にしたがってである。

 以上の理由で各人が調和する手段をみいだす。だからもし自分の社会の選択に注意するならば、真摯な称賛者によって与えられる賛辞の合唱のただ中で穏やかな生活をおくれないような愚か者はいない。だからもしいろいろな社会に入っていくならば、自分を順々に馬鹿、賢明、快適、愚劣、精神的などとして扱われるのをみないような才人はいない。

 いま言ったことの一般的結論は、個人的利害が、各社会において、事物と人物との真価の唯一の評価者であるということである。まだ残っているのは、なぜ社交界のような個別的社会から最も歓迎され求められる人々が、必ずしも公衆から最も評価されるわけではないかを示すことだけである。

 

【原注】

(a)利害が私達に対象を示すのは、それを認めることが私達に有用な様相だけである。公共の利害にしたがってそれを判断するときでも、名誉を与えるべきなのは、当人の精神の正しさや彼の性格の正義であるよりも、私達が公衆のようにみてとることに利害を持つような環境に私達をおく偶然にである。自分を深く検討する者は、自分があまりにしばしば間違いに陥るので、慎み深くあらざるを得ないであろう。彼は自分の知性に慢心しない、自分の優越を知らない。精神は健康のようなものである。持っているときにはそれに気づかない。

 

【訳注】

1)シバリス(Sybaris)はタラント湾に面した古代イタリアの都市。アカイア人によって前720年頃つくられた、マグナ=グラエキアで最も古い都市の一つ。住民は贅沢と放縦な習俗によって有名であった。

2)「ストア」という名は「柱廊」に由来する。

3)不祥。

4)ダナイスはギリシャ神話でダナオスの50人の娘。死後地獄で穴のあ いた容器で水を汲むことを命じられ、永遠に果たし得ないこの劫罰に服していると言われる。

5)ドマ(Jean Domat,1625-96)はフランスの法学者。主著『自然的秩 序における民法』(1689-94)は後のナポレオン法典の資料の一つとなった。パスカルの友でジャンセニスムの擁護者。



◆画像をクリックして「Amazon通販」より仲島先生の本が購入できます。 ↓
通常配送料無料



通常配送料無料



通常配送料無料


通常配送料無料


両性平等論 (叢書・ウニベルシタス)

フランソワ・プーラン ド・ラ・バール, de la Barre,Francois Poulain
通常配送料無料


通常配送料無料



2015/05/14 19:50 2015/05/14 19:50
この記事にはトラックバックの転送ができません。
YOUR COMMENT IS THE CRITICAL SUCCESS FACTOR FOR THE QUALITY OF BLOG POST