床屋道話50 俺はこういう人間だ(その二)
二言居士
「その一」(と記してなかったが同題の第46回、本誌第155号)は形式上の事柄を扱ったので、今回は内容面にふれよう。
小生が最も嫌うのは図々しさである。

だがみながそう感じるわけではない。おもしろいわねと単に興がる人もいる。生き物のたくましさと、むしろ感心の方向に向かう人もいる。それらはみなその人なりの反応であって、どれかが「間違っている」というようなものではない。小生が言いたいのは、そのような人さまざまなのが事実であるということと、そのなかでの「俺はこういう人間だ」と意識させられることである。
寄生という生物行為もある。他の生き物を捕食するということ自体、生物の業としていやな感じである。それも自分で頑張って食物を得るのでさえなく、もっぱら他の生き物の「生き血を吸う」ことで生存するとは、なんと卑怯なことかと思う。これも自分の個体だけでなく、宿主に卵を「産みつける」寄生生物もある。そして孵化すると宿主を最初の食料にしてしまうようなものもある。寄生動物というのはヴィジュアル的にも実に嫌らしい。「敵」であるから視覚的な「醜さ」を感じるようにこちらが「共進化」したのかと考えたくなるところだが、人間が自己に寄生する虫や菌などをはっきり知るようになったのはごく最近だからこの論理は成り立つまい。すると偶然そうであるのかと知的には興味深くはある。しかし考えさせられる前にまず目を背けたいのだが、生物学を学ぶと写真や図で見せられてしまう。そして生物への嫌悪を改めて確認していると、教科書の筆者はこんなことをすっと言う。「私たちは生き物に心惹かれる。〔…〕それはまず、私たち自身が生き物であること、〔…〕さらになにより、それら生物が驚くほどに精妙で、美しく、興味深く、〔…〕あるからではないか」(深津武馬:二河成男(編著)『生物の進化と多様化の科学』放送大学教育振興会、2017、206頁)。この言葉は、「俺はこういう人間だ」というのなら、そうですかですませられる。しかし「私たちは」とくくられてしまうとえぇっとひっかかる。「生きてるだけで丸儲け」を銘とする者もいるが、正反対に感じている者もいるのだ。

というわけで、小生は「たくましい」人間には好感を持ちにくく、「ヴァイタリティあふれる」人間には少し引いてしまう。「彼はそういう人間だ」と思って了解してもらえれば幸いである。



