精神論[1758年]
エルヴェシウス著・仲島陽一訳
第二部 第13章 いろいろな時代と民族との関係における徳義について
いろいろな時代と国すべてにおいて、徳義とは、自国民に有用な行為の習慣以外ではあり得ない。この命題がどんなに確実であっても、その真理をより明白に感じてもらうために、私は徳のはっきりした正確な観念を与えるように努めよう。
このためには、この件でいままでモラリストたちを二分してきた見解を示すとしよう。
一方の主張は、私達が徳について、いろいろな時代や政府から独立した絶対的な観念を持つ、というものである。徳は常に一つで常に同じだというのだ。他方の主張は逆に、各々の民族が徳について異なる観念をつくっている、という。
前者は、自らの意見の証拠として、プラトン主義の巧みな、しかし理解できない夢想を持っている。彼等によれば、徳とは、秩序、調和、ある本質的美の観念そのものにほかならない。しかしこの美は、彼等が正確な観念を与えることができない一つの神秘である。だから彼等は自らの体系を、人間の心情と精神とについて歴史が与えてくれる認識のうえに築くことがない。
後者、そのなかでもモンテーニュは、推理よりも強い性質の武器、すなわち事実によって、前者の意見を攻撃する。ある行為が北部では有徳だが南部では悪徳であることを示し、徳の観念は純粋に恣意的であるとそこから結論する。二種類の哲学者の意見はこうしたものである。前者は、歴史を顧みなかったので、言葉の形而上学という迷宮の中をいまだにさまよっている。後者は、歴史が提供する諸事実を十分深く検討しなかったので、偶然だけが人間の善悪を決定すると考えた。この二派の哲学者たちは等しく間違った。しかしそのどちらも、もし注意深い目で世界史を考察したならば、間違いを免れたであろう。そのとき彼等が感じたであろうことは、諸々の時代が必然的に、自然的なことにおいても精神的なことにおいても、諸帝国の様相を変える諸革命をもたらさざるを得ない、ということである。大きな変革のなかでは、一民族の利害は常に大きな変化を経験する、ということである。同じ行為がその民族にとって、次々に有用そして有害になり、したがってまたかわるがわるに有徳そして悪徳の名を得ることがある、ということである。
この観察にしたがえば、もし彼等が徳について、純粋に抽象的で実用から独立した観念を形成しようと思ったならば、認めたであろうことは、この徳という語で、一般的幸福への欲望しか理解できない、ということである。いろいろな時代と国ではなくて、すべての人が、少なくとも社会のなかで生きる人々は、徳について同じ観念を形成せざるを得なかった、ということである。そして最後に、諸民族が徳をいろいろな形態の下に表象するのは、徳がその目的を遂げるために用いるいろいろな手段を、徳そのものとみなすからである。
徳のこの定義は、思うに、徳についてのはっきりした、単純な、そして経験に一致する観念を与える。この一致だけが、ある意見が真理であることを確証できる。
頂が天の中で見失われ、基礎が台地で支えられていたウェヌス-ウラニアのピラミッドは、あらゆる体系の象徴であるが、事実と経験という揺るぎない基礎の上に支えられなければ、建てるそばから崩れていく。私が自分の意見の証明を確立するのもまた、事実のうえ、すなわちいろいろな掟と習慣という、現在までは説明できない狂気と珍奇のうえにである。
諸民族がどんなに愚かであると想定されようと、次のことは確実であるその利害関心によって啓蒙されているので、彼等はそのいくつかで確立されているのがみいだされる滑稽な習慣を、動機もなく採用したのではない。それゆえこの習慣の奇妙さは、諸民族の利害の多様性による。実際もし彼等が、徳という語で公共の幸福への欲望を常に雑然と理解したのなら、したがって誠実という名を、祖国に有用な行為にだけ結びつけていたのなら、またもし有用性という観念が常に密かに徳の観念と結びついていたのなら、最も滑稽な、また最も残酷でさえある習慣も、私がこれからいくつかの実例で示すように、公共の福利の現実的または外見的な有用性を常に基礎としていた、と確言できよう。
盗みはスパルタでは許されており、捕らわれた盗人のへたなことしか罰されなかった(a)。この習慣以上に奇妙なことがあろうか。しかしながら、〔スパルタの伝説的立法者〕リュクルゴスの法を思い出し、そのために重くてもろい鉄の貨幣しか流通させなかった共和国で、金銀は蔑視されていたことを思い出すならば、鳥や野菜の盗みしか犯し得なかったことを感じとるであろう。常に巧みになされ、しばしば断固として否認される(b)こうした盗みは、〔スパルタの支配階級〕ラケダイモン人たちに、勇敢と警戒の習慣を持たせていた。それゆえ盗みを認める法は、〔外敵〕ペルシャ人の野心以上に、〔服属民〕ヘーロータイの裏切りを恐れなければならず、前者の無数の軍隊と同様、後者の襲撃に対しても、この二つの徳を砦としてだけ対抗できたこの民族に、きわめて有用であり得た。それゆえ確実に、あらゆる豊かな民族には有害だがスパルタには有用な盗みは、そこで名誉を与えられるはずであつた(*1)。
冬の終わり、飢饉のために未開人が小屋を離れざるを得ないとき、また飢えのために新たなたくわえをつくるべく狩りに行かなければならないとき、いくつかの未開民族は出発前に集まり、老人たちを柏の木に登らせ、若者のたくましい腕でこの柏を揺らせる。大部分の老人は落ち、落ちた瞬間に殺戮される。この事実は有名だが、一見してこの習慣以上にいとわしいものは何もないようにみえる。しかしながらその源に遡ってみて、これらの老人たちの不運な落下が、彼等が狩りの疲れに耐えないことの証明と未開人がみなしているのがわかれば、どんなに驚くことであろう! 未開人は彼等を小屋または森に放っておいて、飢えや猛獣の餌食にするであろうか。むしろ厳しく激しい苦痛を取り除き、迅速でやむを得ない親殺しによって、あまりに残酷であまりにのろい死の恐怖を、親たちから取り除くことを好むのである。以上がかくも呪うべき習慣の原理である。以上が、狩りと食糧の必要から広大な森に六か月とどまる民族がいわば、この野蛮を余儀なくされる事情である。またこれらの国では親殺しが、私達には恐怖をもって眺めさせるのと同じ人間性の原理によって鼓吹され遂行される事情である(c)。
しかし、未開諸民族に頼らず、中国のような文明国に目を向けるがよい。そこではなぜ父が子に対する生殺与奪の権を握っているのかを自問するがよい。この帝国の土地はどんなに広くても、その数多い住民の要求に時折はほとんど応じられなかったことがみてとれよう。また人々の多さと土地の豊かさとの間のあまりに大きな不均衡のために、必然的にこの帝国に、またたぶん世界全体にさえ忌まわしい戦争が引き起こされようから、飢饉のときには、また無数の殺人と不要な不幸を防ぐために、中国国民は、その意図においては人間的であるがその手段の選択においては野蛮となり、あまり啓蒙されていない人間性の感情によって、これらの残酷さを、世界の安らぎのために必要とみなし得たのである。彼等は言った。「私は何人かの不幸な犠牲者を献じるが、彼等は無知なこどもなので死が何であるか知らず恐れない。死が最も恐ろしいのは、〔死ぬこと自体よりも〕この知識と恐怖にあるのだ」(d)。
禽獣に対しては許されている関係を女性に対しては禁じられている独身者たちに対して、いくつかのアフリカの民族が保っている滑稽な尊崇は、疑いなく、人々のあまりに大きな増加に、したがってまさにその源に反対したいという欲望のために帰さなければならない。
各々の司祭に一人の妾を供給することが、許されているだけでなく命じられてさえいるようにする布告をかつてスイス人に公布させたのは、同様に公共の利害という動機であり、淫乱の罪に対して貞節な美女を守りたいという欲望であった(e)。
コロマンデル海岸(*2)では、女性たちは毒によって結婚の厄介なくびきから解放されていたが、それは結局、病と同じくらい忌々しい薬によって、彼女らがその夫の墓の上で身を焼くように強いることで夫の確信を提供しようと立法者に促したのと、同じ動機なのである(f)。
私の推理と一致して、いま引いたすべての事実が一致して証明しているのは、習慣はたとえ最も残酷で最も愚かなものであっても、常にその源を、現実の、あるいは少なくとも見かけ上の、公衆の有用性のなかから得た、ということである。
しかし、それらの習慣はそれでもやっぱり忌々しかったり滑稽であったりする、と言われよう。そうだが、私達がその設立の動機を知らないからである。またこれらの習慣は、その古さと迷信との犠牲となり、政府の怠惰や弱さによって、その設立の原因が消えた後も長期間存続したからである。
フランスがいわば一つの広大な森であったとき、修道会への未耕地のあの授与が、当時許されるべきであったことを、誰が疑うであろうか。またこうした許可の延長が、フランスがまだ未開であったときには賢明で有用であり得たのと同じくらい、いまでは不条理で国家に有害であることを、誰が疑うであろうか。一時的な利点しか与えない習慣はみな、宮殿が作られたら倒さなければならない足場のようなものである。
インカ帝国の創設者たちにとって最も賢明であったのは、はじめにペルー人に自らを太陽の息子であると告げ、彼の父である神によって命じられた掟を彼等にもたらすのだ、と信じさせたことである。この嘘は未開人たちに、彼の立法へのより大きな敬意を刻み付けた。それゆえこの嘘は生まれたばかりのこの国家にはきわめて有用であったので、有徳なものとみなされないことはできない。しかし、一つのよい立法の基礎を置いた後では、政府の形態そのものによって、法律が常に順守される正確さを認識した後では、それほど高慢でないかより啓蒙されているこの立法者が、彼の民の習慣と利害のなかに起こりうる革命と、したがって彼の立法においてなされなければならない変化とを、予見しなければならなかった。まさにこの民に、彼またはその後継ぎによって、彼等を幸せにするために彼が用いた有用で必要な嘘を告発することが必要であった。この告発によって、彼はその法律から、それを神聖不可侵にすることであらゆる改革に対立せざるを得なかった神聖という性格をはぐことが必要だったのであり、もしもヨーロッパ人の上陸によってこの帝国が形成されて間もなく破壊されるということがなかったならば、この性格のためにいつかはまさにこの法律が、国家にとって有害なものになっていたであろう。
国家の利害は、人事すべてと同じく、無数の革命にさらされている。同じ法律と同じ習慣が、同じ民族にあいついで有用にも有害にもなる。ここから私が結論するのは、まさにこれらの法律は交互に採用されまた退けられるべきであり、また同じ行為があいついで有徳または悪徳という名を持たざるを得ない、ということである。これは、国家に有徳であると同時に有害でもある行為があるのを認めずには、したがってあらゆる立法とあらゆる社会の基礎を崩さずには、否認できない命題である。
私がいま言ったことすべてからの一般的結論は、徳は人々の幸福への欲望にほかならない、ということである。こうして、私が行為に移された徳とみなすところの徳義とは、あらゆる民族とあらゆるいろいろな政府において、その国民に有用な行為の習慣にほかならない、ということである(g)。
この結論がどれだけ明証的であっても、私が「偏見の徳」および「真の徳」と呼ぶ二種類の徳を知って混同しない国民はないので、この題目に関して何も望むべきことを残さずにおくために、この二種類の徳の本性を〔次章で〕検討しなければならないと思う。
【第13章 原注】
(a) 盗みはコンゴ王国で同様に名誉である。しかし盗まれた物の持ち主に知られずに行われてはならない。すべて力づくで奪わなければならない。この習慣は諸民族の勇気を保つ、と言われている。スキタイ人においては反対に、盗みより大きな犯罪はない。そして彼等の生き方のために厳しく罰することが要求される。彼等の家畜は平原の中をあちこちさまよう。盗みにはなんと幸運だろう! しかしこうした盗みが許されるなら、どれだけ混乱するだろう。だから彼等のところでは群れの番をする女のために掟がつくられた、とアリストテレスが言っている。
(b) 盗みを白状するよりも、盗んで服の下に隠しておいた子ぎつねに腹を食われるのを叫ばずに耐えた若いラケダイモン人について語られる行為は、みんな知っている*3)。
(c) アフリカのユダ王国*4)では、病人にどんな助けも与えられない。彼等は自らできるように癒す。そして回復したときには、このように自分を見捨てた人々と、それでもやっぱり親しく暮らしていく。
コンゴの住民は、回復できないと想像する病人を殺してしまう。それは不安の苦痛を彼等から取り除くためだ、と言われる。
台湾島では、ある人が危篤のときには彼の首に和差をかけ、彼から苦しみをなくすために絞めてしまう。
(d) カトリック諸国で娘をだめにするやり方は、ヴェールをつけるように強制することである。こうして絶望のとりこになって不幸な一生を送る者もいる。たぶん私達の習慣は、この点で、中国よりも野蛮である。
(e) ツヴィングリは、スイス諸州に対する書簡で、その先祖によってつくられた布告を思い起こさせたが、それは各司教が、隣人の貞節を侵害することを恐れて、、彼等が妾を持つことを厳命するものであった。フラーパオロ『トレント会議の歴史』第一巻。
トレドの公会議の第17宗規では、「妻または妾という名義で自己の選択せる女で満足する者は、聖体拝領を拒まれないであろう」と述べられている。そこで教会が妾を大目に見ていたのは、明らかに既婚女性をあらゆる侮辱から守るためであった。
(f) メヅラド*5)の妻たちはその夫ともに焼かれる。彼女たち自身が、薪の名誉を求める。しかし彼女らは同時に免れるためにできることは何でもする。
(g) 私がここで語っているのは政治的徳義だけであり、他の目的をもくろみ他の義務を命じ崇高な対象をめざす宗教的徳義ではないことを告げる必要はあるまい、と私は信じる。
【第13章 訳注】
(*1)「こどもにおいては然り。おとなが盗むとどこかで言われているか」(Riusseau,notes sur De l’esprit: Œuvres complètes,t.4,Gallimard,1969, p.1128.)。
(*2)コロマンデル海岸はインドの南東にあり、マドラス、ボンデシュリなどの町がある。
(*3)「彼が尋問されたとはどこでも言われていない。盗みを漏らさなかったことではなく、露見しなかったことだけ問題だったのであるが、著者は巧妙にも嘘をラケダイモン人の徳の中に入れている」(Rousseau,op.cit.,p.1128)。
(*4)ユダ(Judaただし原文ではJuida)は上ギニアの小王国および小都市。
(*5)メズラド(Mesuradoただし原文ではMezurado)は上ギニアの川。



