「東洋哲学」の問題
仲島陽一
『哲学史』(行人社、2018)を出したとき、心配したことの一つは、これは『西洋哲学史』じゃないかというクレームであった。明示的または暗示的に若干の示唆はあるが、題目的には確かに「東洋哲学」を扱ってははいない。それには外的な理由(たとえば量の考慮)もあるが、そもそも「東洋哲学」というものがあるのか疑問だからでもある。この疑問は、無論まず「哲学」の定義に関わる。しかし「世界と人生についての根本的考察」というこの書での定義からすれば「東洋哲学」の実在はほとんど自明である。つまり正直に言えば私は二枚舌を使い、この問題では「哲学」をより狭く定義した。「東洋哲学」と言われるものを排除した大きな理由は、それが宗教の一部になり過ぎていることである。「西洋哲学」においても宗教と重なったり結びついたりする面は小さくはない。それでも両者を区別する意識も小さくない。だが東洋ではそこが小さく、どこまでが宗教でどこまでが哲学かわかりにくく、またその区別が重要だという意識も感じられにくい。考察するほうでも、それを前提したうえで東洋「思想」として扱うほうが適しているように思われる。(なお西洋人がOriental philosophyとかAsian philosophyとか言う際、philosophyの語はかなり広義に用いているように思われる。)
以上は純理論的見地からの管見であるが、私の価値評価を加えれば、宗教と哲学をより区別するというこの点で、「西洋哲学(思想)」は「東洋哲学(思想)」にまさる。また私は、「哲学」の完成は「宗教」に至る、というような考え(たとえば西田幾多郎もそう考えているようである)には賛成しない。東洋思想でも、私が仏教よりも儒家思想のほうをより高く評価する大きな理由の一つはそれである。なおこのことは「宗教」そのものと「哲学」そのものの優劣を言っているのではない。これはさらに複雑な問題である。また私はイスラム教はどちらかと言えば「西洋」思想に属すると考えている。
定義の問題は脇において、「東洋思想」をどう評価するか。いや、思想というものは第三者的に「評価」できるようなものではない。私は既に東洋人であり日本人であり、西洋思想を学ぶことによっても、西洋化するどころかそうできないことをより強く感じさせられてきた。勿論これは「からごころ」を排除することではないが、西洋思想の「よいところ」を学ぶということも、日本人としてなされざるを得ない、ということである。
特に「哲学」面での西洋思想の優位性を、私は(アリストテレスの)論理学にみる。インドの「因明」というのも一種の論理学だと言われはするが、これは論理学としては純粋でなく、弁論術が混じっている。(ここでも私は弁論術そのものを低くみているのではなく、両者の区別の見地が弱いことを低くみるということである。)中国の「諸子百家」の「名家」も論理学と言われるが、詭弁術を含めた弁論術が中心ではないか。道家(老荘思想)に至ってははっきりと修辞の技術が優位である。文芸と規定されるならそれもよかろうが、修辞で論理を代用するのはまずいと思う。ここでも区別が重要であり、私がポストモダンに賛成できない理由の一つでもある。結局東洋思想で、まっとうな論理性を最も備えているのは儒家であり、その意味で最も合理的な思想でもある。東洋思想で儒家を私が最も評価する理由の一つである(他の諸理由については別に述べたい)。
概して日本人は論理が苦手と言える(無論例外はある、新井白石や富永仲基など)。しかしこれは日本人が非合理的だということではない。理屈を立てて物事を頭のなかで整理するのが苦手ということであり、「世界と人生について」深い認識を得たり、味わい深い発想を持ったりする者はけっして少なくない。ただその把握が、日本人においては、論理的logicalというより審美的aesthetic、論弁的discursiveというより直観的intuitiveな性格が強い、あるいはそちらを得意とする。比喩として言うのだが、最もすぐれた日本の「哲学者」はたとえば芭蕉である。
私達は自分たちの良き伝統は大切に受け継いでいくべきである。同時に学ぶべきものとして、(思想一般でなく論理性を重視する)「哲学」がある。「日本に哲学なし」といった中江兆民は、日本人を「考えることの嫌いな国民」と指摘した。「感じる」ことと異なる「考える」こと(日本語の「思う」は両者の区別を消す作用がある)の本質は論理にある。
性悪説を唱えた荀子。その思想は法家の韓非子や同じく法家で秦の丞相である李斯に批判的に継承された
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