精神論[1758年]
エルヴェシウス著・仲島陽一訳
第二部 第17章 上に確立された諸原理から帰結する利点について
諸個人がそこから引き出す諸利点へと、私は迅速に移ろう。それは彼等がまさにこの道徳学のはっきりした諸観念を得ることにあろうが、いままでは曖昧で矛盾していたその教えのおかげで、最も無分別な者でも、そうした格律のいくつかによって、自分たちの愚かなふるまいをいつも正当化できたのである。
しかも、自分の義務をより心得ることで、個人は友達の意見にそれほど左右されなくなろう。自分がそのなかで生きている付き合いのせいで知らずにしばしば犯してしまう不正を免れ、そのとき彼は同時に、滑稽さへのこどもっぽい恐れを克服してもいるだろう。この幻は理性が現れれば消えるが、しかし臆病であまり啓蒙されていない人々には恐怖の種であり、そうした人々は、不幸にも陰気な人々に知られているときには免れがたい、彼等の気分と気まぐれ、批評とのために、自分の趣味、休息、快楽、そしてときおりは徳に至るまで、犠牲にするのである。理性と徳とにもっぱら服せば、個人は偏見をものともしないことができようし、また有徳な人の卓越した性格を形づくる、あの男らしくて勇敢な感情で身を守ることができよう。これは各々の公民において望まれ、また要人には求められてしかるべき感情である。枢要な地位に上った人は、ある種の偏見が一般的福利に対しておく障害をどうやって覆すか、またもしその魂があらゆる種類の懇願、心配、そして偏見を寄せ付けないのでなければ、しばしば公衆の不幸に利害関心を持つ、権力ある人々の威嚇や陰謀に、どうやって抵抗するのか。
それゆえ、上に確立された諸原理の知識のおかげで、少なくとも、個人に次の利点がもたらされるようにみえる。すなわち個人は誠実についてのはっきりして確かな観念が得られ、またこの点であらゆる種類の不安が除かれ、良心の安らぎが確保され、またしたがって徳の実践に結びついた内面の密かな快さが得られる、という利点である。
公衆がそこから引き出すような利点に関しては、疑いなくより重要であろう。まさにこれらの原理にしたがって、敢て言えば、徳義の教義問答を作れようが、その単純で真実で、どんな精神の持ち主にも理解できる格律が諸民族に教えることは、徳は、もくろむ目的においては変わらないが、その目的を果たすのに適した手段においては変わる、ということである。したがって、もろもろの行動をそれ自体ではどうでもよいものとみなし、評価にふさわしい行動か軽蔑にふさわしい行動かを決めるのは国家の必要においてであり、また結局、各々の行動が有徳であることをやめて有害になる瞬間を決めるのは、公衆の利害に関して立法者が持つべき知識である、ということも感じ取らなければならない、ということも教えるであろう。
これらの原理が一度受け入れられれば、立法者は、どんなにたやすく、軽信と迷信の松明を消し、弊害を禁止し、たぶん設立時には世界で有用であったが後に有害になった野蛮な習慣を改革するであろうか。公衆の習慣が存続しているのはただ、それを廃止しようとすれば、ある種の行為の実践を徳そのものと解することに常に慣れている諸民族を憤激させ、長くて残酷な戦争に火をつけ、普通の人にとっては常に恐ろしく、実際しっかりした性格と広い精神を持った人々にしか予防できず鎮められないあの反乱をついには導かざるを得ないのではないか、という恐れからである。
それゆえ、大地を荒廃させている大部分の禍を主権者が除去できるようにし、帝国の持続を確保する手段を彼に提供するのは、古い習慣と法律に対する民衆の愚かな尊崇を廃することによってである。
国家の利害が変わり、草創時には有用であった法律が有害になったいま、まさにこの法律は、いつまでも保たれる尊厳によって、国家をその破滅に必然的にひきずらざるを得ない。ローマ共和国の破壊は、古い法律に対する滑稽な尊崇の結果であったこと、またこの盲目の尊敬は、カエサルがそれをつないだ鉄鎖を鍛えたことを、誰が疑うであろうか。カルタゴの破壊後、ローマがその偉大さの絶頂に達したとき、ローマ人たちは、当時自分たちの利害、習俗、および法律のあいだにみいだされる対立によって、帝国に革命が迫っていることに気づかざるを得なかった。そして国家を救うためには、共和国全体が、法律と政府において、時と環境とが要求している改革を急いで行わなければならず、またとりわけ立法の野心において最も危険な、個人的野心がそこに導き入れようとしていた変化を急いで防がなければならない、ということを感じたはずであった。だからローマ人は、もしも道徳学に関するもっとはっきりした観念を持っていたならば、この救済策に頼ったであろう。あらゆる民族の歴史に教えられて、彼等が気づいたであろうことは、彼等を最高の高さまで持ち上げたまさにその法律が、彼等をそこに支えられなくなった、ということである。帝国は船のようなもので、ある種の風がある高さに導き、そこで別の風にとらえられ、もし難破を避けるために、有能で思慮ある水夫が迅速に操縦を変えなければ滅びる危険がある。これはロック氏がカロライナにおける立法の設立のときに1)、彼の法律は一時代しか効力を持たず、そのときが終われば、国民によって新たに吟味され確認されるのでなければ無効になることを望んだとき、認めていた政治的真理である。彼が感じていたのは、好戦的政府と商業的政府とは異なる法律を前提する、ということである。また、商工業に適した立法は、もし隣人たちが武装するようになり、状況に強いられて当の人民が商人的というより戦士的になるならば、この植民地に有害になるかもしれない、ということである。
ロック氏のこの観念を偽りの宗教に適用してみよう。それらの教祖たちと使徒たちの愚かさとをたやすく納得できるであろう。実際、宗教(私達の宗教を除き、すべて人の手でつくられた)を検討する者がみな感じるのは、それらが決して立法者の広くて深い精神の産物ではなくて、一個人の狭い精神によるということである。したがってこれらの偽りの宗教は、けっして法律の基礎と、公共の有用性の原理に基づいたものでないことである。この原理は常に変わらないが、一民族が次々に身を置き得るいろいろな位置すべてへの応用において柔軟であって、アナスタシウス2)、リッペルダ3)、Thomas-koulin Kan4)およびGehan-Guir5)の例のように、新宗教の計画を描き、それを人々に有用にしようと望む人々が認めるべき唯一の原理である。もしも、偽りの宗教の攻勢において、常にこの計画に従っていたならば、これらの宗教において、それらが持つ有用なものすべてが保たれていたであろう。地獄も極楽も破壊しなかったであろう。立法者は、その想像力に応じて、快適さと恐ろしさとのいろいろの程度の絵図を、常に好むがままにつくったであろう。これらの宗教は、ただそれらが持つ有害なものが除かれれば、愚かな軽信という恥ずべき軛で人心を曲げることはなかったであろう。そしてどれだけ多くの犯罪と迷信とが、地上から消えたことであろうか! 大ジャワ(a)の住民が、最も軽い変調から最期が来たと確信して、先祖の神に加わることを急ぎ、死を願いそれを受け入れることに同意する、というようなことはみなかったであろう。祭司たちがこうした同意を彼に強い、続いて彼等自身の手で彼ののどを締め、彼の肉で窒息させようとしても、無駄であったろう。ペルシャは回教徒のあの憎むべき宗派を育てなかったであろうが、その宗派は、武装した手で施しを要求し、諸原則を認めない者は誰でも殺して罰されず、スーフィ6)のうえに殺人の手を挙げ、ムラト7)の胸に剣を刺したのである。ローマ人は、黒人と同じくらい迷信深かったが(b)、その勇気を神聖な鶏の食欲によって規則付けはしなかったであろう8)。最後に、諸宗教は東洋において、サラセン人がはじめキリスト教徒に対して行った、あの長くて残酷な戦争(c)の芽を多く含みはしなかったであろう。その戦争を、〔第二代カリフ〕ウマルや、〔第四代カリフ〕アリの旗の下で、まさにこのサラセン人たちは行ったのである。そしてそれは疑いなく、イマム〔イスラム教の導師〕の不謹慎な熱望を抑えるために、インドスタンのある君主がつくった寓話を生み出したのである。
イマムは彼に言った。「至高者の命に従え。大地は彼の聖なる掟を受け入れよう。勝利はいたるところイマムの前を進む。アラビア、ペルシャ、シリア、アジアがみな服従し、ローマの鷲〔軍旗〕は信者の足に踏まれ、恐怖の剣がカレド9)に戻るのを、お前は見よう。これらの確かなしるしで、わが宗教の真理を、しかもまた『コーラン』の崇高さ、その教義の単純さ、彼等の掟のやさしさを知れ。我等の神は残酷な神ではない。彼は我々の喜びを嘉する。わが魂がより多くの熱で輝き、より速やかに神へと飛翔するのは、香のかおりを吸い、愛の快いやさしさを体験しながらだ、とマホメットは言う。王位についた虫けらよ、お前は長い間お前の神に対して戦うつもりか。目を開いて、お前の民が感染している迷信と悪徳とを見よ。お前はいつまでも彼等から『コーラン』の光を奪うつもりか」。
君主は答える。「イマムよ、ビーバーたちの共和国のなかに、わが帝国のなかと同様に、若干の預かり物の窃盗や、また若干の暗殺をさえ嘆く時期があった。犯罪を防ぐためには、若干の公共の預かり物を開放し、大きな道を広げ、若干の元帥裁判を設置することで十分だった。ビーバーたちの元老院はこう決心する準備ができていたが、そのとき、その一匹が空の青さに目をやり、『人間を手本としよう』と突然叫んだ。『人間はこの空気の宮殿が、自分よりも強いある存在によって建てられ、住まわれ、統べられていると信じている。この存在はミシャプルMichapourという名を持つ。この教義を広宣しよう。ビーバーの民はそれに服すべし。この神の命によって、各惑星に一つの守護霊がおかれていると、この民に説こう。そこから我等の行動を眺めて、善良な者に福を、邪悪な者に禍を配することに携わっていると。この信仰が受け入れれば、犯罪は彼等から遠くに去るであろう』。元老院は黙る。相談し、熟議がされる。この観念はその新しさによって気に入られ、採用される。こうして宗教が設立され、ビーバーたちははじめ兄弟として生きる。しかしながらその後すぐ、大きな論争が起こる。大地を形づくった砂粒を最初にミシャプルに提供したのはかわうそだ、という者がいる。じゃこうねずみだ、と他の者が応える。論争は熱くなる。民は割れる。悪口を言いあい、殴り合いになる。狂信が突撃らっぱを吹く。この宗教以前に、この民は若干の盗みと暗殺を犯していた。〔この宗教以後は〕内戦に火が付き、国民の半分が絞め殺される。この寓話に学んで、ああ残酷なイマムよ、だから世界を荒廃させる宗教の真理や有用性を私に証明しようとはしないでくれ」、とインドの君主は付け加えた。
この章の帰結は、もし立法者が上に確立された諸原理にしたがって、法律、習慣、および偽りの宗教において、時と環境とが要求するすべての変化を行う権威を持つならば、彼は無数の悪の源を涸らし、また間違いなく、帝国をより長続きさせることで、諸民族の安息を確保できるであろう、ということである。
しかもまさにこれらの原則は、習俗を国法と結ぶ必然的依存に気づかせ、道徳の学問が立法の学問にほかならないことを教えることで、道徳学に対してどれだけ多くの光明を広げることであろうか。この研究により専心したなら、善良な精神の持ち主がいまは垣間見ることしかできず、そして多分達し得ると思いもよらないあの高い完成度に、モラリストたちがこの学問をそのときもたらしたであろうことを、誰が疑うであろうか(d)。
ほとんどすべての政府において、互いに整合しないすべての法律が純粋な偶然の産物のように思えるのは、異なる観点と利害に導かれて、それをつくる者たちがこれらの法律相互の関係にほとんど頭を使わないからである。しかしこの依存を確立するためには、諸法すべてを公衆の、すなわち同じ政体に服する最大多数の人々の有用性というような、一つの単純な原理に関係づけることができなければならない。誰もこの原理の広がりと豊かさのすべてを知ってはいない。この原理に道徳と立法の原理すべてが含まれており、多くの人々はそれを理解せずに唱えているが、少なくとも地上のほとんどすべての民族から判断するなら、いまだにその表面的な観念しか持っていない(e)。
【原注】
(a) スマトラ島の東方。
(b) コンゴの戦士たちが敵に向かい、進軍中にうさぎや烏、あるいは何か他の臆病な動物に出会うと、それは敵の守り神であってその恐怖を自分たちに告げに来た、と彼等は言う。そこでその守護神を大胆に攻撃する。しかしもし、鶏がふだんと違うときに歌うのを聞いたら、その歌は自分たちが身をさらさない敗北の確かな予言だ、と言う。もし鶏の歌が同時に両陣営で聞かれたら、勇気は保たれなくなり、両軍とも解体して逃げる。ニューオーリンズの未開人が最大の大胆さで敵に進むとき、一つの夢、あるいはある犬の鳴き声で、彼等を退却させるのに十分である。
(c) [人間の情念はときおり、キリスト教のなかにおいてさえ、こうした戦争に火をつける。しかし、無私と平和をもってするこの精神にこれほど反するものはない。やさしさと寛大をだけ鼓吹するその道徳に。いたるところで礼節と慈愛を命じるその格律に。それが示す目的の霊性に。その動機の神聖さ、そして最後にそれが提示する報いの偉大さと本性とに。]
(d) すぐれた立法というこの偉大な作品が人間の知恵の産物ではなく、この計画は幻だと言っても無駄である。諸々の出来事との盲目的で長期的な帰結はすべて互いに依存しており、世界の最初の日がその最初の芽を展開し、かつてあり、いまあり、これからあるすべてのものの普遍的原因である、と私は主張する。私はこう答えよう。この原理を認めさえすれば、出来事のこの長い連鎖のなかに、世界を統べてきた賢者と愚者、卑怯者と英雄とが必然的に含まれているのなら、どうしてそこに立法の真の原理も含めないのか、そのおかげでこの〔道徳〕学は完成し、世界は幸福になれるのだが、と。
(e) 東洋の大部分の帝国においては、公衆の権利と人々の権利の観念さえ持たれていない。この点に関して諸人民を啓蒙しようと思う者は誰でも、これらの不運な国々を荒廃させている暴君の怒りに、ほとんど常に身をさらすことになろう。人権を侵害しても罰を受けないように、人間という資格で君主から何を期待する権利を持つかを、また君主をその人民に結びつける黙約を、人民たちが知らないことを、彼等は欲している。この点でこれらの君主が自らのふるまいにどんな名分を掲げるとしても、それは自らの臣民たちを虐げるという倒錯した欲望に基づくものでしかあり得ない。
【訳注】
1) イギリスの哲学者ロックは、1669年、彼のパトロンである政治家アシュレ(初代シャフツべリ伯)ほか七人の貴族が領有していた北米(アメリカ合州国の独立以前である)カロライナ地方の統治案の作成に参加した。「北米におけるヨーロッパの植民地で、このようにはじめから信仰の自由を認めた植民地はほかにはな」かった(野田又夫)。
2) アタナシウス(一世、Atanasius Ⅰ,431-518)は東ローマ皇帝(491-518)。種々の内政改革を行ったが、単性論者として宗教改革を行ったことにより国内を混乱させた。
3) リッペルダ(Ripperda,1680-1737)はオランダ出身のスペインの政治家。1726年に失寵してモロッコに亡命してイスラム教に改宗し、スルタンをスペインに開戦させたが敗北。
4) 不詳。
5) 不詳。
6) スーフィ(sofi)は「スーフィ教徒」の意味と「ペルシャのサファーヴィ王朝の元首」の意味がある。ここで(原文sophi)どちらかはわからない。
7) ムラト(Murat,1319-89)はオスマン・トルコ帝国のスルタン。東ローマ帝国を破り、アドリアノーブルに遷都。セルビアの一貴族に刺殺された。(原文Amurathをこの語と解した)
8) 古代ローマ人は鳥占いを行い、そのための役人も設けていた。
9) カレド(Hhalid ibn al-walid,?-642)はアラブの将軍。イスラム教に改宗。ホムス(Homs、現在はシリアの首都)を奪いウマルによって免職されるまでその知事。(原文はKhaled)