精神論〔1758年〕

エルヴェシウス著、仲島陽一訳

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第三部 第17章 専制君主になりたいという、すべての人が持つ欲望、そこに至るために彼等が用いる手段、そして専制主義が王に与える危険について

 

 この欲望の源は快への愛に、したがってまた人間の本性そのものにある。各人はできるだけ幸せでありたいと思う。人々が彼の幸福に全力で寄与するように強いる力をまといたいと思う。彼等に命令したいのはそのためである。

ところで諸民族を支配するのは、法と既成の約定に従ってであるか、恣意によってかである。第一の場合は、彼等に対する私達の権力はそれほど絶対的ではない。彼等は私達を喜ばすことにそれほど縛られない。そのうえ、一民族をその法に従って統治するには、それを知り、省察し、怠惰のために常に免れたくなる辛い研究に耐えなければならない。この怠け心を満足させるために、それゆえ各人は絶対権力を望むのである。それがあればすべての配慮、すべての研究、すべての注意力疲れがなくてすみ、人々を卑屈に自分の意志に従わせられる。

アリストテレスにしたがえば、専制的統治では、すべてが奴隷で、自由なのは一人しかみいだされない。

各人が専制君主になりたがる動機はこれである。そうなるためには、お偉方と民衆の力を低くしなければならず、またしたがって公民たちの利害を分割しなければならない。何世紀もの後には、時がその機会を主権者〔君主〕たちに提供するが、彼等はほとんどみな、よく理解されたというよりは積極的な利害に動かされて、その機会をがつがつととらえる。

諸利害のこうした無政府状態のうえに、東洋の専制主義が確立した。それはミルトンが混沌の帝国について描いたものに似ている。彼が言うには、それはその王の天幕を荒れ果てた淵の上に広げ、そこでは混乱してごちゃごちゃになっており、諸元素の無秩序と対立があり、各々の原子が鉄の王仗で統べている。

公民たちの間に一度分割の種が撒かれたら、彼等の魂を卑しく低めるためには、僭主政治の剣を諸民族の目に絶えずぴかつかせ、徳を犯罪の列に入れてそれとして処罰しなければならない。この分野では、東洋だけでなく〔古代〕ローマの諸皇帝の下でも、専制はどんな残酷さに至ったであろうか。タキトゥスの言うところでは、ドミティウスの治下では徳は死刑判決になった。ローマは密告者だらけになった。奴隷はその主の、解放奴隷はその親分の、友はその友の密偵になった。こうした中傷の時代において、有徳な人は犯罪を勧めはしなかったが、それに備えることを余儀なくされた。より大きな勇気は、大罪の列に入れられたであろう。卑しめられたローマ人の下では、弱さは一つの英雄主義であった。この統治の下で、トラセア1)やヘルウィディウス2)の徳の称賛者たちが、セネシオン3)やルスティクス4)のなかで、罰されるのがみられた。これらの著名な弁論家たちは、国事犯として扱われ、彼等の著作は公権力によって焚かれた。プリニウスのような有名な作家が、文法書の編集に追い込まれたのがみられたが、なぜならもっと高尚な分野の著作はみな、僭主政治に疑われその著者には危険であったからである。アウグストゥス、ウェスパシアヌス、アントニウス、トラヤヌスのような皇帝によってローマに引き寄せられた学者たちは、ネロ、カリグラ、ドミティウス、カラカラのような〔専制的な〕皇帝によってそこから追放された。哲学者たちは追放され、諸学は放逐された。タキトゥスが言うには、これらの僭主は、精神と徳の刻印を帯びているすべてのものを滅ぼしたく思っていた。

僭主政治が人々を卑しくするのは、このように彼等を心配の永続的な不安のなかに保つことによってである。東洋において、あの拷問を、あのとても残酷な体刑を(a)つくりだすのは、僭主政治である。この体刑はこうした憎むべき諸国においてはときおり必然的であるが、なぜならそうした諸民族が、その貧困によってだけでなく、彼等に犯罪の実例を提供し正義を軽蔑することを教えるスルタンによっても、大罪へと刺激されるからである。

以上が、専制主義への愛の基礎にある動機であり、またそれに達するために用いられる手段である。このようにして、恣意的権力を愚かにも愛して、王たちは彼等のために、無数のがけで切り取られた道に見境なく身を投じ、その多数がそこで滅んだ。人類と主権者〔君主〕たちの幸福のために、この点で敢えて彼等を啓蒙しよう。このような統治の下で、彼等とその諸民族が身をさらしている危険を示してやろう。以後、恣意的権力への欲望を吹き込むいかがわしい助言すべてを遠ざけるように。専制主義に反対する最強の協定が、王たちの幸福と保全との協定であることを、ついには知るように。

しかし誰が彼等にこの真理を隠せるのか、と言われよう。こうして彼等は、イギリスから追放された少数の君主を、コンスタンティノープルの王座で絞殺されたギリシャまたはトルコの莫大な数の皇帝たちと比べないであろうか。私は答えよう。スルタンたちがあの恐ろしい諸実例によって抑制されないのは、彼等がその有様を習慣的に記憶に呼び起こさないからである。恣意的権力を分け持ちたい者たちによってたえず専制主義へと押しやられるからである。東洋の君主の大部分は、ある大臣の意志の道具であり、弱さによって大臣の欲望に屈し、自らの臣民の高貴な抵抗によって自らの不正を十分に知らされることがないからである。

専制主義に入り込むのはたやすい。確立した専制政治によって準備されている諸々の禍を人民が予見するのは稀である。ついに気づくとしても、そのときには軛の下におしつけられ、四方から縛り付けられ、身を守ることもできず、もはや体刑へと有罪宣告されようとするのを震えて待つだけである。

諸人民の弱さに大胆になった君主は、専制君主となる。頭上に自らを叩くべき剣を自分が釣っている5)ことを知らない。法全体を棄却し恣意的権力に帰するには、たえず力に頼り、しばしば兵士の剣を用いなければならないことを知らない。ところで、こうした手段を用いる習慣は、公民たちを反抗させるか、彼等を復讐へと刺激するか、あるいは力以外の正義を認めないように、彼等を知らずしらずに慣らしてしまう。

この観念が民衆のなかに広まるには長期間かかる。しかしそこに浸み込み、兵士にまで至る。兵士は最後には、自分に対抗できるどんな団体も国家にないと気付く。兵士は意識せずに大胆な企てに心を開き、自分の条件を改善しようと願う。もしそのとき、大胆で勇敢な人間が兵士をこの希望で釣り、若干の大きな町の略奪を約束するならば、歴史全体が証明しているように、革命を起こすにはそうした人間で十分である。それには常にすぐに第二の革命が続く。なぜなら専制的国家においては、著名な裁判長モンテスキューが示しているように、僭主政治を破壊せずにしばしば僭主が弑逆されるからである。一度兵士が自らの力を知ったなら、もはや抑えておくことはできない。私はこの件では、兵士たちの僭主政治から祖国を解放し、軍のなかにもとの規律を再建しようとしたことで、親衛隊から追放されたすべてのローマ皇帝をひくことができる。

奴隷たちに命令するためには、それゆえ専制君主は常に不安で尊大な軍隊に従うことを強いられる。君主が国家のなかに、役人の強力な一団をつくったときは事情が違う。これらの役人に裁かれて、民衆は正と不正の観念を持つ。そのうえ、君主と役人たちによって集められた兵士は、公民たちの集団全体が、法の旗の下で、彼が試みそうな大胆な企てには反対するであろうことを感じ取る。そして彼の武勇がどれほどであっても、結局は数にはかなわないであろうことを。それゆえ彼は、正義の観念によっても、自らの義務に同時にひきとめられる。

それゆえ役人のこの強力な団体は王の安全に必要である。これは民衆が僭主政治の残酷さから、君主が反乱の激発から免れる、盾なのである。

カリフのアロン・アル=ラシッド6)がある日、有名な兄ベルルに、うまく統治するやり方に関して若干の忠告を求めたのは、この件について、また四方から専制君主を取り巻く危険を除くためであった。彼は言った。「あなたの意志が法に従うようにしなさい。法があなたの意志に従うようにでなく。真価のない人々は多くを要求し、偉大な人々はめったに要求しないことを考えなさい。それゆえ前者の要求には抵抗し、後者の要求に先んじなさい。あなたの民に重すぎる税を課さないように。これに関して、義人ヌシルボン王7)の息子オルムス7)への意見を思い出しなさい。彼は言うでしょう。『息子よ、もしお前が自分の安楽しか考えなければ、お前の帝国に幸せな者はいなくなろう。お前が寝床で安眠をむさぼろうとしているとき、息苦しさで目覚めたままの者たちのことを忘れるな。豪勢な食事を目の前に出されるとき、貧困でうめいている者たちのことを思え。お前の後宮の快い木立を巡回するときには、僭主政治によって鉄鎖につながれている不運な者たちがいることを思い出せ。』ベルルは言った。いま言ったことに一言だけ付け加えよう。諸学にすぐれた人々を厚遇しなさい。彼等の意見によってふるまい、君主政が制定法に従うようにしなさい。法が君主政に従うようにではなく(b)。テミスティオス8)は(c)、彼が王座に着いたとき元老院の側からヨウィアヌス9)に演説することを課されて、この皇帝にほとんど同じ話をした。彼は言った。『戦争の人々があなたを帝国に持ちあげたならば、哲学者たちがあなたにそれをうまく統治することを教える、ということを思い出してください。前者が皇帝たちの緋の衣をあなたに与えました。後者はそれを品よく着ることをあなたに教えるでしょう』」。

すべての民族のなかで最も卑しく最も怯懦な古代ペルシャ人にあってさえ、そのなかに哲学者たちがいて(d)、君主たちを即位させ、その戴冠の日に次の言葉を繰り返すのが役目であった。「王よ、汝の権威は、汝がペルシャ人を幸せにするのをやめる日に、正当であることをやめるであろう。」これはトラヤヌスが、支配権を得て習慣にしたがって剣を幕営の長官に贈って、こう言ったときに洞察していたようにみえる真理である。「私からこの剣を受け取ってください。そして私の統治下でそれを使ってください。正しい君主の私を守るためであれ、僭主の私を罰するためであれ」。

君主の権威を保つためという口実で、それを恣意的権力にまで至らせるものは誰でも、同時に、悪い父、悪い公民、悪い臣民である。悪い父で悪い公民なのは、自分の祖国と子孫に隷従の軛を課すからである。悪い臣民なのは、正当な権威を恣意的な権力に転ずるのは、王たちに反対して野心と絶望とを呼び起こすからである。私はその証人として、実にしばしば主権者〔君主〕たちの血で塗られている東洋の王座を挙げる(e)。スルタンたちのよく理解された利害は、そうした権力を望むことも、この点で、その大臣たちの要望に譲歩することも許さないであろう。王たちはこうした忠告に耳を塞ぐに違いないし、自らの唯一の利害は、敢て言えば、自らと自らの子孫が享有するために、自らの王国を常に敢然と保つことだ、と思い出すに違いない。あの真の利害は、啓蒙された君主にしか理解できない。他の君主においては、主として命令するといううぬぼれと、怠惰の利害が自分のまわりの危険を隠してしまうことで、他のあらゆる利害にまさっている。しかしてすべての統治は、歴史が証明しているように、常に専制主義に向かうであろう。

 

【原注】

(a)ほとんど東洋全体で行われている体刑が人類にとって恐ろしいのは、それを命ずる専制君主が、自分は法の上にあると感じているからである。共和国においてはそうではない。法は、それを決めた者がそれに従うので、常にやさしい。

(b)シャルダン、第五巻。

(c)デランド氏による『哲学の批判的歴史』。

(d)『哲学の批判的歴史』参照。

(e)主に対する中国人の愛着は、しばしばそのうちの何百万人をもその主権者〔君主」の墓の上で犠牲にさせるようなものであるのに、恣意的権力への希望によって駆られた野心は、この帝国においてどれだけの革命をひきおこしたことか。ギニュ氏による『フン族の歴史』中国の項目を参照。

 

【訳注】

1)    トラセア(Thtaseaは古代ローマの反体制派の政治家。ストア主義者。56年、執政官。66年、告発され自殺を命じられた。

2)    ヘルウィディウス(Helvidius)は古代ローマの政治家。ストア主義者。70年、法務官。トラセア(前注)の婿。ウェスパシアヌス帝に反対し、追放、処刑された。

3)    セネシオン(Senecion)は不詳。

4)    ルスティクス(Rusticus)はタキトゥス『年代記』(第1626)において、ネロ帝によって窮地に陥ったトラセアの友であった青年でそのとき護民官であったので拒否権を使おうと申し出たが、トラセアに止められた、と出ている。

5)    いわゆる「ダモクレスの剣」の故事である。

6)    アル=ラシッド(ar-Rashid)はアッバース朝のカリフ(1135-36)。

7)    ヌシルヴォン(Nouchirvon)およびオルムス(Ormous)は不詳。

8)    テミスティオス(Themistios)は四世紀のギリシャの雄弁家。多くの演説とアリストテレスの注釈書が残っている。

9)    ヨウィアヌス(Jovianus,331-364)はローマ皇帝。前帝ユリアヌスの方針を覆して再びキリスト教を公認した。



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