第二部 第19章 精神のいろいろな分野に対する評価は、各時代において、人がそれを評価する利害につりあっている
この命題が極度に正確であることを感じてもらうために、まず小説を例にとろう。アマディス1)から今日の小説まで、この分野は無数の変化を次々と体験した。その理由を知りたいとしよう。三百年前に最も評価された小説が、なぜ今日私達には退屈で滑稽にみえるかを自問されたい。こうした作品の大部分の主要な値打ちが、そこに描かれている国民の悪徳、美徳、情念、習慣および滑稽の正確さに依存することに気づくであろう。
ところで国民の習俗はしばしば時代とともに変わる。それゆえこの変化は、その小説と趣味の分野において変化を起こすに違いない。それゆえ国民はその利害関心によって、前代には賞賛していたものを当代には軽蔑することを、ほとんど常に強いられる(a)。小説について言ったことは、ほとんどすべての作品に適用できる。しかしこの真理をより強く感じてもらうには、無知の時代の精神を私達の時代の精神と比べることが、たぶん必要であろう。この吟味にしばらく立ち止まろう。
当時は聖職者だけが書くすべを知っていたので、私は彼等の作品と説教とからしか、例を引くことができない。それを読むものは、ムノ2)の説教(b)とブルダル3)のそれとの間の、『太陽の騎士』4) と〔ラファイエット夫人の〕『クレーヴ公爵夫人』との間の違いをやはり認めるであろう。私達の習俗が変わり知識が増えたので、かつて賞賛したものをいまは嘲うであろう。ボルドーのある説教師の説教を誰が笑わないであろうか。その説教師は誰に対しても、故人たちの感謝すべてを証明するために彼等に対して神に祈らせ、したがって修道僧たちに金を与え、説教壇で重々しく次のように述べたのである。「献金箱または洗礼盤に落ちて、タン・タン・タンと鳴るお金の音だけで、煉獄の魂すべてが笑い出して、ハッハッハッ、ヒッヒッヒッというほどなのだ」と(c)。
単純な無知の時代においては、対象は、啓蒙された時代に考察される際とはとても異なる観点の下で現れる。私達の先祖には教育的であった受難の悲劇は、今の私達にはスキャンダラスにみえよう。当時神学校で議論されていた煩瑣な問題のほとんどすべてについても同様であろう。今日では、神が聖餅において着衣か裸体かを知るための規定の論議ほど品のないものは何もないと思われよう。神が全能であるかどうか、罰する力を持つかどうか、女、悪魔、岩、ろば、かぼちゃの性質を持ち得たかどうかもそうである。そしてこれよりもとてつもない他の問題が無数にあったのである(d)。
奇跡にいたるまで、すべてが、こうした無知の時代にあっては、時代の悪趣味の刻印を受けていた(e)。
『碑文および文芸の学院の記録』の中で報告されたあのいわゆる奇跡のいくつかの中から、私は、ある修道僧に関して一つの奇跡が行われたことを選ぼう。「この修道僧は、毎晩通っていたある家から戻ってきた。帰路、彼はある川を渡らなければならなかった。悪魔が舟を覆し、修道僧は濡れて聖処女の朝課の讃歌を始めたようだった。二匹の悪魔は彼の魂を捕らえたが、それをキリスト教徒の魂として要求する二人の天使にとめられる。悪魔どもは言う、『天使さんたち、確かに神はその友達のために死んだし、それは作り話じゃない。でもこやつは神の敵の一人だった。そして俺達は奴の罪のにおいをかぎつけたのだから、地獄の泥へと投げ込もうというのだ。おれたちの親玉からたっぷりほうびをもらえるだろう。』いろいろ抗弁した挙げ句、天使たちはいさかいを聖処女の法廷に持ち出すことを提案する。悪魔どもは、神は法にしたがって裁くゆえに喜んで彼を裁き手とするであろうと答える。しかし聖処女に関しては、俺達は正義を期待できない、と言う。生前その似姿に幾分敬意を表した者に地獄の門を一日だけでも通すよりも、その門すべてを壊してしまうだろう、と言うのである。神は万事彼女に反対しない。彼女は鷺を烏と、どぶを真水とも言える。神は彼女にはすべてを許す。俺達はもう自分がどうしていいかわからない。ぴんぞろで三、二が二つで五を出すし、どんな目も好き放題だ。神が彼女を自分の母にした日には俺達はお陀仏だ。」
疑いなく、こんな奇跡によって教化されることはあるまい。次に『ハリカルナスの司教の訪問に関する奇妙でためになる手紙』から引く別の奇跡についても同様に笑ってしまうが、それはあまりに愉快にみえるのでここにおきたいという気持ちに逆らえなかった。
洗礼の卓越を証明するために、著者は語る。「昔、アルメニア王国で、キリスト教徒をおおいに憎む王がいた。そのため彼はこの宗教をとても残酷なやり方で迫害した。神が彼をそのとき罰するのが本当だった。しかし限りなく善良で、パウロが信者を迫害したとき彼を改宗させるために心を開いた神5)は、この王が神聖な宗教を知るように、彼にもまた心を開いた。だから、王が役人たちとともに宮殿で会議を持ち、この宗教をすっかりなくす方法に関して熟議すると、王と役人たちはただちに豚に変えられる、ということが起こった。みんなはこれらの豚の叫びに駆けつけたが、何がこんなに異常な事柄の原因であり得るのかわからなかった。このときグレゴワールという名のキリスト教徒がいて、彼は前日尋問にかけられていたが、騒ぎに駆けつけ、彼の宗教への残酷さを王に非難した。グレゴワールの話で、豚たちはとまり、黙り、グレゴワールの言うことを聞くために鼻面を上げ、グレゴワールは、『これからお前たちは身を改める決心をしたか』と尋ねた。この問いに、すべての豚は頭をもたげて、まるで『ウィ(はい)』と言ったかのように、『ウォン、ウォン』と叫んだ。グレゴワールは言葉を続けた。『もしお前たちが身を改める決心をしたなら、もし己が罪を後悔するなら、そしてもし完全な宗教を守るために洗礼されたいと言うなら、主はお前たちに慈悲を与えよう。さもなければお前たちは、この世でもあの世でも不幸になろう』。すべての豚たちは頭の一部をたたき、敬意を表し、まるでそう願っていると言おうとしたかのように、『ウォン、ウォン、ウォン』と叫んだ。グレゴワールは豚たちにこの種の謙虚さをみて、聖水をとり、すべての豚に洗礼した。そしてただちに大きな奇跡が起こった。なぜなら彼が各々の豚に洗礼するのにしたがって、それは以前よりも美しい姿に変わったからである」。
いまでは私達にとても滑稽にみえるあの奇跡、誓い、悲劇、神学論議などは、無知の時代には崇められていたしそうあらざるを得なかったが、なぜならそれは時代の精神につりあっていたし、人々はいつでも自分の観念と類比した観念を敬うであろうからである。粗野で愚昧な彼等の大部分は、宗教の神聖さや偉大さを知ることができなかった。ほとんどすべての者において、宗教はいわば、迷信と偶像崇拝とに過ぎなかった。哲学の利点において、〔今の〕私達は宗教について〔昔〕より高尚な観念を持っていると言える。学問に対してどんなに不当であっても、それが習俗にどんな腐敗を導き入れたかを責められるとしても、私達の聖職者が、少なくとも歴史と古代の説教者とを検討するならば、当時堕落していたのと同じ程度で今は純粋であるのは確かである。彼等の中の最も有名なマイヤール6)とムノは、常に次の言葉を口にする。マイヤールは叫ぶ、「罪人、恥ずべき者たちよ、その名は悪魔の名簿に記されている。ぬすっと、泥棒よ、聖ベルナール7)が言うように、お前らの聖職禄の創始者は、娘たちと飲み食いし、 グリック遊びをするためにだけ禄を与えたと思っているのか。そして聖職禄を持つ君たち太った神父たちよ、君達は馬、犬、そして娘たちを養うが、聖エチエンヌ8)に尋ねよ、彼がそうした生活を送り、美食し、常に宴会と饗宴の間にいて、教会と十字架像との財産を遊び女に与えて、天国を得たのかどうかを」。(g)
すべての人が迷信深く向こう見ずで、修道僧の小話や騎士道の武勲をしか楽しまなかったあの粗野な時代を考慮するために、これ以上立ち止まるまい。無知と単純さとは常に単調である。哲学が再興される前は、著者たちは、別の時代に生まれても、みな同じ口調で書いていた。趣味と呼ばれるものは知識を前提する。まだ野蛮な民族においては趣味はなく、したがって趣味の革命もない。この革命が注目されるのは、少なくとも啓蒙された時代においてだけである。ところでこの種の〔趣味〕の革命に先立って、政体、習俗、法律、そして民族の地位におけるなんらかの変化がある。それゆえ国民の趣味とその利害関心の間には秘かに設定される依存がある。
いくつかの応用を通じてこの原理を解明するには、アトレイデス9)のような最も記憶に残る復讐悲劇の描出が、かつてギリシャ人のもとにひきおこしたのと同じ興奮を、もはや私達にはかきたてないのはなぜかを、自問してほしい。そうすればこの印象の違いは、私達の宗教や統治と、ギリシャ人の統治や宗教との違いによることがわかるであろう。
古代人は復讐の神に神殿を立てた。今日では悪徳に数えられるこの情念は、当時は美徳とみなされていた。古代の統治〔都市国家〕は、この祭祀に肩入れしていた。あまりに好戦的で少し獰猛であらざるを得ない時代では、怒り、狂乱、裏切りを縛る唯一の手段は、侮辱の忘却を不名誉とし、侮辱すれば常に復讐されると思わせることであった。こうしてこそ、公民の心の中に、統治の欠陥を補う、ためになる各自の恐れが保たれたのである。それゆえこの情念の描出は、古代民族の欲求、偏見にあまりに類比していたので、考察されると喜びを伴わずにいることはできなかった。
しかし私達が生きている時代は、統治がこの点できわめて改善されており、しかも私達はもはや同じ偏見に服していないのであるから、同じく自分たちの利害関心に諮っても、社会の平和と調和を保つどころかそこに無用な混乱と残酷さとしかひきおこさないような、〔復讐という〕情念の描出をみても、無関心でしかない。祖国愛が吹き込むあの男らしく勇敢な感情に満ちた悲劇は、どうしてもはや私達には、軽い印象しか起こさないのであろうか。それは諸民族がある種の勇気と徳とを極度の服従に結びつけるのはきわめて稀だからである。ローマ人は一人の主を持ったとたんに低劣で卑しくなったからである。そして畢竟ホメロスが言うように、
自由人を鉄鎖につける恐ろしい瞬間が
彼の以前の徳の半分を奪った
からである。
ここから私が結論するのは、偉人と偉大な情念が生まれる時代だけが、民族が真に高貴で勇敢な感情を崇める時代でもある、ということである。
いまはあまり味わわれていないコルネイユの分野〔英雄悲劇〕は、なぜ、この著名な詩人の生前にはもっと味わわれていたのか。当時は、反乱の火でまだ熱かった人心がより大胆で、不敵な感情をより評価し、野心をより受け入れた、あの旧教同盟とフロンドの乱、あの混乱の時代から出てきたからである。コルネイユが彼の主人公たちに与える性格、これらの野心家に抱かせる計画が、したがって、英雄、公民(h)、野心家にはほとんど出会わない今日より、その時代の精神により類比していたからであり、多くの嵐の後に幸せな穏やかさがとってかわったからであり、反乱の火山がいたるところで消えているからである。
赤貧と軽蔑の重荷の下で呻くことに慣れた職人、要人の前にはいつくばり、彼をエジプト人がその神々に対して、また黒人がその物神に対して持つ聖なる敬意でみることになれた金持ちや大領主でさえ、
王以上であるからには、君は何者であると信じるのか
というコルネイユの詩に、どうして強く驚くであろう。こうした感情は彼らには、馬鹿げてとてつもないとみえるに違いない。彼等はしばしば自分たちの感情の低劣さに赤面しないでは、その高揚に賛嘆できないであろう。だから推理によるおよび実感された評価をコルネイユに対していまだに持っている少数の才気と気骨を持った人を除けば、この詩人を崇める他の人々は、感情によってよりも先入見によってまた口先だけで彼を評価しているのである。
一民族の政府または習俗のなかに起こった変化はみな、その趣味における革命を必然的に導かざるを得ない。ある時代から他の時代へと、一民族は同じ対象について、彼等を活気づける異なる情念にしたがって別の受け取り方をする。
人々の感情はその観念と同様である。私達が自分たちのと類比した観念しか他人の中で把握しないのなら、サルスティウスが言うように、私達は自分たち自身を強く触発する情念にしか影響され得ない。
なんらかの情念の描出が心に触れるためには、自分自身がそれに揺り動かされたことがなければならない。(i)
〔牧歌における〕羊飼いのティルシスと〔古代ローマの野心家〕カティリナとが出会い、彼等を駆り立てる恋と野心の感情について互いにうちあけたと想定しよう。自分たちを動かしている異なる情念を伝え合うことはきっとできないであろう。ティルシスは最高権力がなぜそんなに魅力的なのかわからず、カティリナは一人の女を征服してなぜ悦に入るのかわからない。ところで、異なる悲劇分野にこの原理を応用するために私が言うのは、住民が公務の運営に参加せず、祖国とか公民とかの言葉はめったに聞かれない国ではみな、公衆の気に入られるには、私人にふさわしい情念を舞台に上げるしかない、ということである。たとえば恋の情念がそうである。すべての人がそれに等しく感じやすいということではない。誇り高く大胆な魂の持ち主、野心家、政治家、吝嗇家、老人、あるいは事業家の心に、この情念の描出がほとんどふれないことは確かである。まさにその理由によって、演劇作品が完全な成功をおさめるのは共和国においてだけであって、そこでは、暴君への憎しみ、祖国と自由への愛が、敢えて言えば、公的評価のための結合点なのである。
他の政府すべてにおいては、公民たちは共通の利害によって結ばれておらず、個人的利害は多様であるので、普遍的な賞賛はどうしても成り立たない。こうした国においては、諸個人に多かれ少なかれ一般的に興味ある情念を描くことで、それ相応な広さを持つ成功しか望み得ない。ところで、この種の情念の中では、疑いなく一部は自然の欲求に基づく恋愛のそれが、最も普遍的に感じられるものである。だからいまフランスでは、ラシーヌの分野〔恋愛悲劇〕がコルネイユのものより好まれるのであるが、別の時代あるいはイギリスのような別の国では、たぶんコルネイユを優先するであろう。
私達の魂からすべての強さとすべての高揚を奪い、私達を既に悲劇より喜劇を好ませているのは、私達の習俗のなかに起こったぜいたくと変化との必然的帰結である、性格のある弱さのためであり、この悲劇というのもいまではもはや、高揚した文体での、そして行為が宮殿で起こる喜劇にほかならない。
君主権力の幸せな増大こそが、反乱を武装解除し、市民〔ブルジョワ〕たちの身分を卑しくして、喜劇の場面から彼等をほとんどすっかり追い払わなければならなかったのである。そこではもはや上品な人々と上流社会しかみられないのであって、彼等は実際にふつうの身分の人々が占めていた地位にとってかわり、本来、当代の市民なのである。
それゆえ時が異なれば、精神のいくつかの分野は公衆に対して、非常に異なりはするが彼等がそれを評価する際の利害関心に常につりあった印象を与える。ところでこの公衆の関心は、時代によってときおり、それ自体かなり違うので、後に証明するように、いくつかの分野の観念と著作がただちにつくられたりなくなったりする誘因となるが、たとえば論争の著作すべてがそうであって、それはかつては熟知され賞賛されておりまたそうであらざるを得なかったが、今では無視されている。
実際、信仰が分かれている諸民族が狂信の精神で動かされ、各々の宗派が自らの意見を熱烈に支持し、武器または議論で武装し、この意見を世界に告げ証し採用させようとした時代においては、論争が、第一に主題の選択に関して、あまりに一般の関心をひく著作であるので、普遍的に評価されざるを得なかった。しかもそれらの著作は、少なくともいくつかの異端の側では、まったく巧みにまた想像できる才気でつくられざるを得なかった。なぜなら畢竟、「ろばの皮」や青髭10)の小話を国民に説くには、若干の異端がそうであるように(k)、論争者がその著作において、ありったけの柔軟性、論理の力と手立てを使わないことは不可能であり、彼等の著作が瑣末さの傑作であり、またたぶん、この分野で人間精神の最後の努力であらざるを得ないからである。それゆえ確かに、題材の重要性によってもそれを扱うやり方によっても、論争家たちはそのとき最も評価される著作家とみなされざるを得なかった。
しかし、狂信の精神がほとんどすっかり消え、諸民族と王たちとが、不幸な過去に教えられてもはや神学論争にかかわらず、しかも真の宗教の原理が日々に確立される時代においては、まさにこの著作家たちはもはや人心に同じ印象を与えるはずがない。だから世間の人は今や彼等の著作を読んでも嫌悪しか覚えず、それはマンコ・カパク11)が太陽の息子であるかないかが検討されるペルーの論争を読んだなら感じるであろうものと同じである。
いま言ったことを私達の目の前の過去の事実を通じて確証するには、古代人に対する近代人の優越に関して論争された際の狂信を思い出してほしい。この狂信のために当時、この主題に関してつくられたいくつかの凡庸な論争が評判になった。そしてこの論争がどうでもよくなったために、その後有名なラモット氏12)や、学識あるテラソン氏13)の論文は忘れられてしまった。これらの論文は当然ながら、この分野での傑作であり模範であるとみなされるが、しかしながらもはやほとんど文士にしか知られていない。
観念と著作とのいくつかの分野がつくられたりなくなったりするのが、時代の違いにしたがって別々に変容される公衆の利害関心のためとされなければならないことを証明するには、これらの実例で十分である。
私がなお示すべきこととして残っているのは、まさにこの公衆の利害関心が民族の習俗、情念および趣味のなかで日々に起こる変化にもかかわらず、それでもいくつかの分野の著作に、あらゆる時代の不変の評価を確保し得るのはどのようにしてか、ということだけである。
このために思い出さなければならないのは、一時代や一国で最も評価される精神分野は、他の時代や他国においてはしばしば最も軽蔑されることである。したがって精神は本来、精神と名づけられることが認められているものでしかない、ということである。ところでこの主題になされた約定の中で、あるものは一時的で他のものは持続的である。それゆえすべての異なる種類の精神を二つに還元できる。一方で、そのつかの間の効用が、一民族の通商、政府、情念、関心事および偏見のなかに起こる変化に依存しているのはいわば流行の精神(l)にほかならず、他方で、その永遠で不変の効用が、いろいろな習俗や政府から独立しているのは、人間の本性自体により、したがって常に不変で、たぶん真の精神として、すなわち最も望ましい精神としてみなされる。
すべての分野の精神をこのようにこの二種類に還元したので、私はこれに続き、二種類の著作を区別しよう。
一方は輝かしく急速な成功を得べくつくられる。他方は広く長い成功を。風刺的な小説で、たとえば、真実味と辛辣みのあるやり方で、滑稽なお偉方たちをえがくものは、確かにふつうの身分のすべての者にうけるであろう。万人の心に原初の平等の感情を刻む自然は、お偉方と庶民の間に憎しみの永遠の芽をおいた。それゆえ庶民は、楽しみすべてとできる限りの明敏さとで、こうしたお偉方がその優越にふさわしくないことが示される、滑稽な描写の最も巧みな特徴をとらえる。それゆえこうした著作はすばやく輝かしいがほとんど広がらず続かない成功を得るに違いない。ほとんど広がらないというのは、こうした滑稽さが生まれる国の境が必ず境界となるからである。ほとんど続かないというのは、古い滑稽を新しいものに絶えず取り替える流行が、まもなく古い滑稽とそれを描いた著作とを、人々の記憶から消してしまうからである。畢竟同じ滑稽を眺めるのに飽きて、庶民の悪意は、新たな欠点のなかに、お偉方に対する自らの軽蔑を正当化する新たな動機を求めるからである。それゆえこの点で彼等は忍耐強くないので、滑稽さが持続するほど有名さが持たないことが多いこの種の著作は、よけいに早く失墜することになる。
風刺的小説が持つはずの成功の分野はこうしたものである。道徳学や形而上学の著作に関しては、その成功は同じではあり得ない。けちをつけようという欲望よりも常にまれで穏やかな、教えようという欲望は、一国民においてそんなに多数の読者もまたそんなに情熱的な読者も提供できない。そのうえこうした学問の原理は、どんなに明晰に示されても、常に読者にある種の注意力を要求するので、読者数はさらにかなり減らざるを得ない。
しかしこうした道徳学や形而上学の著作の利点は風刺的著作ほど速やかに感じられないとしても、より一般的に認められはする。なぜならロックやニコル14)のもののような論文は、イタリア人でもフランス人でもイギリス人でもなく人間一般が問題なので、必然的に世界のすべての民族のもとに読者をみいだし、またそれを各時代に保つに違いないからである。人間と事物の本性に関してなされた巧みな観察だけからその真価をひきだす著作はみな、どんな時代にも気に入られることをやめ得ない。
いろいろな分野の精神に付与されるいろいろな種類の評価の真の原因を知ってもらうため、私は十分に述べた。この件でなお何か疑いが残っているとすれば、上に確立された原理の新たな応用によって、その真理性の新たな証拠を得ることができる。
たとえば二人の著作家がいて、一人は彼の思想の力強さと深さによってだけ、もう一人はそれを表現する巧みな手法によって卓越するとき、その異なる成功はどのようなものか、知りたいであろうか。前に言ったことにしたがえば、前者の成功のほうが遅いに違いない。なぜなら観念の美しさの判定者よりも、ある言い回しや表現の微細さや優雅さやおもしろさの、つまり文体のすべての美の判定者のほうが多いからである。それゆえマレルブ15)のような洗練された作家は、広いというよりすばやい、また長続きするというよりぱっと輝く成功を得るに違いない。それには二つの原因がある。第一に、ある言語から他の言語に訳された著作は常に、翻訳において、その色彩の鮮度と力強さとを失う。したがって私の想定においては、主要な楽しみをなしている文体の魅力をはがれてしか、外国人に伝わらないからである。第二に、言語がしらずしらずに古くなるからである。最もうまい言い回しも、長期的には最もふつうになってしまうからである。またそれがつくられた国においてさえ、それを快くさせた美点がついにはなくなり、その作者にせいぜい伝統による評価しか保たないからである。
完全な成功をおさめるためには、表現の優雅さに加えて、観念の選択が必要である。この巧みな選択がなければ、著作は時の、またとりわけ翻訳の試練に耐えられないが、この試練は、純金をめっきから区別するのに最も適する坩堝とみなされるべきである。だから、若干の理性的な人々が詩に対して抱いた不当な軽蔑は、私達の古代の詩人にはあまりに多い、あの観念の欠乏にだけ帰せられなければならない。
既に言ったことに一言だけ付け加えることにしよう。有名さですべての時代にまたいろいろな国に広まらざるを得ない著作の中で、人類においてより強くより一般的に関心をひき、より迅速でより大きな成功をおさめるに違いないものがある、ということである。これを納得するには、人々のなかに、どんな情念も体験しなかったものはほとんどいない、ということを思い出すことで十分である。彼等の大部分は、観念の深さよりも叙述の美しさのほうに気をひかれることを。経験が示すように、彼等がほとんどみな、反省したというよりみてとったのであり、しかもみてとったというより感じとったのであるということを(m)。こうした情念の描写は自然の対象の描写よりもより一般的に快いものであり、またまさにこれらの対象の詩的叙述は哲学的著作よりも多くの賛嘆者をみいだすはずだ、ということを。この哲学的著作に関して言えば、人々は一般に、人間の心についての知識よりも、植物学、地理学、芸術について好奇心が少ないので、この人間の心という分野におけるすぐれた哲学者は、植物学者、地理学者および大〔芸術〕批評家よりも一般的に知られ評価されるはずである。だからラモット氏は(彼を例としてひくことを許されたいが)、もしも彼が頌歌、寓話、および悲劇に関する論文のなかでふるったのと同じ繊細さ、同じ優雅さ、同じ明瞭さを、もっと興味ある主題に適用していたならば、異議なく、もっと一般的に評価されていたであろう。
公衆は、大詩人の傑作を賛嘆することに満足して、大批評家はほとんど重んじない。彼等の著作は、それが有用な芸術家によってしか、読まれず、判断されず、鑑賞されない。ラモット氏の評判がその真価にあまりつりあっていないことの真の原因がこれである。
すばやく輝かしい成功に、広く長続きする成功を結び付けるに違いない著作は何かを、今度はみてみよう。
この二種類の成功を同時に得る著作は、私の原理にしたがえば、一時的な効用に持続的な効用を加えるすべを知るものである。詩、小説、劇作、および道徳的または政治的著作のいくつかの分野がそれである。それに関して観察するのがよいことは、そうした著作は、できた時代と国の習俗、偏見に依存する美点をまもなく失い、後世の目には、すべての時代すべての国に共通の美点だけを保つ、ということである。しかしこの損失、また敢て言えば真価のこのような減り具合は、著作の構成に入りそこで時局的美点に常に不等に混ざっている持続的美点がこの一時の美にまさるのに応じて、大きくも小さくもなる。有名なモリエールの『女学者』は、なぜもう、彼の『守銭奴』や『タルチュフ』や『人間嫌い』ほどには評価されないのか。世人はこれらの作品の各々に含まれる観念の数を数えはしなかった。したがってそれらに負っている評価の程度を規定はしなかった。しかし人が経験したのは、『守銭奴』のように、その成功が、人々に常に有害なのに常に存続する悪徳の描写に基づく喜劇は、その細部において必然的に、この主題の巧みな選択に類似した無数の美点を含んでいる、ということである。逆に『女学者』のような、その成功がつかの間の滑稽にしか支えられていない喜劇は、この主題の本性により類似して、たぶん公衆に強い印象を与えるのにより適した、それほど持続した印象を与えられない、あの一時的な美点でしか卓越できないことをである。だからいろいろな国民において、性格喜劇は、ある劇場から他の劇場に移っても成功を続けるのは、ほとんどみられないのである。
この章の結論は、いろいろな分野の精神に与えられる評価は、各時代において、それを人が評価するのに持つ利害関心に常につりあっている、ということである。
【原注】
(a) これは、いくつかの古い小説を、ある時代とある統治形態において考察された一民族の習俗の真の記述とみなす若干の哲学者にもう快くないということではない。シバリス人によるのとクロトン人によるのと16)二つの小説に大きな違いがあろうと確信しているこうした哲学者たちは、一国民を魅了する小説の分野によってその国民の性格と精神とを判断することを好む。こうした種類の判断はふつう十分に正しい。有能な政治家なら、これを助けに、慎重あるいは大胆に一民族に対して試みる企てを十分正確に決められよう。しかしふつうの人は、学ぶためよりも楽しむために小説を読み、この観点で考察せず、したがってまた同じ判断を下せない。
(b) このムノの説教の一つで、メシアの約束が問題になっているが、次のように言われている。「神は、永遠の昔から、受肉と人類の救いとを決めていたのだが、教皇たちのような偉人がそれを求めることを望んでいました。アダム、エノス17)、エノク18)、メトシェラ19)、レメク20)、ノアは、それを虚しく懇願した後、彼から使いたちを送ることを思いつきました。最初がモーセ、二番目がダヴィデ、三番目がイザヤ21)、最後が教会です。これらの使いも族長たち自身同様うまくいかなかったので、女性たちを代表として遣わさなければならないと思いました。イヴ夫人が最初に現れ、神は彼女にこう答えました、『イヴよ、お前は罪を犯した。お前は私の息子に値しない』。続いてサラ夫人22)がこう言った。『ああ神よ! 私達を助けよ』。神は言いました。『「お前はイサクの母になろう」と私が保証するとき、お前は不信を示すことによって値しないものになった』。三番目はレベッカ夫人23)であった。神は彼女に言いました。『お前はヤコブに味方して、エサウを傷つけすぎた』。四番目はユディット24)で、彼女に神は言いました。『お前は暗殺された』。五番目はエステル25)で彼女に神は言いました。『お前はこびすぎた。身を飾るのに時間を無駄にしすぎて、アハシュエロスの気に入らなかった。』最後に送られたのが十四歳の小間使いで、彼女はまったく恥ずかしそうに目を落として膝まづき、続いてようやく言いました。「私の愛する人が私の庭に来て、彼のりんごの実をそこで食べてくれますように」。そして庭は処女の胎でした。ところで息子はこうした言葉を聞いて父に言いました。『お父さん、私はこの女を若いときから好きでしたし、私の母として持ちたいと思います』。ただちに神はガブリエル26)を呼んで言いました。『おおガブリエルよ、とくナザレに行き、マリアに私からとこの手紙を示せ』。そして息子は付け加えました。『私からは、お前を私の母として選ぶと言え』。続いて聖霊がいいました。『私が彼女に住まうであろうこと、彼女が私の宮になるであろうことを彼女にうけがえ。そして私からとこの手紙を届けよ』」。このムノの他の説教はすべてほとんど同じ趣味のものである。
(c) この時代、無知のために、ある司祭が誰の費用で教会を舗装するかを知るために、教区民たちに対して訴訟を起こした。この司祭は、裁判官が彼を断罪しようとしていたとき、エレミア27)の次の句を引くことを思いついた。「彼等ガ舗装スル、而シテ我ハ舗装セズ」。裁判官は引用に応えるしかなかった。教会が教区民の費用で舗装されることを彼は命じた。
教会において、学問と書く技術とがキリスト教徒にふさわしからぬ世俗的な事柄とみなされた時代があった。この件では、キケロの文体をまねようとしたことで天使が聖ヒエロニムスを鞭打った、とさえ言われる。
(d)神は女、悪魔、驢馬、岩、瓢箪ニ偽装デキタノカドウカ。マタモシ瓢箪ニ偽装シタトイウナラ、イカニシテ述ベ伝ヘラレ奇跡ヲウンダノカ、マタイカニシテ十字架ニカケラレタノカ。
(e) この無知の時代に肩入れして何を言おうとも、それが宗教に好都合であったと信じさせることはけっしてあるまい。それは迷信にだけ好都合であった。だから哲学者や地方アカデミーに対してなされる弾劾ほど滑稽なものはない。それを構成している人々は地を照らせない、と言われる。その人々は地を耕す〔教養化する〕ことでよりよいことをするであろう。そうした人々は地を耕す身分ではない、と応えられよう。しかも、農業の利害のために、〔文字通りの意味での〕耕作者の役割の中に彼等を登録しようとすることは、こんなに多くの乞食、兵士、ぜいたく品職人、下僕が養われているときには、爪に灯をともして国家財政を再建しようというようなものである。これらの地方アカデミーがほとんど発見をしていないと想定しても、少なくともそれが、首都の知識が地方に伝わる通路として考察できるということさえ付け加えたい。ところで人々を啓発すること以上に有用なことは何もない。フルーリ師28)は言う、「哲学的知識はけっして有害ではあり得ない」。ヒューム氏は付け加える、「諸国民がその政府、法、および統治の改善を自慢できるのは、人間理性を改善することによってだけである」と。精神は火のようなものである。それは全方向に働きかける。学問と文芸において著名人がいない国に、偉大な政治家や偉大な大将はほとんどいない。書く技術も推論する技術も心得ない民族が、よい法を自らに与え、無知の時代を荒廃させるあの迷信のくびきを振り払えると、どうして確信できよう。ソロン、リュクルゴスそして多くの立法者をかたちづくったピュタゴラスは、理性の進歩が公共の幸福にどれだけ寄与したかを証明している。それゆえこれらの地方アカデミーは、きわめて有用なものとみなされなければならない。もし学者が単に商人として考察され、またもし王がアカデミーと文芸家たちに配布する十万冊の本を、外国における私達の本の売り上げの産物と比べるなら、この種類の取引が、百に対して千以上を国家にもたらしたと、私はさらに言いたい。
(f)『碑文および文芸アカデミー記録』第18巻。
(g)このやり方で聖職者を告発したこのマイヤールも、同僚に非難した悪徳を彼自身免れていない。彼は「ゴモラ人29)博士」と呼ばれた。次の寸鉄氏が彼に対してつくられたが、私にはまさに十分当代向きに見える。
我等のマイヤール先生はどこにでも手を出す。
あるときは王のもとに、またあるときは王妃のもとに行く。
何でも屋で全知で何の専門でもない。
生まれのよい人々の大弁論家、大詩人で、
千人を業火に投じたよき裁き手、
修道士の尻と同じくらい鋭い詭弁家。
でも参事会員でしかないにはとても邪なので、
彼のかたわらでは悪魔も罪人も聖者だ。
いたるところ首を突っ込み名誉と思うならば、
なぜポワシー30)で論争しないのか。
遠ざかっていたのは誠に遺憾と彼は言う、
べーズ31)もうちまかしただろう有能さだから、
それならなぜいないのか、忙しいのだ、
ソドム29)の再建のための基礎の後では。
(h)内乱は一つの不幸であるが、しばしばそのおかげで偉人たちが現れる。
(i)英雄の行為の話のうち、読者は自分自身ですることができるものしか信じない。残りは作り事として退ける。
(k)32)聖エピファヌスにおける異端の歴史を参照せよ。
(l)私はこの語によって、人間の本性にも事物の本性にも属さないすべてを意味する。したがってまさにこの語によって、最も持続的と私達にみえる作品を理解する。次々と他の者で置き換えられつつ、数時代の長さに関係するが、流行の産物に数え入れられるべき偽りの諸宗教はそうしたものである。
(m)以上の理由において、ギリシャ、ローマ、またほとんどすべての国において、詩人の時代が哲学者の時代を予告し先立ったのである。
【訳注】
1) アマディス(Amadis de Gaula)はスペインの騎士物語(14世紀ころ成立か)の主人公。
2) ムノ(Michel Menot,v.1440-1518)は「黄金の舌」と呼ばれたフランスの有名な説教師。
3) ブルダル(Louis Bourdaloue,1632-1704)はフランスの説教師、イエズス会士。
4) 不詳。作品名または主人公の名か。
5) 「使徒行伝」第9章。
6) マイヤール(Olivier Maillard,1440-1502/08)はフランスの有名な説教師。
7) ベルナール(Bernard de Clairvaux,1090-1153)はフランスの神秘家、聖人。第二回十字軍を勧め実現させた。
8) エチエンヌ(Saint Etienne)はエルサレムの最初のキリスト教会の助祭。
9) アトレイデスは、ギリシャ神話におけるアガメムノンとメネラーオス。
10)「青髭」は17世紀のフランスの作家ペローの物語の主人公。「驢馬の皮」は同じくペローの物語。
11)マンコ・カパク(Manco Capac 1er)はインカ帝国の伝説上の創始者。
12)ラモット(Antoine Houdar de LaMotte,1672-1731)はフランスの作家・批評家。新旧論争の近代派。
13)テラソン(Terrasson,1670-1750)はフランスの作家。オラトリオ会司祭。『セトス』など。
14)ニコル(Pierre Nicole,1625-95)はフランスの神学者。『論理学』(アルノーと共著)など。
15)マレルブ(François de Malherbe,1555-1628)はフランスの詩人。アンリ四世とルイ十三世の宮廷詩人。明快純粋で古典主義への道を開いた。
16)シバリスとクロトンはともに古代のイタリア半島南部の都市国家。前者は贅沢で有名であり、ピュタゴラス教団に統治された後者に前510年に滅ぼされたが、これも前297年にローマに併合された。
17)エノシュ(Enos)はアダムの孫(「創世記」5 ,6)。
18)エノク(Hanok)はアダムから第七代。信仰深い人の模範。
19)メトシェラ(Mathusalem)は聖書の族長(「創世記」5,25-27)。
20)レメク(Lameck)は聖書の族長(「創世記」4,19)。
21)イザヤ(Isaîe)は前八世紀のユダヤの預言者。
22)サラ(Sarah)はアブラハムの妻、イサクの母。
23)レベッカ(Rébecca)はイサクの妻、エサウとヤコブの母。
24)ユディット(Jehudit)は聖書外典、ユディット書の女主人公。アッシリア人に襲われたべトゥリア市を策略で守り、敵将ウホロファルネスの首を斬った。
25)エステル(Ester)はユダヤの女。ペルシャ王アハシュエロスの后となり宰相ハマンによる虐殺計画からユダヤ人を救った。
26)ガブリエルは旧新約聖書に登場する大天使の一。
27)エレミアは前六世紀ころのユダヤの預言者。
28)フルーリ(André Hercule Fleury,1653-1743)はフランスの政治家。イエズス会士。ルイ十四世の宮廷つき聴罪師。ルイ十五世の師父宰相、枢機卿。
29)ソドムとゴモラは古代イスラエルの伝承による悪徳都市。
30)ポワシー(Poissy)は1561年に宗教会議が行われた町。
31)べーズ(Théodore de Bèze,1519-1605)はプロテスタントの神学者。ポワシーの会議に出席。カルヴァンを継ぐ。
32)原注(j)が底本に欠けている。